第三話 武神、異世界にて魔獣退治1
「さて……」
二人での旅が決まり、シェンがさっそく問いかける。
「これからどうするんだ? 追手から逃げていたが……行く当ては?」
その問いに、リャンメイは迷うことなく答えた。
「大図書司国・ライブラリアン」
「どんな国なんだ?」
「大図書司国と呼ばれるほど、世界中から本が集まる。つまりは情報の集まる国です。『大陸の脳』なんて言われるくらいに」
「……本か」
シェンは特に興味を示さなかった。
文字を読むのが嫌いなわけではない。
ただ、戦いに直接関係ないものにはあまり興味が向かないだけだ。
「地図も手に入るはずですし、私が探しているものの情報もあるかもしれません」
「探しているもの?」
リャンメイは少し目を伏せ、言葉を選ぶように口を開く。
「すみません……それは、いずれ話します」
シェンはそれ以上聞かなかった。
「で、どう行くんだ?」
リャンメイは少し考え込んだあと、落ちていた木の枝を使い地面に簡易的な地図を描いていく。
「今、私たちがいるのはここ。本来なら街道を通る安全なルートがあるのですが……この道は使えません」
シェンは腕を組み、言葉を挟まずに説明を聞いている。
「だから、今はほとんど使われていない旧道を通ります」
そう言って、地図に新たな線を引く。
「山を越えるルートですね。危険ですが、最短距離で進めるので目的地まで圧倒的に早く着けます」
「どのくらいかかる」
「……早くても一週間はかかりますね」
「なるほど……で? その間の食料や水は?」
「ありません。ほとんど何も持てずに逃げてきましたから。ただ、当てはあります」
そう言って彼女は地図に印を書き足していく。
「ここ。山道に入る手前、山の麓に小さな村があります。そこで何とか食料や水を分けてもらえるようにお願いしてみるつもりです。そこまでなら何とか日が落ちるまでにたどり着けるはずです」
「……分かった。ならさっさと移動するぞ。時間を無駄にできん」
そう言ってシェンは先に歩き出した。
「あ、待ってくださいよ!」
リャンメイは慌てて彼の後を追った。
麓の村へ向かう道は、樹海とまではいかないが、木々が生い茂る深い森だった。
旧道――かつては人が頻繁に行き来していたのだろうが、今ではすっかり荒れ果て、雑草が生い茂り、道の面影をわずかに残すのみとなっている。
そんな、人が通った形跡がかろうじて残る道を、シェンとリャンメイは並んで歩いていた。
登った日の光が木々の隙間から差し込み、幻想的な景色を作り出す。
「ねえ、シェンさん。あなたのいた世界のこと、少し聞いてもいいですか?」
ふいにリャンメイが問いかける。
興味深げにシェンを見つめて。
「俺の世界?」
「ええ。魔力がない世界なんですよね? じゃあ、人はどうやって生きているんです? 火を起こすのは? 夜に灯りをともすのは?」
「どうやって、って……普通に生きてる。火を起こすのも、灯りをともすのも、電気やガスなんてものを使ってな」
リャンメイの目が驚きに見開かれる。
「そんな世界があるんですね。不思議な感じですね……」
「ふん。俺からすれば魔術なんてものがある方がよっぽど変だがな」
「それはそうかもですけど……まぁお互い様ですね」
二人は、そんな他愛のない会話を交わしながら、静かに歩みを進めていった――
――空が茜色から群青へと染まり始めたころ。木々を抜けた先に、ようやく村の姿が見えてきた。
だが、その光景は二人の予想とはまるで違っていた。
「……静かすぎるな」
シェンが足を止め、周囲を見渡す。
村ならば、生活の音があるはずだ。
子どもたちのはしゃぐ声。農作業を終えた人々の話し声。家畜の鳴き声や、夕餉の準備をする音。
だが、今は――何も聞こえない。
耳を澄ませても、人の声、家畜の鳴き声すらしない。
風が木の葉を揺らす音だけが、不気味に響いていた。
「おかしいですね……」
リャンメイも警戒しながら、そっと村へと足を踏み入れる。
村の中心へ進むにつれ、違和感はさらに強まった。
どの家も灯りが付いていない。
完全に日が落ちたわけではないとはいえ、この暗さなら普通は明かりを灯す時間だ。
それなのに、まるで皆が息を潜めているかのように、ひっそりとしている。
「誰もいないのか……?」
シェンがぼそりと呟いた、そのとき。
――ガタン。
どこかの扉が、微かに揺れた。
二人は無言で視線を交わし、音のした方へと向かう。
音のした方からでは、軒先の戸がほんの少しだけ開き、中からやせ細った老人が、二人を見つめていた。
「……あなた方は?」
老人の声には警戒の色が濃くにじんでいた。
「突然すみません。私たちは旅の者でして……。もし宿があれば、一晩泊めていただけないかと」
リャンメイがそう言うと、老人はしばらくこちらを見つめた後、小さく息を吐いた。
「旅の方……それはそれは、ご苦労なことです。私はこの村の村長、ソン・チョーと申します」
そう名乗った後、老人は申し訳なさそうに首を横に振る。
「ですが、今はこの村では旅人を受け入れることができません」
「そうですか……」
リャンメイが肩を落とすと、老人は少しだけ表情を和らげた。
「宿はありませんが、私の家でよろしければ一晩くらいは泊っていってくだされ。何ももてなしは出来ませんが」
そう言って老人は扉を大きく開き、二人を中へと招き入れた。
「本当ですか!? ありがとうございます」
リャンメイがぱっと顔を輝かせ、シェンと共に部屋の中へと足を踏み入れる。
だが――
「……暗いな」
シェンが周囲を見回す。
やはり、部屋には灯りがともっていなかった。
「リャンメイ、この世界では部屋に灯りをつける習慣がないのか?」
「そんなことはないですよ。さっきも言いましたけど、魔力を使えば灯せますから」
小声で話したつもりだったが、どうやら老人の耳には届いていたようだ。
「暗いでしょう? 申し訳ない。これには理由がありましてな」
「理由……ですか?」
リャンメイが首をかしげた、その瞬間――
――ギャキン! ギャリン! ギャリギャリギャリギャリ……ッ!!
