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第七話 武神、冒険者になる1

――二人が街中に足を踏み入れ、門から離れたところまで来たところ。

「はぁぁぁ~~~助かった~~~!!!」

 今までの緊張を吐き出すかのようにリャンメイが声を上げた。

「死ぬかと思った! 本気で死ぬかと思ったんですよ!? 心臓バクバクだったんですよ!? 見てくださいこれ、汗でベタベタ……!」

「うるさいぞ」

 不機嫌そうに答えるシェンに対し、リャンメイは緊張から解き放たれ、饒舌になっていた。

「いやほんと、あのままだったら私バレてましたし……というかシェンさん、あの時のシェンさん凄い迫力でしたけど……もし兵士が無理やり布を取ろうとしてたら……?」

 シェンは返事をしないが、それでもリャンメイは話しかけてくる。

「まさか……本気で――」

「やるわけないだろう。ちょっと睨んだだけだ」

 冷たい言葉がリャンメイに返る。

「ですよね。でも、ただ睨んだだけであそこまで迫力出せるってすごいですね……」

「そんなことどうでもいいだろ。で? この後はどうするんだ」

「この後は冒険者ギルドに行こうかと思っています!」

「……冒険者ギルド?」

 シェンが聞きなれない言葉にまた、顔をしかめる。

「はいはい。説明しますね。冒険者ギルドっていうのは、街の人が困っていることをギルドに依頼して、ギルドが冒険者に仕事を提供する。冒険者は仕事をこなせば報酬がもらえる。そんな仕組みの場所のことですね」

 簡素な説明に、シェンは顎に手を当て考える。

「要は仕事の仲介屋ってことか」

「そうです! さすがシェンさん、話が早い! あとは冒険者達が倒した魔物の素材や、採取した薬草なんかの買取、流通も担っていますよ」

 リャンメイがにっこりと笑う。

「主な依頼内容は、旅の護衛とか、荷物の運搬とか……だいたい街の外に出てやる危険な仕事です。仕事によっては国から国を渡り歩くので、その姿が冒険っぽいってことで、そういう仕事を請け負う人を“冒険者”って呼ぶんですよ」

