第一話「再生する世界の片隅で」1
「ジェンダーフリースクリプト~始まりの物語~」
表紙イラスト:あニキ様
中央:エリサ:ベレスティー&コロ(フェレット)
左:マリアンナ・ベレスティー
右:アントニオ・ヘルファーシュトルファー
・本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・地名等は架空のものであり、
実在するものとは一切関係ありません。
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大規模な宇宙開発により、人類が地球の揺り籠から飛び立ち、幾千の時が過ぎ去っていった地球暦二〇五七年。
増えすぎた人類による地球環境汚染や度重なる戦争による荒廃から解放された地球は、長い時の中でようやく自然環境の回復を果たし、かつての美しさを取り戻しつつあった。
しかし、かつての災厄の反省を生かし成された技術レベルの逆行は、人類の業の深さ故に反故されていくことになり、再び自然環境は悪化の一途を辿ってしまったのです。
ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸に囲まれた地中海沿岸地域。この地域に建国されたシカリア王国でもまた、大陸における産業革命の影響を受け、大きな環境変化に見舞われていました。
特別な要件を満たしたごく少数を除き、女性のみが暮らす世界にただ一つの女民国家、シカリア王国。この国におけるもっとも大きな環境変化は砂漠化でした。年間を通して降水量の少ないこの地域は乾燥地域と隣接しているため、環境変化に対して特に脆弱な性質を持ち合せていたのです。
乾燥化が進んだ影響により、多くの農業地帯が失われ、限られた資源は枯渇の一途を辿っていく。これは国の産業構造にも変化を及ぼし、シカリア王国は刻々と環境産業に頼らざるおえなくなっていったのでした。
女民国家における観光客の重要性。
それが高まるにつれて、国は対応しきれない数多くの諸問題を背負うことになります。
増え続ける旅行者による治安の悪化。
観光を通じて接触し合うことで生まれていく異性愛者。
性被害に巻き込まれる国民。
女性しか国民として認められない国家への不満。
増え続ける観光客による許されざる犯罪行為の数々。
そして、不満を抱えた人々の望みを叶えるべく、革命を起こすため、立ち上がったレジスタンス組織。
これは、そんなシカリア王国を巡る、数奇な運命に巻き込まれていく第一王子、エリサ・ベレスティーが長い旅の始まりに至るまでの物語。
*
砂漠化が進み、砂地に覆われた大地。観光客で賑わう城下町や夜も眠らない繁華街。シカリア王国が管理所有する数多くの研究施設。市民にとっても、動植物にとっても憩いの場となるオアシス。
そんな、シカリア王国の中央に聳え立つ女王が実権を握る王宮。
朝日を浴びる王宮の姿は壮観で、周囲から聞こえてくる鳥のさえずりはまるで、平和の象徴のように変わらない穏やかな朝を彩っている。
王宮の一室で暮らす、エリサは天蓋付きのシルクのベッドで布団を被り、静かな寝息を立てて眠っていた。
小さな窓から、暖かな陽光が朝の冷え込みを相殺するように差し込む。
エリサは眩しい光を浴び、エメラルドグリーンに輝く瞳をゆっくりと開き、朝の訪れを認識した。
布団を掴み、身体を起こすと肩口まで伸びた髪が光に照らされ、銀色に光り輝き、見目麗しい王子の姿をさらに幻想的な美しさへと昇華させていた。
「起きていらしたのですね」
「クオンこそ、もう仕事を始めてるなんて真面目だね」
「少しは王子の寝顔を眺めてから、務めに入りたいんですよ」
「そうはいかないよ。慌てて朝食の時間を迎えるわけにはいかないからね」
優しく慎ましい、極めて男女の判断が難しい中性的な声に包み込まれ、布団を剥がしてベッドから起き上がるエリサ。その表情は感情の起伏に乏しいが、返す返答は親しみを込めたものだった。
エリサのお世話係を長年にわたって任せられている、従者のクオリタン・マルティネスがエリサ王子の自室へと世話をするため、やってきたのだ。
クオンと愛称で呼ばれるクオリタンはエリサに似た白髪を二つに結び、エプロンドレスを細身な身体の上に上手に着こなしている。
王子の着替えを手伝い、自分の務めを全うするクオン。
身分を象徴する正装に身を包み、背筋を伸ばすエリサ。
普段通りの二人の朝が去り行く中、ベッドから”チュンチュン”と鳴き声を上げ、エリサの肩に飛び乗る小動物。
可愛らしく懐くそれは、エリサがコロと呼んでいる希少価値の高いフェレットの一種であった。
「本当、不思議なくらい、王子に懐いていますね」
「住み心地が良すぎて、ここから離れられなくなってるだけかも」
「そんなことはないと思いますよ。騒がしかったり、脅威を感じるとすぐに威嚇をして、攻撃的になる性質を持つ動物と聞いていますから」
「本当にそんなのかな? 僕は雷に打たれたことはないけど」
「王子になくても、被害を受けた方は何人も知ってますよ」
「それは、敵意を剥き出しにするからだよ」
電流を帯びた帯電能力を持つコロは飼い主と認めた相手に対しては忠誠的。
一方、敵対する者に対しては容赦なく危険な電流を放出して襲い掛かる。
その頼もしい姿から、ペットというより、エリサの小さな守護者のような存在なのだ。
椅子に座ってコロに餌を与え、戯れる中、その背後でエリサの髪の手入れを施すクオン。
まるで兄弟のように過ごすこの近親的な光景は、王子と従者の関係であるが故に、二人きりでいられるこの場でしか見られない光景である。
「クオン、いつも手間をかけるね。今日は一段と気合いが入ってる」
「いいえ、普段通りです。それより王子、約束の日を迎えましたが、意思は変わりありませんか?」
「今のところ、変わりないよ。ルールを破るのは本意ではないけど、伝書鳩のクオンに言われたくはないかな」
意味深に語り掛けるクオンの言葉をいとも簡単に一蹴するエリサ。
それに対して、エリサ以外にも遣われる者であるクオンは人形のように表情を動かさなかった。
「ではよろしくお願いします。私には選択権がありません。ですが、王子には選択権があります。決断の時まで支えると誓いました」
「クオンの気持ちは嬉しいけど、みんな勝手だよ。僕の意志は僕のためにあるものじゃない」
特殊な境遇を抱えた責任の重さ故に、冷たく吐き出すエリサ。
それは、エリサに降りかかっている、数奇な運命がそうさせていた。
「西地区で起きたテロ事件のことは、聡明な王子なら既にご存じでしょう? この国は変わろうとしています。変革を求める調べに乗せて。それはもう、避けられないものだと感じます」
「クオン……。クオンがそんなに寂しい顔をするのは僕達にとって無関係ではないからだね」
「そうです。女として産まれることが出来なかった私達には無関係ではいられないことなんです」
拭う事の出来ない定めに対し、寂莫とした想いを口にして、女性に産まれることができなかった天命を嘆くクオン。
女民国家であるこのシカリア王国において、男性として産まれてしまった者は本来異端者に等しい扱いを受ける。一般市民であれば出産することさえ、許されないのが現実だ。
よって、成人を迎える手前まで二人が既に生きていること自体、歴史的にも奇跡に近い事象で、大きな呼び水となってしまいかねない境遇にあった。




