第二話 武神、異世界に転生する2
逃げ出したい。
どんなにそう願おうと、冷え切った体と恐怖に凍えた心は言うことを聞いてくれはしない。
膝をついたまま、立ち上がることさえできなかった。
「やめて……こないで!」
「捉えろ」
兵士の命令で、周囲の一般兵たちが動き出す。
「見た目はただの小娘だが、『悪魔の子』と言われる所以がある。油断するな――」
「――油断? それはお前の方だろ」
不意に響いた声に、兵士が咄嗟に顔を向ける。
その瞬間。
――ドッ。
鋭い一撃が、兵士の頬を深く抉った。
兵士の身体が大きく傾く、だが、足を強く踏み出し何とか耐える。
「……生きていたか!」
「あれが隠し玉か? だとしたら期待外れだな」
黒衣の男は無表情のまま、兵士に強烈な蹴りを見舞う。
吹き飛ぶ兵士を一瞥することもなく、男は踵を返し、その場を去ろうとした。
「――っサマぁぁぁぁ! 殺す! 殺す殺す殺す殺す!!」
突如、立ち上がった兵士の様相が一変する。
冷静さは完全に消え失せ、怒りに満ちた狂気が彼の顔を支配していた。
「はぁ……悪いが俺は雑魚に興味は――」
男は面倒くさそうに一瞥をくれる。
だが、次の瞬間、その足を止めた。
「兵長! その技は許可されて――」
「黙れ! このままで終われるか! 国王直属魔法兵団第九支団兵長の俺が! 魔術すら使わぬ奴に負けるなど! あってはならんのだぁぁぁ!!」
「ま……まずい……逃げろ! 俺たちまで巻き込まれるぞ!」
誰かの叫びが響いた。次の瞬間、少女を囲んでいた一般兵たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
一人残された兵士は天へ向け、高々と手を掲げる。
「陽は沈み、開く冥府の門。燃える万象。火に染まる大地。罪人よ。裁きの赫焔に膝を折れ。死して魂すら残さぬ。咎を知れ――赫焔の断罪刃」
「なんだ。出し惜しんでいたのか」
兵士の変貌を目の当たりにし、男の口角がわずかに上がる。
「もう加減は出来んぞ」
「カッカッカッ! そうでなくては!」
男の目が歓喜に輝いた。
未だ見ぬ強敵、その姿に胸が躍る。
兵士の握る赫刃は、怒りそのものを燃やすかのように灼熱を放ち、周囲の空気を歪ませていた。
鎧が熱に耐えきれず、歪み始める。
目の前の光景は、果たして本当に人間が引き起こしたものなのか。
男の脳裏を一瞬、そんな疑問がよぎる。
しかし、どうでもいいと一蹴した。
代わりに湧き出るは――歓喜。
「触れればただでは済まないと一目で分かる刃……良い。良いぞ! 戦いとはこうでなくては!」
「戦い? ふんっ。悪いが今から始まるのは――蹂躙だ!」
「カッカッカッ! さぁ――死合おうか」
先に仕掛けたのは黒衣の男。
その豪脚で地を抉り、距離を詰める。
熱波が肌に突き刺さる。
灼熱の空気が肺を焼く。
だが、それすらも構わずに。
「ふんっ!」
兵士が赫刃を振り下ろす。
――ジュッ
動きは見えていた。
だからこそ、余裕をもって回避したはずだった。
にも関わらず。
「……なるほど。触れずとも灼けるか」
黒衣の男はすぐさま距離を取り、灼けた袖を見つめる。
「逃がさんよ」
兵士が再び距離を詰め、赫刃を振るう。
躱す。振るう。幾度も繰り返し。
そして。
「――もう十分だ」
「はっ――」
男が瞬時に背後を取る。
兵士が慌てて剣を振るうが、間に合わない。
超至近距離から放たれた寸勁が兵士の身体を叩き伏せた。
「いかに剣が強かろうが所詮剣は剣。普通の剣と戦うのと誤差の範囲内だな」
「――このままだったらな」
ふっ。と兵士が笑みを見せた途端。
兵士の足元から炎が燃え上がる。
瞬く間に炎は燃え広がり――
炎の領地が出来上がった。
「ようこそ。我が処刑場へ」
直径おおよそ80メートル。
それはまるで――
「――土俵だな……」
「ドヒョウ? くっくっくっ。それが何かは知らんが貴様はもう死ぬしかないんだよ! この技が完成した時点でな!」
「……確かに熱気で息がしにくいが……で?」
男は兵士の顔めがけ右足で蹴り込んだ。
「この程度の攻撃! 躱すまでも無し!」
確かに当たっている。
蹴り込んだ感触もしっかりと。
だが、ダメージが一切感じられない。
「顔面への蹴りを耐えるか……タフネス……なんてもんじゃぁないな」
「はっはっはっ! この領域内でなら――俺は最強だ!」
高笑いしながら雑に振られた剣が、地を大きく抉る。
「なるほどな……どいう手品か知らんが身体能力が著しく向上しているといったところか……」
「分かったところでどうしようもなかろう!」
圧倒的速度の剣撃。
常人には分身して見えるであろう速度のそれを、男は完全に見切り躱しきる。
それどころか、打撃を合間合間にねじ込み、兵士に叩きつけていた。
「効かぬ効かぬ効かぬぅ!」
男の攻撃を真正面から受け潰し、兵士は剣を振り続ける。
「タフならタフでやりようはいくらでもある――」
次の瞬間。
兵士の動きが完全に止まる。
「――ガッ……コッ……ヒュー、ヒュー」
否。動けない。
両の腕を完全に拘束され。
挙句。首を完全に締め上げられて。
「いくら力が強かろうがこれは抜けれまい……組技とは力で返せるようなものではないのでな」
抵抗しようと足を動かしてみるも、立ち位置をコントロールされ抜け出せない。どころか。
「下手に動くと苦しむことになるぞ」
