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第十六話 旅の理由

 リャンメイは静かに唇を開いた。

「……まず、私の父は――ゴッディス王国魔術研究室の研究員でした」

 ゆっくりと、過去を掘り起こすように言葉を紡いでいく。

 その声には震えが混じりながらも。

「とても優しい人でした。魔術の基礎や理論、応用的な考え方まで、色々なことを私に教えてくれて……。きっと、父がいたから私は魔術に興味を持ったんだと思います」

 懐かしむように目を細めるその横顔を、ルイスもシェンも静かに見つめていた。二人とも口を挟まず、彼女の言葉に耳を傾けている。

「けれど――ある時から、父は……変わってしまったんです」

 リャンメイの表情が陰る。

「私たちのことも、家のことも、もう見ようとしなかった。まるで……狂ったように、研究だけに没頭するようになってしまったんです」

 そこまで語ったところで、ルイスが静かに問いかける。

「“ある時”とは?」

 その問いに、リャンメイは目を伏せ、わずかに唇を噛んだ。

 喉が詰まるように一瞬、言葉をため。

「……母が、亡くなったんです」

 短く、それだけを告げた。

 ルイスの眉がわずかに動き、彼女は低く呟く。

「……そうか。すまなかった。続けてくれ」

 リャンメイはうなずくと、静かに話を続けた。

「母の死を境に、父は本当に別人のようになってしまいました。家にはもう戻ってこなくなって、ずっと――国から与えられた研究室にこもりきり。まるで何かに取り憑かれたみたいに、ひたすら魔術の研究を続けていた」

 彼女は両手を膝の上でぎゅっと握りしめる。爪が手のひらに食い込むほどに。

「……私は、怖かった。研究のことばかり考えている、変わってしまった父が。遂には家にも帰ってこなくなり、私は妹と二人で暮らしていました。父のいない家で、二人で支え合いながら、なんとか生きていたんです」

 そこには、ささやかながらも温かな日々があったのだろう。

 一瞬。リャンメイの顔に明るさが戻った。

「その生活は……五年くらい続いたでしょうか。でも、ある日――突然、父から呼び出されたんです」

 その時のことを思い出したのか、リャンメイの眉がわずかにひそめられた。

「正直、怖かった。けれど……それでも、どこかで期待していたんです。もしかしたら、研究がうまくいって、ようやく父が元に戻ってくれるかもしれないって。母はいないけれど、三人でまた……家族として、やり直せるかもしれないって」