 そう説明する顔はどこか誇らしげにも見える。

「なるほど。路銀稼ぎにはもってこいだな」

 シェンは軽く頷いた。

 その後、リャンメイに連れられ。

 こっちでもない。あっちでもないと。

 迷いながらも、リャンメイの足取りは軽い。

 そして数分後、ようやく彼女が立ち止まり、目を輝かせながら前方を指さした。

「ありました! 冒険者ギルドです!」

 指の先にあったのは、石造りの重厚な建物。

 その扉には大きく交差した剣と盾の紋章が掲げられており、威厳を放っていた。

 扉の隙間からは笑い声や話し声が漏れ出し、外からでも賑わっているのがはっきりと分かる。

 二人が重厚な扉を押し開けて中へ入ると、そこには広々としたホールが広がっていた。

 正面には受付カウンターがいくつも並び、壁には依頼書がぎっしりと貼られている。

 鎧に身を包んだ冒険者たちが酒を片手に談笑していたり、真剣な顔で受付嬢と話し込んでいたりと、まさに「冒険者の集う場所」という空気に満ちていた。

「すっごい……これが本物の冒険者ギルド……!」

 リャンメイは目を輝かせながら、きょろきょろと周囲を見回す。

 まるで絵本の中に入り込んだ子どものようなはしゃぎっぷりで。

「なんだ。お前も初めてなのか」

 シェンが少し意外そうに言う。

「そうなんですよ。でもずっと憧れていて……シェンさんは知らないでしょうけど『ルディの冒険譚』っていう本、あれを何度も何度も読み返したんです……」

 うっとりとした表情のまま、視線を天井に向けるリャンメイ。

 その様子はどこか不審者めいてすらあったが、シェンは特に驚きもせず、ただひとこと。

「……で、どうするんだ」

 リャンメイはその声でハッと我に返り、慌てて咳払いを一つ。

「まずは受付で冒険者登録ですね! でないと、依頼受けられませんから!」

 そう言って勢いよく歩き出すリャンメイに、シェンも静かに後をついていく。

 受付カウンターへと歩み寄ると、笑顔の受付嬢が二人に向かって声をかけてきた。

「こんにちは。今日はお仕事のご相談でしょうか?」

「いえ、冒険者の登録をお願いしたいんです」

「かしこまりました。それでは、こちらの申請書にお名前などの必要事項をご記入ください」

 そう言って受付嬢は、カウンターの下から紙を取り出し、それぞれに一枚ずつ差し出す。

「あちらのテーブルでご記入いただき、終わりましたらこちらにお持ちくださいね」

 案内されたテーブルで紙を広げると、そこには名前、年齢、出身地、使用可能な魔術や魔法の有無などが書かれていた。

 だが。

「……おい、リャンメイ。魔術属性ってなんだ、何を書けばいい」

 この世界では一般的かもしれないないようでも、シェンには質問の意図が分からない箇所がいくつか存在する。

 しかし、リャンメイは慌てることもなくニコニコしながらペンを握る。

「大丈夫です。私が書いておきますので、ちょっと待ってくださいね」

 そう言って、彼女は自分の申請用紙をすらすらと書き上げ、続けてシェンの分も記入していく。

 そして、あっという間に書き終わると受付に提出した。

「ありがとうございます……えーっと『ウー・シェン』さんと『ウー・リェン』さんですね」

 受付嬢は記載された内容を読み上げる。

「はい、そうです」

「……おい。おま――」

 聞き慣れない名前を読み上げられ、シェンが口を開きかけたその瞬間――。

――ゴッ

 カウンターの下でリャンメイの足がシェンの脛を蹴った。

「……? どうかしましたか?」

「いえ、何でもないです」

 ぎこちなく微笑むと、リャンメイはそっと耳打ちする。

「本名なんて使えるわけないじゃないですか。冒険者の申請なんて厳しくないんですから大丈夫です。ここは私に任せておいてください」

 書類に目を通していてそんな二人に気が付いていない受付嬢が申請内容を読み上げていく。

「えーっと……リェンさんは魔法なし、魔術は……うわ、色々使えるんですね! すごい!」

「えへへ、ありがとうございます」

「そして……シェンさんは……えっ?」

 その瞬間、受付嬢の笑顔が初めて曇る。

「……魔法なしは問題ないんですが、魔術……使えないんですか?」

 彼女の言葉に、周囲にいた冒険者たちがざわ……と反応する。

「ああ。それが何か問題でも?」

 だが、シェンには一切動じる気配がない。

「いえ……実はですね、冒険者の仕事ってほとんどが戦闘か、それに類する危険を伴う依頼でして。魔術を使えないとなると、どうしても受けられる仕事が限られてしまうんです」

 と、受付嬢は申し訳なさそうに説明するが。

「問題ない」

 シェンの答えは変わらない。

「えっ……で、でも……言いにくいのですが、シェンさんのような方だと、冒険者はちょっと……」

 やんわりと断ろうとする受付嬢。だが。

「俺より遥かに弱そうなこいつらができてるのにか?」

 そう言って、シェンはあろうことかギルド内にいた冒険者たちを顎で示した。

 しかも、わざとらしくギルド中に響き渡るほどの声量で。

「シェンさん! 言いすぎですって……ああもう……!」

 リャンメイはその空気の冷え具合に耐えきれず、頭を抱える。

 そして――。

「おい、兄さん。今……俺たちが何だって?」

 数多の冒険者の中、ひときわ大柄な男が立ち上がった。

 身長は軽くシェンの倍。

 顔も腕も、見える範囲すべてに傷跡が刻まれており、その男の潜ってきた修羅場の数を物語る。

 シェンは近づいてくる冒険者をちらりと見ただけで、受付嬢に視線を戻す。

「こんな奴より俺が弱く見えるか?」

 その瞬間――。

――バッガァァン!!

