第一話 「出会いは偶然なり」
七年前。
青年がまだ少年だったころに、少女と出会った。
「君は侍になるべく生まれたのだ」
少年の名前は武御雷弥生という。この国、日帝皇国で剣を握る道に進むのならば知らないものはいない一族、武御雷家の長男だ。
武御雷家は鎌倉時代から続く武族の家系であり、元寇、関ケ原の戦い、大阪の陣、戊辰戦争など、この国の転換期に参加しては自軍を勝利に導く要因となった。度重なる武勲から武御雷家はもはや国の伝説にもなっている。
そんな一族に、弥生は生まれた。
生まれて半月で彼は真剣を握らされた。もちろんそんな赤子に刀を振るえという鬼のような家ではない。触れると言ったほうが正しいだろう。四六時中彼のそばには乳母がつき、刀で傷つかないよう、されど離れないよう見張っていた。
それはある種の儀式のようなものだ。
幼少期から刀と触れあい、もはや個人の一生のすべての片割れに『刀』という情報が刻まれることで刀を体の一部とする。ほかの人間が齢十歳以上から刀を持つような中、武御雷家だけは0歳から持たされる。十年のアドバンテージが武御雷家が武御雷家である理由の一つだろう。
弥生はまさに天才であった。
剣士にとって、武御雷家はまさに雲の上の存在。そんな彼らと関わるだけで剣士にとっては名誉なのだ。だからこの一族には武勲を上げたたくさんの剣士が集まってくる。その中には幼少の弥生に剣を教えるものもいる。彼らの教育をすべて急襲した弥生はめきめきと剣の腕を上達した。
七歳の頃には剣を習っている普通の大人程度ならば瞬殺できるまで。
弥生が九歳のとき、父に京都へ連れていかれた。
というのも武御雷家は一般人には知られていないとある組織に深くかかわっている。その組織は日帝皇国に仇名す外敵を倒すことを目的にした組織であり、武御雷家に関わる剣士もそこで敵を倒し、武勲を上げているのだ。
弥生の父親は確かに厳しい人物であったが、それは武御雷家という有名な一族の長であったから。父親としては比較的放任主義であり、弥生の望むことは剣の修行に差し支えない範囲ならばある程度やらせてくれた。
だからよくある、友達と遊ばせてくれない、テレビを見させてもらえないといった厳しい家庭環境では決してなかった。もっとも剣の修行がある以上普通の家庭ほどの自由はなかったが。
「どうやって侍になるの?」
成長速度の速い弥生はよく父にそう聞いた。
「……まあ、いつかわかるさ。それはお前自身しか知らない」
弥生が尋ねれば何でも答えてくれる父だったが、弥生のその言葉にはずっとはぐらかされた。
侍になれというのに、そのなり方は教えてくれない。父の矛盾に弥生は疑問を覚えていた。
京都にいったのはその組織の会議があったためである。
京都に行きたいと言ったのも弥生自身である。父も剣だけでなくほかの見聞も広めておきたいと考え、彼の同行を許可した。
初めての京都は少年にとってすべてが新しかった。最新鋭の設備や建物がある東京とは全くの逆、1000年前から街並みをずっと保存してきたその都市は会議の開始までに少年の好奇心を埋めるにはあまりに足りず、まだ冒険したいという弥生へ、父は彼に携帯を持たせて一人で探検するよう告げた。
それは京都がこの国でもっとも治安のいい場所であること、たとえ危機に陥ってもそれも経験だと考えた父の判断ゆえ。
午後一時まで京都を歩き回った弥生はあることを思い出した。
この日この時間はいつも剣の鍛錬が始まる時間だということを。
もちろん今はそれをしなくともよいが、何年も続けてきた生活サイクルに抗うことはできず、されど道端でやるのは億劫だったため、目についた寺の本殿の裏側に入った。というのもその寺の名前が少年にとってなじみ深いと感じたからだ。
少年は持っていた木刀を抜いて刀を振り始める。
「三百……三百一……三百二……」
