第四章 小さき黒魔女①
この世界の主を見送った紡は、すぐに後ろを振り返る。
「おい、出てこい。……そこに居るんだろう」
紡がそう言うと、茨の陰で人の影が動いた。それはきっとこの物語の登場人物の一人だ。白河凪紗は気付いていなかったが、その人物はずっと紡たちの後をつけて来ていた。紡は人物がいる方向を射るように見つめた。
「早く出てこい」
「……うふふっ。みつかっちゃった」
呼び掛けた張本人であるにも関わらず、紡はその声と姿に驚いた。
「……子供?」
出てきたのは地面に引き摺られるくらいに長い黒いローブを身に纏っている幼い少女だった。目深にまぶったフードでその顔は見えないが、その口元は楽しそうに三日月を描いていた。
「あははっ」
「お前は誰だ」
「わたしはねっ。『じゅうさんばんめのまじょ』だよっ」
紡は、楽しそうに笑いながら魔女と名乗る幼い少女に早足で近付く。そしてその視線の高さに合わせるために地面に膝をつき、目深に被られたフードを指で持ち上げる。ぱさりとフードが落ちると、その顔をはっきりと見ることが出来た。紡の予想外の行動に驚いたのか、きょとんとした茶色の瞳がこちらを見上げていた。
紡はその姿にも一瞬あっけにとられる。あまりにも幼い日の『彼女』に似ていたから。
「あー、なんでとっちゃうのー!」
不服そうな顔で小さき魔女がこちらを睨み上げているが、頬を膨らませている様は全く怖くない。なぜなら、十年前の春、紡はその姿の少女と一緒に遊んでいたからだ。
「君が、『十三番目の魔女』……つまり『悪い魔女』か」
「『くろまじょ』っていうひともいるよっ」
魔女は、今度はにっこりとこちらを見ている。表情がころころ変わるのも子供そのものだ。
「……小さき黒魔女か」
「そうだよっ。ねえ、おにいちゃんはだあれ?」
「俺か? 俺は歌雲紡だ」
「じゃあ、『つむぐおにいちゃん』だねっ」
その笑顔に紡は固まった。それはかつてその姿の少女が自身のことをそう呼んでいたからだ。
「……君は、白河凪紗だったのか?」
深く考えずに口走っていた。紡は思わず自分の口を手で塞ぐが、魔女は紡の様子を気にする素振りはなく憤慨した。
「ちがうよっ! わたしは『じゅうさんばんめのまじょ』だっていったでしょー!」
色素の薄い茶色の瞳と茶色の髪。丸い瞳と顔のパーツは少しずつ違うが、目の前の魔女の姿は、想い出してみれば今の彼女と完全に結び付く。二度と出会うことはないと思っていたから、疑うこともしなかった。
(俺は十年前、彼女に会っていた――)
でもそれで全てが繋がった気がした。
紡は考え込むが、小さな手に腕を引っ張られてすぐに意識を戻された。
「つむぐおにいちゃん、あそぼー! あのおねえちゃんはいなくなっちゃったんでしょー!」
(この姿は彼女の記憶を基に作った姿ということだろうか)
小さき黒魔女は紡の腕にまとわりついて、力いっぱいその腕を引いてくる。
「やめろ。引っ張るな。君とは遊ばない」
「やだやだ! あそんで!」
「遊ばないと言っているだろう」
駄々をこねる子供に付き合っている暇はない。
「つむぐおにいちゃんは、いじわるだね!」
「ああ、そうだ。俺は意地悪なんだ」
紡は意地悪な視線を送ると、幼い魔女はみるみる内に瞳に涙を溜め出した。
「ええーん!」
幼い魔女は大声で泣き始める。
「あそんでくれないと、えぐっ、ないちゃうよー」
「もう泣いているだろうが」
紡はその手を小さい頭に置き、その心許なくも柔らかい髪を撫でると小さき黒魔女は猫のように紡の手に頭を擦り付けてきた。とりあえず好きにさせていると、小さき黒魔女は紡の懐に入り込んで抱き着いてきた。
「うふふっ。つむぐおにいちゃん、あったかいねえ」
「泣き止んだみたいだな」
「わたしは、なきむしなまじょだから、みんなにきらわれちゃうんだー」
「嫌われる?」
「そうだよ。わたしはなきむしでわがままだから、みんなわたしのことをきらいなの」
(嫌いか……)
そういう負の感情は、カミカクシの鍵になる。
(色々と聞き出しておくか)
「へえ。それは誰が言ったんだ」
「みんなだよっ。わたしがなきむしなこどもだから、わたしは『ぱーてぃー』にしょうたいしてくれなかったの」
(そういえばこんな子供の姿をしているが、こいつは眠り姫を呪った魔女だったな)
「へえ、みんなか。それで君はどうしたんだ」
「ふふふー。ききたいー? ききたいー?」
小さき黒魔女は上機嫌そうに紡の顔をすぐそばで見上げる。
「ああ、是非とも聞きたいな」
