第十三話 「本音」
「ついた……」
午後11時半。
弥生は新幹線から降りて、遂に京都駅へと足を下ろす。
数時間前に一度新幹線のチケットの予約を取ろうとしたが、なぜか予約サイトにログインできなかった弥生がなぜ新幹線に乗ることができたのか。
それは東京の新幹線乗り場に着いた時のこと。
弥生が駅にたどり着くも新幹線の出発時刻がすぐそこまで迫っており、チケット売り場で購入する時間がないかもしれない状況だった。
不安になりながらも迷っている暇はない。
沙耶香が運んできたコートに入れた財布を取り出そうとポケットに手をいれると、財布のほかになにか一枚の紙が入っていた。
それが新幹線のチケット、それも弥生が今買おうとしたもの、今から出発する新幹線の京都行のものだ。
もちろん弥生が入れた覚えはない。
一体だれが入れたのか…………。
弥生は思考する余裕がない。
この偶然を使うしかないと判断した弥生はすぐに改札にチケットを通し、新幹線に飛び乗ったのだ。
京都駅の改札のを抜ければ、外はもちろん真っ暗。駅の近くには仕事帰りのサラリーマンや若者の団体が歩き回っている。
バスも電車もなく、移動手段は少ない。けれど一台のタクシーが止まっていたのは弥生にとって幸運だっただろう。
すぐにそれに飛び乗って行き先を告げる。
***
弥生が運転手に告げた行き先は『木漏日』でも、銀刃寺でも、清水寺でもない。
禁領へと続く場所だ。
およそ10分かけて丘を登る。
三ヶ月前にも訪れた場所、京都の町を一望できる草むら。桜と思い出の場所であり、彼女から別れを告げられた場所。
そこに桜がいることを願いながら森を抜ければ、
やはり桜はいた。
いつもと同じように、京都を寂しげに眺めていた。
その背中は弥生からしてみればとても冷たいもので、銅像のように見える。京都のほうから吹く風でなびく風が、唯一彼女が人間であることを示す。
「桜さん!」
風向きが変わる。
まるで夜にかき消されるはずだった弥生の声を彼女へ届けるために。
その甲斐あってか桜は弥生のほうへと振り向いた。まるで夢だとか幻を見ているようで何度か彼女は目をこする。
当然だ。別れを告げ、そして遠くにいるはずの弥生が目の前にいるのだから。
「…………なんでいるの?」
「君を助けに来たんだ」
弥生は迷うことなく、自信をもって答えた。
自分がここに来た理由、意志を隠すつもりもない。刀を構えた侍が敵を前に精神を統一するように集中する。
これから何を言えばいいかを。
弥生の答えに一瞬喜びだとかを綻ばせた桜であったが、すぐに目元がゆがむ。絶望が彼女を現実へと引き戻したようだ。
「……無理さ、無理なんだよ。もう結婚は決まった。もう変えられないんだ。お姉ちゃんも結婚に賛成した。誰にも……」
桜は弥生から目線を外し、天を見上げる。果たしてそれは過去を振り返っているのか、出てくる涙を引っ込めようとしているのか。
「それに十分幸せだった。幸せだったんだ。大人しくいなくなることにする……」
「俺は……!!」
精いっぱい、振り絞るような声で弥生へと告げる桜に対し、弥生は声を張り上げて彼女を止める。それは彼女の弱気な姿を見たくなかったから。これ以上彼女に嘘を言ってほしくなかったから。
弥生の叫びで桜は一度口を紡ぐ。いや、言葉を考えているようであったがそのまえに弥生が口を開いた。
「俺は、俺にはずっと刀しかなかった。朝から晩まで刀のことばかり。大人に囲まれて刀の修行が毎日続いた。別に嫌だったわけじゃない。それが俺の世界であり、常識だったからだ……」
弥生は刀しか握ることになかったころを思い出す。今思えばなんと狭い世界にいたかと懐かしくなる。その記憶は決まって暗く、狭かかった。刀に道場と明るい色がなかったのも原因の一つだろう。
「けど七年前、君と出会ったとき、俺の世界は色づいたんだ。完成したと思ったキャンパスに思いっきり絵具をぶちまけられたような、そんな衝撃。それが君だったんだ」
銀刃寺で桜と会ったときから、弥生の記憶は色づいた。金と碧のペンキが弥生の記憶に放たれた。
