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第五章 眠り姫に目覚めのキスを②


 広間に戻り、もう一度あの眠り姫の元へと続く長く美しい階段を上る。

 そしてもう一度あの夜空色の扉を開くと、眠り姫が変わらずに美しい姿で眠っていた。濁りの無い金色の髪も陶器のように美しい肌もそのままに。

 凪紗はその扉を開けると数歩進み出て、身体ごと後ろを振り返った。

「紡先輩、ありがとうございました」

 手を伸ばしても届かない距離にいる彼は優しいやり方と優しくないやり方で、最後まで凪紗の旅路を見守ってくれた。

(この人は私をちゃんと、助けてくれた。約束を守ってくれた)

「私は私の全部を好きになんてなれない。それでも愛するって決めました」

 凪紗は決意を告げる。

「自分の全部を好きな人間なんて気持ち悪いだろう。完全に満たされている人間なんて人間じゃないし、そんな奴はきっと生まれた瞬間に死んでいる」

 憮然と告げる紡先輩の黒い瞳に窓の外の夜明け前の色が映っていた。もうタイムリミットは近い。太陽はきっと地平線のすぐそばまで来ている。

「先輩らしいですね」

 凪紗がそう笑って正面に向き直ると一歩足音がした。その後で凪紗の背中がとんと押された。

(まるで「大丈夫だ」って、言われているみたい)

 その大きくて力強い手に、凪紗に妙な安心感を覚えた。

「ずっと思っていたんですけど、先輩って、すごく捻くれていますよね」

 凪紗は振り返る代わりに眠り姫の部屋に置かれた姿見を見る。そこには凪紗と一緒に紡先輩が映り込んでいた。その表情は隠れて見えないけれど。

「ここまで大規模な『カミカクシ』を拗らせている君には言われたくないな」

 紡先輩は不服そうな顔できっと凪紗の背中を見つめているのだろう。

「それは確かにそうかもしれませんね」

 凪紗は「あはは」と声を上げて笑い、今度こそ一歩前に進み出る。眠り続ける彼女のもとへ。

「私もこの子ももう大丈夫です。大事なことに気付けたから」

 凪紗は胸に手をあてる。凪紗はもう振り向かなかった。

 ベールのような白い天蓋を開けると、美しき眠り姫の寝台に腰掛ける。そしてその美しい顔を覗き込んだ。

【私を助けて】

 助けを求め続けていた彼女の声は、今はもう温もりのあるものに聴こえていた。

「長い間、待たせちゃってごめんね」

 そっと屈んで、その白い頬をそっと包むように右手を添えた。反対側の手で眠り姫の顔にかかっている金糸のように美しい髪を指で優しく流す。そして自分の冷えた頬にかかっている髪も同じように耳に掛けた。

