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第四章 小さき黒魔女⑤


「全部、私が悪いんですよ」


 彼女はきっとそう思わないと気が狂いそうだったのだろう。

 笑顔で本心を誤魔化す人間なら紡の周りには沢山いる。それは策略だったり、駆け引きだったり。でも彼女のそれは、紡の周りにいるそんな人間のそれとはどこか違っていた。今、その理由が解ってしまった。

(……そうか。彼女は自分を守るために笑顔で武装しているように見せかけて、その実、何も守ってなどいなかったんだ)


 紡は彼女の笑顔が嫌いだった。

 彼女は相手が望むように笑い、相手が望むように振る舞う。だから、その空っぽの笑顔を「気持ち悪い」とさえ思っていた。相手が望むように振る舞う人間はなんて気味が悪いんだろう。そんなものは人形のように感情のない人間よりも気持ちが悪い。そんなものは人間じゃない。彼女に彼女自身の意思はないのか。そう思っていた。

(俺はずっと思い違いをしていた)

 書守としての日常に非日常(イレギュラー)ばかり起こす白河凪紗という少女に、紡は内心腹が立っていた。

 図書館の桜の樹の下。紡が張った【人払い】の術を擦り抜けて、彼女があの樹の下――『書守の神』の領域に立ち入ってきたこと。二回目は自分以外が入らないように【忌避】の術を施した図書委員に入ってきたこと。書守の術を平然と擦り抜ける彼女に苛立った。

(いいや。違う。本当は怖かったんだ。俺の日常を壊されることが)

 カミカクシに遭う人間はいつも何かに絶望していた。カミカクシの世界の主となった者は、ただ泣いている人間ばかりだった。だが、彼女はいつも笑っていた。この世界に来る前もその後も。

 ここまで本の世界が鮮明に具現化しているのを見るのは初めてだった。

 カミカクシはいつもどこか薄ぼんやりと霞のような世界だった。彼女のように、状況をすぐに受け入れる人間は初めてだった。

(俺は惑わされていたんだ。彼女の笑顔の意味をはき違えていたんだ。彼女はその弱さと強さ故に、笑っていたんだ。誰も傷付けたくなかったから)


 彼女はこの町に来たことすらも、誰かの――彼女の父親や周りの人間の意志に従ったんだ。彼女はきっと自分が兄のところに行きたいとも、この町に来たいとも、実家に残りたいとも誰にも言わなかったはずだ。


 紡は再び歩き始めた少女の背中に、懺悔する。

「今回のことは俺の失策だ。俺が判断を誤った。すまなかった」

 紡はぐっと拳を握った。紡はもっと早く対処するべきだったのだ。下手に彼女を警戒して、想いも書物も失うことを恐れて、対処を怠った。兆候は見えていたのに。

 微睡の中にいるカミカクシの『種』は、『想いの主』に僅かな影響を与える。しかし、通常は簡単に浄化することができる。それが出来なかった時点で、紡は歌雲家や上に相談するべきだったのだ。

 紡は罪悪感から目の前の少女から目を逸らす。

「……君が全部悪い、なんてことは絶対にない」

 紡は相手を慰めるようなことを言う自分の口に驚いた。

「誰か一人が悪いわけではないからこの世はままならないんだ。善も悪も無いから、人は傷付き、傷付け合うんだ。君は、ただ運が悪かっただけだ」

 彼女に非があるわけではない。それでも彼女は自分に非があったと思うことで、自分を納得させたのだろう。黒くて悪い魔女は自分だと、自分を納得させたのだ。善悪の答えがないことが、彼女には怖かったのだ。

 それは紡だって同じだ。彼女は正しい。紡は彼女に嘘を吐いていた。

(……俺にも怖いものはある。俺は『守れない』ことが怖いんだ)

 紡は奥歯を噛み締める。

(そして、彼女がここまでカミカクシに『気に入られた』のも、十年前に俺が彼女を助けるために分け与えた『血』が原因の一つかもしれない。効力を失ったはずの力が何故、戻ったのかは分からないが、もしそうであれば、彼女が書守の術をすり抜けたことや抵抗できたことの説明も付く)

