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第四章 小さき黒魔女②


「なぎさ、このえほんがいいー!」


 小さな自分が大きな絵本を両手に持って両親に差し出していた。

 それは確か四歳の誕生日。綺麗な絵本が揃った本屋だった。

 凪紗が魅入られたのはとても綺麗な絵本で、それは確かに一目惚れだった。幼い凪紗にはその絵本に魔法がかかっているように感じた。

 美しい城と茨。眠る美しいお姫様。鮮やかで優しい色彩。そして、ところどころに埋め込まれている偽物の宝石たち。

 凪紗にはそれが宝物のようにきらきらと輝いて見えた。


「確かに綺麗な絵本だけど、凪紗にはまだこの本は早いんじゃないのか」

 父が言った。

「そうね。凪紗にはこっちの絵本の方が良いんじゃない。この本はもっとお姉さんになってからじゃないと難しそうよ」

 母が言った。

「ううん。このえほんがいいのっ!」

 凪紗はぎゅっとその絵本を抱きしめた。

「なぎさ、はやくおとなになるもの」

 そう言うと両親は目を見合わせて笑った。

「そこまで言うならこの本にするか」

「そうねえ。珍しい絵本みたいだし」

 凪紗は、ぱあっと明るく笑う。もう今の凪紗には出来ない心からの笑み。穢れの無い笑み。

「ありがとう。おとうさん、おかあさん。だいじにするね」

 あの時、両親は凪紗の頭を撫でてくれた。

(私は、それがとても嬉しかった)

 だから、あの絵本はその想い出と共に、凪紗の宝物になったのだ。

 灰かぶり姫や人魚姫なら結末は違っていたのかもしれない。毒林檎を食べて眠りについた白雪姫だったなら、少しだけ危うかったかもしれない。だけどきっと。幼い凪紗が選んだ絵本が『眠り姫』だったから、現在(いま)という結末に辿り着いたのだ。

「こんなことなら、あの時我儘を言わなければ良かったのかな」

 凪紗の呟きはきっと意味がない。過去にはもう、戻らないのだから。人生にやり直しなんてきかないのだから。それが分かるくらいに、凪紗は大人になった。あの時の言葉どおりに。


 凪紗は暗闇の中を進んだ。待っている人の元に戻るために。闇の中にそれだけ光ってぽつりと地面に置かれた本が現れ、屈んでそれを左手で持ち上げた。それはあの『眠り姫』の絵本。右手に持っていた真っ黒な頁を近付けると、それは絵本の表紙に吸い込まれていった。

「消えちゃった……」

 凪紗は本を撫でるように、その絵本の物語を思い浮かべる。


 絵本の中のお姫様。きっと幸せで、ずっと幸せで、不幸が訪れても必ず救われて。最後には誰よりも幸せになる。

(そんな彼女が羨ましかった)

 同じ『眠りの呪い』でもこんなにも違うのかと絶望した。

(私には『救い』なんてものは見えなかった。私の物語にも、悪い魔女がいたのなら良かった)

 呪われていたのなら、どんなに救われただろう。

(そうすれば、全部悪い魔女のせいに、できたから)

 呪いのせいにできたから。

 だけど、現実には悪い魔女なんてものも、呪いなんてものも何処にも無い。

(呪いなんて無くて、誰も悪くないから、誰も責められない)

 ――だから。何も見えなくて。見たくなくて。

 全てから逃げた自分と、物語の中の彼女は、何もかも違い過ぎて。

 ――苦しくて、悲しくて。だから、捨てたんだ。

 ――あの絵本を、手放したんだ。


 凪紗の手にあった絵本は光を失い、この闇の中ではまるで消えてしまったようだった。凪紗がぐっと左手に力を入れると絵本が一瞬にして輝きを取り戻す。それと同時に真っ黒な世界が崩れていった。

 気が付けば、凪紗は元居た場所に戻ってきていた。今はもう光を失った絵本から顔を上げて、意地悪な先輩を真っ直ぐに見つめる。

「お待たせしました」

 凪紗は笑った。笑顔が凪紗を守る盾だったから。

(私は「いばら」。自分を守るために他者を傷つける。花を咲かすことができない滑稽な棘だ)

