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桜雨・鬼雨

作者: 鬼嶋檽

あの人は、羊の皮をかぶった狼でした。









桜の木の下のバス停でわたしたちは出逢った。


その日は、入学式の翌日でバスで学校に通おうと家を出たが雨がポツリポツリ、と降ってきたのだった。


あぁ、急いでたから天気予報見るの忘れてた…。


後悔しても時すでに遅し。


仕方なく、買ったばかりのあたらしい制服を雨でびしょびしょに濡らしながらバス停まで走った。


やっと、着いた…って安堵しようとしたら突然なにかにぶつかったような衝撃音がなった。


『す、すみません!』

顔を上げたら、髪の長い男の人が目の前にいた。


わぁ、ロン毛の男の人なんてはじめてみた…でも、なんか雰囲気あって似合ってるなあ。


おもわず見蕩れていたら、頭上から『あの、』とちょっと困ったような男の人にしては高い声が降ってきた。


『髪、ボタンに絡まっちゃったんだけど…』

ブレザーの胸元をみたら、男の人の髪が第二ボタンに絡まっていた。


ど、どうしよう。こんな綺麗な髪に。


普段の数倍頭を高速フル回転して、最低限のダメージで済む方法を導き出そうとした。


その方法が、髪の絡まったブレザーの第二ボタンを引きちぎるという荒業だった。


『いや、なんかごめんね』

その人の申し訳なさそうな顔が、いまだに忘れられない。



バスが来るまでのあいだ、ふたりきりになった。


沈黙が、つづいた。


『あの、さ』

あの人のほうから沈黙を打ち破ってきた。


『髪、すごく濡れてるね』


髪までびしょ濡れになっていたのに気付いた。


あーあ、なにやってるんだろ。


おもわず、ため息をついていたら。


そうしたら、あの人の白くて大きな手から桜色のなんともかわいらしいハンカチを差し出された。


『…さっきのお詫び』


それが、あの人との出逢いでした。



翌朝、今回は余裕を持って家を出たから昨日よりはやめにバス停に着いたらあの人もちょうどバス停に着いていたみたいでした。


昨日は色々あったからあんまりよく見ていませんでしたが、どうやらあの人は同じ学校の先輩みたいです。


『…おはようございます』


『…おはよう』

挨拶を返し、あの人はわたしの胸元をじっと見ていました。


えっ、なんだろう…。


訝しんでいたら、あの人は『ボタン、ほんとごめん』とふたたび謝ってきました。


あ、なんだボタンか。

安堵したのと同時に、とんでもない勘違いをしてしまい顔が赤く染まりました。


『あ、そうだこれ』

あの人は、そういい第二ボタンを渡してくれました。


『やっぱりちゃんとお詫びしないとね』

そういい、リュックサックから裁縫キットを取り出しかつて第二ボタンのあったところにあたらしい第二ボタンを縫い付けてくれたのだ。


『…あ、ありがとうございます!』

あっという間に縫い付けられたきんきらな第二ボタンをうっとりとしながら撫でた。


ふふっと、頭上から笑い声がした。


なんだろうと訝しんでいたら、ちょうどバスが来た。


バスの窓ガラスに頭に桜の花びらを乗っけた自分の姿が写っていた。


答え合わせは、すぐに終わった。





それからもバス停でなんてことはない他愛のない話をしたり帰り一緒になったら学校のことを色々教えてもらったり。


連絡先も交換したから、バス停での会話の延長線上という感じのやり取りをしてたまたま同じゲームやってるってわかったから一緒にゲームのマルチプレイをしたり。



なんてことはないけど、些細な幸せを噛み締めていた。


ずっと、こんな日がつづけばいいのに。



そんな日々は、ある日唐突に終わりを告げに来た。



あの人が、バス通学をやめた。


ただそれだけのことだった。


ただそれだけのこと、なのに。



それだけのことが、わたしたちの心の距離も遠ざけさせた。




あの人は、学校を卒業した。


幸か不幸か、わたしはその日熱を出して卒業式には参加できなかった。


これで、よかったんだ。


そう言い聞かせながら、その日は眠りについた。





それから数年経ったある秋の日。


あの人から数年ぶりに連絡がきた。


といっても、『ひさしぶり、元気?』くらいの内容だ。


ほころぶ頬を必死におさえながら、元気です先輩は?、と返した。




そんなふうにまたひさしぶりにあの頃のようなやり取りを交わしていたら、あの人のほうから『家の前にある自販機でなにか飲み物奢るけどなにがいい?』というメッセージが来た。


ミルクティーがいいです、って返して扉を開いて駆け出して行った。



あの人に買ってもらったミルクティーを両手に抱えながらまだ雨に濡れている森を一緒に歩いていた。


あの人は、去年に自殺未遂をしたこと、世の中の死への衝動に駆られた人々の気持ちがわかるようになったこと、そして頑張ってる人に頑張ってといいたくない、といっていた。


もう十分頑張っているのだから、とも。


そんなことになっていたなんて知らなかった。


なんだか無性に抱き締めたい衝動に駆られ、抱き締めてしまった。




すると、あの人は。


『…いま、すごく勃っちゃった』

そうささやき、太ももに押し付けてきた。


ちょっと、やめ…

抵抗をしなきゃいけないのに、できなかった。



その日から、優しかったあのときのあの人ではなくなった。



あの人は、羊の皮をかぶった狼でした。



雨が、激しく降り注ぐ。


わたしの鳴き声を打ち消すように激しく、激しく。



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