第十五話 研究者
翌朝。
窓の隙間から差し込む陽光が、静かに室内を照らしていた。
まぶたを開いたシェンは、ぼんやりと天井を見上げる。
「……久々だな。こんなにぐっすり眠れたのは」
ゆっくりと身を起こし、寝台から足を下ろそうとしたとき――ふと、脇に置かれた小さな薬瓶が目に入った。
それを手に取りしばらく眺めた後、ふっと口元をほころばせ、中身を傷口に塗り付けた。
そうして軽く息を吐き、扉に手をかけて廊下へ出る。
右手には階段。
その下からは、何やらにぎやかな笑い声と話し声が混ざり合い、楽しげな空気を運んできていた。
導かれるように足を踏み出し、階段を降りていく。
視界が広がると同時に、その声の主が現れた。
「あっ、シェンさん! 起きたんですね! 身体、大丈夫ですか?」
リャンメイがぱっと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
その腕には、ふにゃりと眠たげな表情を浮かべた赤ん坊が抱かれていた。
「……なんだ。その赤ん坊は」
シェンが眉をひそめて尋ねると、リャンメイは慌てて説明を始める。
「あ、えっと……この子たちは、宿の裏にある孤児院の子供たちなんですって。朝ごはんの時間だから、みんなここに来てるみたいで……」
その言葉通り、食堂には様々な年齢の子どもたちがわちゃわちゃと走り回っていた。
椅子を押しのけ、テーブルをくぐり、笑いながら追いかけっこをしている。
「こらあッ! あんたたち、さっさと座って食べな! 怪我人の兄ちゃんが立ってるでしょ!」
背後からどすんと現れたのは、エプロン姿のミアだった。
右手で器用に皿を抱えたまま怒鳴ると、子どもたちは一斉に「はーい」と返事をして席へと戻っていく。
「すまないね。どうもこの子たちは元気すぎてさ」
困ったように肩をすくめるミアの顔は、しかし柔らかな笑みを浮かべていた。
まるで実の子供を見るかのように優しい目で。
「……いや。異物はこっちだ。気にするな」
シェンはそう短く答える。
「さ、あんたたちも食べな。特に怪我人はしっかり食べて、さっさと治すこった」
ミアに促されて、シェンとリャンメイは空いていた椅子に腰を下ろす。
湯気の立つスープと香ばしいパン、そして小さな果物。素朴ながら、どこか心がほっとするような朝食だった。
「で――あんたたちはこのあと、どうするつもりなんだい?」
パンを配り終えたミアが、ふと二人に問いかけた。
「この後は……フォルツァランドという国に向かう予定です。ある魔術の研究者に、お会いしたくて」
リャンメイの言葉に、ミアが「ふーん」と少し首を傾げ。
「魔術の研究者……研究者……ああ、そういえば!」
思い出したように声を上げた。
「この国にも一人いるよ。フォルツァランドから来たって噂の、魔術研究者がさ」
「本当ですか!?」
その言葉に、リャンメイが勢いよく身を乗り出す。
ようやく見えた手がかりに、希望が顔を照らしていた。
「あぁ。今じゃ研究者ってより、魔道具の修理屋って感じだけどね。うちのランプも一度直してもらったことあるよ、ほら、ここの」
そう言ってミアは、店の片隅にあるランタンを指差す。
「その人、どこにいらっしゃるんですか?」
「昨日行った薬屋、覚えてる? あの道をまっすぐ行った突き当りにあるちょっと古びた屋敷に住んでたはずさ。気になるなら、行ってごらん」
「はい……ありがとうございますっ!」
リャンメイの声は明るく、瞳は希望にきらめいていた。
「あたしは今日ついていってあげられ無いけど、まぁあんたがいるなら大丈夫でしょ。なんかあったら守ってやりなよ」
ミアはシェンに向かってウインクを飛ばす。
「あぁ」
シェンはぶっきらぼうに答えた。
朝食後、二人は早速件の屋敷に向かう。
道中、ギラついた目が何度か二人に向けられるが、その度にシェンが人睨みで追い返した。
「ここですね」
蔦が這う古びた壁に、静けさと年月が染みついている。人の気配はまるでない。
リャンメイは小さく息を吐き、扉の前に立って数度ノックをした。
しかし、中から応答はない。まるで空き家のように、しんと静まり返っている。
「……これだけ広いと、ノックじゃ聞こえないですよね」
呟いた彼女は、気を取り直して大きく息を吸い込み——
「すみませーん! どなたかいらっしゃいませんかー!」
玄関先に通るよう、思い切り声を張り上げる。
が——やはり返事はない。
「……いない、みたいですね……」
しょんぼり肩を落とすリャンメイの隣で、シェンが無言で扉に手をかける。
「シェンさん!? ダメですよ、勝手に入っちゃ……って、鍵もかかってるはずですし……」
しかし。
――ギギギギィ……
きしむ音と共に、重たい扉が、ゆっくりと開いた。
「行くぞ」
