第十四話 「禁域」
この世界には異能がある。
異能は〈権利〉として行使され、権利を行使するには〈義務〉を果たさなければならない。
権利とは、ありていに言ってしまえば「能力」や「スキル」のようなもの。
義務は、例えば「資格」であったり「役職」につくことがある。
この2つの要素が合わさったものが「職業」で、この世界の人間は様々な「職業」に就いて暮らしている。
例えば医者。
医者という職業には「人を癒すことができる『権利』」を持っているが、そのためには「国家試験に合格し、医師免許を取る『義務』」があるのだ。
職業内でも能力は人によって異なっている。
患者とのコミュニケーションで患者を安心させることが得意な人、1㎜の狂いで失敗する手術であっても問題なく治療する腕を持つ人。
これらはある種のスキルツリーのようなものが職業にあり、その人の経験や努力でどんな権利が身に着くか決まるという。
そんな能力が存在するのがこの世界である。
弥生は桜のそばにいると、彼女の刀にいると誓った。それに世界が応えたのだ。
弥生の言葉を聞いた桜は涙を流しつつも、笑顔を浮かべる。
「ずっと……アタシの終わりなんてバッドエンドにしかならないと思ってた……嬉しい。君と出会えてアタシは幸せだよ……」
彼女の笑顔はもう苦しいものではない、初めて会ったころから弥生が見てきた、優しくて眩しいもの。いや、もっと言うなら美しいという要素も合わさったもの。
心からの笑顔だということを弥生はこの上なく嬉しく思った。
「これからどうするんだい? 私はお金持ってないけど」
「え……と、俺はとりあえず通帳持ってるからそっからお金を引き出して……」
桜からプランを聞かされるも、突然家を飛び出したためもちろん大層な計画なんぞ弥生にはない。
そんな様子を見て桜は心配だとかするわけもなく、笑う。
このまま見つめ合っていたいと思った二人であったが時間はない。これから安倍家から逃げ続けなければならないのだ。
でも二人の逃亡は苦にはならないだろう。
相手と一緒にいる。それだけでよいのだから。
***
二人が動き始めたとき、草むらのほうから一人の人間が二人の前へ姿を現す。
気配を察知した弥生はすぐに桜を守るよう、彼女の前に腕を出して守る。
「ようやく見つけましたよ。桜様」
森から出てきたのは、
或世琉判であった。
彼の姿を見た弥生は思考を巡らせる。
なぜなら彼は桜の従者であるのに加え、おそらく安倍家の人間だからだ。彼に見つかった今、桜が彼に連れ去られるかもしれない。
一方で琉判は弥生に安倍家の内情を教えてくれた人物。事情を話せばもしかしたら自分たちに協力してくれるかもしれないと弥生は思考。
桜の反応次第で、この二択を選ぶしかないと弥生は決断する。
「桜、彼に手伝ってもらうよう頼むか? それとも彼を無視して逃げるか?」
そう質問する弥生だが、桜から出た言葉はその二択でもなかった。
もっと予想外のもの。
桜は首をかしげる。
「…………誰?」
「……は?」
なんと桜は琉判のことを知らなかった。彼女の顔を窺がっても、訝しむような、警戒しているような表情。
「君の従者じゃないのか?」
「私に従者はいないよ。だって私は落ちこぼれだよ? そんなもの私如きにつくわけないじゃない」
ここにきて弥生は琉判のことを振り返る。
確かに琉判は桜をよく知っていたが、桜からは彼についての一切を口にしていない。
なにより二人が一緒にいたときを見ていないのだ。
「お、オマエは何者だ⁉」
刀を抜き、剣先を琉判に向けながら問いかける弥生。ここで桜の味方ではないということが明らかとなり、恐怖が弥生を支配する。
琉判は依然として毅然とした態度を崩さない。構えてもいないのに、その立ち振る舞いからは物々しい気配を感じる。
「私はいいましたよ? 従者のようなもの、だと。確かに私は従者ではありません。けれどあなたたちの味方だということは確かです」
にこやかな表情で言う琉判だが弥生からの警戒は消えるはずはない。
「それをどう証明できる?」
