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第二章 陽光は日陰と共にそこに在る①


 まるで新しい階段を上る少年少女のために用意されたカーペットのようだった。

 アスファルトの坂道には、満開になった桜の花弁が散りばめられていた。真新しい制服を身に纏った少年少女たちが、坂道を上っていく。

 凪紗はまだ硬い茶色のローファーを履きながら、見慣れない制服を着た彼らを眺めていると、自分が違う場所に来たことを実感した。


「白河凪紗です」

 入学式の後、教室に戻ってきた凪紗は自己紹介をしていた。校舎の三階、後ろから二番目の席からは外の景色だけでなく教室全体が良く見えた。

「この春から波雲町に来ました。よろしくお願いします」

 当たり障りのない笑顔で、当り障りのない自己紹介をし、席に着く。高校からこの土地に来た凪紗はどうしたって浮いてしまう。だけど、きっとそのうち空気みたいに溶け込めるはず。

(私は「そういうの」が得意だから)

 年頃の子らしい少しふざけた自己紹介をする生徒は時々いるが、基本的には凪紗と同じように当たり障りのない自己紹介が続いていった。違うのは出身の中学を言っていることくらいだろうか。そんな平和な空間だった。

 だが、凪紗にとってそれらを全てどこか他人事で、世界はいつもどこかぼんやりと靄がかかっている。緊張で昨夜はあまり眠れなかったことがそれに拍車をかけていた。

(今日は入学式とホームルームだけで良かった……。帰ったら、少しだけ眠らせてもらおう)

 流れていく時間はどこかゆっくりで、窓の外の白い雲は青色のパレットを悠々と流れていく。ぼんやりとしながら、外の景色を横目で眺める。

 グラウンド脇に並んでいる桜、そこから更に下には線路と町並みが見えた。高台にあるこの場所からは、海も見える。

(空の青と海の青。やっぱりあの街とは違う暖かい色。全然違う)

 そう思いながら、凪紗は意識を手放していた。


「………………」

「……かわさん……、しらかわさん、白河さん?」

 清潔感のある香りと呼ばれる声で目が覚めた。目を開けると、担任の高橋先生が心配そうに凪紗の顔を覗き込み、肩に触れていた。

「……すみません。先生」

「白河さん大丈夫? 具合悪い?」

 凪紗の()()を知っている高橋先生は、声を落としながら問い掛けてくれていた。

「はい、大丈夫です」

 凪紗は微笑みながら周囲の空気を探る。周囲を見ないようにしても、クラスメイトたちの視線を感じる。目立たないようにと思った矢先にこれだ、と思う。

(だけど、きっと皆すぐに忘れる)

 そんなものだと思った。しかし、再び顔を上げると凪紗の席を振り返る少女がいた。

「白河さん、貧血? 大丈夫?」

 小声で心配そうに尋ねてきたのは、凪紗の前に自己紹介をした女の子だった。だから凪紗も名前を憶えていた。

「大丈夫ですよ。ありがとうございます。小暮さん」

 凪紗は少しだけ自分よりも高い場所にある小さな顔を見上げる。ショートカットの黒髪に日に焼けた健康的な肌。すらりと長く、程よく引き締まっている彼女は、中学に引き続いて陸上部に入ると言っていた気がする。白い歯を見せてにっこりと笑う顔はとても可愛らしい。

「もっと砕けた感じで話してよー。緊張しちゃうから」

「あ、はい……」

 我ながらぎこちなく返事をすると、目の前の少女はなぜか破顔する。

「まだ堅いなあ。そうそう、『茉菜』って呼んで。皆そう呼ぶから」

「うん、ありがとう。……茉菜ちゃん」

 口調を砕けさせてお礼を言うと、小暮さんはやはり好ましい笑顔でにっこりと笑った。そして最後に内緒話をするように凪紗の席のギリギリまで椅子を寄せながら、口元に手を当てた。

「ねえねえ、私も凪紗ちゃんって呼んでも良いかな。可愛い名前だなって思ったの!」

 小暮さんは小さい子供のように濁りの無い瞳で凪紗を見ていた。

「ありがとう、茉菜ちゃん。私のことも好きに呼んでもらって大丈夫だよ」

 凪紗は微笑み返しながら「良い子だな」と思った。目の前の笑顔がかつて友人だった少女と重なるような気がして、凪紗はそっと記憶を伏せた。


    ✿


 賑やかな声が耳元で鳴り、凪紗はスマートフォンをそっと耳から離した。

[凪紗、元気か! 今日は入学式だっただろ! 写真撮ってるよな!? 送れよ!]

