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第二章 陽光は日陰と共にそこに在る⑥


 歌雲紡にとって、図書館を訪れるのは日常の一部であり、「仕事」だった。

 今日も進学者向けの七限目の授業が終わると、すぐに図書館に向かっていた。

 階段を上がった先にある貸し出しカウンターを見るが、そこには誰の姿も見えなかった。

(今日はあの一年が来る日だった気がしたが)

 紡は書架の方を見るが、見える範囲では誰もいないようだった。カウンターの方をもう一度見ると、奥の準備室の扉は半開きになっていて明かりが漏れている。紡は不思議に思ってカウンター越しにその奥にある準備室を覗き込んだ。

「藤原さん、今日はあの一年は――」

 紡は途中まで言ってから、カウンターが無人ではないことに気が付いた。そこには紡が探していた少女が静かに眠っていた。枕にしている腕の下には教科書やノートが広がっていた。宿題でもしていたのだろう。ちょうどそのタイミングで準備室の扉が奥に開かれ、紡はそちらに視線をやった。

「あら。紡君、来たのね。白河さん、ごめんなさいね。もうちょっと待っていてもらって――」

 紡は、藤原京子の視線を白河凪紗の方に誘導すると、彼女は紡と同じようにカウンターの内側で眠る少女の姿を認めた。

「あら、凪紗ちゃん寝ちゃったのね。私がちょっと手を取られていたからカウンターをお願いしちゃったの」

 藤原京子は声を抑えながら、紡に視線をちらちらと投げる。

「でもどうしましょう。私ちょっと校舎の方に呼ばれて、これから行かなくちゃいけなくなってしまったの」

 紡はやたらと説明口調の藤原京子に視線を合わせず、白河凪紗の隣の椅子に腰かけた。

「寝かせておけば良いですよ。俺がここに座っておきますから」

「うふふふ。あの紡君が『放っておけ』って言わないなんて。凪紗ちゃんは『特別な子』なのかしら?」

 藤原京子は意味ありげな笑みを向けてくる。鬱陶しく思い、それを無視して鞄から出した本を読み始める。

「ねえ、紡君。分かっているとは思うけど……凪紗ちゃんに悪戯しちゃだめよ」

 人差し指を立て、いたずらっ子のように笑う灰色の婦人を紡は黙って睨みつけた。そして、そのまま後輩になった少女の横で本を読み続けた。


 白河凪紗が目を覚ましたのは、すっかり陽が傾いてからだった。

「んっ……」

 目を開き、枕にしていた両腕から顔を起こすと、彼女は無防備な仕草で両目を擦った。

「あれ……せんぱい……?」

夕焼けの光が満ちた図書館を見渡す彼女は、どうやらこちらの存在に気が付いたようだった。そして少しだけ、たどたどしく喋った。

「ああ、カウンター…いてくれたんですね」

 彼女は怒られると思ったのか、こちらが返事をする前に小さく頭を下げる。

「すみません……寝てしまいました」

 紡は読んでいた本に目を戻しながらそれに応える。

「別に構わない。俺は普段ここの当番を出来ていないからな」

「そう、ですか」

 白河凪紗は寝起きのぼんやりとした顔で首を傾げながらこちらを見上げていた。

「起きたならこの本を戻してきてくれないか。それを戻したらもう上がれ」

 紡は彼女が眠っている間に返却された本をまとめて差し出す。

「はい。分かりました」

 彼女はゆっくりと紡から本を受け取ると素直にカウンターから出ていく。そして本を抱きかかえたまま、紡の方を振り返った。

「そういえばお昼休みの時に先輩を見かけたんですけど……先輩って普通に笑うんですね」

 そう言って笑った少女の顔は、夕陽に照らされていた。

 霞んだ光は少女の表情を覆い隠しており、紡には彼女の感情を窺うことは出来なかった。


     ✿


 凪紗は『その声』を聴いた。差し込む夕日に不機嫌そうに目を細める先輩から受け取った本を抱え、凪紗は書架の間を歩き始めたときだった。

【……タスケテ】

 いつもの図書館のいつもの風景が、急に違うものに思えた。

【タスケテ】

 もう一度聴こえたその声はまだ少女のようでいて、大人の女性の声のようにも思えた。書架と書架の間にいた凪紗は、その声の出処を探すように周囲を確認する。

「誰かいるんですか?」

 問い掛けるが、そこには誰も居なかった。

「空耳かなあ」

 凪紗の小さな呟きだけしか、そこには残っていなかった。



 その記憶は眠っていた。

 眠っていた――はずだった。

 きっかけもその旅路も分からない。

 微睡みから目を覚ました記憶と想いは、その染みを作った少女に牙を剥く。

 一人の少女の想いが、全てを変える。それは血の呪いか。運命か。


     ❀


 紡は誰も居なくなった夜の図書館に一人立っていた。閉じられた窓の隙間から春の夜風が流れ込み、静かにカーテンを揺らしていた。じっと見つめるその手には、一冊の絵本が握られていた。

「また【穢れ】が進行している。何故だ」

 指先で器用に開かれたその絵本の最後の頁は、一番下の部分が真っ黒に塗り潰されていた。そこにはおそらく元の持ち主の名前が書いてあったのだろう。その黒を見つめながら、紡は最近この図書館に頻繁に出入りしている少女の顔を浮かべる。しかし、すぐにその考えを打ち消した。

「……まさかな」

 調べたところ、あの少女は外から来た人間だ。しかし、目の前にあるこの本に宿る『種』は、それなりの時間と『想い』をかけて育ったものだと、紡は感じていた。

「彼女ではこの本の宿主には成り得ないな。そんな偶然なんて有る筈が無い」

 紡は冷静になろうと息を吐く。浄化のための祝詞を詠み始めると、その足元がほのかに光り、黄金の光粒が蛍のように闇に灯る。

【書守の神よ かしこみ申す】

【対価を捧げ紡ぐ歌 神を喰むモノ 穢すモノ】

【我が雲の血濁し――――】

 祝詞が終わる前に、黄金は弾けた。

(――――!?)

注いでいた力が、見る見るうちに散っていく。

「拒絶……か」

 その穢れは僅かに浄化されたが、それは付け焼き刃と言っても良い程だ。いつものような完全なる浄化は拒まれ、今にも『種』から『発芽』しそうな状況は変わらない。紡は見たことのない現象に顔をしかめ、手元にある本を注意深く見つめた。しばらく考え込んだ後、図書準備室の鍵付きの書棚にその絵本を戻し、鞄を肩に掛けた。

「……念のため、注意だけはしておくか」

 一人の影だけが伸びる図書館に、不穏な黒が漂っていた。



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