 鈍い音がギルド中に響き渡る。

 巨体の男が手に持っていた酒の器を、勢いよくシェンの頭に叩きつけた音だった。

「粋がるなよ……新人」

 手元に残った器の破片を放り捨て、巨漢の冒険者はシェンを見下ろした。

「悪いが、お前に興味はない。さっさと下がれ」

 シェンは男を一瞥することすらせず、受付嬢のほうを向いたまま静かに言い放つ。

 その態度に、男の顔が怒りに染まっていく。

「よぉし……新人。いい度胸だな……後悔すんなよぉぉぉらぁぁぁぁ!!」

 怒声とともに、巨漢の拳がシェンに向かって振るわれた。

 だが——。

――パンッ

 その拳は、視線すら向けられずに、シェンの片手にあっさりと止められた。

「……あぁ?」

 信じられないといった様子で目を見開く男。

 それでもなお、彼は叫びながら拳を振り下ろしてくる。

「がああああああああ!!」

 怒りに任せ、何度も何度も打ち下ろされる拳。

 だが、そのすべてをシェンは動かぬまま、片手だけで受け止め続けていた。

 そして——。

「……しつこい」

 冷たく吐き捨てると同時に、シェンは相手の拳を軽く横へ流す。

 その瞬間、男の巨体が前のめりに崩れた。

 そこへ、シェンの拳が無駄のない軌道で顔面を撃ち抜く。

――ゴッ

 重い音とともに、男の身体はふわりと宙を舞い、ギルドの端まで吹き飛ばされた。

「さて……冒険者になれないのは困る」

 再び受付嬢へと顔を向け、シェンは静かに呟く。

「俺に弱い者いじめの趣味はないが……ここにいる全員を倒せば、否応なく認めざるを得んよな?」

 ゆっくりと、シェンの視線がギルド内の冒険者たちを見渡す。

 その言葉に、空気が一段と張り詰めた。

「え、えっと……その……」

 受付嬢が戸惑いの声を漏らした、そのときだった。

「なんだ今の騒ぎは!!」

 ギルドの奥から、重々しい声が響く。

 現れたのは、白髪まじりの初老の男性。明らかに怒り心頭といった表情で、ギルドの中央までズカズカと歩み寄る。

「ギルド内は戦闘禁止だと、何度言えば分かる! まったく……」

 男はため息混じりに、シェンに吹き飛ばされた巨漢の冒険者へと目をやる。

 鼻血を垂らし、ふらつきながら立ち上がろうとしているその姿に、渋い顔をする。

「はぁ……また貴様か、マックス。いったい何度トラブルを起こせば気が済むんだ。で、今回の被害者は……?」

 男が周囲を見回すと、冒険者たちの視線が一斉にシェンに集まる。

「ん? 君か?」

 男が近づき、シェンをじっと見つめる。

 だが、すぐにその表情は驚きに変わっていく。

「……無傷なのか?」

「当たり前だ。どこに怪我する要素がある」

 シェンが当然のように答えると、男は感心したようにうなずいた。

「ほぉ……あのマックスに絡まれて無傷とは。こりゃまた凄いな……それで、君は見かけないが、名は?」

「シェンだ」

 短く名乗ると、すぐに本題へと入る。

「そんなことより、話は早いほうがいい。見たところ、あんたはこのギルドの重役だろう。俺を冒険者として登録しろ」

「はっはっは! なるほど、君は新人か。なら、申請用紙を提出すれば登録は――」

「それを断られたから言っている」

「……断られた?」

「ああ。魔術を使えないとダメだとな」

 男は眉をひそめ、うーむと考え込む。

「なるほど、君は魔術が使えんのか。確かに、冒険者は危険な仕事だからな。魔術も使えぬようでは命がいくつあっても足りん……が、マックスを倒したというなら、戦闘力に問題はなさそうだ。しかし――」

