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第十話 図書館にて

 翌朝。

 シェンとリャンメイはギルドのカウンター前にいた。

 目的は、昨日討伐した大百足の素材買い取りについての確認だ。

 だが――

「すみません。実は昨夜から担当者が奔走しているのですが、まだ死体の搬送がやっと終わったというところで、素材の査定にまで手が回っていないんです……」

 受付嬢が申し訳なさそうに頭を下げる。

「いやいや、全然大丈夫ですよ。また出直しますんで」

 逆に恐縮してぺこぺこと頭を下げるリャンメイ。

 そのとき。

――バァン!

 ギルドの扉が勢いよく開かれ、誰かがズカズカと中へ入ってきた。

「俺の依頼が達成されたって!? 素材はどこだ!」

 現れたのは、筋骨隆々の体躯に、分厚い革のエプロン。

 無造作に伸ばされた灰色の髭がいかにも職人風の、どこからどう見ても強面な男だった。

「あっ、ハイスト様……! わざわざお越しいただかなくても、素材の運搬はギルドの方で――」

「フン! 鍛冶のことなんざ何にもわかってねぇ奴らに、俺の素材を触らせるわけにゃいかん! 俺が自分で持って帰る!」

 受付嬢の説明をばっさり切り捨てると、そのまま倉庫の方へまっすぐ歩いていく。

 どうやら赤い大百足の素材を依頼していたのは、あの男――ハイストという鍛冶屋らしい。

「ねぇねぇシェンさん。素材がどんな風か気になりません?」

 リャンメイはシェンの袖を引っ張り、興味津々でその後をついていく。

 シェンも特に何も言わず、無言でついていった。

 倉庫に入ると、そこには運び込まれた大量の大百足の死体が並んでいた。

 中でも、奥の一体――ひときわ大きく、赤みを帯びた個体が目を引く。

 ハイストはそれを見るや、目を輝かせながら速足で駆け寄った。

「ほぅ……」

 素材の甲殻や牙を、手慣れた動きで丁寧に撫でる。

 節の硬さや、繋ぎ目の柔軟さを確認する様は、まるで生き物と会話しているかのようにすら見える。

「こいつはすげぇな……。ここまで綺麗な状態で残ってるとは思わなかった。それに、この硬度、弾性、耐魔性……普通の大百足とは比べもんにならねぇ」

 唸りながら素材を確かめていたハイストが、ふと視線に気づき、こちらを振り向く。

「……ん? あんたら、誰だ。見たとこギルドの職員でもなさそうだが……まさか、この百足を倒したのは……あんたらか?」

「ああ」

 シェンが短く答える。

「はっはっはっ! そうかそうか! 礼を言うぜ! しかも……あんた、魔術使ってねぇな?」

「どうしてそれが?」

 リャンメイが首をかしげる。

「見れば分かるさ。魔力の残滓が一切ねぇからな。あいつは加工の邪魔になるんだ。おかげで最高の素材だ!」

 ハイストは感激したようにシェンの肩を叩いた。

「いいものを仕入れてくれた礼だ。報奨金とは別に装備でも作ってやろうか。いい素材はたんまりあるしな」

 その申し出に、シェンはふっと顎をしゃくって、隣の少女を指す。

「……悪いが、俺に武具は必要ない。だが――こいつに作ってやってくれ。見てられんほど危なっかしいんでな」

「えっ、えぇ!? 私に!?」

 リャンメイが思わず声を上げた。

「はっはっはっ! 分かった! まかせな兄ちゃん。あんたの相棒の装備、俺がバッチリこしらえてやさ」

「え、いいんですか!? 倒したのはシェンさんなのに」

「まぁまぁ、兄ちゃんがそう言ってるんだ。俺に任せときなって!」

「あ、ありがとうございます」

 ハイストはにかっと笑い、手をパチンと鳴らす。

「よーし、じゃあ早速この百足をばらすとするか! ねぇちゃんの装備は準備しておくからよ。また明日俺の店に顔出してくれ、大通りの『ヘパイストス』って店だ」

 そう言って、ハイストはすぐさま解体作業に取りかかった。

 分厚い革手袋をはめ、嬉々として素材と向き合うその背中には、職人の誇りと情熱が滲んでいた。