「君がいるとすごく嬉しいし、楽しい。君と初めて行った『木漏日』の抹茶はおいしかったし、『清水寺』の観光も、お寺があんなに楽しいところだなんて思わなかった。たぶん、君がいたからだ」
弥生は彩られた記憶をたどる。たくさんの桜との思い出を取捨選択し、彼女へ伝える。
「一生懸命作ったデートプランが失敗しても、君は笑ってくれた。俺が試合で負けそうになったとき、君は応援してくれた。俺は……君に何度も、何度も救われたんだ」
頭に浮かぶいろんな感情を優しく、落ち着きながらだんだんと出す。
これが最後かもしれないと、もう伝えることができないかもしれないと思うと自然と緊張することなく伝えることができる。
凪のごときありったけ。のちの弥生はこの時の心情をこう語る。
だが穏やかな彼の様子とは反対に、彼の中は言いたい言葉の濁流。脳はすでに決壊しそうだ。
「そうだよ、君は俺にたくさんのものをくれたんだ、そのどれもが大切で、貴重で、かけがいのないものなんだ。何もないときでさえ、君といるだけで俺はもう心がいっぱいになる。だから……だから…………!」
頭の中に彼女の姿を浮かべるたびに感じる心情。もしかしたら彼女と初めて会ったときからかもしれない感情、けれど明確にそれが形を帯び、弥生が認識できたのは十一歳のとき。
弥生は、それに最も近い言葉を吐き出す。細胞一つ一つが一緒に声を上げているような、そんな声量。
「俺は!!! 君が好きだ!!!」
夜が驚いた。
虫は鳴くのをやめ、鳥はさえずらなくなる。風も落ち着き、あるのは弥生のみ。
「大好きだ!! 君の黄金の髪も!! 海みたいな碧眼も!! なにより……君の太陽みたいな笑顔が!!! 大好きなんだ! 愛しくてたまらない! ずっと一緒にいたい! もう……もう……言葉に出来ないくらいに!!」
頭の中にあるあらゆる気持ちを必死に口に出すも、それ以上の思いがあふれて口だけでは足りない。
そして彼は気づいた。
十四歳のとき、駅の前で桜から聞かれた質問、
『弥生君……君は私のことが好きかい?』
になぜ答えられなかったか。あのときから彼女のことが好きだったのに。
それは桜の友達が放った言葉、
「やっぱりイケメンよね……私すきになっちゃったかも!」
「違うよ! あの好きは違う好き! 桜ちゃんはわかってないなあ……」
彼女たちの『好き』と自分の感情が違うと思ったからだ。
ゆえに好きと言えなかった。ようやく違和感が取っ払われた。
「だから、だからさ⁉ 俺は苦しいんだ! 君が心からでない……そんな悲しい顔をするのが……見たくないんだよ……」
悲痛な願いを聞いた桜は驚愕の表情を浮かべる。どうやら自分が取り繕った笑顔が見透かされたことに。
同時に一歩、一歩だけ弥生に近づいた。目の前の希望に。光に。
けれど一歩だけ。絶望しきった彼女にとって光はもはや蛍のように小さいもの。追うにはあまりにも弱弱しく、儚い。
一瞬だけ光へ手を差し伸べたそれはすぐに消えそうで、だから信じきれない。
「……私は……安倍家の落ちこぼれ……なんだよ?」
ひたすらに自分を卑下する。二度と見たくないから。何度も見て、何度も裏切られた、希望を。
「俺は安倍家の桜が好きなんじゃない。俺の目の前にいる君が好きなんだ。君が何ができないかなんて俺は気にしない」
桜は目をつむる。何かを我慢しているのか、それとも目の前が眩しいのか、夜だというのに。
「私は……人を傷つけた。この力で……」
桜の脳裏によぎる、激しい光と、光で溶かされたどろどろとした腕。
「俺も刀で人を斬ったことはある。けど、大事なのは使い方だ。それに……君はその力で女の子を守ったじゃないか。そんなに君の力を否定しないでほしい」
またもや桜を否定する弥生。いや、肯定しているのか。
「私は……私は……!」
ひたすらに自分を蔑む桜。現状を受け入れた彼女にとってこれ以上変化を望みたくない。
でも、
「もういいんだ……」
先ほどとは違う、より穏やかに弥生は彼女をなだめる。
桜が見上げればいつのまにか弥生は桜の近くにいた。彼の気配に気づかないまでに桜は必死だったのだ。
弥生はまっすぐと桜の眼を見つめる。桜のほうも彼の視線から目を離すことができない。
