第十三話 カンダータへ2
――空が割れる。
前の人生で百年生きてなお見ることの無かった、この世の理を拒絶するかのような異質な光景。
「……さすがに嫌な予感がするな」
その言葉にリャンメイが震える声で返す。
「に、逃げますか……?」
「……大人しく逃がしてもらえるとは思えんな、それに――」
その顔に、かすかな笑みが浮かぶ。
「――間違いなく強い“何か”が居る」
その眼はまるで獲物を前にした猛獣の様に鋭く輝いていた。
そんな目を見て、リャンメイは息をのみ、拳を握る。
「……分かりました。そういう約束ですもんね!」
空の裂け目が、地上へと触れた瞬間。
――ズゥン。
空気が震え、世界が沈んだような錯覚を覚える。
「……ふぅ。こういうの、ほんっと嫌なんだよなぁ」
地を這うような男の声が響く。
割れ目から現れたのは。
派手な装飾のあしらわれた甲冑を着こみ、紅い髪、赤い髭を蓄えた男。
鋭い目は猛禽のように周囲を射抜き、その背には、人一人が隠れられそうな巨大な戦斧が。
――ブワァッ
その姿を目にした瞬間、リャンメイは肌が粟立つのを感じた。
ただの殺気ではない。
生理的な恐怖が、身体を強張らせる。
「お、あれがターゲットか。サスケ、よくやった。あとは任せ――ろ!!」
男が言い終わるが早いか、その場に深く屈み――
――ドンッ!
地面を砕くような跳躍とともに、巨大な戦斧を担いだまま、シェンたちの目前に降り立った。
風が逆巻き、地鳴りのような衝撃が周囲を包み込み刹那、空気が変わった。
まるで戦場のど真ん中に投げ込まれたかのような、圧倒的な気配へと。
そして、目の前に立つ男――アトラスが口を開く。
「ふむ、なるほど……護衛のお前、強いな」
その言葉に、シェンも即座に返す。
「……あんたもな」
互いの眼光が火花を散らす。
「うむ。俺は、ゴッディス護神団――団長アトラス。悪魔の子をすなおに渡……すわけがないな」
口元には笑み。しかしその瞳に宿るは――
次の瞬間、アトラスが戦斧を構える。
山のように重い雰囲気を漂わせる、暴力そのものを象徴するかのような圧を纏い。
「ならば悪魔の子は貴様から勝ち取るとしよう」
「出来るものなら、やってみろ」
シェンの口元にも、微かに笑みが浮かぶ。
「――さぁ、死合おうか」
言葉と同時、シェンが蹴りを繰り出す。
狙うはアトラスの顔面。
人間の反応速度ではまず反応すらできないほどの、研ぎ澄まされた一撃――
「うむ、いい蹴りだ」
しかし、アトラスは戦斧の柄でそれを軽々と受け止めていた。
「はぁっ!」
続けざまに繰り出される、膝への足刀。
「狙いも良い。やはり、強いな!」
だが、それもアトラスは脛で受ける。
「さぁ、喰らえぃ!!」
咆哮と同時に、アトラスが巨大な戦斧を振り下ろす。
地面を引き裂く、轟音と衝撃。
シェンは紙一重でその一撃を回避していた。
――だが、その攻撃が地面に触れた場所は。
抉れ、砕け、まるで爆発でもあったかのように。
地形が変形していた。
「……馬鹿げた攻撃力だな」
シェンの額に一筋の汗が流れる。
「はっはっはっ! まだまだぁ!!」
アトラスは戦斧を振るう。縦に、横に、回転しながら、流れるように――
常識では考えられないサイズと重さの武器を、まるで手の延長のように使いこなしている。
「ただ振り回すだけか。能がないな」
シェンは斧の間隙を縫い、するりと間合いに滑り込み。
瞬間、武器を握る指に拳を合わせた。
「むっ……」
咄嗟に後退したアトラスが、自らの左手を確認する。
骨が砕け、指が不自然な角度を描いていた。
「折れたか……なんと、精密な拳か」
しかし、その表情には痛みの色はなく。
代わりに浮かぶは――笑み。
「いいぞ、護衛。やはり貴様――強い!!」
笑うアトラスに、シェンも薄く笑って応じる。
「カッカッカ。馬鹿力で斧を振り回すだけの奴に褒められてもなんの自慢にもならんな」
対し、シェンは煽るように笑う。
「ふん。まだまだ、これからだ。見せてやるよ――俺の本気を!」
アトラスは両脚で大地を踏みしめ、空気を震わせるように息を吐く。
「彼方拡がる千の敵。動かぬ半身。鳴り響く終末の地響き。絶望を前に我が身震わし鬼神となれ――一身当千」
その瞬間、地の底から這い上がるような圧が辺りに溢れ出す。
アトラスの全身が赤黒く染まり、肌からは白い蒸気が立ち昇る。
「さぁ……第二ラウンドと行こうか!」
地面を砕き、一足でシェンとの距離を詰める。
その巨体からは想像もできない速度で。
「速いだけでは勝てんぞ!」
迎え撃つシェンも拳を突き出す。
二つの力がぶつかり合った、その刹那。
「脆いわッ!」
――砕けたのは、シェンの拳だった。