素振りを初めて約五分。いいかんじに集中できそうになった弥生は声をかけられた。
「何しているの?」
屈託のない明るい声。少年の耳に刺した一筋の光のような疑問のする方へ、弥生は刀を下ろして振り返る。
風とともに銀杏の葉が舞う。朝日のような色をした葉だ。それが少年に彼女の来訪を知らせた。
寺の縁側に立っていたのは弥生と同じくらいの少女。
きれいな声にふさわしいような妖精の如き明るい顔つき。溶けた陽光のような金の短髪。また、朝日に照らされる海を思わせる淡く大きな碧眼。
刃の色である銀、練習でときたま流す赤しかなかった弥生の世界にとって、彼女の金と碧はすべてが反対であった。
見惚れてしまう弥生に少女は質問を続ける。
「なんで刀振ってんの?」
ここでようやく弥生は上の空を抜け出し、しぶしぶ少女に返答。
「日課だから」
「日課……楽しいの? それ」
純粋無垢に少女は少年に問いかける。
「楽しい……楽しいと思ったことはないな。けれどやらないと落ち着かないし」
「ふ~ん。不思議だね。楽しくないのにやるなんて……」
幼い少女にとっては楽しくないことをやり続ける少年の行動が理解できないらしい。きょとんとしている少女と同じく、少年も心に疑問を持った。
(なんで僕は刀を振るっているか……)
生まれてこの方抱いたことのない疑念だ。弥生にとって刀は自分の身体の一部。それこそ、なぜ腕を動かしているのか、と人に聞くようなもの。
だが理由を考える前に、少女は弥生の手を握る。初めての経験で弥生は戸惑いを隠せない。いつもごつごつしていた刀の先生のとは違う、柔らかく温かいもの。
「あんたここら辺の子じゃないよね!」
「う、うん……」
「じゃあアタシが京都を案内してあげる!」
そう言って少女は弥生の腕を引き、走り始める。唐突な出来事に弥生は抵抗できない。
寺の参道、門へと導かれる弥生は尋ねる。
「君の名前は?」
「桜!」
***
「へー! 弥生っていうんだ! 君の名前!」
古めかしい建物が建ち並ぶ京都。石畳の道路で二人の子供が歩いている。
寺からここまでずっと桜は弥生の腕を引き、弥生はもう抜け出すのをやめていた。
歩いて10分。お互いの身の上を話している途中で桜は立ち止まる。
「ここ! おいしい抹茶が売ってるところ!」
そこは喫茶店らしく、奥屋にしては妙に近代的なガラスの窓とドア、そしてドアの前に置いてあるメニュー表からそう考察できた。
扉を開ければ客の来訪を知らせるベルが鳴り、中にいたマスターが少女に挨拶する。マスターは初老の男性。浮かび始めたしわと白に染まり始めた髪、けれどピシッとこなしたタキシードは妙な渋さと上品さを弥生に抱かせる。
「おや、桜ちゃん! 久しぶりだねえ……隣にいる子は誰だい?」
「友達! 今日できたの!」
「そうかそうか……よかったねぇ。おじちゃんサービスしちゃおう」
「やったぁ!」
そうしたやり取りののち二人はカウンター席に座る。五分後、出されたのは一杯の抹茶とチーズケーキ。こういった場所はコーヒーなのではと小学生ながらの軽い知識から心の中で疑問に思いつつ、一口飲めば……
「おいしい」
無口な彼でさえ声がこぼれるほどのおいしさ。子供にとっては確かに苦いかもしれないが不快感はない。それどころか「奥ゆかしさ」という概念をここで理解するほどの味。また熱さ加減も丁度良い。舌を火傷せず、されどぬるくはない絶妙な度合いであり、熱さで味わうのがおっくうになることなく、この抹茶を楽しむことができた。
チーズケーキにも一口。ほのかな甘さとやさしく広がるクリームチーズの酸味に、かすかにバニラが寄り添う。一口ごとに静かに心がほどけていくようで、まるで午後の陽だまりに包まれているかのようだった。
「でしょ! ここのマスターの入れる抹茶はおいしいの!」
ものの2、3分で弥生はすべて平らげてしまった。そこで弥生はとんでもないことに気づく。
