第十二話 カンダータへ
ライブラリアンからの逃走劇から、八日目の朝。
二人は荒野を歩いていた。
行商人や冒険者が頻繁に行き交う、踏みならされた一本道を。
「それにしても……本当に何もないですね、この道……まぁ明日にはカンダータに着くと思うのでもう少しの我慢ですね」
退屈そうにリャンメイが呟く。
この八日間、ただひたすら続いている荒野に飽き飽きとしながら。
「旅なんて、そんなもんだ」
シェンは歩を緩めることなく、淡々と返した。
何もない荒野に唯一見えるのは、まだ遠い道の先、うっすらと見える森。
その森を避けるように、旅路は大きく湾曲して続いていた。
「みなさん、やっぱり森を迂回してるんですね。地図を見る限り、まっすぐ横切ったほうが早そうなのに」
「森に入って迷わない自信はあるのか?」
「うっ……大人しく道なりに行きましょう……」
しゅんと肩を落とし、リャンメイは歩を進めた。
やがて、森の横手へと差しかかる。木々は密集し、奥の様子はまるで見えない。
「すごい……なんか鬱蒼としていますね」
「森だからな」
「改めて見て、ここを横切るのは無理ですね……普通に行きましょう」
そう言って、森から目を逸らした、そのときだった。
――ガサガサ……ガササ……
ざわめく音が、森の奥から聞こえてくる。
シェンが、無言でリャンメイを背後へ庇った。
そして。
「その緑髪に顔付き、……貴様が『悪魔の子』だな」
森の陰から現れたのは、ゴッディスの国章を刻んだ甲冑の兵士だった。
無論一人ではない。
ぞろぞろと、次から次へと兵士たちが姿を現し、あっという間に、二人は完全に包囲されていた
「大人しくその娘を渡して貰おうか」
一人の兵士が持っていた槍をシェンに突きつける。
「断る」
瞬間。
シェンの腕が消える。
「は?」
――ポトリ
突きつけられていた槍の先端が、地面に落ちた。
「欲しければ奪い取ってみろ」
「かかれ!」
その号と共に、兵達がシェンとリャンメイに飛び掛かる。
シェンが踏み込み、前方の兵士が突き出した槍を手の甲で弾いた。
同時に、真横から振るわれた剣を紙一重で避け、足を絡めて地面に転がす。
「ぐっ——!」
倒れた兵士の腹に、迷いなく踵を叩き込む。
鈍い音と共に、鎧ごと兵を叩き潰す。
「は、速い!」
「怯むな! 囲め!」
三人がかりで同時に斬りかかる。だが——
シェンの体がふわりと沈み、回転しながら地を滑り、三人の足元を刈り取る。
次の瞬間、立ち上がりざまの回し蹴りが、後ろから迫る別の兵の顎を打ち抜いた。
「がはっ……!」
意識を失った兵が吹き飛ぶ。
次いで、無防備になった兵士の懐に踏み込み、肘で脇腹をえぐるように打つ。
骨が折れる鈍い音が響いた。
いつの間にか、兵たちの陣形は完全に崩壊していた。
「なんだこの男……!」
「化け物か……っ?」
動揺が連鎖する。
隊列が乱れ、攻撃の手が一瞬止まった。その隙を、シェンが見逃すはずもなく。
地面を裂く勢いで踏み込み。
刹那、兵の胸当てに強烈な膝がめり込んだ。
「が……あああっ!!」
悲鳴と共に兵が吹き飛び、背後の仲間たちを巻き込んで雪崩のように倒れる。
地面には赤い染みが広がり、うめき声がそこかしこから上がった。
戦場に――沈黙が落ちる。
「……次は誰だ」
シェンが静かに言い放つ。その声音には怒りも焦りもなく。
ただ、獣のように鋭く光る眼差しだけが、兵たちの足をすくませていた。
誰もが息を呑み、動けずにいる――そんな静寂を破ったのは、異質な声だった。
「そこまでだ」
倒れた兵たちの背後から、黒ずくめの装束に身を包んだ男が姿を現す。顔まですっぽり覆うその装いは、どこか――
「……日本の忍者みたいなやつだな」
静かにシェンが呟く。
だが、その眼差しは鋭く、現れた男を射抜いていた。
「我はゴッデス護神団隠密部隊隊長、サスケ……今ならば見逃してやろう。娘を置いて、ここを去れ……さもなくば、一国を敵に回すことになるぞ」
「部隊隊長……? そ、そんな……!」
相手の肩書に、リャンメイの顔がみるみる青ざめていく。
対し、シェンはニヤリと笑う。
どこか楽しげに――悪魔のように。
「一国を敵に、か。……悪くないな」
その言葉に、サスケが顔をしかめる。
「ふっ、ならば後悔するがいい……!」
――トプン
サスケは足元の影へと沈み込み、その姿を消した。
「……魔術っていうのは何でもありだな」
シェンが構えた瞬間。
音も無く、シェンの背後に男が現れた。
「あぶ――」
リャンメイが咄嗟に叫ぶ前に、シェンは動いていた。
振り向くことも無く、肘を、拳を背面の敵に叩きつけるように。