「証明はできませんね。残念なことに」
より一層の警戒心を向ける弥生に対し、表情を変えない琉判。桜も弥生の邪魔にならないよう数歩だけ離れる。
「少しだけ先ほどの会話を聞いたのですが、逃げるらしいですね。ではあなたはどう逃げるおつもりですか?」
「教えるわけがないだろう。いっとくが、桜を捕まえるために来る奴は誰だろうと俺は斬る所存だ」
険しい顔の弥生を見て琉判は朗らかな表情を浮かべる。
「はっはっは! 面白い! いいですね。逃亡劇を眺めるのも楽しそうですが、あなたは思い上がりをしています」
「思い上がり?」
「ええ。いくらあなたが武御雷家の人間だからといって安倍家をなめてはいけません。その気になれば彼らは総力を挙げてあなたたちを捕まえるでしょう。あなたを無力化し、桜さんを捕まえるまでもって一週間……いや五日といったところでしょうか」
琉判の的確な指摘に弥生は少しだけ動揺する。言葉で言った手前、もちろん本気で桜を守る気ではいる。けれど確実に彼女を守り切れる保証はない。
弥生の思考を読み取ったかのように、琉判は続ける。
「しかしひとつだけ、あなたたちが結ばれる方法があります。誰にも、安倍家にも邪魔されることはない幸せな生活を送る方法が」
「信じられると思うか? そんな胡散臭いことに」
「信じるかどうかはあなた次第です。ただ、このまま地獄へと向かうくらいならば、すがってみるのも一つの手ですよ。目の前にたらされた一本の糸に」
弥生は桜の方を振り向く。信じるかどうかは彼女に任せることにした。
桜のほうも自身なさげではあるが、一度頷いた。彼女のことだ。おそらくずっと逃げ切れると確信していないのだろう。どうやら琉判のことを信じるらしい。
彼女の意志を確認した弥生は刀をしまう。
「わかった。話だけ聞いてやる」
弥生の返答を聞いた琉判は満足そうにうなずいた。
「では一度ここから離れましょう。話は山を下りてからです」
「なぜだ? 別にここで話してもいいだろう?」
すぐにも逃げたいと思っている弥生であるため、時間がかかる下山に苦言を呈す。
琉判は理由を教えてくれた。
「ここが誰も立ちいってはいけない禁領だということはわかりますね?」
質問したつもりが、質問を返される。それには桜が答えた。
「ああ。だから私はここにいるんだ。安倍家の連中はここに来ないからな」
「では、なぜここが入ってはいけない土地か知っていますか?」
「…………さあ?」
弥生はもちろん、桜もなぜ禁領なのかは知らないらしい。
「かつて安倍家は異世界からやってくる妖魔と戦ってきたのは知っていますね?。そうして安倍家は京都の守護者になりました。ならばその異世界からやってくる妖魔はどこからやってくるのか……」
「まさか……」
弥生が驚愕の声を出すのと同時に、琉判が答えを示す。
「この禁領こそが、1000年前から陰陽師が戦ってきた妖魔、侵略存在が出現してきた場所なのです」
二人が疑問にすら思わなかった答えを知った瞬間、轟音が鳴り響き二人の後ろの空間が割れた。
まるでブラックホールのような巨大な漆黒の球が出てきたと思ったら、球を中心として稲妻が周囲に広がっていく。
あまりに突然の出来事で弥生と桜は反応できない。琉判は老体とは思えない速度で離れたため稲妻に触れることはできなかったが、二人は稲妻に触れてしまった。
その瞬間視界が反転し、漆黒に染まったと思えば再び移り変わる。
だが二人の視界に入ったのは、先ほどまでいた京都が眺める場所ではない。
空一面には赤みがかった雲。地平線が見える大地はひとつない不毛の地。風は現界では感じたことのない質感を持ち、嗅いだことのない匂いが混じっていた。
まさに地獄と形容すべき世界。
「なんだ……ここは……?」
何が起きたのか受け入れることができない。
「ね……ねえあれ!」
呆然と佇む弥生の横で桜が地平線に向かって指をさす。弥生もそちらを見れば地平線が蠢いていた。
蠢きはどんどん激しくなっていく。
よく見ればそれは、
妖魔の大群だった。




