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終章 夢のあとのエピローグ④


 連休が終わり、春というには少し暑い日々の中、凪紗はすっかり日常に戻ってきていた。

 変わったことは、『書守』や『カミカクシ』という存在を知っているということ。


 凪紗は古い波雲高校の図書館を見上げる。

 美しくはないけれど、愛らしくて懐かしい。そんなこの図書館に、凪紗は愛着を感じ始めていた。

 凪紗は再びあの階段を上がる。

 

「あの絵本を私に譲っていただけないでしょうか」

 凪紗と紡先輩、そして藤原さんしかいない図書館で凪紗は一番低いところまで頭を下げた。図書館に入ると、凪紗を待っていたかのように二人は図書準備室で座っていた。

「一度手放しておきながら、勝手なことだって分かっています。だけど、もう一度ちゃんとあの子と一緒に居たいんです。……大切にしたいんです」

 凪紗の視線の先、机の上には『眠り姫』の仕掛け絵本が置かれていた。沈黙が落ちる図書準備室で凪紗はもう一度頭を下げる。

「お願いします!」

 頭を下げたままの凪紗の耳に優しい声が掛けられた。

「私は別に良いと思うわよ。だから、紡君が決めてちょうだい」

 藤原さんはそう言って、紡先輩の方を見た。凪紗はその視線を追う。

「……大事なものなんだろう。だったら、大切にすると誓え」

(大切にする。この本も、想いも。だってこの人は、想いを守る書守だから)

「はい。分かりました」


 今度こそ本当の意味で「分かった」と言える気がした。

 差し出された絵本を凪紗は受け取り、そっと抱きしめた。

 失ったり、手に入れたり、取り戻したりする。

 そんな道程も悪くないのかもしれない。そう思った。

 宝物は凪紗の元に戻ってきたから。


「約束、絶対に忘れたりしません……!」

 だって凪紗には彼の【忘却】の祝福(まほう)は効かないのだから。

「あの……もう一つだけお願いをしても良いですか」

 凪紗は紡先輩の座る目の前まで進む。

「紡先輩。私を紡先輩の助手にしてください!」

「…………は?」

 紡先輩は今までで一番驚いた顔をして、状況を理解しかねる顔でこちらを見ていた。だから凪紗はもう一度その台詞を言う。


「私を紡先輩の助手にしてください!」


「………はあ?」

「だから、助手です! 書守のお仕事の助手にしてください!」

 凪紗は物理的にも前のめりに、我ながら強引に迫った。しかし、紡先輩も頑なだった。

「募集していないし、する予定もない。つまり遠慮させていただく。むしろ今すぐ図書委員もやめて欲しいくらいだ。口外しないと言う誓約書にサインをしてな」

「でも、私、役に立ちたいんです! 紡先輩に恩返しをしたいんです!」

「返されるような恩はない!」

「でも。私はそれを感じています!」

 凪紗は頑なな態度に負けじと詰め寄る。

「迷惑だ」

「でも、私は役に立てますよ」

 文字通りの押し問答が続いた。

「迷惑だ」

(でもここまでは想定内だから)


 だから凪紗は持ってきていた旅行鞄を机の上に置いた。

 そこから大量の本を出し、机の上に並べた。

「私はきっと先輩の役に立てます。私、カミカクシを見つけられるみたいですから。私にはカミカクシの声が聴こえるみたいなんです」

 並べたのは町の図書館で借りてきた本や古本屋に売っていた本。

 もちろんあの『眠り姫』の絵本と違い、凪紗には縁もゆかりもない。

「この子たちの声が聴こえるんです。助けてとか苦しいとか淋しいとかそういう声が。私は先輩の元にこの『種』を届けることが出来るんです」

 凪紗は書守の仕事を理解していない。

 だけど、毎日大量の本に囲まれているこの人がカミカクシの『種』を集めて浄化しているのだと推測することはできた。

「これは先輩の役には立ちませんか。私は先輩の耳と足になれませんか」

「ならない」

(駄目か……やっぱりこの人は私が踏み込むことを良しとしない)