彼女の顔は未だ絶望の最中。されど目の中には仄かに光がともっているような気がした。
「君の本音を……聞かせてくれ」
弥生の優しい一言に一瞬顔が緩むも、まるでおびえるように下を向く。どうやら彼女の絶望という名の傷は思ったよりも深いらしい。
それでも弥生は諦めない。より穏やかに、彼女の心の中を聞き出そうとする。
「昔……君が言ったじゃないか。ここはふたりだけの秘密の場所だって……安倍家の人なんていないよ」
弥生の過去を踏まえた言葉で再び桜は弥生と目を合わせる。少し息が漏れ、目には露ほどの水が。安心したのだろう。
涙はどんどんとあふれていき、頬を伝う。京都の町の光がどうにか頬の一筋を照らす。
一滴の雫が落ちたとき、桜は顔を弥生の胸にうずめた。おもいきり彼の服を掴んで。
「アタシ! 結婚したくない! どこにも行きたくない!! また『木漏日』の抹茶飲みたい!! いろんなお寺に行きたいよ!! …………京都だけじゃない、もっと……もっといろんなところに行ってみたい!! アタシが行ったことのない……見たこともない場所に……アタシ行きたいよぉ!!」
震える声で心に秘めたあらゆる気持ちを弥生へと叫ぶ桜。弥生からは見えないがいつもの彼女とは想像つかないくらい、顔をゆがませている。ここまで感情を表に出す桜を弥生は初めて見た。
「アタシも……あなたに救われたの。ずっと一人だった……みんなアタシを見てくれないし、話しかけてもくれない! 友達ができてもすぐに離れちゃう! けど弥生だけは雁字搦めだったアタシの心の鎖を斬ってくれるの……自由にしてくれるの」
戸惑いと同時に安心もしていた。なぜならいつも余裕な雰囲気をまとっていた彼女がこうして人間らしく思いを爆発させているのだから。そして桜は本当に結婚を望んでいないと知ったからだ。
桜はしばらくの間弥生にくっついていた。泣き止んだ後もしばらく。
弥生も嫌な顔一つせず、桜が動くまで待つ。むしろずっとこうしていたいとまで思っていた。
しかし桜はこのままでは家に連れ戻されてしまう。弥生も沙耶香との婚約を破棄したせいで父や家から怒られるだろう。
このままでは二人は永遠に分かたれたままだ。
桜の気持ちを理解した弥生は決心する。
左手で持ってきた刀の鞘に触れると、自然と恐怖だとか不安は消えた。
「ひとつ、やり直させてくれないか?」
「やり直す?」
顔をうずめたまま、桜は返答。
「十二歳のとき、ここで君は思ったって言ったな。『連れ出してほしい』って」
ようやく桜は顔を上げる。目じりどころか、顔全体が泣きじゃくったせいで赤く腫れあがっていた。
期待と不安を含んだ視線を向ける桜へ弥生は告げる。己は全く動じていないよう意志を固めて。そうでなければ彼女を説得できない。
「今夜、俺が君をここから連れだす。俺と……俺と一緒に逃げよう!」
逆光ですら桜の表情はわかった。
ずっと望んでも手に入ってこなかったものを手に入れたような満足感、それでも何か儚さを含んでいる。
「嬉しい……今、人生の中で一番嬉しいよ弥生。まるで夢みたいだ」
またもや涙を流し、喜びを口にする桜だがどこか諦めたような感情もある。
「けど……相手は『安倍家』だ。すぐに見つかるし、連れ戻される……」
桜の不安は彼女が安倍家を知っているからこその不安。
しかし弥生は動じない。それは安倍家を知らないからではない。安倍家と敵対することはすでに承知だからだ。
今一度宣言する。彼女を安心させるために。
心配する桜から数歩離れた弥生は左手に差した刀を持ち、彼女に見せつける。
「確かに相手は1000年間京都を守ってきた一族だ。けれど俺の意志は曲げない。俺がこれまで意味を持たせることなく振ってきた刀、経験、16年間のすべてを君に奉げよう。俺の刀に、君を守るという義務を刻む。俺は……
君の侍になる」
瞬間、天からか、神からか、それとも体の中からか、託宣が届いた。
それはかねてからの弥生の望み、そして一族の義務。
【職業、侍の就職への義務、『ステータスの適性』『誰かのために刀を握る意志』を確認しました。武御雷弥生は『侍』に就職しました】