「待てぇっ!!」

 鋭く割り込んだのは、鼻を押さえながら立ち上がったマックス本人だった。

「……聞き捨てならねぇぞ、ギルド長さんよ。俺は負けちゃいねぇ! 魔術も使えねぇ奴に負けるわけねぇだろうが!! 認めねぇぞ……お前みたいなのが冒険者なんて……」

 ギルド内の空気が、再びざわめきに包まれていく——。

 冒険者たちの視線がシェンとマックスに集中し、空気が再びぴりつき始めたそのときだった。

「——静まれ!!」

 ギルド長の怒号が、場の空気を断ち切った。

 誰もがびくりと肩を震わせ、沈黙が訪れる。

 男は深く息を吐き、重々しく口を開いた。

「さて……シェン君と言ったかね。まずは、すまなかった。うちのギルドは血の気の多い連中が多くてな」

 苦笑混じりに言いながらも、その声にはギルドを束ねる者の威厳が滲んでいる。

「で、だ。私の立場からすれば、君を無条件で冒険者として受け入れるわけにはいかない」

 その言葉に、シェンは眉一つ動かさず問い返す。

「……理由は?」

「君が“魔術を使えない”という点だ」

 ギルド長は真っすぐにシェンを見る。

「もし君を認めれば、それを真似する無謀な若者が出てくるかもしれん。冒険者とは命を懸ける仕事だ。格好だけで目指すものではないのだよ」

「……ならば?」

 シェンは無表情のまま、淡々と問い返す。

 ギルド長はゆっくりとうなずいた。

「——だからこそ、試験を設ける」

「試験?」

「ああ。そうだ。マックスともう一度一騎打ちをしてもらう。改めて君の戦闘能力に問題がないことを示してもらう」

 その言葉に、場が再びざわつき始める。

「ただし、今回は正真正銘の正式な試験だ。マックスには魔術の使用を許可する。全力で挑んでもらおう」

「おいおい……!」

 思わずマックスが声を上げる。

 鼻のあたりを押さえながら、信じられないという目でギルド長を見ながら。

「魔術解禁って……本気か?」

「ああ、本気だとも」

 ギルド長はきっぱりと言い切る。

「魔術を使う現役冒険者に勝てるのであれば誰も彼の戦闘能力に異論はあるまい」

 ギルド長の言葉にマックスは鼻を鳴らし、にやりと嗤う。

「……シェンとか言ったか? 今度こそ地に這いつくばらせてやる。死んでも恨むなよ?」

「やるなら早くしろ」

 シェンはわずかに肩をすくめ、退屈そうに呟いた。

「なら決まりだ!」

 ギルド長は一歩前に出ると、周囲に向けて高らかに宣言した。

「ライブラリアン冒険者ギルド長、ゲーベンの名のもとに。ここに特例冒険者認定試験を執り行う!」

 その声はギルドの隅々まで響き渡る。

「受験者はシェン。試験内容は——冒険者マックスとの一騎打ち! シェンが勝てば冒険者としての登録を許可する」

 その瞬間、ギルド内は歓声とざわめきに包まれた。

 ただの騒ぎが、突如として見世物に。

 全員の視線が、たった二人の男に集中する。

 一方は、魔術を操る現役冒険者。

 もう一方は、魔術すら使えぬ謎の新人。

――勝つのはどちらか、と。

 シェンが案内されたのは、ライブラリアン冒険者ギルド、その裏広がる闘技場だった。

 石造りの広い空間は、すぐに多くの冒険者たちが集まり、観客席はざわめきに包まれ、誰もが目を輝かせていた。

「五万イェン、マックスに全部! あいつが負けるわけねぇって!」

「俺は大穴狙いだな。あの新人、見た目は地味だけどヤバい気配するぞ……十万イェン、シェンに!」

 場内には即席の賭けが飛び交い、賭け金は万単位で積まれていく。

 彼らにとってはもはや一つの娯楽――だが、当の当事者たちはまるで違う空気を纏っていた。

 中央の戦闘エリア。

 そこではマックスとシェンが互いに距離を取って向かい合っていた。