「それじゃシェンさん。図書館に行きましょうか」

 倉庫を出るなり、リャンメイがぱっと顔を上げて言った。

「図書館?」

 その問いに、リャンメイは小さく笑う。

「忘れたんですか? 旅に出る時話したじゃないですか。欲しい情報があるからこの国を目指しているって」

「あぁ……なんかそんなこと言ってたな」

「というわけで、行きましょう! 大図書館!」

 シェンの袖を引っ張りながら、リャンメイは楽しそうに歩き出した。

 目的地は、王都の中心部に構える荘厳な建物――《大図書館》。

 かつて王族の書庫だったという重厚な石造りの建物は、今では一般にも開放され、大陸中の知識が集まる場所となっている。

 中に入ると、空気が変わる。

 本の匂い。ページをめくる音。人々の小さな足音が静かに響き、天井の高い空間には厳かな雰囲気が漂っていた。

「凄いですね。一面本だらけですよ」

 リャンメイはその光景に声を限りなく落として感嘆の声を漏らす。。

 館内の壁には大きな案内板。

 リャンメイはそれを頼りに、目的のコーナーを目指す。

 そして目的のコーナーでは背表紙を確かめながら、次々と本を抜き取っていった。

『魂と冥界』『神語の術式構築』『界の狭間』『魂の拘束』――

 集められた本はすぐに山となり、テーブルに十冊以上が積み上がる。

「じゃあ私は調べものしてるので、シェンさんも本でも読んで待っていてください!」

 笑顔でそう言い残すと、リャンメイは山と積まれた書の中に身を沈め、一冊、また一冊とページをめくり始めた。

 その表情は真剣そのもの。

 時折、顎に手を当てて考え込んだり、ハッとしたように目を見開いては、手元の紙に走り書きを加える。

「……魂の劣化……二重界面理論……界の狭間の観測!? こんなものまで……」

 小さく呟きながら、彼女はペンを休めない。

 ページをめくる音と、ペンの走る音だけが、静かな図書館の中で小さく響き続けていた。

 そんな中で、シェンはといえば、対面に座ったまま、椅子にもたれて天井を見上げていた。

 無駄に広くて高い天井。そこに描かれた古ぼけた天使と神の壁画をぼんやり眺める。

 以前――それこそ前の人生では図書館を利用したこともあった。

 だが今の自分には、特に読みたい本もなければ、探している知識もない。ましてや難解な魔術書など読む気にすらならない。

「……はぁ」

 思わず小さくため息を漏らすと、視線がふとリャンメイのほうに落ちる。

 彼女は顔を伏せるように本にかじりつき、真剣な目つきで何かを読み取ろうとしていた。

 ページをめくる手も、メモを取る指先も止まる気配はない。

 頬にはうっすら汗がにじみ、口元は小さく動き、何かを必死に唱えている。

「……魂の通路……媒介となる術式の……うーん、違う、これじゃあただの召喚……」

 リャンメイの小さな呟きが、静かな図書館の片隅にぽつりと漏れる。

 彼女は眉間に皺を寄せ、ページの上にかじりつくようにして本と格闘していた。

 シェンには意味のわからない単語ばかりだったが、それでも彼女の真剣さだけは伝わってくる。

 その姿を見ていると、ふと、かつての記憶が胸をかすめる。

――血のつながりもないのに、妙に懐いてきた少女のことを。

 かつて、自分の背を追いかけてきた、あの小さな手。

 そんな過去と重なるように、目の前の少女が何かに向かって必死に手を伸ばしている。

 その手が、もしも崩れかけたら――。

 相変わらずリャンメイは探し物に夢中で、視線にはまったく気づかない。

 そして、ふと横を見る。

 傍らの椅子には、誰かが読み終えたのか、あるいは積み上げただけなのかもわからない本が山のように置かれていた。

 その中から、一冊、比較的薄めの本に目がとまる。

『魔術入門 ―基礎から学ぶ術式構築の世界―』

「……入門か。まあ、暇つぶしにはなるか」