「……カッカッカ。なるほど……硬いな」
拳は潰れ、甲から砕けた骨が露出する。
だがシェンの笑みが消えることは無く。
「はっははははははは! 喰らえぃ! 喰らえぃ! 喰らえぃぃぃぃ!」
アトラスが雄叫びを上げながら、シェン目掛け斧を打ち振り続ける。
何度も何度も何度も何度も――狂気のように。
その一撃一撃が、地を抉り、石を粉砕し、周囲を瓦礫に変えていく。
そして――。
「……ふん、跡形もなく切り刻まれたか」
斧を振り上げたアトラスが、満足げに呟いた。
だが、次の瞬間。
「カッカッカ。すさまじい威力だったな。……当たれば、の話だが」
「……なっ!?」
斧の上。刃の先端に――シェンが、立っていた。
まるで何事もなかったかのように。
無傷のまま、涼しげな顔で。
「はっはっはっ! やるな!」
アトラスが豪快に吠え、斧を激しく振るってシェンを振り落とす。
そしてそのまま、振り下ろす戦斧が空を裂く。
だが、シェンは軽やかに宙を舞い、地面に着地した。
「次は――こっちの番だ」
地を蹴る音と同時に、シェンの姿が霞む。
一気に詰め寄るその軌道を読んだアトラスが、迎え撃つ形で斧を弾き上げる。
だが――。
シェンはもう一度踏み込み、身体を独楽のように回転させる。
回転の勢いで迫る斧の刃先を横から叩き、側面へと身を滑り込ませる。
そのまま――。
回転、踏み込み、全てのエネルギーを背中の一点に集中させ、打ち込んだ。
「ぬっ……!」
重い音と共に、アトラスの巨躯が浮き上がる。
甲冑を通り抜けた衝撃に、アトラスは初めて苦痛の色を浮かべた。
「喰らえ」
シェンは飛び上がり、宙に浮いたその体へ踵を叩き込む。
大量の土煙と、爆音をあたりに撒き散らし、アトラスが地面に叩きつけられる。
シェンは、その中心を見下ろし。
「カッカッカッ……この程度ではくたばらんだろ?」
土煙の中へ、問いを投げかけた。
「はっはっはっ。当たり前だッ!!」
咆哮と共に、戦斧が唸りを上げて土煙を吹き飛ばす。
そこに現れたアトラスの鎧は、先ほどの蹴りで大きく凹み、ミシミシと悲鳴を上げていた。
「だが、もう時間がない。……早急に終わらせるぞ」
アトラスは自らの鎧を引きちぎり、戦斧すら地面に投げ捨てる。
「良いのか? 装備も無しで」
「ふん。少しでも軽く、速く。そう判断しただけだ」
その言葉を最後に――アトラスの姿が、消えた。
「なっ――!?」
次の瞬間、鈍い音が響く。
「が……ッは」
気づいた時には、アトラスの右拳が、シェンの腹部に深々と突き刺さっていた
「まだまだぁぁぁぁ!」
連打。連打。連打連打連打連打連打連打連打連打。
圧倒的速度と物量で叩き込まれる拳。
その一撃一撃が人の命など簡単に散らすほどの威力をもっていた。
躱し、捌き、受け、ダメージを最小限にしようと試みる。
だが、その全てを完璧に防ぎきることは叶わず。
辛うじて拳の雨から脱出した時には満身創痍。
両腕は赤黒く。
指先はあらぬ方向へ。
小刻みに震える両腕がその甚大なダメージを物語っていた。
「はーっ、はーっ、はーっ……」
肩で息をしながら、それでも立ち続けるシェンに、アトラスが深く頷く。
「ほう……あれだけの猛攻を喰らい、なお立っているとは」
敗者を見つめる瞳に宿るのは、戦士としての――敬意。
「貴様の粘り勝ちだな」
そう言って、アトラスの全身が淡く光り始める。
「名を聞こうか。強き護衛よ」
「……シェン。ウー・シェンだ」
「シェン……か。覚えたぞ。次は“生身”でやり合おう」
アトラスの身体が光に包まれ、空に開いた割れ目へと吸い込まれていく。
そして、割れ目は何もなかったかのように閉じ、そこには空が広がっていた。
残されたサスケ一人と、満身創痍のシェン。
そして、リャンメイだけが立ちすくんでいた。
「生身ではなかったとはいえ、団長と戦い立っているとは……」
驚愕の表情で、サスケはシェンを見つめる。
「なんだったんですか……今のは……魔術?」
リャンメイの問いにサスケは。
「……国家機密だ……悪魔の子よ」
シェンはボロボロの身体でリャンメイの前に立ち塞がる。
「……次はまたお前か?」
その言葉にサスケは首を振る。
「残念だが、術を維持するのに私の魔力をほとんど使い切った。私にできることはもうない」
そう言って、サスケは地に手を当てる。
すると影がうねり、波立つ。
「また会おう……次は逃さない」
捨て台詞を残し、サスケは影の中に沈む。
その影も地に染み込む様に跡形もなく消えていった。
「助かった……?」
「あぁ。なんとか……な」
「シェンさん!?」
小さく呟き、シェンはその場に倒れ込んだ。




