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第二章 陽光は日陰と共にそこに在る②


「まさかの当たりくじ引けちゃったよ!」


「良かったね、茉菜ちゃん」

 入学式から一週間後のホームルームでは委員会決めの発表がされていた。生徒数がそんなに多いわけでもなく、文化祭や体育祭実行委員のようなイベント関係の委員会以外は名ばかりな委員会もあるらしい。

「それじゃあ小暮さんは体育祭実行委員で、白河さんは図書委員に決まりね」

 人気の委員会で実施されるくじ引きで、見事当たりを引いて興奮気味の小暮さんは、「えへへ」と笑いながら高橋先生からプリントを受け取る。

「はい。白河さんは図書委員の案内ね」

 凪紗も高橋先生にお礼を言いながらプリントを受け取ると、先生に気になることを言われた。

「図書委員はなぜか最近人気がなくて、今年三年生になった子がずっと一人やっていたんだけど、今年は決まって良かったわ」

 どうやら凪紗が希望した図書委員は絶望的に人気が無いようだ。当番があったりするからかと凪紗は首を傾げたが、その理由はそのすぐに分かった。


(ここって……)

 凪紗が見上げる先には、古い木造の建物が立っていた。

 その日最後の時間割のホームルームは委員会の顔合わせにあてられていたため、凪紗は鞄を片手に図書館に向かっていた。そして辿り着いたのが目の前にある建物だった。

 その白く塗られた外壁には見覚えがあった。春休みにこの学校まで来た時に見たあの桜の樹の近くに建っていた建物だ。人気のない古い建物は、てっきりもう使われていない建物だと思っていたが、入口に『図書館』と彫られている木彫りの看板が掛けられていた。

「……ここが図書館だったんだ。ぼ、ぼろい……いや古めかしい、のかな。……うん。これはこれで、味があって可愛いと言えなくもない、のかな。うん、そう。アンティーク的な」

 凪紗は首を色々な角度に傾けながら呟き、改めて目の前の建物を観察する。

 近くで見ても白いペンキが塗られた外壁はところどころささくれ立っているし、壁の一部には蔦が絡んでいる。

「とりあえず、中に入ろうかな」

 入口前の数段の石段を上がり、硝子窓のついた少し重い扉に手をかけたその時。


「――こんな時間にここに何か用か」


 唐突に掛けられたそのぶっきらぼうな声には、聞き覚えがあった。振り向きながらその姿を確かめて、「やっぱり」と思う。猫毛の黒髪と作り物のように綺麗な顔立ち。その声の主は、先日この建物の横に立っている桜の樹の下で会った男子生徒だった。少し不機嫌な表情が、整った造作を余計に際立たせている。凪紗はそれに少しだけ動揺してしまった。

「貴方は、いつぞやの……!」

「……君は本当に…現代人か」

 まるで理解できない人種を見るような瞳がこちらを見下ろしている。

 言い方については置いておいても、言っていることはその通りだと少し冷静になりながら思った。

「ああ、えっと。先日、桜の樹のところでお会いしたなと思いましたので」

 凪紗はその時のことを思い出し、しどろもどろになる。

「…………」

 しかし、説明しても相手は無反応だ。

(覚えていないのかな。でも不審者と思われたら嫌だし、ちょっと安心)

「あ、なんでもないです。気にしないで下さい」

 凪紗は内心ほっとしながら、胸の前に両手を伸ばして激しく左右に振った。しかし、目の前の人物は凪紗のことをじっと見つめている。整った顔に見つめられると居心地が悪い。ドキドキとしていると、数拍の後に目の前の男子生徒が小さく口を開いた。

「……『桜の精』の女」

 その言葉に急激に体温が上がるのを感じた。顔が熱い。

「――っ! それは忘れてください! というか聞いていたんですかっ!?」

 凪紗は思わず大きな声を出してしまったことを恥じ、口元を抑えた。しかし、相手はすでにその話題はどうでも良くなったのか、冷静な目で凪紗を射抜いていた。

「ここに何か用か。今は委員会の時間のはずだが」

 どうやら凪紗のあの恥ずかしい言葉は一旦触れないでいることにしてくれたようだ。高校入学早々、夢見がちの変な奴だと思われたらやり切れないため、助かった。

「あ、はい! 図書委員の仕事の説明があると聞いたので来たのですが」

 そんなに疑問に思うことだろうかと思いながらも、凪紗はありのままの事実を相手に伝える。しかし、思っていたものとは違う反応が再び返ってきた。

「――図書委員?」

 一段低い声で呟かれ、凪紗は思わず怯む。

(なんで図書委員って言っただけで、そんな反応?)

 凪紗は頭に疑問符が浮かぶが、何とか持ち直して相手の目を見た。

「はい、図書委員になったんですけど……。図書館はこちらではなかったでしょうか」

 凪紗は古びた建物を見上げる。

(もしかしてやっぱり今は使われていないとか? でも場所はちゃんと先生に聞いたのに)

 不安になる凪紗をよそに、目の前の彼は顎に手をあてて何か考え事をしている。

「あの、違ったでしょうか」

「いや、合っている。靴を履き替えて二階まで上がれ」

 もう一度尋ねると今度は肯定される。では何故、凪紗が図書委員であることに物申したそうな顔をしているのだろうか、という疑問は拭えない。しかしそれでも凪紗の目的は果たせそうではあるため、目の前の彼に頭を下げた。

