第三話 「変化は必然なり」
弥生十二歳。
この年も二人は最初に出会ったお寺に集合した。何も言わなくともここが二人の合流する場所と信じている。
「久しぶりだね。弥生」
一年ぶりに再会する彼女だが少しだけ大人びたように見えた。振る舞いが堂々としているというか、自信を持っている様子だ。お互いに小学生が終わり、あと一ヶ月後には中学生だからなのかもしれない。
「ここからどうする? 弥生。私はどこに行ってもいいけど」
「そうだなあ……久しぶりに喫茶店行きたいなあ。ほら俺たちが九歳だった時に行った……」
「「……」」
たった一言どうし。
されどお互いが変化に気づき、見つめ合う。最初に口に出したのは桜。
「一人称変わったね」
「それはお互い様だ」
桜はアタシから私に、弥生は僕から俺になったことに一瞬で気づく。
一年間会っていないというのにこの変化に察するのははたから見ればすこし恐ろしいかもしれないが当人たちにとっては当然のことかもしれない。
「『木漏日』ね。わかった」
二人は寺を出て、木漏日、もと弥生が桜に初めて連れられた喫茶店へと赴く。
五年ぶりの来訪であったが、マスターの貫禄は全く衰えておらず、年季が入ったことでむしろより渋くなったか。それに店の中は五年前よりも客の数が増えており、どうやら繁盛しているらしい。
依然来たように二人はカウンター席へと座る。
「おや、ひさしぶりですね」
座って直後、マスターが弥生へと話しかけた。どうやら五年前に一回だけ訪れた彼を覚えていたらしい。
弥生は五年前と同じものを頼んだあと、隣で桜がメニュー表を眺めている間、弥生はマスターと会話する。
「……驚きました。記憶力がいいんですね」
「いえいえ、そうでもありません。いつも一人で来ていた桜さんがあのとき初めて人を連れてきたので印象に残っていたんです。あれからもたびたびここにきてはあなたのことを話してくれるので」
穏やかな雰囲気のまま話すマスターだが弥生が横を見れば彼の言葉を聞いた桜がメニュー表で顔を隠す。隠しきれない耳を見れば真っ赤であった。
恥ずかしさで声が震えたまま彼女は目だけ出しながらマスターへ文句を言う。つねに弥生のことを考えていると彼自身に知られたも同然なのだから。
「なんでそんなこと言うのぉ……」
彼女弱弱しい声に弥生は少し萌える。いつも明るい彼女でも『恥』という感情はあったことに驚きつつそのしぐさが愛しいと感じた。
そんな桜を見ていると目の前に抹茶とチーズケーキが置かれる。
抹茶を一口飲めば五年前と同じ味であった。いや、味は同じではあるが弥生の感想は異なった。ただ甘いのが好きだった五年前とは違い、苦さや渋さにもある種の趣を感じることができるようになった弥生が改めてこの抹茶を飲めば調和の取れたその味はやはりすばらしいと感じる。
喫茶店を出た後も二人は京都を観光した。
一年ごとに訪れる京都は全く変わらない。なにせ1000年も形を変えないのだから。
けれど人間、特に子供の成長は速い。少し大人びた彼女の変化は京都そのものが変わったように弥生は思えた。
いや、弥生が変わったのだ。
それこそ抹茶と同じ。
ただ古めかしいとだけ思っていた京都にさんさんと輝く桜という景色が弥生の目には映っていた。京都はぼやけた背景でしかない。
しかし彼女との観光、なにより彼自身が京都のことを知ったおかげで弥生は桜と京都のふたつを同時に認識することができた。
それこそが弥生が京都が変わったと思った理由なのだろう。
約四時間後。
弥生の父の会議が終わる時間となる。
中学生となったので弥生は自分のスマホを買ってもらった。すぐに京都駅に行く旨を連絡した弥生だが、桜が突如口を開く。
「それって自分のスマホ? この前は携帯だったよね?」
「……まあ、うん」
すると別れることに名残惜しそうな表情を浮かべていた桜が晴れやかな顔となり、ポケットに入れていた物を取り出す。
「連絡交換! しよ!」
桜が取り出したのは、スマホであった。
もはや織姫と彦星のような関係ではなくなったようだ。
***
『また一年後!』
弥生の家がある東京へと帰る新幹線の中、桜からメッセージが送られてきた。
反射でスマホを開き、一瞬で既読をつけたものの返信をしようとは思ったがいったいどうすればよいのだろう。
こちらも「また一年後」と打つか、それとも「楽しかった」と観光の感想を送るかどうしようか迷っていると隣に座っていた父が口を開く。
「お前ももう中学生か。早いと思うが経験を積み始めるにはいいころかもな」
一息ついたのち父は弥生へ伝える。彼の成長を思っての一言だが、少年にとっては残酷なものであった。
「来年……会議に出席してみないか?」
***
一年後。
京都に行く時がやってきた。
もちろん観光ではなく、一族の跡取りとして会議を見学するために。会議は『軍』についてのものだ。彼ら『侍』が担当する軍団についてを話し合うもの。弥生自身『軍』については何も知らないが、雰囲気を掴むだけでも大事なのだと父からは言われた。