「しょうがないなあ。なら、おしえてあげるよー」
勿体ぶるように言う黒魔女は、少しだけ大人びた顔をして見せた。
「こっそり『おしろ』までいって、おどろかせてあげたの。それでね、おいわいをあげたんだよ! みんなは『のろい』だっていってたけどねっ!」
(ああ、知ってるよ。俺が知りたいと思っているのはその先だ)
「なあ、どうして十二番目の魔女の祝福が終わる前に呪い――いやお祝いをあげたんだ。俺だったら、折角のお祝いを台無しにする『救い』の余地なんて与えないけどな。そもそも十五年も猶予なんて与えない」
紡は我ながら嘘くさい笑顔を浮かべた。
「……君は子供だけど、馬鹿じゃあないだろう」
これがただのおとぎ話だったなら、『意味』など無いのだろう。救いを残しておかないと子供向けのハッピーエンドには辿り着かないのだから。
(だけど、ここは白河凪紗の心が共鳴して創った世界だ。――きっと意味はある。あの女は馬鹿じゃない。ただ、捻くれていて、面倒くさくて、素直じゃない、そんな生きることに不器用な人間なだけだ。何もかも手放してしまいたくなるくらいに)
紡はそう思って、彼女のことを分かったようなことを思う自分に驚いた。しかし、魔女の言葉にすぐに現実に引き戻された。
「だって、かんたんにしんじゃったら、おもしろくないでしょ? それに、わたしはみんなにあそんでほしかっただけなんだから」
「遊んでほしかった……?」
紡は子供そのものの瞳を見ながら問い返す。
「そうだよ。だけど『じゅうばんめ』と『じゅういちばんめ』と『じゅうにばんめ』がよけいなことをするから、ひゃくねんもまつことになっちゃったのっ!」
小さな魔女はおもちゃを取り上げられた子供のように頬を膨らませて不満げな顔をする。
「百年、待つ?」
「だって、わたしは『し(・)ののろい』をじゅうごねんごに『かいじゅ』するよていだったんだからっ!」
「どういう意味だ」
「だからねっ。わたしは、あの『きれいなおひめさま』を『ころす』きなんて、さいしょからなかったのっ!」
「殺す気が、なかっただと……」
紡は茫然とする。大事な部品が嚙み合っていない感覚の正体に気付く。
「そうだよっ。ただ、おひめさまのものがたりが、もっとしげきてきになったらいいなって、おもっただけだよっ! ……だって、そのほうがおもしろいでしょう?」
(純粋な顔をして怖いことを言う。流石は魔女だな)
紡はこめかみを抑える。
「……なんてはた迷惑な」
「いったでしょー。わたしは、わがままだから、みんなからきらわれてるって!」
「それで君は一体何がしたかったんだ。そういう風に言われているのを知っていて、何故そんな真似をしたんだ」
「だって、ぱーてぃーのまえに、まじょのみんなが、『きれいなおひめさま』に『しゅくふく』をあげて、やさしいこになるようにするっていってたから」
小さき黒魔女は、突然照れながらモジモジとし出す。
「だから、みんなからきらわれてるわたしとも、おともだちになってくれるかなっておもったのっ! あそんでくれるかなっておもったのっ!」
紡は大きな溜息を吐いていた。
「……君、捻くれ過ぎだろう」
「いじわるなつむぐおにいちゃんにいわれたくないよー。おにいちゃんだって、とってもひねくれてるよねっ!」
そう言った小さき黒魔女の姿が、あの後輩の姿と重なった。
「そうかもしれないな」
紡は小さき黒魔女の頭に乗せ、無意識に動かしていたその手を止めた。しかし、すかさずその手を小さな両手で掴まれた。
「ねえ、もっと、なでてー!」
「君が本当に望んでいるのは、この手じゃないはずだけどな」
紡はもう一度その柔らかく長い髪を撫でた。
「そんなことないよ。いじわるなつむぐおにいちゃん」
小さき黒魔女は紡の顔をじっと見つめる。
「な(・)ぎ(・)さ(・)とあそんでくれて、ありがとう。それと、なぎさのこと、あのとき、たすけてくれて、ありがとう」
「君も、思い出したのか……」
「ううん……。たぶん、おおきいおねえちゃんは、おもいださないから。だから、なぎさがありがとうっていうね」
小さき黒魔女は、笑顔でそう言うと、薄紅の花吹雪とともに消えていった。
残ったのは、薔薇の香りと手に残った温もり。そして一枚の『薔薇色』の頁。
「やっぱり、君が白河凪紗じゃないか」
紡は小さく笑ったあと、真剣な眼差しで少女が消えた場所を睨む。
「早く戻ってこい。白河凪紗」
紡はきつく拳を握りしめる。
「俺のことなんて、一生想い出さなくていいから、ちゃんと幸せになれ」