「……助けに来たよ」

 お互いの額が触れる距離で、長い金色の睫毛を見つめた。

「ねえ。貴女はどんな夢を見たのかな。……私の夢は、そんなに悪い夢じゃなかったよ」


 凪紗は微笑み――その赤い唇に口付けた。



 眠り姫の眠りを覚ますのは、『愛する者』からの口付け。

 色々なことが拗れて縺れて、凪紗の創ったカミカクシの結末は変わってしまったけれど。

 眠り姫の眠りを覚ますその条件は、彼女の血縁ではない国外の人間。あの絵本では王子様が口付けたけれど、本当は魔女の口付けでも眠り姫は目を覚ましたのだ。

 だって、小さき黒魔女はお姫様を愛していたから。


「――おはよう、『眠り姫』」


 眠り姫は翡翠色の瞳に再び光を灯し、長い夢から目覚めた。

 夜が明け、どこからか花開いた薔薇の香りが漂った。

 あの絵本の最後の頁と同じ美しい景色が城の周囲を彩る。

 茨に覆われたその世界では蕾の時を一瞬で越え、見事な薄紅の薔薇が無数に花開いていた。

 桜と同じ薄紅色が凪紗の世界を覆った。


 最後に見たのは、その景色と黄金の光の道標。



     ❀



 桜の色を思わせるその花の色は、少女の旅立ちを祝福している花道のようだった。

 迷い続けた少女は、桜よりも大きく花開く薔薇の花道に見送られながら、在るべき場所への帰り道を進み出す。

 紡の目には、そんな彼女のすぐ横で穏やかに笑う小さな黒魔女が映って見えた。

 紡に自分が見えていることに気付いた小さな魔女は、紡に向かって笑顔で手を振る。

 その口は「ばいばい」と言っているようだった。

「君も救われただろうか」

 紡は応えるように片手を上げて見せた。

「さよならだな。小さな魔女どの」


 紡は元の世界に戻る少女の道標となるために、祝詞(まほう)を唱える。

 黄金の光は部屋中を包み、小さな魔女の姿は見えなくなった。



     ✿



 ――これはとある国の王様とお妃様の間に生まれたとても美しいお姫様の物語。


 昔むかしとある国に心優しい王様とお妃様がいました。

 ある年、国民に好かれるその王様とお妃様の間にとても可愛らしいお姫様が生まれました。その生誕の祝いの席はとても盛大に行われました。

魔女すらも祝福を授けにやって来るほどです。招いた十二人の善き魔女は生まれたばかりのお姫様に、それぞれ祝福を授けてくれると言います。美しさや富、恵まれた才能、そして王様やお妃様と同じように、国民に慕われる優しくて勇気のある心がお姫様には授けられました。

 そして九人の魔女が祝福を授け終えたときでした。

 宴に招待されなかった十三番目の悪い魔女が突然姿を現します。悪い魔女は言いました。

「姫の誕生を心より祝福いたします。私からは姫の人生に『運命』という祝福を授けましょう」

 十三番目の魔女は呪文を唱え、生まれたばかりのお姫様に呪いをかけました。それはお姫様が十五歳の誕生日に糸車の針に指を指し、死んでしまうという呪いでした。

「おめでとう。これで姫は楽しく刺激的で幸せな人生を約束されました」

 十三番目の魔女は楽しそうに笑いながら去っていき、祝いの席は瞬く間に悲しみと絶望に包まれます。

 しかし、幸いにもまだ善き魔女の祝福が三人分残されていました。

「安心してください。まだ私たちの祝福が残されています」

 十番目の善き魔女は呪いの力を弱める祝福を授けました。

 それは『死の呪い』を『眠りの呪い』へと変えました。

「私の祝福により、姫の呪いは死ではなく、眠りへと姿を変えました。ただし、私の祝福の期限は百年です。姫が眠りについてから百年が経つまでに呪いが解かれなければ、姫は一生の眠りにつくでしょう」

 十一番目の善き魔女は呪いを解くための祝福を授けました。それは『眠りの呪い』を『消せるもの』へと変えました。

「私の祝福により、姫は姫を心から愛する者の口付けでその呪いを解くことができます。ただし、それは姫の血族を除外した他国の人間に限ります。それ以外の者の口付けでは姫は眠りから目覚めないでしょう」

 十二番目の善き魔女は未来への祝福を授けました。

「私は祝福を姫の呪いが発動する十五年後に授けます。その時には眠りにつく姫とこの国を守るための祝福を授けましょう。それまで私は十三番目の魔女に見つからないように身を隠します。ですが、約束の時には、再びこのお城に現れましょう」

 祝福を授けた十一人の善き魔女たちは国の近くに残り、国の行方を見守りました。一方、十二番目の善き魔女は仲間たちに再会を約束し、十三番目の悪い魔女に捕まってしまわないように遠い地へと旅立っていきました。


 そして十五年の月日が流れます。お姫様は善き魔女たちの祝福の通り、美しく聡明に真っ直ぐな心根を持つ優しくも勇敢なお姫様に育ちました。

 十五年の間に王様と王妃様はなんとか呪いを回避できればと、国中の糸車を焼きました。しかし、魔女の呪いはとても強力なものでした。お姫様は十五歳の誕生日にお城で一番高い塔に現れた魔法の糸車の針に、指に刺してしまいます。

 そしてお姫様は長い眠りについてしまいました。

 その呪いが発動した時、最後の祝福を残していた十二番目の善き魔女が約束通りに現れます。十二番目の魔女はお姫様を高くて淋しい塔から、お姫様の美しい部屋に運びます。そして十二番目の魔女は、老いてしまった力を振り絞り、最期の祝福を授けました。

