第四話「夜の旅人」1
「エリサ王子、こちらが預かっていた書簡です」
「ついにこの日が来てしまったんだね」
「はい、アントニオ様も私もこの日を待ち望んでおりました」
濡れた髪にタオルを被せた、お風呂上がりのエリサに手渡される意味深な黒い封書。
エリサはそれを受け取り、約束の日がついにやって来たのだと実感を持ち始めた。
「クオン、本当に父様がこのシカリア王国に来ているの?」
「そうです。まだ信じられないかもしれませんが、アントニオ様は以前から王子のことを気に掛けておられました。成人を迎える前に会って話がしたいと」
エリサ・ベレスティーの実父、アントニオ・ヘルファーシュトルファー。
かつて、宮廷音楽家としてこの国に滞在中、エリサの母親、マリアンナ・ベレスティーと愛を育み、禁忌を犯して国外追放される身となった人物である。
国外追放された身である実の父親が生きていて、自分に会いたいと連絡を入れてきている。にわかには信じられないことだったが、何度も書簡を送り合い連絡を取ってきたエリサは、ようやく会う決心ができたのだった。
今になって、どうして……。
会えるのなら会いたいという気持ちはあっても、今もそんな心情が脳内を駆け巡る。再会を果たした後で父とどんな話を交わすことになるのか、想像もつかない。
それでも、エリサは受け取った父からの黒い封書を開き、それが自分に向けて宛てられた招待状であることを確かめた。
「ロベスピエール……。何処にあるお店なのか、クオンは知っているの?」
「歓楽街にある観光客が集うバーです。看板に幸運の象徴である四つ葉のクローバーをあしらっているので、店の近くを通ればすぐに分かるかと思います」
「それなら、道に迷わなければ辿り着けそうだね」
「そうですね。夜になると歓楽街は特に昼間とは雰囲気が違いますから、そこだけは気を付けて下さい」
再会の地は、王子という身分であることも考慮して、人目の付きづらい場所が指定された。
夜が深さを増していく中、指定された現地まで一人で出向かなければならない。
わざわざ夜に出歩く機会など、これまでなかったエリサにとって不安と焦燥が付きまとう。
国外追放にした当の本人である女王から父との面会の許可が降りることは有り得ない。王子の不在を隠蔽するため、王宮に残らなければならないクオンは心配になるが、無事にエリサが辿り着けることを信じる他なかった。
「ねぇ……。クオンにとって父様はどんな人なの? 前にも話したと思うけど、父様は僕がまだ幼い頃に国外追放されたから、はっきりと一緒にいた記憶は残ってないんだ」
記憶の奥深くにある光景を掘り起こせば、大きな楽器ケースとバッグを抱えた、スーツ姿をした巨躯な男性の寂し気な後ろ姿が薄っすらと浮かび上がる。
それが永遠の別れになるとは思ってもみなかった幼い頃のエリサ。
自分に課せられた運命に対して、あまりにも無自覚だったあの頃。
だが、今はもう違う。自分の意志で女王である母親に内緒で会いに行こうとしている。
クオンの願いもあったが、身体の奥底に秘めた、そうしたいと願う衝動にエリサは突き動かされていた。
「父のことが気になりますか……。
アントニオ様は私にとって、王子と同じく実の父親でもあります。アントニオ様が根回しをしてくれたおかげで私は王子のお傍でお世話をすることを許されていますから。だから、父には感謝しています。待ち合わせの時間が迫っていますが、少しだけ父の話をしましょうか」
「うん、お願い。後は着替えを済ませるだけだから」
濡れた身体は薄暗い部屋の中でゆっくりと乾いていき、窓から差し込む月光によってエリサの髪は照らされ、時折キラキラと銀色に輝いて見えた。
胸の奥からゆっくりとせり上がって来る、夜の街へと繰り出す焦燥感。
エリサは着替えを手伝ってもらいながら、実父についてクオンから詳しい話を求めた。
「分かりました、私の印象になりますが少し話しましょう。
アントニオ様はこのシカリア王国の国民とは違い、肌が黒くて異国の民とはっきり分かる容姿をしています。
宮廷音楽家として作曲を昔からしていることが知られていますが、身体が大きくて、男らしくて、周り人達から慕われている、とても頼りになるお方です。
ですが、困ったところもあって、女性から一方的に好意を寄せられ、色恋沙汰に巻き込まれやすい性質があります。
それはそれとして、後は王子自身が会って感じた方がきっといいでしょう」
思考を巡らせながら、まるで想い人のことを話すように言葉を並べるクオン。師として慕うケインズ先生とはまた違う、頼り甲斐のある、ナイスガイな男性像をエリサは想像した。
「上手く想像できないけど、話しぶりからして、クオンには僕とは違って父様との思い出がいっぱいあるんだね。ありがとう、前向きに会ってみたいと思えたよ」
「それはよかったです。私も幼い頃に会っていた思い出はほとんどありません。今のアントニオ様のことしか見えていませんから。王子も会ってみれば分かります。私の言葉の意図するところが」
着替えが終わり、立ち上がったエリサは迷彩色の上着を羽織り、フードを被って顔を隠す。
国民に顔が知られている以上、目立った行動は外ではできない。
出来るだけ、人目に付かないよう、目的地を目指さなければならなかった。
「眠らない歓楽街……。そこに父様が待ってるのね」
「はい、宮殿の外までは案内します。どうか、私にお任せくださいませ」
「うん、よろしく頼むよ」
大きく息を吐き、気持ちを整えるエリサ。
そんなエリサをクオンは安心させようと背中をさすった。
灯りを持ったクオンに案内をしてもらい、寝静まった城内を歩いて行く。
殆ど誰も利用することのない、非常用の出口を開けてもらうと、エリサは一歩を踏み出した。
「夜の間には戻るから、後は任せたよ」
「はい、行ってらっしゃいませ、王子。無事にここへ帰って来るのを信じて待っています」
寂しさを抱えた瞳で見つめるクオン。
その姿を目に焼き付け、踵を返したエリサは夜の街へと繰り出した。




