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終章 夢のあとのエピローグ③


 あの日からすぐに春の連休に入り、狭間の平日は念のために休みにしたため、凪紗は学校にも図書館にもあれから一度も行っていなかった。


 体調が戻った連休の後半は、小暮さんに誘われて街に遊びに出かけることになった。その帰り道に凪紗は駅近くの公園のベンチに小暮さんを誘った。

「あのね、茉菜ちゃん。聞いて欲しい話があるんだ」

「うん」

「私ね、中学から突発性過眠症っていう病気をしていてね。それで、体調が悪かったり、遅刻しちゃったり、授業がきちんと受けられないこともあるかもしれないの」

「うん」

「呆れたりすることもあるかもしれないけど。面倒くさいって思うこともあるかもしれないけど。私は茉菜ちゃんと仲良くしたいって思っているって、それだけは知っていて欲しいの」

「……うん。分かったよ。分かったよ、凪紗ちゃん……」

 ただ頷いて聞いてくれていた小暮さんが凪紗の名前を呼んだ。

(もしかしたら小暮さんも紡先輩と同じで、何かを察していたのかもしれないな)

「ありがとう、茉菜ちゃん」

 ベンチに座ってから初めて見た彼女の目は真っ直ぐにこちらを見ていた。あの日夕暮れの校庭を駆け抜けていた彼女と同じ真剣な色の瞳だった。凪紗が憧れた瞳がすぐ目の前にあった。

「あのね、凪沙ちゃん! 凪紗ちゃんと仲良くしたいって思ったのは、私の方だよ!」

「えっ」

 凪紗の膝の上に置かれていた両手が目の前の少女の両手に包まれた。

「そうじゃなきゃ、具合悪そうにしてる子だったとしても、わざわざ初対面で話しかけないよ!」

「……茉菜ちゃん」

「凪紗ちゃんと友達になりたいって思ったのは、私だよ!」

 凪紗は熱いものがこみ上げてくるのを感じて、唾を呑んだ。

(そうだ。茉菜ちゃんは、一番に私に声を掛けてくれたクラスメイトだ)

 最初のホームルームで寝てしまって、高橋先生に声を掛けられた凪紗を振り返ってまで声を掛けてくれたのは彼女だった。

「でも、辛いときは言ってね。たぶん言ってくれないと分からないときもあるから」

「うん、ありがとう」

 凪紗は顔を上げて、精一杯の気持ちを伝える。包まれた手がきゅっと握られた。

「凪紗ちゃん。言いづらいこと、教えてくれてありがとう」

「ううん。聞いてくれてありがとう、茉菜ちゃん」


(もしもあの時――あの冷たい雪の日に決別したあの子にも、こうやって打ち明けていたら何かが変わっただろうか。……あの子は少しだけ茉菜ちゃんと似ているから)

 でもそれはもう過ぎたこと。

 あのときの私にそんな勇気はなかったから。

 だからそれはあり得ない仮定で。

 だけど、もしまたいつか会うことが出来たなら。

 もう友達に戻れなかったとしても。

 それでもせめて、大好きだったことは伝えよう。


「でもどうして急に話してくれる気になったの」

「……紡先輩が勇気をくれたんだ。詳しいことは話せないんだけどね」

 茉菜ちゃんはきょとんとしてこちらを見た。

「そっか。じゃあ歌雲先輩は凪紗ちゃんを助けたいって思ったんだね」

 事情を知らないはずなのに、助けるという言葉を使った茉菜ちゃんに凪紗は少しだけ驚く。

「そうなの、かな」

「きっとそうだよ」

 彼女の笑顔は人を救う笑顔だ。

(あの子のことを大切にできなかった分、私はこの子のことを大切にしよう)

「……茉菜ちゃん、大好き」

 凪紗がそう言うと、茉菜ちゃんは凪紗を強く抱き締めてくれた。だから凪紗はそっと宝物を扱うように抱き締め返した。抱きしめる腕が緩んだ頃、茉菜ちゃんは凪紗の両腕に手を添えたまま、にやにや顔で言った。

「でも凪紗ちゃんってば、いつのまに歌雲先輩のこと下の名前で呼ぶようになったのかなー」

「えーっと……ついこの間かな?」

 凪紗はつい視線を逸らしてしまう。これでは何かあったと言ってしまっているようなものだ。

「二人の間に一体何があったのかなー」

「……単純に歌雲先輩って呼びづらいからだよ」

「本当かなー」

「藤原さんが『紡君』って名前で呼ぶから、うつっちゃったんだよー」

「怪しいなー」

「茉菜ちゃんが思っているようなことは、本当に何もないからね!」

 最後は少しだけ大きな声で言い切ると、凪紗は脇に置いていた鞄を掴んでその場を後にした。

「茉菜ちゃん、また学校でね!」

 夕暮れの中を駆け抜けるのは、今度は凪紗の方だった。



 連休の最終日。凪紗は海岸沿いを散歩していた。

「あれ、白河さんだ。おはよう」

 正面から歩いてきたのはクラスメイトで写真部の彼だった。

「おはようございます。柴崎くん」

「体調はもう大丈夫?」

「はい。もうすっかり元気ですよ」

 凪紗は柴崎くんをじっと見る。彼の手には一眼レフが握られていて、首には太いストラップが掛かっていた。彼の背中の向こうには何人かの男女が居て、皆で海の写真を撮っているようだった。