関節が。
首が。
より深く締め上げられていく。
それでも兵士は力を振り絞り抵抗する。
「死舞い……だな」
――ボキィッ
辺りを覆っていた炎が消失し、兵士は男の腕の中で力果てた。
「さて……」
男は100メートルほど先、小さく見える少女のもとへ歩み寄る。
「……よかったな。相手が炎をばらまくやつで」
「……えぇ。おかげさまですっかり乾いちゃいましたね」
川に流されたばかりとは思えないほど乾いた少女へ、男は問いかける。
「それでだ小娘。ここはどこだ?」
引き上げた直後の質問をもう一度。
「ここは……ゴッディス王国。その名の通りゴッディス王が統治する国家ですが……本当に知らないんですか?」
「知らん。タイやサウジアラビアの方は王政だった気もするが……少なくともゴッディスなどという王国は聞いたことない」
「そこそこ大きな力を持つ国なんですが……それに、タイ? サウジアラビア? どこですか、それ」
「お前こそ知らんのか?」
男は軽く眉をひそめる。少女の様子を見る限り、冗談やとぼけているのではなく、本当に知らないのだろう。
「まあ、それは後でいい。それより――」
「それより?」
「さっきのあの男が使っていた炎を操る技は何だ。お前、何か知っていそうだったな。教えろ」
「教えるも何も、戦闘用の魔術じゃないですか……」
「魔術……だと? 空想上の物じゃないのか?」
男の言葉に、少女は大きくため息をついた。
「……何を言ってるんですか。魔力を使って魔術を出す。こーんな小さな子供だって理解できますよ」
と。大袈裟に親指と人差し指で小ささのジェスチャーをしながら。
「そんなに一般的なものか」
少し不思議そうには見えるものの、その顔は真剣そのもの。
少女は認めた。
こんな一般的なことを、目の前の男は本当に知らないのだと。
「……あなた、本当にどこから来たんですか?」
男はは腕を組み、考え込んだ。
魔術を使うなど実際に見たこともない。だが、この少女は当然のようにそれを語り、周囲の兵士たちも実際に「炎を操る技」を使っていた。
そして、一つの結論にたどり着く。
「……俺の知る世界に魔術は存在しなかった」
「え?」
「お前が知らんと言ったタイやサウジアラビアが俺の知る国であるように、俺が知らん魔術や魔力はお前にとっては当たり前……だとすれば――」
少女ははっと息をのんだ。
「まさか……違う世界?」
「そういうことだろうな」
男は静かに周囲を見渡す。
異なる文化、異なる技術、異なる理……すべてが自分の知るものとは違っているであろうこの世界。
だが、それがどうした。
むしろ――面白い。
「……わかりました。あなたの仮説を信じましょう。だとして、これからどうするんですか? 行く当ては?」
「ない。が、問題ない。どういう奇跡か若い体を得て、魔術とかいう技のある世界に来たのだ。強者を探して旅でもするさ」
男が歩き出そうと、一歩踏み出したその時。
「待ってください!」
少女が手を伸ばし、彼を引き留めた。
「お願いがあります。護衛として、私と一緒に来てくれませんか!」
「断る」
一考の間も無く、男は即答する。
だが、少女は引かなかった。
「この世界の事。魔術の事。私なら教えられます! それに――」
「くどい。興味な――」
「私はこれからも襲われる。さっきの兵士の様な強者たちに」
その言葉に男の足が止まる。
『……おにい……ちゃん』
記憶の底に沈んでいた、誰かの声がよみがえる。
ぼろぼろに傷つき、血に染まり、震える小さな体が――
足を止めた男を見て少女の口角が上がる。予想通りだと言わんばかりに。
「戦うあなたを見て。今話をしてみてわかりました。あなたは戦うことが好きなんでしょう? なら私といればその相手に事欠くことは無いですよ?」
目の前の少女と重なる、その記憶を、男は頭を振って追い出す。
そして、少女に向き合い答える。
「……悪くない話だな」
「でしょう?」
少女は得意げにほほ笑む。
しばしの沈黙。
やがて、男は静かに息を吐いた。
「いいだろう。付き合ってやる」
少女はにっこりと笑顔を零す。
「ありがとうございます……えーっと。そういえば自己紹介がまだでした。私はリャンメイといいます。あなたは?」
「……ない」
「え?」
「名前は無い。生まれた時からスラムでな。親の顔も知らん。生きるために戦いを覚えたような人生だ。名前なんぞあったためしがない」
「でも、何かしら呼ばれていた名はあったでしょう? 通り名でも何でも」
その言葉に少し悩み。
「それこそ日本では鬼、悪魔とか……アフリカの方ではハワシュ。中国なんかだと厭味ったらしく武神なんて呼ばれてはいたが……」
「ウー・シェン! 良いじゃないですか。呼びやすいし。今日からウー・シェンがあなたの名前ってことで」
にっこりと笑うその顔に他意は無く。
「……まぁそれもいいか。好きに呼べ」
「はい! シェンさん」
「それと言っておく。お前に付き合うといったが、あくまでも俺は俺の為に戦う。お前を守るためじゃない」
シェンはそう言い鋭い目を向けるも、リャンメイは肩をすくめる。
「もちろんそれで十分です。私は私で生き延びますので」
登り始めた朝日に照らされながら、こうして二人の旅が始まった。
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