「殺気が駄々洩れだ。隠密の名が泣くな」
衝撃を受けたサスケは、いとも簡単にふっと飛ばされ地面を転がる。
しかし――
「……? 手ごたえがない?」
違和感にシェンが視線を向けると、サスケだったものは。
――ドロォ……
黒い液体に変わり、地面に吸い込まれて消えた。
「……なんだったんだ?」
「なるほど。ただの影人形では歯が立たぬか」
倒れた兵たちの中から、サスケが再び姿を現す。
「めんどくさい技だな」
シェンは言い終えるや否や、地を抉るように蹴ってサスケへ肉薄する。
そして、放たれた回し蹴りが――
「――っ!?」
空を切った。
気配もなく。目の前から、姿が消えていた。
「悪いが我は戦闘の専門ではないのでね……こんな手を使わせてもらう」
どこからともなく、声だけが響く。
そして――
「深淵の業。模倣の偶像。魂無き空の傀儡。絶えず付きまとう天の十字。我、自我無くただ吊られるもの也――遊んで欲しい忘れられた人形たち」
詠唱の終わりと同時に、地面に広がる影がぐにゃりと蠢き始めた。
「な、なんですかこれぇぇぇ!」
リャンメイが悲鳴を上げる。
「チッ……リャンメイ!」
シェンが駆け寄ろうと足を踏み出した、その瞬間。
「なに……!? 地面が……!」
地面に広がる影が、まるで泥のように足を絡め取ってくる。
シェンの脚がずぶりと沈み、前に進めない。
「シェンさん!」
必死に呼びかけるリャンメイに応え、シェンは重い足を無理やり動かし、なんとかその傍まで辿り着く。
「近くにいろ。何が起きるか分からん」
「シェンさん……か、影が……」
その足元の影がボコボコと波打ち、やがて――
「ふ……増えた……」
リャンメイのつぶやき通り、影が形を成し始める。
サスケと同じ姿をした影人形が、次々と。
一体、二体……十体、二十体――辺りは無数の影人形で埋め尽くされた。
「ふっ。さっきの人形か……いくら増えても雑魚は雑魚だろ」
シェンは無造作に拳を振るう。
拳に触れた影人形は簡単に爆ぜ、ただの影に戻った。
だが――
「シェ……シェンさん、あれ……」
震えるリャンメイの指が指し示す先。
「……なるほど。確かにこれは厄介かもな」
シェンの視線の先で、砕け散ったはずの影が再び蠢き、ゆっくりと人の形へと戻っていく。
その間、その他の無数の影人形たちが、音もなくじわじわと距離を詰めてきていた。
――シュッ。
突如として、人形たちが鋭く踏み込んだ。
拳、蹴り、短刀――攻撃が一斉に迫ってくる。
「チッ!」
リャンメイを守りながら、シェンは影たちに攻撃を撃ち込み、撃墜していく。
だが、影たちは再び人形へと形を成す。
「埒が明かん……掴まれ」
低く短く言い放ち、シェンはリャンメイの身体を軽々と抱え上げる。
そして、足元の影人形を踏み台にして、一気に宙へと跳び上がった。
が、すぐさま追撃が来る。
人形たちも跳躍し、空中のシェンを囲むように飛び込んできた。
「邪魔だッ!」
空中でも一切勢いを緩めず、迫る影たちを次々と叩き落としていく。
その時。
「シェンさん! 目を瞑ってください!」
リャンメイの叫び声に、シェンは迷いなく応じた。
眼前に敵が迫っているというのに、一瞬の躊躇すらない。
その刹那。
「――《閃光爆》!」
リャンメイ中心に眩い閃光が爆ぜる。
まるで太陽そのものが地上に降りたような、あまりにも強烈な光。
その光が、一切の影を――影でできたすべてを、根こそぎ祓い尽くしていった。
影人形たちは声もなく掻き消えた。
あれだけ広がっていた不死身の影の軍勢が、たった一撃で――完全に。
「こんなにもあっさりと……」
着地したシェンは、その光景に目を見開いた。
確かに拳では倒せても、復活する厄介な敵だった。
だがそれらが、今や一体すら残っていない。
「ふぅ……うまくいってよかったです」
リャンメイはほっと胸を撫で下ろす。
「よくあんな攻撃を持っていたな」
シェンの言葉にリャンメイは慌てて首を横に振る。
「ち、違います! あれは攻撃じゃないんです。ただ、強烈な光を出すだけの魔術で……」
「結果上等だ。助けられたな」
短く、だが明確な言葉。
その一言に、リャンメイは「へへっ」と照れたように笑い、小さく息を漏らした。
「……無駄に時間を食ったな。奴は……どこだ?」
シェンがあたりを見まわしたとき。
「シェンさん! あれ!」
リャンメイが指差す先――道から少し外れた荒野。
そこに、まるで空気が歪んだような箇所があった。
まるで、空間そのものが“めくれている”かのように。
「ふははははは! ばれてしまったか、だが……もう遅い!」
サスケの声が響くとともに。空が割れた。