「ありがとうございます」

 凪紗が再び頭を上げるが、相手は凪紗の方ではなく図書館脇の方をじっと見つめていた。

(でもここに居るってことは、この人が例の唯一の図書委員だった人ってことなのかな)


 凪紗は再び扉に手をかけて、取り敢えず先に中に入ることにした。

(中は意外と綺麗だな。内装は何度か直しているんだろうな)

 タイル張りの玄関で靴を履き替えると、年季が入った赤いカーペットが敷かれた階段を上がる。踏むたびにギシリと鳴る階段を上り切ると、半分だけ開け放たれた扉から陽光の明るさと木と紙とインクの独特の香りが零れていた。

 扉を通り抜けると、左手には貸し出しカウンターがあり、右手側の奥に書架が並んでいるが、壁や柱もあって奥までは見えない。その間には机と椅子も並んでおり、思ったよりも広い図書館のようだった。

(それにやっぱり古いけれど、綺麗に保たれてる。大事にしている人がいるんだろうな)

「あら、一年生の図書委員の子かしら」

 声のした方向を向くと、カウンター奥の図書準備室から、司書らしき女性が木製のワゴンを押しながらから出てきていた。

 年齢はおそらく六十代くらいで、ウェーブがかった短い髪は綺麗に灰色に変わっている。

「は、はい。そうです。はじめまして、一年二組の白河凪紗です」

 凪紗が返事をすると、その女性は「まあ」と言ってカウンターから出て、にこにこと笑いながら凪紗に近付いてきた。凪紗より少しだけ背が低い彼女と目が合うが、その瞳は灰色に近い色をしていて、のんびりとした猫を思わせる不思議な虹彩だった。

「入学おめでとう。私はこの図書館の司書をしている藤原京子(けいこ)よ。一年間よろしくお願いね」

 明るい声で挨拶をしてくれる藤原さんに凪紗も笑顔を返した。

「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」

「やっぱり新入生は初々しくて良いわねえ。ねえ、紡君」

 にこやかな藤原さんの視線が、凪紗の肩の後ろを通り過ぎた。つられるように後ろを振り返ると、そこには先程の男子生徒が立っていた。

「紡君も改めてまたよろしくね」


 「……ええ」

 藤原さんの気安さに対して、紡と呼ばれた男子生徒のその口調はそっけない。

「彼は三年生の歌雲紡君よ。今年で三回目の図書委員だから、分からないことがあったら何でも聞いてね」

「よろしくお願いします。歌雲先輩」

 凪紗はきちんと身体を向けて改めて頭を下げながら、可能な限りこの不愛想な先輩には話しかけないようにしようと思った。凪紗は目の前の男子生徒――歌雲先輩を見上げるが、向こうは凪紗の視線から目を外す。この先輩はあまり社交的ではないようだ。

(それにしても、何故、歌雲先輩は胡散臭いものを見る目で、藤原さんのことを見ているのでしょうか)

「今年は二人に手伝ってもらえるのね」

 藤原さんの言葉の後、歌雲先輩の纏う空気の変化に凪紗は静かに震えた。それは威圧のように思えた。凪紗は混乱しながら二人の顔を見比べる。

「……何故、今年は『二人目』が居るんでしょうか、藤原さん」

 笑顔を崩さない藤原さんに対して、どこか引っ掛かる物言いをする歌雲先輩に凪紗は委縮する。そしてこの空間に入り込めない、馴染めない自分を感じた。

(私はここに居てはいけないのだろうか)

 俯きそうになるが、凪紗は口を開く。

「……あの。図書委員は二人居たら、いけないんでしょうか」

 すると藤原さんはにっこりと笑った。

「むしろその逆よ。大助かりだわー」

「本当ですか? 私が居ない方が良いなら、今から頼んで別の委員会にして――」

 拳をぎゅっと握ると手に下げていた鞄が揺れた。

「別に」

 ぶっきらぼうな声に凪紗は僅かに顔を上げる。

「別にそんなこと、しなくて良い」

 凪紗は今度こそ完全に顔を上げて、歌雲先輩の表情を覗き見る。歌雲先輩はこちらと目を合わせてはくれないが、それでも拒否されていないことは分かった。先程から漂っていた少しだけ怖い空気はもうなくなっていた。

「……はい。ありがとうございます」

 不安な声を出してしまったことに少しだけ照れ臭くなり、先程とは違う感情で俯いた。

「そういえば紡君は受験生だけど、活動は大丈夫?」

 藤原さんは先程までのやりとりなどまるで無かったように歌雲先輩に笑いかけている。

「問題ないですよ。まず落ちることはないので」

 歌雲先輩は涼しい顔で、とんでもないことを言い出した。

(すごい自信。大学受験でここまで言い切るって、一体何者なんだろう)

「そう? あまり無理はしないようにね。紡君にはそうじゃなくても、一応難関校なんだから」

 藤原さんは心配そうに頬に手をあてながら言うが、歌雲先輩は藤原さんのことを相変わらず胡散臭いものを見るような目付きで見ていた。藤原さんはそんな歌雲先輩の視線を気にした様子もなく、凪紗の方に向き直る。

「白河さんは何か部活動に入る予定はあるかしら。部活動があるなら、そちらを優先してちょうだいね。ここは人もそんなに来ないから」

「いえ、私は部活動に入る予定はないので、大丈夫ですよ。時々病院に行ったりとかはありますけど、それ以外は特に何もないです」

「あら、そうなのね。でもどこかに入りたくなったら、遠慮せずにいつでも言ってね」

「はい。わかりました」

 凪紗は笑顔で答えた。そんな日は来ないと思いながら。


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