不意に、耳をつんざくような音が響いた。
まるで、何か硬いものを金属で削るような、不快な轟音。
「……やかましいな」
シェンがぼそっと呟く。
すると、老人は深く頷きながら口を開いた。
「これが原因です。この村は――魔獣に襲われておるのです」
「魔獣に!?」
リャンメイが驚いて目を見開く。
「はい。魔除けの結界のおかげでまだ被害者は出ておりませんが……時間の問題でしょう。数か月前はまだ村の外から様子を窺ってくる程度でしたが、数週間前には結界に触れ初め、ここ数日は爪や牙を立て結界の様子を探っているような状況です」
老人は小さくため息を漏らす。
「そんな……魔獣が結界にここまで近づくなんて……この村の結界管理者はどちらに?」
「――消息不明です」
重い沈黙が降りた。
「数年前、魔獣の調査に向かうと言って村を出たきり……戻ることはありませんでした」
老人の目が、悲しげに揺れていた。
重い沈黙が場を支配する――が、それを破るように。
「……なぁリャンメイ。魔除けの結界とはなんだ?」
会話についていけず、シェンが疑問を口にした。
「そっか、分からないですよね……」
リャンメイが目を細め、静かに説明をする。
「魔除けの結界は、どの国でも採用されている防御システムです。強力な魔力障壁を張り、人を守るためのものです。ただ、維持には莫大なコストがかかります。だからこそ、結界をどれだけ広げられるかは、その国の国力と直結しているんです」
シェンは眉をひそめた。
「つまり、広い国ほど強いってことか?」
「まぁ、ざっくり言えば。大国ほど強固で広範囲の結界を維持できる。でも、小さな村は資源が限られているから、最低限の範囲しか守れない。この村の結界も、本来なら正常に機能しているはずなのに、管理者がいなくなったせいで、その最低限すら危うくなってるんでしょう」
老人は頷いた。
「まさにその通りですな。わしらも結界の維持装置をどうにかしようとしたが、さっぱり分からん。せめて少しでも長く保てるよう、村での魔力消費を極力抑え、維持装置に回しているのが現状です」
そこには、諦めの色すら滲んでいた。
シェンは静かに問いかける。
「……なぜ戦わん?」
老人は、シェンの目を見据えながら答えた。
「……魔獣に、勝てるはずもないでしょう。それこそ歴戦の軍でもない限り」
「魔獣……しょせんは獣だろ? そんなに強いのか?」
その言葉に、リャンメイがはっと気づく。
――そうだ。この人は、魔獣を知らないのだ、と。
「シェンさん。魔獣というのは魔術を使う獣の総称です。普通に人間が戦って勝てる相手ではありません。わかりやすく言えば……シェンさんが戦った炎使いの兵士。あの程度の魔法で挑めば確実に返り討ちに合う。それほどの存在なんです」
「ほう……それは中々に面白そうな相手だな」
リャンメイの説明を聞きながら、シェンは口元を吊り上げた。
興味をそそられた獣のような笑み。
その表情を見て、リャンメイは慌てて言葉を継ぐ。
「ダメです! 魔獣を刺激してしまったらどうなるか……」
シェンは少し考え込むように目を細めたが、やがて肩をすくめて言った。
「……わかった。一宿の恩を仇で返す気はない」
シェンの言葉に、リャンメイはホッと胸を撫で下ろした。
「すみませんな。そんなこんなで、今村は疲弊しておる。奴がいつ結界を破り入ってくるかもしれんという不安でな」
村長の言葉に、思い沈黙が走る。
その時――
――バキッ……メキメキッ……ミシミシッ……
不気味な音が響き渡った。
まるで、薄い板が巨大な何かを支えきれず、今にも砕け散りそうな――そんな音。
「っ……!? ま、まさか……!」
村長の顔が青ざめる。
――バリンッ
次の瞬間、弾けるような破裂音が村全体に轟いた。
音と同時、シェンは瞬時に家を飛び出し、ひと息で屋根の上へと跳び上がる。
そして、そこに広がっていたのは――割れた結界と村人たちの悲鳴。
「あれが魔獣とやらか……」
黒々とした長い毛並み、太くたくましい四肢。
シェンの知るヒグマのような風貌でありながらも、その明らかな異質さについ声が漏れる。
「デカいな……」
正確なサイズはわからない。
だが、村の家々が二回りほど小さく見えるほどの巨体。
そんな巨体をゆっくりと揺らしながら、魔獣は村の中心部へ向かって歩を進めている。
その爪が地面を踏みしめるたび、大地が軋む音が響いている。
「シェンさん! 私は結界維持装置を修復できるかやってみます! 魔獣の方はどうかお願いします!」
見ると。家の下からリャンメイが叫んでいた。
そして、シェンの答えを待たずに村長に連れられ村の中心へ駆けていく。
「カッカッカッ! いいだろう――」
再び視線を魔獣に戻し、シェンも駆け出した。
「獣とバカやるのも久々だな」
脳裏に浮かぶは若かりし頃、虎や獅子とやり合った青い記憶。
「さぁ魔獣よ――」
シェンはあっという間に魔獣の足元に辿り着き、その顔を見上げる。
「――死合おうか」