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第十四話 カンダータ

 見覚えのない木の天井。

 硬い寝台の感触と、かすかに鼻をつく獣革の匂い。

 覚えの無い感覚に包まれ、シェンはゆっくりと身体を起こす。

「……ここは」

 口に出した言葉が、自分でもかすれているのがわかった。

 体を起こそうとすると、全身の筋肉がぎしぎしと悲鳴を上げる。

「シェンさん! 目が覚めましたか!」

 その声に振り返れば、椅子に座っていたリャンメイが、ぱっと顔を輝かせて飛び寄ってきた。

 その目には、ほんのわずかに涙の光が浮かんでいる。

「ここ、カンダータの……えっと、宿屋です。あのあと、シェンさんが倒れちゃって、私じゃ運べなくて……」

 リャンメイは少しだけ視線を伏せながらも、必死に言葉を続けた。

「でも、ちょうど通りかかった馬車の商人さんが助けてくれたんです。お礼もろくに言えなかったけど……ホント、運が良かった……」

 シェンはしばし無言で、彼女を見つめる。

 その服は所々に土がつき、髪も少し乱れている。必死だったのだと、言葉にせずとも伝わってきた。

 と、そのとき。

「ようやく目が覚めたかい。まったく、女の子ひとりで、男を運び込んできたときは何事かと思ったよ」

 低く落ち着いた声と共に、扉の向こうから現れたのは、年は四十代前半くらい、日焼けした肌に逞しい右腕を持つ女だった。

 しかし、その左側に腕はない。

 よく見ると顔に幾つかの傷。

 腰には細身の剣が提げられ、エプロンの上からでも隠しきれない、歴戦の気配をまとっている。

「私はミラ。ここの女将さ。カンダータの中ではよそ者に優しい方だよ。特に、あんたみたいにぼろぼろな奴にはね」

 彼女はにっと笑い、部屋の隅にあった水差しとカップを持ってきた。

「はい、お水。飲めるでしょ? 無理なら嬢ちゃんに手伝ってもらいな」

 からかうような口ぶりではあったが、その声には芯があり、どこか安心できる強さがあった。

 リャンメイもそっとほほ笑んでいる。

「ここは安全だよ。あんたが体を休めるには、十分すぎるくらいにな」

 ミラはそう言って、肩をすくめた。

「しばらくは、ゆっくりしていきな。金の心配は、元気になってからでいいさ」

「……助かる」

 カップを受け取りながら、シェンは小さく呟いた。

 乾いた喉を潤すように、水をゆっくりと喉に流し込む。

 少しだが身体が癒される感覚があった。

 カップを手元の小さな台に戻すと、彼はゆっくりと身体を動かす。

 そして――

 ギシ、とわずかに軋む音と共に、足を床に下ろす。

「ちょ、ちょっと! シェンさん!? まだ動いちゃダメですよ!」

 リャンメイが慌てて駆け寄り、腕を取った。

 驚くほどの力ではなかったが、シェンの足が止まるには十分だった。

「身体、まだ回復してないのに。私……ちゃんと見てました。立ち上がるとき、顔、ちょっとだけしかめたでしょ」

「……これくらいの怪我は慣れてる」

「そういう問題じゃないです!」

 リャンメイは頬をぷくっとふくらませながらも、彼を横になるよう誘導する。

 シェンも抵抗せず、なされるがままに身体を横たわらせる。

 そして、リャンメイは薬袋の中身を改めて見て、小さく眉をひそめた。

「……やっぱり、足りませんね。簡易的な薬はミラさんに借りましたけど、これだけじゃ不安です。ちょっと、薬屋さん行ってきます」

「おい、待て。お前一人で行くつもりか?」

 その問いに代わりに答えたのは、部屋の外から聞こえたもう一つの声だった。

「一人でってんなら、あたしも止めるよ。でも、あたしがついてってやるから安心しな」

 現れたのはミラだった。黒髪を一つに束ね、腰に剣を下げている。さきほどと同じエプロン姿だが、どこか戦士のような風格を漂わせていた。

「カンダータは、あたしのような顔役でもなきゃ、女の子が一人で歩くにはちと物騒すぎる。薬屋くらいなら、ついでに顔出しつつ案内してやるよ」

「ありがとうございます、ミラさん!」

 リャンメイが頭を下げると、ミラは笑って手を振った。

「礼は、帰ってきてからな。さ、行くよ嬢ちゃん。あんたはおとなしく寝てな、坊や」

 そう言い残し、ミラとリャンメイは連れ立って部屋を出ていった。

 街に出れば、途端に空気が荒んでいた。

 通りには武骨な男たちが歩き、物陰にはギラついた目がちらほらと覗いている。

 そんな中――

「お、ミラ姐さんじゃねえか! 久しぶりだな、こっち来て一杯どうよ!」

「姐さん、昨日の話、ほんと助かりました。あいつらすげぇ喜んでましたよ!」

「この前は助かったぜ! また近々土産でも持って顔出すぜ」

 ミラが歩くたび、あちこちから声がかかる。

 それは威圧でも、下心でもない。

 敬意と信頼がにじむ挨拶だった。

「はは、ありがとね。でも今日は仕事中。嬢ちゃんの買い物の付き添いなんだよ」

 そう言って軽く手を振るミラに、通りの男たちは道を開けた。

 リャンメイはその様子に、目を丸くするばかりだった。

「ミラさん……なんかすごく、みんなに慕われてるんですね」

「そりゃ昔っから色々と首突っ込んできたからね。特にスラムのガキどもを拾って育てたってだけで、敵も味方も増えたもんだよ」

「えっ、孤児院やってるんですか?」