 声がかすかに震える。

「……だから、妹と一緒に行きました。父の研究室に――」

 リャンメイの声が震えた。

 ルイスの握られた手が、わずかに膝上で強くなる。

「……そこには、母の遺体がありました」

 ルイスが小さく息を呑むのが聞こえた。

 シェンもまた、表情をわずかに険しくする。

「父は……『これで、あいつが戻ってくる』そう言ったんです。そして……妹を、母の遺体の隣に無理やり拘束しました……」

 喉の奥で何かが詰まったように、言葉が止まる。

 ルイスは口を挟まず、ただ彼女の言葉に耳を傾ける。

 しばしの沈黙ののち、リャンメイは絞り出すように言葉を続けた。

「私、必死で止めようとしました。でも、父は聞かなかった。狂っていました……もはや私たちの知っている父じゃなかった」

 肩が震える。

 リャンメイの瞳には涙が滲む。

「父は、大量の砕かれた魔石をすべて魔力に変えて。信じられない量の魔力を魔術陣に流し込みました……母と妹が寝かされている寝台の上に輝く魔術陣に」

 魔力の奔流。渦巻く狂気。

 その光景が、彼女の記憶の底から再び浮かび上がる。

「それからのことは、覚えていません。気づいたときには、私は研究室に一人きりで倒れていました。父も、母も、妹も――誰の姿もなかったんです」

 語りながら、彼女の手は徐々に冷えていくようだった。

「研究室の半分は爆発で崩れていました。魔術は……失敗したのかもしれない。でも、確かめようがない。そこにいたのは、私一人」

 その時の絶望が、言葉の端々に滲んでいる。

「すぐに兵が駆けつけて、私は拘束されました。“悪魔の子”と罵られながら」

 リャンメイの握られた拳に力が入る。

 無力な自分へか。悔しさか。

「もしかしたら、私が研究室を爆破したと疑われていたのかもしれません。けれど私は何も知らない。ただ、呼ばれていっただけなのに」

 言葉を重ねるたびに、その声は少女ではなく、傷を抱えた一人の“生き残り”になっていく。

「今でも後悔しています。私が父にわずかでも希望を抱いたばかりに……妹を……失った。唯一の家族すらも」

 しばし、誰も何も言わなかった。

 ルイスは目を閉じ、何かを噛み締めるように表情を曇らせる。シェンは沈黙のまま、ただリャンメイを見ていた。

 そして――。

「私に考えられるのは、父が使ったあの魔術……死者蘇生の儀式。それしかないんです。あれの原理がわかれば……妹がどうなったのか、母の遺体がどうなったのか、それだけでも知ることができるかもしれない」

 リャンメイの瞳が、まっすぐにルイスを見た。

「だから私は、兵の目を盗んで逃げました。そして、死者蘇生に関わる書物を……研究を探して。ルイスさん、あなたのお名前を見つけたんです」

 それは、長く重たい過去を――初めて言葉にした瞬間だった。

「……ふむ。なるほど、大変だったんだね」

 ルイスは静かに呟く。

 感情を抑えた声色が、かえって彼女の内にある動揺を物語っていた。

「すみません、シェンさん。今まで……黙っていて。嘘をついていて……」

 おずおずと向けられた視線に、シェンは眉をひそめる。

「嘘?」

「はい……わたしはこんな経緯で逃げ出しました。だから、本当は思ってたんです。研究室を爆破した疑いくらいで国外まで酷く追われるなんて無いだろう。国外に逃げ出せば安全だろうって……強者から襲われるなんて、嘘だったんです」

 言葉を選びながらも、リャンメイは自分の内に渦巻いていたわだかまりを吐き出していく。

「だが、事実として――お前は今も狙われている。団長とかいう男からも、な」

 シェンが低く呟くと、ルイスがふいに目を細めた。

「団長? ゴッディスで“団長”の肩書き……まさか、護神兵団団長のアトラスか?」

「あ、はい。確かにその名前を名乗っていました」

 リャンメイの返答に、ルイスは深く考え込むように唸った。

「……こう言っては何だが……そんな大物が動く話か? それに“悪魔の子”か……君の知らないところで、何か大きなものが動いているのかもしれんな」

 不穏な空気が、静かに部屋を満たしていく。だがルイスはその空気を断ち切るように、目を開いて言った。

「――さて。君の質問に答えよう。死者蘇生についてだ。私は確かに“冥界”や“霊界”といった、いわゆる“あの世”に関する研究を行ってきた。いくつか論文も発表している」

 そこまでは淡々としていたが――。

「だが結論から言えば、死者蘇生は不可能だ。少なくとも、現代魔術の体系では到底実現できるものじゃない。君の父君がどんな魔術を使ったのかはわからないが……何の手がかりもなければ、辿り着ける可能性は限りなく低いだろう」

 ルイスは申し訳なさそうに、静かに首を振った。

 その言葉に、リャンメイの瞳が揺れる。

 だが――次の瞬間、彼女は椅子から立ち上がると、ためらいなく服の上衣を剥ぎ取った。

「リャンメイ……!?」

 シェンが目を見開く中、リャンメイは手にした布で胸元を押さえながら、背をルイスに向けた。

 その肌に刻まれていたのは、禍々しいほど鮮烈で痛々しい紋様。

「これは……!?」

 ルイスが息を呑む。

「魔力紋です。大量かつ高濃度の魔力が、外部から無理やり流し込まれると……身体に焼き付くように現れるものです」

 その言葉は凛としていた。

「目が覚めたあと、ガラスに映った自分の背中を見て、魔力紋があることに気づきました」

 ルイスは立ち上がり、まるで磁力に引き寄せられるようにその紋様へと歩み寄った。

 返事もなく、目を細めてそれを凝視する。

「……なるほど。これは……非常に……興味深い」

 声が震える。

 歓喜と驚愕が一緒になった、研究者特有の興奮。

「よし。すぐに解析に入ろう。これは、私の研究人生でも類を見ない資料だ。……不謹慎かもしれないが、少しワクワクしているよ」

 申し訳なさそうに笑みを浮かべながらも、ルイスの瞳には明確な熱が宿っていた。

「少し待っていたまえ」

 そう言い残し、ルイスは意気揚々と奥の扉の向こうへと消えていった。

 その場に残されたのは、静寂と、やや気まずい空気。

 リャンメイはじっと俯いていたが、堪えきれず口を開く。

「……すみませんでした。ずっと、嘘をついていて」

 素直な謝罪に、シェンは腕を組んだまま、少しだけ目を細めた。

「さっきも言っただろ。結局、お前は襲われてる。結果として、俺は戦えている。それで文句を言う気はない」

「シェンさん……ありがとうございます」

 微かに笑みを浮かべるリャンメイ。

 そのとき――。

 ――バンッ!

