第四話「夜の旅人」2
カーキ色のフード付きマウンテンジャケットに肩掛け鞄を背負い、旅人に扮して外に出たエリサ。
月が天高く昇る街は静寂に包まれ、ここまでは王宮の人間が王子の外出に気付いた様子はない。
旅の道連れは肩に乗った一匹のフェレット。
夜が深くなるにつれて眠たげにしていたタマは外に出ると目を覚まして真っ直ぐに前を向き、肌寒い風を黄色い毛並みに受けていた。
「少し前までは寝苦しいくらい暑かったのに。すっかり寒くなったね。父様が僕を待ってる。タマ、行こうか」
優しく首筋を撫で、小声で話しかけるとタマは小さく鳴き声を上げて喜び、愛くるしくエリサの頬を舌で舐めた。こうして、エリサは小さな小動物を友として携え、王宮を後にした。
フードを被り、一段と寒さが厳しくなる城下町を歩いて行く。
砂漠化が進行したシカリア王国では、風で砂が巻き上がることが頻繁にあり、黄砂のように広がって健康被害を及ぼすことがある。
今晩の夜は静かな方だが、それでもエリサは風が吹くと反射的にフードを大きく被って砂嵐を凌いだ。
通り過ぎる僅かな女性達も、王子が夜に出歩いているとは思いもせず、足早にフードを被って家路へと向かっていく。
辺りを静寂が包み、ふと背後を伺うと、そこには人影一つなく、砂の大地に聳える王宮の姿がすっかり小さくなっていた。
南へ向かってしばらく歩くと、歓楽街へと入った。
そこは穏やかで静かな風が吹く城下町とは一変していた。
賑やかな人の声がそこかしこから響き渡り、煌びやかでギラギラとした眩しい灯りが街行く人を誘うように映し出している。
陽が沈んだ後の夜の風景とは思えない色めき立った異様な雰囲気にエリサは驚きを隠せない。
辺りに充満する煙草の煙や鼻を刺激させる強い酒の匂いは昼間にはないもの。
エリサは欲望が渦巻く歓楽街特有の空気に警戒心を強めた。
一つ一つ看板を確認しながら目的の店を慎重に探して回る。
詳細な地図を受け取っていないエリサは慣れない夜間に歓楽街を回ると苦戦を強いられた。
(本当に観光客が多い、関わったことのない人種の人ばかりだ。それに男の人が当たり前のように街の中を歩いている)
王宮で暮らしているエリサとは住む世界の異なる人々。
何処の国の人なのか、定かではない言語で会話を繰り広げる人もいる。
飲み屋や賭博場、入口が隠されたホテル、濃い化粧を施して観光客を誘う半裸に近い、露出度の高い女性。
普段見ることのない高潔とは程遠い国民の姿にエリサは心が痛んだ。
何か薬に狂わされたような異質な空気を纏った女性達は香水の匂いがキツイ。
王宮で暮らすエリサからすれば、あまりにも近寄りがたいが、陽気な観光客は平然と嬉しそうに近づいていき、路上で客引きをする女性達に話しかけ、会話を楽しんでいる。
観光客の身なりは様々だが比較的、男性が多い。この場所では彼らは冷たい視線を浴びることなく受け入れられ、周りの視線を気にすることなく堂々とした姿で跋扈している。
エリサはその姿を直視しないよう、関わらないよう、静かに下を向き通り過ぎて行く。
王宮の警備員が違法な商売していないか、トラブルが発生していないか見回っている姿も見られ、完全な無法地帯というわけではない。
しかし、夜の遊びに興じた経験のないエリサにとっては、どんなに楽しい娯楽に溢れていようと、こんな場所に長時間、居座りたいとは到底思えない。
エリサは早く目的の店を見つけ出し、用事を済ませて帰りたい気持ちで一杯になった。
(ここにいるだけで精神が蝕まれるみたいだ……。お酒は飲まなくても雰囲気だけで酔ったりもするって聞いたことがあるけど、それに近いのかな……)
出来るだけ顔は晒さぬよう、フードを被ったまま、周囲に目を凝らしながら歩いて行く。
だが、目的の店を探すのに夢中になっていたのが災いとなり、一瞬の隙を突かれて肩に掛けていたカバンが盗み取られた。
音もなく的確にカバンを奪い去り、俊足で走り出し、逃げていく犯人。
予想だにしなかった事態にエリサは初動が遅れた。
振り返った時には盗みを働いた犯人は視界から遠く離れていて、手を伸ばして捕まえられる距離にはいない。
エリサは追い掛けなければと瞬時に判断をして、何とか相手を見失わないように追い掛けることにした。




