第六話 いざライブラリアンへ2
二人が旅を初めて八日目の昼前。
険しい岩山を下り、木々の密集する森を抜けたその先に──ついに、それは姿を現した。
「──あっ! 見えてきましたよシェンさん! あれがライブラリアンです!」
リャンメイが嬉しそうに声を弾ませ、前方を指差す。
その先には、白く巨大な城壁が堂々とそびえ立っていた。太陽の光を反射し、まるで聖域のような神々しさすら感じさせる。
「ようやくか」
だが、そんな言葉を漏らしたのも束の間。シェンの表情がすぐに険しくなる。
「……やたら騒がしいな」
城壁の前には、長蛇の列。
旅人、商人、荷馬車と、さまざまな者たちが門前に並んでいる。
そして、シェンが見つめる列の先、そこには、槍と鎧で武装した兵士たちが立ち、厳重に人々を一人一人チェックしていた。
その様相は、誰が見ても――
「検問か……」
つぶやいたシェンの声に、リャンメイの肩がビクッと跳ねた。
「……やっぱり、そう見えます?」
「どう見てもそうだろう」
シェンが目を細めたまま、すっと視線をリャンメイに向ける。
「……で、どうやって突破するつもりだ?」
その問いに、リャンメイは一瞬目をそらし、そっと指を突き合わせる。
「えーと……あれって、私のせい、だったりします?」
「知らん」
即答。無慈悲。
「いやいや、待ってくださいよ! 確かに私、ゴッディスではお尋ね者ですけど、この国では別に何もしてないですからね!?」
「だが、お前を追ってた連中が、おとなしく手を引くと思うか?」
その冷静な反論に、リャンメイは思わず口を噤む。
「お前みたいな小娘一人のために、わざわざ魔術師まで使ってきたんだ。隣国くらい、もうとっくに手を回してるだろう」
「……っ、ぐ……それは……否定できませんね……」
苦々しい表情でリャンメイは頭をかきながらうなだれた。
風がひと吹き、二人の髪を揺らす。
城壁はすぐそこにある。けれど、それ以上に高く、厚い壁が、目の前に立ちはだかっていた。
その時、リャンメイがあることを思いつく。
「……あ! そうだ、着替え、ありましたよね!? あの時、村の人がくれたやつ! ほら、地味な服と布と……!」
そう言って目を輝かせるリャンメイに対し、シェンはものすごく嫌そうに溜息を吐いた。
この後の展開をなんとなく察して。
そして、魔法の扉を開き、リャンメイが衣服を取り出す中。
「……まさかとは思うが変装で乗り切るつもりか?」
「他に方法あるんですか? ほらシェンさんもこれ着てください! 今から私たちは旅商人です!」
「……なんで俺がこんな茶番に」
「いいからいいから。はいこれシェンさんの分です」
にこにこと押し付けるような笑顔に、シェンはまた一つ溜息をついた。
そして、なんだかんだ文句を言いながらも――変装完了。
シェンはくすんだ茶色のマントを羽織り、リャンメイは頭に布を巻いて髪色を隠し、地味なローブに身を包む。
村人からもらった荷物は全て手で持ち、まさに旅商人といった風貌へ。
「……フッ、見てください! 完璧な変装! これなら私だって気づかれ――」
「うるさい。列に並ぶぞ」
「はーい……」
シェンそう返され、リャンメイはシュンとしながらも、二人は何事もないかのように列の最後尾に並んだ。
検問列の進みは遅く、なかなか進んでいる気がしない。
それでも少しずつ、確実に門に近づいている。
残り三分の一程度まで来た辺りからリャンメイは無口になり、何度も汗をぬぐっていた。
顔は笑っているが、目が全く笑っていない。
そんな緊張のさなか、前方の商人たちの噂話が聞こえてくる。
「今回は入国がやたら厳重だな……」
「あぁ、どうやら逃亡犯を探しているらしい。なんでも緑髪の女と男の二人組だとよ」
「ふーん。何したんだろうな」
聞こえてきた会話にリャンメイの背中がビクッと震える。
(やばいやばいやばい! 絶対私のことだ……終わった!?)
額から汗が滝のように伝う。
だが、列は進むのを待ってはくれない。
――遂に順番が回ってきた。
「次! 二人組だな……」
門前に立つ二人の兵士が、じっと二人を見つめている。
一人は目を細め、リャンメイの頭を見ながら訝しむ。
「鞄の中身を見せろ。それと……そっちの娘。頭に巻いてる布を取れ」
「え……」
リャンメイが凍りつく。
額から流れる汗が止まらない。
(だめ……取ったらバレる!)
そのときだった。
「ほらこれでいいだろ」
シェンが自分の布を外して見せた。
「お前じゃない。そっちの――」
そう言って兵士が伸ばした手を、シェンがつかみ止める。
「宗教上の理由でそれは出来ない。ほかの事なら応じる。見逃してくれ」
「ふざけるな。手を離せ!」
もう一人の兵士が詰め寄ってくるのに合わせ、シェンが一歩踏み出し、無言で兵を見据える。
言葉は無い。それでも確かに放たれる――殺気。
武の心得がない人間だろうと肌で感じるほどの。
「っ……!?」
殺気を浴びた兵士は、目に見えて肩を震わせる。
無意識に一歩、二歩と後退った。
「な、なんだ……?」
兵士のひとりが、声を漏らした。
だが、その視線は定まらず、額にはじっとりと汗が滲んでいる。
もうひとりも同じだった。
互いに目を合わせようとすらせず、ただ圧に押されるように沈黙する。
何が起きているのか、自分たちでも理解できない。ただ、得体の知れないプレッシャーに思考が凍りついていた。
「……もういいか?」
低く、静かな声が響く。
「あ、あぁ……問題ない。通れ」
気づけば、兵士の口からそう言葉がこぼれていた。
理性では拒絶していたはずなのに、身体が勝手に応じていた。
「恩に着る」
シェンが一言だけ残すと、空気が一気に軽くなる。
まるで見えない鎖が解かれたかのように、周囲の張り詰めた緊張が霧のように消えていく。
そして、リャンメイは息を詰めたまま、シェンと共に門をくぐった。