ためらいもなく、シェンは屋敷の中へと足を踏み入れる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいってば!」
慌ててリャンメイも後を追い、屋敷の中へ。
そこは、朝だというのに薄暗く、窓からのわずかな光だけが差し込んでいた。
灯りはひとつもなく、空気は冷たく、天井の隅には蜘蛛の巣がかかっている。
床の隅にはうっすらと埃がたまり、どうにも人の気配がない。
「……ほんとに、誰か住んでるんですかね?」
不安げに辺りを見渡しながら、リャンメイはシェンの背にくっつくように歩く。
やがて、玄関から少し進んだ先。
二階へと続く、広々としたエントランスホールに辿り着いたそのとき——
「――人の家に、勝手に上がり込むのは感心しないね」
透き通るような声が、静まり返った屋敷に響いた。
二人が顔を上げて声の方を見れば、そこには――階段の中ほど、踊り場に一人の少女が立っていた。
金糸のように輝く長い髪を、きれいに三つ編みにして一つにまとめた少女。小柄で細身、そのシルエットはリャンメイよりもさらに幼く見える。
「す、す、すみませんでしたっ!」
リャンメイが慌てて頭を下げると、少女はくすっと微笑んだ。
「ふふっ、冗談だよ。鍵もかけてなかったしね。うちは誰でも歓迎さ」
そう言いながら手招きをする。
「用があって来たんだろ? 上で話を聞こうじゃないか」
軽やかに身を翻すと、少女は階段を上っていく。リャンメイとシェンも、それに続いた。
案内されたのは、椅子がいくつか置かれているだけの簡素な部屋。装飾もなく、まるで客を招くことなど想定していないような空間だ。
「さ、かけたまえ」
少女は椅子にふんぞり返るように座り、当然のように二人に座るよう促してきた。
リャンメイとシェンは顔を見合わせつつも、勧められるままに腰を下ろす。
「で? 君たちは? ここに来た目的は?」
少女の視線が鋭く二人を射抜く。その空気に気圧されつつも、リャンメイはしっかりと前を向き、言葉を発した。
「私はリャンメイ。彼は護衛をお願いしてます。シェンさんです……私たちは魔術研究者、ルイス・アーゼンティアさんを探しています。その方に、お話したいことがあって」
真剣な眼差しでそう答えたリャンメイに対し、少女は――
「はーっはっはっ!」
突然、大口を開けて笑い出した。
「なるほどなるほど! 顔も知らない相手を、わざわざ探してここまで来たってわけだ。いや、その無鉄砲さ、嫌いじゃないよ。むしろ好感が持てるね」
なぜ笑われているのか分からず、リャンメイはポカンとした表情を浮かべるしかなかった。
「君たちの運がいいのか、それともこれが運命なのか……まあ、どっちでもいい。重要なのは結果だ」
そして、少女は胸を張って堂々と宣言する。
「何を隠そう、私がそのルイス・アーゼンティアだよ。以後、お見知りおきを」
にっこりと笑うその姿に、リャンメイは固まった。そして――
「えええええええーーーーーーっ!?!?」
叫ばずにはいられなかった。
「だ、だって! 私が読んだ論文は、十年以上も前のものですよ!? それなのに、あなた……どう見ても、十歳くらいにしか……!」
想像していた“研究者”のイメージと、目の前の少女の姿があまりにも違いすぎたのだ。
「まあ、驚くのも無理はないさ。けど、それでも私はルイス・アーゼンティア本人だ。嘘は言ってないよ」
そう言って微笑む少女――ルイスの瞳は、冗談めいた態度とは裏腹に、鋭い光を湛えていた。
「それで? 君は私に、何を望むのかな?」
柔らかくも鋭さを秘めた声で、ルイスがリャンメイをじっと見つめる。
その視線に射抜かれるような感覚に、リャンメイは思わず背筋を正し、座り直した。
「……死者を生き返らせる方法を、教えてください」
静かに、しかし確かな決意を込めて言う。
「――死者を?」
ルイスが眉をわずかに上げる。その一言に、部屋の空気がピンと張り詰めた。
リャンメイは唇をぎゅっと噛みしめると、意を決したように隣の青年へ視線を向けた。
「シェンさん……今まで、ちゃんと話せていなくて……ごめんなさい」
その声は震えていたが、確かに覚悟が宿っていた。
「こんな話をしたら、きっと……シェンさんは旅に付いてきてくれなくなるかもしれないって……ずっと、怖かった。でも、もう……隠せません」
瞳を伏せるようにして、リャンメイは深く息を吸い込む。
「ここで全部話します。私が旅をしている、本当の理由を」
その瞳に宿る決意を見て、シェンは黙ってうなずいた。
「……そうか。なら、聞かせてもらおう」
ルイスも興味深そうに身を乗り出す。
「なぜ君は、“死者を生き返らせる”方法を、私に尋ねるのか――」
その問いかけに、リャンメイは小さくうなずき、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。