「……海斗くんは本当にいつも元気だよね」

 ここ最近、頻繁に電話をしてくる兄に凪紗は苦笑し、溜息を吐く。

[お兄様の耳元で盛大な溜息を吐くな。ほら早く! 写真!]

「分かりましたよー。別に大したものでもないんだけどなあ」

 凪紗は、ぼやきながらも手元のスマートフォンを操作し、写真を送る。

[お。届いた、届いた。中学はブレザーだったけど、凪紗はセーラー服の方が似合ってるなー]

「それは……どうもありがとうゴザイマス」

(ちょっと気持ち悪いな、この兄)

 何とも言えない渋い顔で通話画面を見つめると、テーマパークではしゃぐ兄の顔写真がこちらを見つめ返していた。

[他の写真は無いのか?]

「あるにはあるけど」

[じゃあそれも送れよ!]

「う、うん……」

(なんでこの兄は、妹の制服姿の写真にこんなに積極的なのだろうか)

 妹の制服姿の写真をやたらと欲しがる兄に、やはりほんの少しだけ気持ち悪さを感じた。

「海斗くん、悪用しないでね……」

[悪用? 何に?]

「ナンデモ、ナイデス。キニシナイデクダサイ」

 凪紗は思わず片言になる。

[ところで、じいさんとばあさんも元気そうだな。昼間にちょっと電話で話した]

 昼間とはおそらく凪紗が学校から帰った後に寝ていた時間だ。

「うん。二人ともすごく優しくしてくれているの」

[そうか]

「おばあちゃんはお料理とかを教えてくれるし、おじいちゃんは相変わらず釣りが大好きだから、毎日のように美味しいお魚を食べさせてくれるよ」

[……そうか。俺も今度挨拶がてらそっちに遊びに行くからな]

「うん、ありがと。私も夏休みにでも海斗くんの家にも遊びに行くね。送り火とか見に行きたいし、海斗くんがちゃん生活してるか確認しないと」

[おいおい。俺は意外と生活力がある男だぜ]

「はいはい。ところでちゃんと大学には行ってるのかなー」

[行ってる、行ってる]

「なにそれー信用ならないなー。折角良い学校に入れたんだからちゃんと勉強しないとだよ」

[なんだよ、お兄ちゃんを信頼しろよー]

「『お兄ちゃん』? 気持ち悪いこと言わないでよ」

[妹が急に辛辣……!?]

「私、海斗くんのこと『お兄ちゃん』なんて呼んでないじゃない。ほんと気持ち悪い」

[気持ち悪いって二回言われた……! 昔は『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って俺の後を追いかけまわしていたというのに]

「小学校の最初の方までしか呼んでないでしょ! そんな昔のことをいつまでも持ち出さないでよ。面倒くさいって敬遠されるよ」

[そんなことはない! 俺は友達が多い方だ!]

「あのね。そういう話じゃないからね……」

[ところで凪紗は友達できたか]

「ほんと、急に話を変えるよね……。あのね、海斗くん。まだ初日だよ。そんなすぐに友達なんてできるわけがないでしょう」

「あのな、凪紗。友情っていうのは時間じゃないぞ」

「何ちょっと良い事言ったみたいな雰囲気出してるのよ。あと、海斗くんの友達の定義は私の友達の定義とは乖離がありそうだと常々思っているよ」

「定義とか言っている……妹が大人になっていく……」

「海斗くんは、私のことを幼稚園児か何かだと思っている節があるよね」

「そんなことないぞ。ちゃんとレディとして扱っているじゃないか」

「レディって……。あー、そういえば前の席の子とは少しお話したよ」

[男か?]

 なぜか間髪を入れずに質問が飛び、凪紗は呆れながら答えた。

「なんでよ。女の子に決まってるでしょ。他県(よそ)から来て同じ中学の子もいないのに、急に男の子一人としか喋らないとかどこの男好きよ」

[まあ、何はともあれ元気そうでよかった。じゃあな、おやすみ凪紗!]

 プツリという音が鳴り、すぐに向こう側が静かになった。

「…………切った。相変わらずマイペースだなあ」

 先ほどまでの賑やかさが一瞬にして消え、余計に静寂が濃くなった気がした。凪紗は窓を開け、月の光に照らされて自由に踊る海を見る。

(海斗くんには、あの海みたいにずっと自由でいて欲しいなあ)

「おやすみ、お兄ちゃん」

 凪紗は左手の中にある真っ黒な液晶に向かい、久しぶりに兄をそう呼んだ。


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