 諦めかけたその時。

「紡君。嘘はいけないわ」

 助け船が出された。

「あなた一人で出来ることが限られているけど、取りこぼすことを許せないあなたはいつも疲弊している。そうよね」

 藤原さんの雰囲気はいつもの柔らかい雰囲気と変わっていた。

「藤原さんは黙っていてください。これは俺と彼女の問題だ」

「あら、そうかしら」

 諭すようでいて、どこか突き放すような言葉。

「ええ、そうですよ」

「でもその凪紗ちゃんが紡君の役に立ちたいと言っているのよ。凪紗ちゃんは貴方に恩を感じている」

「だからそんなものはないと言っているんですよ、俺は!」

 いつも静かに喋る人の大きな声に図書準備室はしんとした。だから凪紗はその静寂を破った。

「それじゃあ私のこの想いは一体どこに向ければ良いんですか!?」

「そんなもの知るか」

「そんなっ!」

「良いじゃない。助手」

「藤原さん、ふざけないで下さい」

「あらやだ。私は本気よ。それじゃあ本部に申請しておくわね」

「勝手なことを!」

「藤原さん、よろしくお願いしますっ!」

「俺は承諾していませんよ! ……――っ!?」


 凪紗は立ち上がる紡先輩の白いシャツを両手で掴んで引き寄せていた。

 目の前の理性を感じさせる黒い瞳が大きく見開かれていた。

 互いの前髪が触れる距離で凪紗は最後の手段に出る。


「紡先輩。……私を助けた責任を取ってください。私のことをあんなに暴いておいて、知らないなんて言わせませんよ。私は、先輩の術が効かなくて、忘れられないんですから。私にも紡先輩の弱いところをちゃんと暴かせてくださいよ」

 囁くようにそう言うと、紡先輩は大きな溜息を吐いた後で凪紗の両手をワイシャツから引き剥がした。

「……もう勝手にしろ」

 そうして凪紗はこの交渉に勝った。

 藤原さんが楽しそうにどこかに電話をかけ始めたので、凪紗は紡先輩と二人で図書館の奥に向かった。彼の定位置であるあの席に。

 当然のように向かい合わせの場所に座ると、紡先輩は本を開きながら問い掛けてきた。

「君は怖くなかったのか」

「何がですか?」

「あんなことがあって、カミカクシを起こす可能性がある本に触れることが怖くなかったのかと聞いている。また同じような目に遭うとは思わなかったのか」

 凪紗は窓の外を見る。彼と出会った桜の樹は、青々とした葉を風に揺らしている。

「正直に言いますと、今先輩に言われるまで気付かなかったですね。でもあれは、カミカクシの原因になった私があの本に触れたからあんなことになったんですよね」

 凪紗が苦笑いしながら言うと、紡先輩は呆れたという声を出す。

「確かにあれは稀な例だった。でも可能性としては決してゼロではない。……同じような感情が君の中にあれば、それは十分そういう事態を引き起こす引き金になる」

「うーん。でも今それを聞いても、大丈夫、何とかなるって思えているんですよね」

 凪紗は笑って見せるが、紡先輩は怪訝な顔をする。

「何故だ」

「だって、紡先輩がいるから」

「……?」

 紡先輩はますます怪訝そうな顔になる。

「先輩はきっと、私のことを助けてくれるでしょう。私が助けて欲しいって望む限りは、足掻く限りは、怒りながらも私のことを助けに来てくれるかなって。そう思えるから」

「……呆れた。君はもう少し頭を使って物を考える人間かと思っていた」

「私、捻くれてますもんね」

 凪紗は首を傾げて笑う。

「ここでそういう台詞が出るくらいなら、まだ重症ではないか」

 そういって溜息をついた先輩は少しだけ優しい顔をしているように見えた。

(ほんと、綺麗な顔だよね)

 凪紗はその笑顔を見て、少しだけ意地悪を思い付く。

「ねえ紡先輩、眠り姫が眠りについた原因になった糸車って、『紡車』とも言うんですよね」

 凪紗がそう言うと、紡先輩は「だからなんだ」とでも言いたげな顔をする。

「それってまるで紡先輩が私のことを眠らせたみたいで、ちょっと皮肉ですよね」

 凪紗は肘をついて両手を頬にあて、紡先輩に満面の笑みを向けた。

(それを少しだけ運命のように感じているけれど、今はまだ言わない)

「うるさい。黙っていろ」

 紡先輩はむっとした顔をすると手にしている本に触れている手を再び動かし始めた。

 こういう顔の方が紡先輩らしくて落ち着くかもしれないなと凪紗は思った。

 それから図書委員の仕事をして、夕方になると紡先輩が家まで送ってくれることになった。




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