 そう呟いて、シェンはその本を手に取る。

 分厚く重たい専門書とは違い、ページも薄く、装丁も柔らかい。

 ぱらぱらと何ページかを流し読みしていると、ある見出しが目に留まった。

『魔力の循環と持続術式について』

 適当な姿勢で読み始める。

 文章は平易で、初心者向けに丁寧に書かれている。

――術式によって生成された現象は、術者の魔力を触媒として形成されているため、効果が継続している間は魔力の消費も続く。術者が意識を手放す、もしくは魔力が枯渇した場合、その現象は自然消滅する。

(……つまり、魔術ってやつは、出した後もずっと、自分の魔力を垂れ流し続けてるってことか)

 何となくの理解とともに、シェンの脳裏に一つの記憶が浮かんだ。

(あの時――確か兵士を倒したら、炎の土俵が一瞬でかき消えたな。あれも、術者が維持してたってことか)

 自分が見てきた現象が、ようやく繋がっていく感覚があった。

 ふと、斜め前で黙々と書物に没頭している少女へと視線を送る。

 リャンメイ――彼女の使う魔法、『異空間に繋がるアザーワールズドアー』も、維持している間はずっと魔力を消費しているということになる。

(確か、本人もそんなことを言ってたっけな……それにしては、やたら余裕そうだったが)

 その魔力量が規格外なのか、それとも無理をしているのか。

 そこまで思い至ったところで、シェンはまたページをめくる。

――が、次の瞬間、文字の密度が一気に跳ね上がった。

 図式、数式、抽象的な概念の羅列。見慣れぬ単語が行間を埋め尽くす。

 “干渉定数”“魔力回路の抵抗位相”“出力限界値の変動式”――

「……わからん」

 あっさり挫折したシェンは、本を閉じてそっと元の位置に戻した。

 シェンは椅子の背にもたれ直し、必死でページをめくるリャンメイを見つめる。

「よくやるな……」

 ぽつりと呟いた言葉は、誰にも届かない――

 そして、リャンメイが本を漁り終わるころには、空はすっかり夕闇に染まっていた。

「あわわわ、すみません、こんな時間まで!」

 図書館の外でリャンメイが頭を下げる。

「構わん。ちょうどいい体休めだとでも思えばな」

 シェンは淡々とそう言った。

 実際、この異世界に来てからというもの、彼には戦いと移動ばかりの日々が続いていた。

 時にはこうして、ただ椅子に座って過ごす時間も悪くない――そう思える程度には、心の余裕が戻ってきていた。

「で? そっちは欲しかったものは見つかったのか?」

「「はいっ! ……と言いたいところなんですが、うーん、とっかかり程度、ですかね。でも、それでも十分大きな収穫でした!」

 リャンメイはそう言って、分厚いメモの束をシェンの目の前に差し出した。

 中にはびっしりと走り書きされた文字。図表。矢印。とても一日でまとめたとは思えない熱量が詰まっている。

「この人です! 今日読んだ本や論文の中で、何度も名前が出てきた魔術研究者で――会って話が出来れば!」

 リャンメイが指さしたその人物は、古代魔術や魂の性質について多数の研究を残しており、いくつもの文献で引用されていたらしい。

「そうか……なら、次に向かうのはそいつのところだな」

「はい! 一応、図書館で調べた限りでは『ファルツァランド』っていう国の研究所に所属してたみたいです。ただ、情報がちょっと古くて、今もそこにいるかは分からないんですけど……」

「だとしても、他に手はないだろ」

「そうですね! ……それに、この国に長居するのもあまり得策じゃありませんし。明後日には出発しましょう。明日はギルドと、ハイストさんのお店に行って、それから旅の準備ですね!」

 リャンメイはすっかり次の行動に気持ちを切り替えているようだった。

 その足取りは軽やかで、どこか嬉しそうにすら見える。

 旅は新たな段階へと動き始めた。

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