第十話「せめて人間らしくあるために」2
舞踏会のダンスにも出られるよう、出たくもないレッスンを受けていたお陰で、ヒールでも転ぶことなく階段を無事に上り、エリサは地上へと戻った。
ステージ上では既に演奏会に向けてポール主導でセッティングが進められ、黒々としたグランドピアノも置かれていた。
「それじゃあ、貴方はゲストだから。呼ばれたら舞台袖から出て来るのよ」
「分かりました……」
未だ多くの観光客で賑わう姿を目の当たりにして急に緊張感が込み上げてくるエリサ。ベルレーヌはステージ上まで上がり、無事に女装が施されたことを報告する。
ポールは客席からは見えない位置にある舞台袖で控えるエリサの下へとやって来ると、今日演奏する予定の譜面を手渡した。
「似合ってるじゃねぇか、今日はよろしく頼むぜ」
「冗談はよしてください。恥ずかしくて、顔から火が出そうです」
スカートのスリット部分を手で押さえ、思わず内股になるエリサ。
男性であるポールの視線を浴びると余計に今の自分の姿を意識してしまうのだった。
「まぁ……。観光客の多くは男性だ。今の綺麗な姿を見れば愛嬌良く振舞わなくったって喜んでくれるくらいだ。楽な気持ちでやろうぜ」
「だから、僕は観客に喜んでほしいわけでも、目立ちたいわけでもないんですって」
「ははははっ! だがな、そういう初々しい恥ずかしがってる反応をしてる方が好かれやすいってもんだぜ。こっちが呼ぶまでは譜面を見て落ち着かせていてくれ。演奏するのは王子のいつも弾いてるクラシック音楽じゃなくて、ジャズだからよ」
クラシック音楽ではないと聞き、譜面を開くエリサ。
そこには聞いた事すらないジャズ音楽の名曲達の楽譜が並び、エリサは余計に落ち着かなくなった。
「初見で弾ける自信はありませんよ」
「勿論分かっているさ。俺達と一緒に演奏をして雰囲気を楽しんでくれればいい。ここに来る奴らの中に音楽に詳しい奴なんていない。ただ盛り上がって楽しみたい奴らの集まりだ。だからよ、演奏の出来なんて気にしなくていい、この情熱的な夜を楽しんで行きな」
これまでに披露してきた演奏会の大きな会場とはあまりに違う、小洒落たバーの店内の雰囲気。こうした場所でも音楽は人を楽しませることが出来る。
今のエリサには楽しむ余裕もなく、気が休まることはなかったが、ポールの言葉を信じることにした。