「……お金ないや」
そう、父にもらったのは携帯のみ。買い物をする気はなかったため弥生はお金を持っていないのだ。一応交通機関を使うための電子マネーアプリは携帯の中に入っているがおそらくこのお店では使えない。
だがその呟きを聞いた桜は即答。
「いいよ! アタシが払うし! マスター、はい」
桜は懐から一万円を取り出し、マスターに手渡す。お釣りを再び財布にしまう桜だが、弥生が彼女の財布を見て思ったのは、その中には一万円が五枚も入っていること。小学生にしては明らかに大金だ。もしかしたら彼女はいいとこの出なのか。それにしては放任しすぎではないかと弥生は勘ぐってしまう。
店を出る二人。お金を払ってくれた桜にお礼を言おうとした弥生へ、桜が笑いかける。
「おいしかったね!」
彼女の笑顔はまるで太陽のようにまぶしかった。
そして彼にとってその言葉は初めての「共感」であった。今まで教師にマンツーマンで剣の指導を受けていたから、喜びだとかを分かち合う人はいなかったから。
おいしいものを食べた。
弥生は目の前のまぶしい少女と同じ感情になったのだ。
その後二人はたっぷり京都を観光した。
観光客が来る有名なお寺から、マイナーな寺まで、彼女はいたるところまで弥生を連れて行ってくれた。
きれいな景色に趣深い絵画、仏像など、彼にとって初めてで印象に残る経験はあったけれど、それ以上に弥生は喫茶店を出た後の「共感」が忘れられなかった。
一時間後、お寺の観光中に突如ポケットにしまっていた携帯が震える。
取り出して電話に出てみれば、父からだった。
『もうすぐ会議が終わる。京都駅に戻ってくれ』
「……わかった」
電話を切ったあと、弥生は申し訳なさそうな顔をしながら桜に口を開く。
「ごめん……もう帰らなくちゃ。お父さんが京都駅に来いって……」
「……そっか」
寂しそうな顔を浮かべた桜だが、一瞬で切り替える。対象的に弥生のほうは本当に残念がっているようだ。
「一人で帰れる?」
桜の質問に弥生は咄嗟にこう答えてしまった。
「ううん……」
嘘である。
桜と回っているうちに京都の交通機関の使い方は大体覚えた。だからおそらく一人でも京都駅に行くことはできる。けれどなぜ否定したのかはたぶん彼がまだ桜と一緒にいたかったからだろう。
彼のうそを察することなく、桜も笑顔でこう言った。
「わかった!」
そうして二人は一緒に京都駅へと向かった。
バスの中、その日の観光の感想を言い合う中、弥生はまだ桜と一緒にいれる喜びとともにもうひとつ、ずっとこの時間が続いてほしいと思っていた。しかし現実はそう甘くない。
『次は……京都駅、京都駅でございます』
バスは終点へと到着する。
中にいる乗客全員がバスを降車し、弥生はバス停から少し離れたところで父を見つけた。時計を気にしながらきょろきょろと周りを見渡している。どうやらもう時間はないらしい。
もうお別れの時間だ。
「あの…………」
弥生は彼女と目を合わせることができなかった。そして、別れの言葉も。
『またね』
そう言いたいはずなのに言葉にできない。この偶然の出会いが再び起こるとは限らない。なにせ観光の中で桜は彼女自身のことを話さなかったからだ。住所も、家族も、そして、苗字も。
今聞こうと思ったが時間はない。だからといって「さようなら」だけではもう彼女と会えない気がして……
「またね!」
言い悩む弥生に、桜は自信をもって言い放った。再び見せる晴れやかな笑顔は、弥生の不安を打ち消すのに足りるものであった。
「うん! たぶん……一年後あの場所で!」
勇気を振り絞り、弥生もこたえる。弥生は笑顔を見せ、少女と別れを告げた。寂しさもなかったわけではないが、それ以上の安心感が彼にはあった。
三月中旬。
この年はやけに春の訪れが早く到来したらしい。