 凪紗は自分の黒い部分を受け入れた。次にやるべきことが、凪紗にはもう分かっていた。



     ❀



 消えていた気配が戻り、紡は顔を上げる。

「……戻ってきたな」

 ふわりと舞うように地面についた彼女は顔を上げる。あの小さき黒魔女と同じ茶色の瞳がこちらを見つめていた。

「お待たせしました」

 笑顔の彼女に紡は構える。

(彼女はやっぱり見たままの人間じゃないな。カミカクシが隠した記憶を無理矢理にこじ開けられて、笑える人間がいるなんてな。……それとも失敗したのか)

「ちゃんと、向き合ってきたんだろうな」

 紡は目の前の少女の瞳を探る。

「はい。ちゃんと自分と向き合ってきましたよ。見ないようにしていた自分の、弱くて黒い部分を、ちゃんと見てきましたよ。ちゃんと頁も取り戻しました」

 そして今、目の前の少女の瞳は過去と現在を映す小さな鏡に見えた。鏡は虚像を映すが、その色に嘘はなさそうだった。

「だけど、頁はまだ足りないんです……私がちゃんと終われるように、結末が迎えられるように、私の物語を聞いて下さい」

 彼女は何かを決意したような瞳をしていた。常に顔に貼り付けていた偽物の笑顔はそこには無くなっていた。彼女はついに剥がしたのだ。その仮面を――自分を守るための盾を。

「このままだと先輩はきっと、この絵本のことを救えないですよ」

 彼女は手にしている絵本を見ながら、全てを分かっているように言った。

「私の真っ黒な感情で汚れてしまったこの絵本()は、私の命で浄化したとしても、きっと元には戻らないんですよね。もし戻ったとしても、きっとこの絵本を救う結果にはならない」

 そこにあったのは、挑戦的な瞳だった。

「歌雲先輩は『カミカクシ』というものは『想いの主』の命で浄化されるって言っていましたね。だけど、もしそうなったらこの本は処分されてしまうんじゃないですか。そんな危ないモノ、人の手が触れる場所になんて置いておけないですもんね」

 彼女は紡に一歩ずつ近付いてくる。

「…………」

 紡は彼女の問いに答えなかった。しかし、彼女は構わずに続けた。

「先輩は、国の名前の下で動いていると仰っていました。……国っていうのは、『物』じゃなくて、『人』を中心に動くんですよね。人間は『物』のために『人』が犠牲になることをきっと良しとはしないんじゃないでしょうか」


 彼女の言う通りだった。

 人の命を喰べたカミカクシは処分される。浄化の炎に燃やされて、塵すら残らない。

 この絵本がそうだったように、書守の術で浄化できない本は本来ならば、即処分される。カミカクシが処分されれば、染みを付けた想いも書物も失われる。

 だから紡はギリギリまで報告しなかったのだ。結局、事態は悪い方にと進んでしまった。


「私が言っていることは当たらずとも遠からず、なのではないですか」

 彼女は紡のすぐ目の前まで迫っており、強い瞳がこちらを見上げていた。

「……俺を脅す気か」

 紡も同じように彼女を見下ろす。自身の挑発を受けた紡を見て、彼女はふっと息を吐く。

「そう捉えていただいて構いませんよ。だって先輩は見捨てられないんですよね。だって……先輩は本当に優しい人だから」

 無邪気な顔で笑う彼女は、やはり底が知れない人間だと思った。もうあの時の彼女と、今の彼女は同じじゃない。時間の流れがそうさせたのだ。

「――だから、私のバッドエンドを聞いてください。歌雲先輩」

(彼女の配役は間違いなく、『魔女』だ)

「好きにしろ。此処は君の物語の中だ」

 紡は小さき黒魔女が残していった絵本の頁――淡い薔薇色に塗られた頁を彼女に手渡す。彼女がそれを受け取ると、それはその手に握られている絵本の中に溶けて消えた。彼女はそれを驚きもせずに眺めた後、もう一度口を開いた。


「――それでは、始めますね。人が紡いだ物語を読んでも、自分の編んだ物語を語る側になることは初めてなので、うまくお話できるか分かりませんが」


 曇りのない瞳で白河凪紗は笑い、崩れかけている城壁に腰掛ける。

 顔を伏せて想い出すように瞳を閉じた後、彼女は顔にかかる髪を耳に掛けた。

 そしてこの世界の青過ぎる空を仰ぎ見るのを、紡はその横に座り見つめた。



「――それは昔の事でした。普通というものの定義はさておき、私はごくごく普通の女の子でした。綺麗なものや可愛いものに惹かれて、物語の中のお姫様にも憧れる。そんな女の子でした――」


 黒い魔女の黒くて悲しい独白が始まった。


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