第十七話 別れ
リャンメイとルイスが奥の部屋へと消え、シェンは一人で静かに宿へ戻った。
昼下がりの通りは人通りも少なくない。
変わらずギラついた目をいくつも感じるが、シェンに危害を加えるものはいなかった。
宿に入ると、カウンターにはミアが座っていた。
書類に何かを記入していた手を止め、彼女は顔を上げる。
「おかえり。どうだった?」
「ああ。例の魔術研究者──ルイスとかいうやつに、食料を持ってこいと頼まれた」
そう伝えると、ミアはほんの少し目を見開き、それからふっと表情を緩めた。
「そっか。会えたんだね。よかったよ」
微笑みと共に立ち上がり、鍵束を手にするミア。
「地下の食糧庫にいろいろあるよ。ついてきな」
裏口の小さな扉を開けながら、ミアは棚から小ぶりなランタン型の魔道具を取り出し、スイッチを入れる様な仕草をし、シェンに手渡した。
「これ。周りを照らすための魔道具ね。地下は昼間でも真っ暗だから」
受け取ったランタンは、ほんのりと光を放ち、静かに明滅していた。
シェンはしばらくそれを見つめてから、素直に疑問を口にする。
「魔道具……とは?」
「え、まさか魔道具も知らずに生きてきたの?」
ミアが眉を跳ね上げる。
驚きの色を隠そうともしない。
「事情があってな」
短くそう返すと、ミアは納得したように肩をすくめる。
「魔道具ってのは、魔力を動力源にした道具の総称だよ。魔術とは違って、使い方さえわかれば誰でも使えるのが便利なところかな」
「魔力を込めるのか?
「あぁ、自分で魔力を注ぐタイプもあるけど、このランタンは“魔石”って呼ばれる魔力を蓄えた石が動力源になってるから、自分で魔力を込める必要はないの。こうして光ってるのも、その魔石のおかげ」
ミアは手のひらでランタンの側面を軽く叩いて見せた。
「ただし、熱いから取っ手以外は触らないようにね。怪我が増えるよ」
注意を聞きながら、シェンはそっと手をかざす。
ふわりとした温もりが指先に届く。
まるで小さな焚き火のような、心地よい熱だった。
「……暖かいな」
「でしょ? それで下りるには十分。さ、足元に気をつけて」
ミアが先に立ち、シェンはランタンを手に後を追った。
昼の明るさが遠ざかる中、ランタンの柔らかな灯だけが、静かに二人の足元を照らしていた。
そして、シェンはありったけの食料を持ち、宿を後にする。
前もろくに見えないほどの大量の食料を軽々と、二人の待つ屋敷へ。
「戻った」
ぶっきらぼうにも聞こえる口調で部屋に入るも、返事はない。
食料をおろし、先程ルイスが消えて行った扉に手をかける。
軋む音とともに開けると、そこにはシェンにとって異質な空間が広がっていた。
書棚は天井まで届き、ガラス瓶に詰められた得体の知れない液体や石が鎮座。
壁には魔術陣の描かれた布が吊るされ、机の上には開きっぱなしの本に、積まれた本。
鼻を突くのは、乾いた紙と古い薬草の匂い。
まさに研究所といった趣きだった。
そんな研究所の奥──
「なるほど……だったらここは土の属性かもですね」
「確かに、土の属性は他の属性から干渉されやすい。紋が乱れるのも理解できる。だが、にしては乱れすぎにも見える。全く別の属性と仮定しても良いかもしれないな」
先程の紋を写し取った感魔紙を広げた机の上で、リャンメイとルイスが身を乗り出して議論していた。
二人の横には、分厚い魔術書が何冊も開かれ、そこかしこに書き込みがびっしりと残っている。
リャンメイは髪をひとつにまとめており、耳元にかかる汗をぬぐいもせず、夢中になってページをめくっていた。
「戻ったぞ」
シェンがかけた声に、リャンメイが気がつく。
「シェンさん! ありがとうございます!」
シェンの元に駆け寄ってきたリャンメイの顔は紅潮しており、熱中していたのがはっきりと伝わる。
「やっぱり色々判明するのには時間がかかりそうです……」
そう言い、悲しげな表情を浮かべる。
「だろうな」
「だから――今まで、ここまでありがとうございました」
リャンメイは深々と頭を下げた。
「私の旅はもう終わりです……ここで何もわからなければ……もう、無理でしょう」
今、ここにいるのは死と生と魔術の専門家。
リャンメイの目的を達成するのにこれ以上の適任はいないだろう。
それを、リャンメイ自身、強く実感していた。故の言葉だった。
「ここまで来るのも、シェンさんの力無くしては無理だったでしょう。本当に感謝しています」
顔を上げ、顕になった瞳には涙が浮かんでいた。
「そうか。世話になったな」
小さく呟き、シェンは踵を返す。
「私のわがままでここまで着いてきてもらい、最後にはお礼もろくにできず……でも! 私のわがままでこれ以上シェンさんを引き留めて置けません。ここにいれば……いつまでも戦うことが出来ないから」
カンダータ。
それは荒くれ者の街。
正確に言えば国ではなく、ギルドもなければ、政治的施設もない、スラムの街。
ゴッディスの権威も効かない。
そんな場所だから。
よっぽどのことが無ければこの場所が割れることはないだろう。
それは、リャンメイがゴッディスに狙われない、つまり、シェンは戦えない。
と言うこと。
それを言葉にして、押さえておきたい気持ちを涙にして、リャンメイは言葉を紡いだ。
その言葉を背に受け、シェンは何も言わず、扉の外へ消えて行った。




