第八話 武神、冒険者になる2
ライブラリアン冒険者ギルド——その待合室は、ざわつきに満ちていた。
ひときわ目立つ長椅子の一角に座る、黒衣の男を中心に。
周囲の冒険者たちは、まるで珍しい獣でも見るかのように彼の方をチラチラと見ていた。
「アイツが、あのマックスを一撃で沈めた……ってヤツか」
「魔術無しで、だぞ? 信じられるかよ……」
「てか、名前なんだっけ? なんとか……シン? シェン?」
だが、噂の張本人であるシェン本人は、そんな周囲の熱に一切頓着することなく、ただ黙って座っている。
騒ぎの中心にいるのが自分ではないかのように、腕を組み、目を閉じて微動だにしない。
まるで彫刻の様な静けさで。
その隣に座るリャンメイは、逆に落ち着きなく。
「うぅ……シェンさん、あんなに目立つ勝ち方しちゃって……」
ひとりごとのように呟いては周囲を見回し、視線が向けられるたびにぴくりと肩を震わせている。
(こんなの……絶対にまずいって。私たち、目立っちゃいけないのに……!)
なのに今や、ギルド内で最も話題になっているのはシェンの名だ。
それも、腕力だけで現役冒険者を叩き伏せた怪物級の新人として――。
リャンメイは椅子の端に座りながら、ひたすら姿勢を小さく保とうと努めていた。
少しでも人目に付かないように。少しでも目立たないように。
頭に巻いた布を引き下げ、顔を隠すようにして。
しかし。
「——シェン殿、リェン殿。ギルド長室までお越し願います」
呼び出しの声が響いた瞬間、その努力も一瞬で水泡に帰す。
周囲の視線が一斉に二人へと集まる。
今までシェンに向けられていた視線がリャンメイにも。
「ギルド長室!? 新人が!?」
「……あそこに通される新人なんて聞いたことねぇぞ」
「ってことは横のちっこいのもなんかすげぇのか?」
再び沸き上がるざわつき。
興味、警戒、懐疑――様々な感情の混じる視線が二人に注がれる。
シェンは立ち上がると、何も言わず、そのまま足音すら立てずに歩き出した。
それを慌てて追いかけるリャンメイ。
「ちょ、シェンさん! 待ってください。一人にしないでぇ……!」
そう小声で訴えるも、もちろんシェンは振り返らない。
二人が廊下の先へと姿を消していく間、ギルド中の視線はずっとその背中に注がれていた。
案内されたのは、ギルドの中とは思えないほど豪奢な応接室だった。
壁は赤みがかった木材で覆われ、窓から差し込む陽光に照らされた家具は重厚感と気品に満ちている。
「待たせたね。さ、掛けたまえ」
そう言って出迎えたのは、ギルド長ゲーベン。彼に促され、二人はソファに腰を下ろす。
その瞬間、リャンメイはふかふかの座面に思わず声を漏らした。
「ほわぁ~……!」
受付で使われていた硬くて冷たい椅子とは比べ物にならない柔らかさだった。
「はっはっはっ、気に入ったかね? それは来賓用の椅子だからな。いいものだろう?」
豪快に笑うゲーベンも向かいの椅子に腰を下ろすと、懐からカードを二枚取り出し、テーブルに置いた。
「さて、呼び出したのは他でもない。君たちにこれを渡すためだ」
「おお……! シェンさん! 冒険者ライセンスですよ、やったぁ……!」
リャンメイはカードを手に取り、うっとりと眺める。
一方、シェンはカードには目もくれず、じっとゲーベンを見つめた。
「なぜ俺たちを呼びつけた」
その問いに、ゲーベンは肩をすくめて笑った。
「なに、大した用件じゃないさ。ただ、君たちのことがどうにも気になってね」
その視線が今度はリャンメイに向けられる。
「一人は魔術を使わず、拳一つで岩を砕く異常な戦士。そしてその相棒は、魔力測定器で異常な値をだす魔術師――気になるのも当然だろう?」
視線を向けられたリャンメイは、手にしていたライセンスをそっとテーブルに置き、表情を引き締める。
そんな様子を見つつ、シェンが問う。
「……魔力測定器?」
すると、今度はリャンメイが控えめに説明する。
「えっと、その名の通りです。体内にどれくらい魔力があるかを数値化するための道具で……魔術の威力って、魔力量と出力能で決まるので、冒険者になるなら一応測っておくのが普通なんです。さっき、シェンさんが戻ってくる前に、私だけ測ってきたんですよ」
「うむ。そして――その結果が、実に興味深いものだった」
ゲーベンが顎に手を当てながら言った。
「君の魔力量は、並の魔術師の二倍以上。測定器が悲鳴を上げるかと思ったよ」
「え……? 私が……?」
リャンメイは驚いたように目を丸くする。
「そんな、知らなかった……」
「はっはっは、無理もない。魔力の量なんて、冒険者か魔術師でもなければわざわざ測らないものだからね。普通の生活をしていたなら、知る機会もなかっただろう」
そう言ってゲーベンは笑いながらも、再びリャンメイにじっと視線を向ける。
「となると――君の血筋に何か特別な要素があるのか……例えば、君の両親は名の知れた魔術師だったりするのかな?」
その問いに、リャンメイは少しだけ間を置いて答える。
「母は……魔術師でした。でも、父は違います。魔術の研究者でしたけど……魔術を使えるわけではありませんでしたから」
答えながらも、その瞳にはどこか影が差していた。
唇がわずかに強ばり、思い出したくない記憶に触れたような――そんな空気が滲み出る。
それを察したゲーベンは、すぐに手をひらひらと振って言葉を引っ込めた。
「おっと、すまないね。年寄りの余計なおしゃべりだった。聞かなかったことにしてくれ」
苦笑しながら、彼は今度はシェンへと視線を向ける。
「さて、シェン君。君の力は素晴らしい。しかもその落ち着きよう。――まるで、百戦錬磨の老兵のようだ……何か秘密でもあるのかな? 例えば“人生二回目”だとか……」
探るような言葉。
だが、シェンの表情は微動だにせず。
「そんなものはない。話はそれだけか?」
きっぱりと切り捨てる。
「はっはっは、そうかそうか。いや、無粋なことを聞いたな。悪かったよ」
ゲーベンはどこか嬉しそうに笑ってから、立ち上がりながら言った。
「さて、時間をとらせたね。こちらからの話は以上だ。あとは君たちが、冒険者としてどう活躍してくれるか――大いに期待しているよ」
その目は期待を滲ませたまま、二人を見つめていた。
軽く頭を下げるリャンメイと、それを横目で見るだけのシェン。
そうして、二人はゲーベンに見送られながらギルド長室を後にした。