第三話「境界線上のソドム」3
晩秋の陽は足早に沈みゆき、長い夜が始まりを告げる。太陽はすっかり顔を隠し、黒々とした夜の絵の具が世界を覆い尽くす。
夕食後、一日の疲れで虚ろな眼をしたエリサは部屋に着くと早々、ベッドに身体を沈ませた。
(父様に会いに行ったら、母様を裏切ることになるのだろうか……)
クオンが部屋にやって来る僅かな猶予の間、考え込むエリサ。
今日一日の出来事だけでも、頭が混乱しそうな程、様々なことがあった。
ぬるま湯に浸かって生きてきたつもりはなかったが、理想も信念もありはしない。第一王子として、何がこの国にとって必要なことさえも分からない。
それ故に、決心は揺らぎ、エリサの心の中で葛藤が蠢いていた。
しかし、時は待ってはくれない。
程なくして、クオンは部屋にやって来て、入浴の知らせを告げた。
大衆浴場が主流のシカリア王国の中で、王宮で暮らすエリサは従者であるクオンの手を借りて幼い頃からこの時間になると入浴を繰り返していた。
「王子、入浴の準備ができました」
「うん、ありがとう。クオンにはいつも世話を掛けるね」
王宮に暮らす者であればこそ、より清潔さを保たねばならない。シカリア王国において、水は貴重な資源だが、それでも風呂に入る習慣は自然と根付いていた。
寝室のベッドと同じ天蓋が付いた浴槽は白いシーツに覆われ、既に準備が終整い、エリサが入浴するのを待ちわびているかのようだった。
クオンに案内され、床一面に大理石が敷かれた浴室にエリサは入り、この時間まで身に付けていた服を躊躇いなくクオンの前で脱いでいく。
ハリ艶のある清らかな乙女の肌をした一糸まとわぬ姿を晒し、浴槽へと足を踏み入れる。
クオンは後ろからその艶めかしく穢れないその姿を見守り、生唾を飲んで興奮を抑える。
すらりと伸びる身体のラインも、控え目に膨らみを見せる胸も、男であることを忘れそうになるほどに美しく、魅惑的に人の欲望を誘う。
成長過程で男性ホルモンの分泌を停止させられたままのエリサは女性ホルモンを投与され、女性らしい身体つきへと歪に変わりつつあるのだった。
「クオン……。時間は大丈夫?」
「はい、夜が深まり静寂を迎える辺りが頃合いかと思います。私がお傍にいますので、今しばらくは、一日の疲れを癒してください」
「そうだね……。今宵は長い夜になりそうだ。クオンの言葉に甘えるよ」
肩まで浴槽に浸かり、ゆっくりと緑色の瞳を閉じるエリサ。
クオンはその姿を直視しないよう胸の高鳴りを堪え、切実な心情で見守りながら服を畳んでいく。
すると、この後のことを考えるあまり、表情が曇っていくクオンの様子を感じ取ったエリサは思わぬ言葉を掛けた。
「せっかくだから、一緒に入ろうか?」
「正気ですか? 私はお世話させて頂いている身です。他の従者に見つかればただでは済みませんよ」
「その時は一緒に謝るから。僕らは血の繋がった兄弟なんだから、遠慮なんていらない。間違ったことじゃないはずだよ」
「そう思ってくれる人は王子以外に誰一人としていません。それでも、王子は優しくしてくださるのですか」
「クオンだって望んで今の姿になったわけじゃない。僕の前では気を張らないでいてほしいんだ。それに今日はクオンの願いを受け入れて、父様に会いに行く。僕の願いを一つ、聞いてくれてもいいんじゃないかな?」
言葉の節々に愛情を秘めたエリサの優しい言葉に胸を締め付けられるクオン。
エリサと同じく男性としてこの世に生を受けたクオンだが、男性であるが故にこの王宮の中では腫れ物ような扱いを受け続けている。
男であるのに、女物の服を着せられているのも周りへ悪影響を与えないための措置。今着ている、従者の衣装を人前で脱ぐことさえ許されてはいなかった。
「分かりました。それでは、王子の優しさに感謝して、お邪魔します」
エリサの心遣いを受け入れ、恥じらいを堪えて一つ一つ、結んだ髪を解き、丁寧に服を脱ぎ、濡れないように畳んで床に置いていく。
浴槽は二人分ぴったり入るほどの大きさで、クオンは顔を合わせないよう恐る恐る足を伸ばし、エリサの背後に身体を丸くして浴槽に浸かった。
「私の身体は王子とはもう違います。穢れた私を憐れんでおられますか?」
「そんなことないよ。自分の性を未だ選ぶことが出来ない僕の方が不甲斐ない、穢れた存在だよ。クオンはさ……。この国で生まれさえしなければこんなに苦しい生活を強いられることはなかったんだよ」
「いいえ……。私は苦しい生活なんてしていませんよ。安全な王宮の中で幸せに暮らしています。これも全部、王子のおかげです」
本心からの言葉をエリサに届けるクオン。
互いに中性的な容姿をしていることから、服を着て生活していると男として見られることがほとんどない二人。
それでも、裸になると隠されていた全貌が否が応でも曝け出される。
エリサの股間部には力なくだらんとぶら下がった男性器が露出され、一方で、クオンの股間部にはそれがない。代わりに痛々しい手術痕が刻まれ、男性器は産まれたばかりの赤ん坊の頃に切除され、既に去勢されている。
そんな、生まれの不幸を呪いたくなるほどの運命に翻弄され続ける両者だからこそ、背負っているものの苦しみが痛いほど分かるのだった。
男であることが許されない社会に蔓延る残酷な現実。
そんな、辛い過去があったとしても、懸命に生きていることに変わりはなかった。
「僕に出来ることはきっと、そう多くはない。それでも、クオンは僕を信じてずっと支えてくれるの?」
「勿論です。男として産まれた時点で一度は死んだ身です。同じ姓を持って生まれた者同士、支い合えるのであれば、これ以上、光栄なことはありません」
「ふふふふっ……。クオンは言葉が上手いね」
クオンの放つ、清々しいまでの忠誠心を改めて知り、自然と笑みが零れるエリサ。テロリスト集団の魔の手が迫り、危険が近づきつつあっても、二人は前を向いていた。