「あぁ。あたしが引き取った子たち、今じゃ宿屋の手伝いや商人の手伝いしてんのもいるし、ちょっと名の売れた冒険者になったのもいる。ま、みんな可愛いあたしの子分さ」

 ミラはそう言って、軽く笑った。

 だが、その目はどこか優しく、まるで太陽のような温かさを宿していた。

 やがて、薬屋の看板が見えてくる。

「ほら、着いたよ。薬の目利きもしてやるから、遠慮なく言いな」

「はいっ!」

 リャンメイは元気よく返事をして店の扉を押し開けた。

 店内には、鼻をつくような強い匂いが充満していた。

 薬草や獣の油、なにかの干物の香りが入り混じって、まさに「薬屋」といった雰囲気を形作っている。

 棚にはガラス瓶がずらりと並び、中には乾燥させた草花や、怪しげな液体、果ては虫や爬虫類の干物まで。

 見慣れないものばかりで、リャンメイは目を丸くして辺りを見回した。

「薬屋ー、いるか?」

 ミアがカウンター越しに、店の奥へと声をかける。

「はいはい……って、ミア姐さんか。どうしたんだい? いつもの薬なら、つい三日前に届けたばかりじゃないか」

 ひょこりと現れたのは、細身で小柄な薬屋の店主だった。

 年は三十代前半といったところだが、目元には年季の入った疲れが滲んでいる。

「いや、すまんな。ちょっと怪我人がいてな。薬が足りなくなったんだ」

「はぁ……また面倒ごとでも引き受けたのかい? ほどほどにしときなよ。姐さんに何かあったら、この国の奴ら、きっと黙っちゃいないぜ?」

「はっはっはっ! 心配すんなって!」

 ミアは気軽に笑って見せるが、店主は渋い顔のまま、慣れた手つきで薬棚から瓶や袋を取り出していく。

「ったく……まぁいいけどね。えっと、必要なのは傷薬と化膿止め……他にいるもんは?」

「いや、それだけあれば十分だ。ありがとな。で、いくらだ?」

「なに。いつも世話になってんだ。これくらい負けてやるよ」

「お金ならあります! お支払いさせてください!」

 リャンメイが慌てて口を挟み、腰に下げた革袋から金貨を数枚取り出した。

 手のひらに光るそれは、ざっと五千イェン分。

「ん?」

 薬屋はようやく、そこで初めてリャンメイに気づいたかのように目を細めた。

「ああ、言ってなかったね。薬が必要なのはこの娘の連れのためさ。あんたのとこの薬なら信頼できるからね。連れてきたんだよ」

「ふーん……でもミア姐さんの連れから金を取るってのも、なんかねぇ……」

「いいから、黙って受け取っときな」

 ミアがひょいと顎をしゃくった。

「この娘も、何かしてやりたいんだよ。大切な人のためにね。そういう女の気持ち、無下にするんじゃないよ」

「……ったく、姐さんには敵わないな」

 薬屋はぼそりと呟き、リャンメイの差し出した金貨を静かに受け取った。

 リャンメイは顔を真っ赤に染めたまま、ぎゅっと口を結んでいた。

 ミアは何も言わず、そんな彼女の肩を軽く叩いて店を後にする。

 薬屋を出た頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。

 通りの隙間から覗く西の空は、濃い橙に染まり、建物の影を長く伸ばしている。街は昼の喧騒を少しずつ手放し、夜の帳を迎える準備を始めていた。

「さ、帰るよ。薬、落とすなよ」

「は、はい!」

 リャンメイは手提げ袋を大事そうに胸元に抱えながら、ミアの後に続いて歩き出す。

 夕暮れの空気は少し冷たく、どこか寂しさと安らぎが入り混じっていた。

 道行く人々の足取りも、次第に家路を急ぐものや夜を謳歌するものへと変わっていく。

 行商人は店をたたみ、代わりに酒を提供している店がランタンを灯す音がカシャカシャと街の端々に響いていた。

 そうして二人は、いつの間にか見慣れた建物の前にたどり着く。

 宿の扉を開ければ、ほんのりとした温もりが出迎えてくれた。

 薄暗い廊下を抜けて、静かに扉を開けると――

 室内には昼間よりもさらに静けさが漂っている。

 窓辺には淡い明かりが差し、薄布が静かに揺れていた。

 シェンは寝台の上で、穏やかな寝息を立てていた。

 胸の上下が一定のリズムを刻んでいる。

 それだけで、リャンメイの胸の奥に温かいものがじんわりと広がる。

「……よかった」

 小さく、誰にも聞こえないような声で呟いて、リャンメイはそっと枕元に薬の包みを置いた。

 傷薬と、化膿止め。それから、水差しとカップも一緒に。

 薬包の位置を直しながら、ふと彼の顔に視線を落とす。

 眠っている時のシェンは、どこか年相応に見えて――どこか、安心してしまう顔をしていた。

 あのとき、彼が助けてくれなければ、きっと自分はもう……。

 その事実が胸を締めつける。

「……私のせいで……私も、強くなります」

 リャンメイは、ほとんど口の動きだけで囁いた。

 そして立ち上がり、扉の前へ。

 ミシ、と床が小さく軋んだ音にシェンが微かに眉を動かした気がして、リャンメイは足を止めた。

 しかし、彼はそのまま静かな呼吸を続けている。

 安心したように小さく笑って、リャンメイは扉に手をかける。

 ぎぃ、と音を立てぬよう慎重に扉を引き、彼女は静かに部屋を後にした。

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