そうであれば、これは紡が『守り切れなかった』からこそ起こった、『紡の不始末』だ。



     ❀



 これは白河凪紗に語られることのない、歌雲紡の後悔の物語だ。


 今から十年前の春。まだ桜が咲く前のある日、紡は一人の少女と出会った。

「はじめまして、『なぎさ』です」

「こんにちは。僕は歌雲紡です」

「よろしくおねがいします。つむぐおにいちゃん」

 幼い割に礼儀正しく、良く笑う少女だったことを覚えている。

 少女の父親は写真家で、地元の写真を撮りに来た父親に彼女は同行していた。紡の両親は、少女の両親と学生時代に随分と仲が良かったらしく、父娘を家に招待したのだそうだ。

 彼女の父親が撮影に出掛ける日には、少女は紡の家に預けられることもあり、年の近い二人は必然的に一緒に本を読んだり、遊ぶことになった。

 末っ子の紡は彼女の前ではお兄さんぶれることが嬉しく、彼女が紡の名前を呼んで追い掛けて来てくれることが嬉しかった。

 だから、間違えた。


 家の者に内緒で、ちょうど見ごろを迎えたあの桜の樹まで、彼女を連れて行ってしまったのだ。

「わあ、すごいね。つむぐおにいちゃん。きれいだね。ようせいさんがすんでそう」

「妖精は住んでないよ。神様なら住んでるけど」

 そんなことをふざけて言った数日後の夕方。少女の父親が紡の家に駆け込んで来た。

「すみません! 凪紗、来てませんか!?」

 紡は玄関から聞こえてくる家人と少女の父親の会話を、居間からこっそりと聞いていた。

「こんな書き置きがあって!」

「『かみさまにあいにいってきます』……?」

「実は、あの子の兄が怪我をしたと昼間に連絡があって。神様にお祈りしないといけないねという話を……」

 紡はその言葉を聞いて、今の縁側から直接靴を履き、駆け出していた。

 そこに着いた時、少女は桜の樹の下、祠の前でぐったりと地面に倒れていた。

 血を雪で薄めたような花弁に覆われた彼女の手元には、本がいくつも落ちていた。紡は当時七歳で、書守として活動をし始める十二歳になるまでは、まだ随分と時間があったが、カミカクシの気配を感じることは出来た。

 紡はそこで何が起きたのかを察した。おそらく彼女は浄化前のカミカクシを保管していた祠に手を触れたのだ。そして、カミカクシの【穢れ】に中てられたのだ。

 黒い靄が彼女の身体を覆い始めていた。

「このままじゃ、取り込まれる……! 助けなきゃ!」

 そう思う理由も、助ける方法も分からなかった。だけど、その声が頭に響いた。

【書守の血は、穢れを祓う血だよ。彼女にお前の血を飲ませるんだ】

 祠の扉を風と共に開き、紡は中に供えられている短刀を取り出して、腕を斬り付けた。傷口から染み出る血は見る見るうちに玉となり、紡はそれを仰向けにした彼女の口元に落とした。

「お願いだ! 戻ってきて! 目を覚まして! なぎさちゃん!」

 紡は自身の血を、彼女の唇が赤く染まるまで零した。

 やがて少女の身体を覆っていた黒い靄が消え、少女が咳き込みながら目覚めた。

「……っ! ごほっ、ごほっ」

「なぎさちゃん! 大丈夫!?」

「……つむぐおにいちゃん。こわかったよお。まっくらでつめたくて、こわかったよお」

 少女は大粒の涙を零しながら、縋るように紡に抱き着いた。

 しかし、紡はそれを受け止めることが出来なかった。

「……巻きこんで、ごめん」

 紡は最後の意地で、零れそうになる涙を何とか堪えた。

「……だけど、ちゃんと忘れられるから」

 そう言って、彼女の手を離した。

「つむぐ…おにいちゃん……?」


 カミカクシに関わった人間が、書守の力に触れた人間がどうなるかを幼い紡も知っていた。

 その直後、どこからともなく現れた当時波雲高校に通いながら書守をしていた兄によって、記憶を消され、紡の母親の勤める病院に運ばれていった。それが彼女との最後だった。

 彼女はカミカクシに遭ったことも紡のことも全て忘れた。

 穢れや紡が飲ませた書守の血の影響がないことを調べられた後、彼女は無事に退院し、元の生活に戻ったことは母親から聞かされた。


 紡も当時は自身の不用意さとその無力さだけを感じた出来事を度々思い出していたが、いつしかそれは遠い昔の出来事のように感じるようになっていた。

(だから人は過ちを繰り返すんだろうか)


 だから、少女はこの旅路の終わりのその先で、この旅路のことも忘れるのだ。

(そうしたら、俺はもう彼女とは関わらない)


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