「眠り姫が目覚めても寂しくないように、お城や城下町、国中の人々の時間を止めましょう。そして試練を乗り越えられる者だけが辿り着けるよう、茨で城と姫を守りましょう」

 その祝福を授けた時、時間を止めるという大きな祝福の代償に十二番目の魔女は魔法の力を失いました。


 それからまた長い年月が経ちました。

 眠り姫が眠りについてから、もうまもなく百年が経とうという時でした。茨に覆われた城とそこで眠る姫の噂を聞いた、とある国の王子様が近くを通りかかりました。世界を知る旅に出ていた王子様はとても勇敢で優しい王子様でした。

 王子様は剣を握り、茨に覆われてしまったお城まで辿り着きます。試練を乗り越えて、ついに王子様はお姫様の下へと辿り着いたのです。しかし、王子様にはお姫様の眠りを覚ます方法が分かりませんでした。

 王子様は城に滞在しながら、お姫様が目を覚ます方法を探します。毎日眠っているお姫様に自分がした冒険の話やお姫様が目を覚ましたくなるような楽しい物語を語って聞かせました。

 そしてある日。城に残された王様と王妃様の手記から、姫の呪いを解く方法を知ることができました。それは姫を心から愛する者の口付けだということを知ることが出来ました。いつの間にか姫を愛していた王子様は眠っているお姫様を助けるために口付けをします。

 ついに姫は百年の眠りから目を覚ましました。それと同時に国中の時を止める魔法と茨の魔法は解除され、再び時が流れ始めました。

 お姫様は王子様と結ばれ、国中は祝福に包まれ、皆が末永く幸せに暮らしました。



     ✿



 ――これは十三番目の魔女の物語。

 小さき黒魔女が紡に託した黒い頁の物語。最後の隠された物語。貼り付いて剥がれなくなった結末の後の物語。ずっとずっとひとりぼっちだった小さき黒魔女の物語。


 黒魔女は寂しくて、淋しくて、森の奥からこっそりと出てきては城下町やお城を覗いていた。

 誰にも見向きもされない黒魔女はずっと誰かに遊んで欲しかった。

 愛して欲しかった。

 黒魔女はある日、風の噂でお姫様が生まれたことを祝う宴に魔女が招待されると聞きつけた。

 しかし、黒魔女はその宴に招かれることはなかった。

 黒魔女はそれがとても悲しかった。

 だけど、きっとお姫様は遊んでくれるから。

 大きくなるまで待とうと思った。

 優しいお姉さんになるまで待とうと思った。

 それまでは運命と闘うお姫様を物語のように見守ろうと思った。

 特別なお姫様の人生はやっぱり刺激的じゃないといけない。特別じゃないといけない。

 時間になったら、その呪いを解けばいい。そう思った。なのに。

 呪いは形を変えてしまった。

 元の形ではない呪いは黒魔女にはもう解けない。

 そうして王子様が来るまでの長い時を待たなくてはいけなくなった。

 だから仕方がなく待つことにした。待つのは得意だから。

 淋しいのにももう慣れてしまったから。

 それに終わりが分かれば怖くない。


 お城の中で黒魔女は眠り続けるお姫様の寝顔を眺めて過ごした。

 時には話しかけ、時には一人遊びをしながら過ごした。

 そして、待ちに待った姫を目覚めさせる可能性のある人間が――王子様がやって来た。

 黒魔女は王子様がお姫様を愛せるように、すぐに目覚めの答えを出さずにわざと待つことにした。

 そして王子様がお姫様を愛したと分かったとき。

 王様と王妃様の手記を王子様が読むようにこっそりと魔法をかけた。

 そうして姫を目覚めさせるための魔法を王子に教えた。そうしてようやくお姫様が目を覚ました。


 黒魔女は、今度はきちんと玄関からお姫様を訪ねた。

 黒いローブではなく、今度は宴にぴったりな華やかな水色の衣装を身に纏って。

「わたしは十三番目の魔女。お姫様、どうか私と遊んでください」

「こんにちは、小さな魔女さん。私はこの国の王女です。ずっと一緒に居てくれましたね」

「はい。わたしはずっとお姫様のそばにいました」

「ありがとう。あなたのおかげで私は淋しくなかったわ。ぜひ一緒に遊びましょう」

「ありがとう。わたしはたくさん待って、たくさん淋しかったけれど、もう大丈夫」

 小さな魔女はもう淋しくなくなった。

 ずっと流していた涙はやっと止まり、小さな魔女は今度こそ、にっこりと幸せそうに笑った。



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