「部活ですか?」

「うん。時々撮影会をやってるんだよ」

「楽しそうですね」

「――そうだ!白河さんも撮ってみる?」

 写真に興味がないと以前言った凪紗に柴崎くんは優しく笑って尋ねてくれた。

「良いんですか? 前にも言いましたが、私は父と違ってカメラは全然で……」

「いいんだよ。確かに白河さんのお父さんの写真は好きだけど、だから声を掛けたわけじゃないから」

 目の前の彼の笑顔に嘘はないと分かった。偽物の笑顔ばかりだった凪紗には、はっきりと。

「えっと、それじゃあ…お言葉に甘えて」

 凪紗がそう言うと、彼は嬉しそうに首からカメラを外して凪紗に渡してくれた。ずっしりと重たいそれは、小さい頃に父のカメラを持たせてもらったときのことを思い出させた。

 それから柴崎くんにカメラの使い方を教わりながら凪紗は海の写真を撮った。この緑と青の諧調と澄んでいる透明を焼き付けられたらと思いながら。

「うんうん。すっごく上手いよ。なんか俺が撮る写真より温かい感じだなあ」

「ありがとう。そういえば撮る人によって写真は変わるって、お父さんも言っていたかも」

 凪紗がそう言うと、柴崎くんが優しい笑顔をこちらに向ける。

「うまく言えないんだけど、『ああ、そうか。この人には世界がこんなふうに映っているんだ』って思うんだよね。ちょっとだけその人の世界を覗かせてもらった気持ちになるんだ」

「……少しだけ、写真に興味出てきたかもしれない」

「そっか。白河さんも他の人に見えている世界がどういうものか気になるんだね」

 今までは興味がないふりをしていた。だけど凪紗は少しだけ素直になることを決めた。

「うん、そうかもしれない。だけど、踏み込んでいいのか分からないとも思うの」

 凪紗の脳裏には一人の顔が浮かんでいた。

「うーん。踏み込んだって良いんじゃないかな。そりゃあ踏み込み過ぎたら良くはないだろうけどさ。白河さんって、たぶんそういう乱暴なことはしないよね」

 柴崎くんは確信しているように言う。

「どうして?」

「だってさ。『敬語』だよ」

「え……敬語?」

「だってさ、白河さん。ずっと敬語だったでしょ。だけどこうやって話をして、やっと普通に話してくれた。実はちょっと壁を作られているみたいで淋しかったんだけどさ」

 淋しそうな顔をしながらこめかみを掻いた後、柴崎くんは屈託のない笑みを浮かべた。

「今は少し気を許してくれたみたいで嬉しいよ」

 凪紗は自分が彼に対して確かに壁を作っていた自覚がある。

「……ごめんなさい」

「気にしないで! 嬉しいっていう話だから! それにそうやって慎重に人と接するってことは、白河さんはちゃんと人との距離感を測れる人ってことってことでしょ?」

「そうだといいな。……ありがとう。柴崎くん」

 凪紗は笑ってお礼を言った。それからもう少しだけ写真を撮りながら、二人で話をした。

「今度現像した写真を渡すね」

「え、いいのに」

「自分の写真のついでだから」

「ありがとう。柴崎くん。柴崎くんってすごくいい人なんだね」

「……家すぐそこだと思うけど、気を付けて帰ってね」

「うちの場所知ってるんだ」

 凪紗がそう言うと、柴崎くんは分かりやすく慌て出す。

「わーーー!! 俺、今すっごい気持ち悪かったよね!? ごめんね! 通学路だから、知ってるってだけで! いや、これも気持ち悪いかなっ!?」

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」

 凪紗はその慌てぶりに思わず笑ってしまう。

「本当にごめん……」

 しゅんと項垂れる彼は名前に「柴」が付くからではないけれど、耳を垂らして落ち込む柴犬を思わせた。先ほどの人懐っこい感じも犬っぽいかもしれないと思い始める。

「……ふふふ…あはははは」

 凪紗は声をあげて笑い、口元を抑えた。

「お邪魔してごめんね。でもすっごく楽しかったよ」

「よかったら、また遊びに来てよ!」

「うん。ありがとう」

 凪紗は彼に手を振って、散歩を終わらせて家に帰った。



 その夜。凪紗は夜風にあたりながら、窓の外を眺めて考え事をしていた。

 ――歌雲先輩は凪紗ちゃんを助けたいって思ったんだね。

 そう。彼は私のことを助けてくれた。救ってくれた。

 人の悲しみや苦しみを詰め込んだ本たちを浄化している紡先輩。

 そういう黒いモノをたくさん見ている先輩。


「それじゃあ、紡先輩のことは一体誰が救うんだろう。どうしたら先輩を助けられるのかな」

 踏み込んでも良いのだろうか。

 ――踏み込んだって良いんじゃないかな。

 踏み込みたいと、彼を助けたいと願うのは傲慢だろうか。

 凪紗は夜の真っ黒な海を見て、それから宝石みたいな星の輝く夜空を見上げた。

 春の星座が空に浮かび、黒い夜の寂しさを掻き消していた。


「――私、決めた」


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