 爆音のような扉の音と共に、ルイスが勢いよく戻ってきた。

 手には、大きく巻かれた白い紙のようなものを抱えている。

「待たせたな!」

「ルイスさん、それは……?」

「ああ、これは《感魔紙》だよ」

「感魔紙……?」

 聞きなれない単語に、リャンメイが小首をかしげる。

「名前の通り、魔力に感応して色が変わる特殊な紙だ。君の背中の魔力紋を写し取るために使う。慎重にいこう」

 ルイスは手早く手袋をはめながら説明を続ける。

「この紙、魔力にとても敏感なんだ。だから触れるときは魔力を遮断する特殊な手袋を使う。保護紙を剥がしたあとは、絶対に素手で触らないように」

「はい、わかりました」

「それと、リャンメイ君。君自身の魔力もできるだけ抑えてくれ。外に漏れないように……できるね?」

 リャンメイは真剣な面持ちでコクリと頷いた。

「では始めよう」

 ルイスは慎重に保護紙を剥がし、透けるように薄い感魔紙をリャンメイの背へと貼り付けた。

 紙と肌がしっかり密着するよう、優しく上からなでる。

 すると、感魔紙にうっすらと紋様が浮かび上がり始めた。

「……いい感じだ。もう少し、がんばってくれたまえ」

 リャンメイは返事をせず、集中したまま呼吸を整えている。

 やがて、素人の目にもはっきりと紋様が浮かび上がったところで、ルイスは紙をゆっくりと剥がし取った。

 そしてそれを元の保護紙で丁寧に挟み込み、慎重に封じ込める。

「……ふう。お疲れ様。とりあえず、写し取りはこれで完了だ」

 ルイスの言葉に、リャンメイもようやく肩の力を抜き、ほっと息を吐いた。

 服を整えながら、写し取られた魔力紋をじっと見つめる。

「……こんなふうになってたんですね」

「ああ。ざっと見ただけでもいくつか気になる点がある。まずここ」

 ルイスは紙の一部を指さした。

「この部分は紋が単純で、他よりも構造が明らかに簡素だ。そしてこちら」

 今度は別の箇所を指し示す。

「ここは逆に、異様に複雑な紋が刻まれている。これは、流れた魔力の性質が一種類ではなかったことを示している」

「魔力の性質が……一種類じゃない?」

「その通り。たとえば火の魔術が暴発して魔力紋ができたとすれば、火属性の魔力が均一に流れて、一様な紋様になる。しかし、君のこれは違う。複数の性質が交じっている痕跡がある」

「じゃあ、この紋様がどんな性質だったかが分かれば……?」

「そう。魔術の性質くらいはおおよその見当がつくだろう。あとは、君の身体をもう少し詳しく見せてもらう必要がある」

「……わかりました」

 リャンメイは少し顔を赤らめながらも、はっきりと答えた。

「さて、私はこれからこの紋を解析してみる。できれば明日にでもまた来て――と言いたいところだが、今すぐ人手が欲しい。リャンメイ君、君にはここで手伝ってもらう」

 リャンメイが頷いたところで、ルイスはふとシェンの方へ顔を向けた。

「それと、シェン君だったね? 君は魔術に明るいかい?」

「いや、まったくわからん」

「ふふっ、やっぱりか。なら、悪いが食料の買い出しを頼めるかな? ちょうど備蓄が尽きかけていてね。我々が研究にかかりっきりになれば足りもどうもしないんだ」

「ああ、わかった。行ってくる」

「ありがとう。助かるよ」

「お、おねがいします、シェンさん!」

 そう言ってリャンメイがペコリと頭を下げる。

 二人が見送るなか、シェンは部屋を出ていった。

 一方、ルイスとリャンメイは再び奥の扉の向こう――魔術の解析という名の深淵へと足を踏み入れる。

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