 マックスは片手で肩を回しながら余裕の笑みを浮かべて。

「へっ、こんな茶番すぐに終わらせてやるぜ」

 相変わらずの挑発口調。

 しかしその目には油断は無い。

 一方のシェンは無言で佇む。

 表情一つ変えず、ただじっとマックスを見据えていた。

「なんでこんなことに……」

 観客席の端で、リャンメイが手すりに額を預けながら小声で呟いた。

 声には苛立ちと焦燥が混じっている。

(私は今、身を隠していなきゃいけないのに……なんで注目の的になってるんですか、シェンさん……)

 彼女はこの騒ぎが最悪の未来へつながらないよう祈るしかなかった。

「それでは——始め!!」

 ギルド長ゲーベンの号令と同時。

 先に動いたのはマックスだった。

「湧き上がる鋼の闘志。裂け、隆起し、我が怒りに呼応し震える大地。羽虫を打ち砕くに一切の慈悲も無し。大地の怒りを知れ――剛岩鎧!」

 詠唱と共に大地がうねり、岩塊が巻き上がる。それらが一瞬でマックスの身体を覆い、全身を屈強な岩の鎧に変えていった。両腕には盾のように厚い岩板が形成され、肩から背中には棘のような岩の突起が生える。

 その姿に観客席が沸く。

「あんなの武器も魔術なしでどうやって突破するんだよ」

「やっぱりマックスに賭けて正解だったわ」

 ギルドの空気が一気にマックス優勢へと傾く中、シェンだけは変わらぬ無表情で彼を見ていた。

「さぁ新人! 後悔しても遅いぜ!」

 叫ぶと同時、マックスが踏み込み、岩の拳を振るう。それは人間の質量ではあり得ない速度と重さを帯び、地を裂くような衝撃を残す。

 だが——。

 シェンはわずかに身体をひねり、その拳を紙一重で躱した。

 だが拳は止まらない。続く連撃。

 その合間合間。

 マックスの腕に刻まれた刻印が瞬き、発動した魔術がシェンを襲う。

 いくつもの石柱が地面から生え、シェンに目掛けて襲い掛かる。

 だが、そのどれもシェンに傷一つ付けることは叶わなかった。

「あの魔獣と同じ技か……だが――」

 ボソリと呟き、シェンは拳を握る。

 瞬間。

——ドンッ!!

 観客席ごと揺らす衝撃が響き、分厚い岩の鎧が砕け散る。

「ガハッ……」

 彼の身体は宙を舞い、岩の破片と共に闘技場の端に叩きつけられた。

 観客の視線は皆マックスへ向けられるが、マックスはピクリとも動かない。

 その光景に観客席は静まり返る。

「え……うそだろ。一撃で?」

「まさか、あんなに……簡単に……」

「アイツ、人間か……?」

 沈黙と驚愕――それだけが場を支配していた。

 ついさっきまで渦巻いていた熱狂は、まるで冷水を浴びせられたように凍りついている。

 観客席にいた誰もが、目を見開き、口を開けたまま言葉を失っていた。

 その中心。闘技場に立つシェンは、無傷のまま拳を解き、ゆっくりとひとつだけ肩を回す。

「……獣以下だな」

 誰に届くでもなく。その呟きは、ただ冷たく、空に溶けていった。

「そこまで!!」

 静寂を断ち切るように、ゲーベンの声が場に響き渡る。

「勝者、シェン! その実力、疑いようなし。ライブラリアン冒険者ギルド長ゲーベンの名のもとに、彼に冒険者としての資格を与える!」

 その宣言に、ようやく観客席が動きを取り戻した。

「……シェンさん……!」

 観客席の片隅、リャンメイは胸を撫でおろすようにほっと息を吐き、小さく手を叩いた。

 一方、当の本人であるシェンはというと、観客の視線も、賞賛も、何一つ気にした様子もなく。

 ただ、つまらなさそうに拳を下ろし、静かにその場を後にする。

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