一年前に新幹線でされた提案に最初は反対しようと思ったが、父は弥生が会議中に何をやっているかは知らない。遊ばせるよりは彼を成長させた方がいいと考えたのだろうと弥生も察する。もし断れば父を怒らせてしまうかもしれないと考えた弥生はしぶしぶ受け入れた。
悲しいことに桜からの連絡に対する返信は、
『ごめん。来年は会えそうにないや』
とだけ。
そこから気まずくなり、自分から彼女へメッセージは送ることはせず、たびたびくれる桜のメッセージに返信するだけだった。
これほど京都に行くのが嫌になる日が来るとは、とだんだんと見えてくる古都の風景を眺めながら弥生はため息をつく。
すぐ近くに彼女がいるようで、絶対に会えない。もどかしさがどんどん心の中からあふれ出てくる。
だが父から逃げるという判断は弥生にはできないし、する勇気もない。己の運命だと決めつけて京都駅の改札をでたあと、父と一緒にタクシーに乗車。
古都とは違う新しいビル群が建ち並ぶ都会へとタクシーは進む。ここあたりは桜からは何も聞かされなかった。もともと古都あたりを遊び場にしていたからだろう。それとも
タクシーが走り始めて三十分。
ついたのは一軒家や巨大なビルなどではない。
超広大な寝殿造りの家。教科書の平安時代の挿絵で出てくるようなそれがあることに弥生は門をくぐってすぐわかった。正面にはまるで一万年の歴史がある森林から採ってきたような木材が使われたと想像できる重々しい建物。左には赤の橋に池、整えられた庭という教養がある人が見れば一句詠むかもしれないと形容するすばらしい庭園。
子供ながらスーツ姿を着てビルの一室で会議すると思っていた弥生だったため戸惑いを隠せない。
だが、この景色も始めての体験も弥生の頭から消える。
この建物の門の前で父を迎えに来た秘書らしき人と内部で父を待っていた数名の大人で前が見えない中、弥生は庭園を眺めていると正面にいた秘書が叫ぶ。
「おい小娘、これから私たちがこの場所を使うんだ! さっさと外に出な!」
「えー! せっかく気晴らしにここに来たのにー!」
秘書の返答が弥生の耳に入り、咄嗟に弥生は正面を向く。
一年間全く聞くことができなかった声、されど記憶に深く刻まれた声。大人が十名ほどたっていたせいでだれがそこにいたかはわからない。けれど彼にはそこにいるのが彼女しかいないと確信できた。
肩まで伸びた美しい金髪をたなびかせながら、少女は人ごみの側面を通り過ぎた。
もちろん、弥生の横も。
二人の目が合う。
碧眼と黒眼が交差する。
合えないと思っていた彼女が、そこにいたのだ。
すぐに追おうとしたが周りの大人のせいで振り返ることすらできない。後ろからは少女を外へ出そうと促しているのか数名の大人が集まっているのが見えた。
(桜さん…………!)
心の中で叫びながら流されるままに弥生は会議場である建物へと入っていく。
建物の玄関に入り、奥へと進む弥生だがその意識は常に屋敷の外に向かっていた。何度も何度も振り向き、父の注意を受けてもなお、その関心は先ほどすれ違った少女にしか行かない。
会議はまるで近世の小御所会議で出てくる大広間のような畳とふすまがある空間でたくさんの人が正座で行うものであった。
弥生の父は租の上座に座り、ほかの何十人いる人間が父に頭を下げる。それが会議の開始の合図だ。本来はこの光景を父の正面で人々と一緒に頭を下げ、父の威厳さに衝撃を受けるはずであり、弥生は周りの行動に合わせてはいるが頭の中では別のことしか考えることができない。
軍がどうたらとか、あちら側がどうとか、禁領がなんだとか目の前の大人たちが話し合っていたが弥生はそれらは馬にとっての念仏。何もわからないし聞こえない。頭の中に入れようともしない。
ただひたすらにお昼休憩まで時間がたつのを待っていた。
12時。
ずっと正座でしびれていた足のまま無理をして立ち上がり、屋敷を飛び出す。
もしかしたらもういないかもしれない。けれど期待せずにはいられなかった。いなくとも休憩一杯町中を走り回って彼女を探すつもりではいたが。
それは杞憂に終わる。
「あっ、出てきた」
門をくぐった瞬間に隣から先ほどの明るい声が弥生の耳へ届く。
すぐに顔を向けると外壁に背中を預けて座っていた桜がいた。
「…………ずっと待ってたの?」
「ううん。追い出される前に黒服の人にいろいろと聞いたら12時に休憩が始まるって聞いたから。ちょっと前にここにきたの」
さすがにずっと待っていたという狂気の沙汰ではなかったらしい。それにいったん安堵しつつ、会えないと思っていた桜が目の前にいることに喜びを隠せない弥生。
ただ彼にとって悲しい事実がある。それは休憩時間が一時間しかないということだ。いや、会議の再開までが一時間なのだからもっと短い。いつもなら5時間以上二人の時間があるものの、今年は違う。二人ともそれは痛いほどわかっていた。
けれど、
「どこにいこうか」
「私いい茶屋を知っているんだ。そこへ行こう」
どちらもそんな悲しみは感じなかった。それ以上にお互いが出会えた時点でふたりは幸せなのだ。
この一時間で五時間分の体験をすればいい。ふたりはそう思いながら町中へと繰り出した。




