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第三章 追憶のいばら⑤


「……あらっ!」

 深夜の図書館に楽しげな声が響く。

「どうしたの、英恵ちゃん」

「どうしましょう! 今、あの二人にものすごく楽しいことが起こっている気がするわ!」

「あらあら、相変わらずね。英恵ちゃん」

「それはこっちの台詞ですよ、京子ちゃん」


 時刻は深夜零時。

 波雲高校の図書館司書でもある「神霊災害局 祈祷呪術特務課」所属の書守補佐官でもある藤原京子と、波雲病院の医師で凪紗の主治医の笹野英恵は二人でお茶をしていた。場所は波雲高校図書館の奥まった一角。いつも歌雲紡が座っているその場所で、歳の離れている二人は楽しげに紅茶を嗜んでいる。

「でも驚いたわ。紡が『凪紗ちゃんを追いかけたわよ』なんて急に連絡が来るんだもの。どうりで一度荷物を置きに帰ってきた形跡はあるのに、姿も見えなければ、制服もないわけよね」

 笹野英恵――現姓『歌雲』英恵は頬に手を当て、「やれやれ」という顔をしている。

「凪紗ちゃんが病院に通っているって言っていたから、念のためね。まさか英恵ちゃんの診ている子だとは思わなかったけれど」

 藤原京子は何も知らない顔で笑う。

「またまた。京子ちゃんなら、調査済みだったんでしょう」

「紡君より少し知っているくらいよ。もちろん彼には昔のことは伏せているわよ。もしかしたら、今回のことで紡君も気付くかもしれないけれど」

「……京子ちゃん、あんまりあの子たちを苛めないであげてね。守秘義務もあるし、私も全てを知っているわけじゃないけれど、凪紗ちゃんは色々とあってこの町に来たのよ。……あの子は沢山傷付いてここに居るのよ」

「何もない子は『カミカクシ』を開花させたりしないわ。それもこんな強力なものを」

「やっぱり強いのね、これ」

 藤原京子の言葉に、笹野英恵は隣の机に置かれた仕掛け絵本を見る。

「あら、分かるのね」

「忘れちゃったの? 大分薄まっているけれど、私も巫女の血を引いているのよ」

「そうね。……そうだったわね」

 藤原京子が薄く微笑んでカップに口を付けると、笹野英恵は彼女の真意を探るために問い掛ける。

「ねえ、京子ちゃん。どうしてあの子たちを深く関わらせるようなことをしたの?」

「そうねー。紡君は働き過ぎだから、紡君を助けてくれる子がいれば良いなって思ったのよ。そこにたまたま、一番適任な彼女が現れた……ただそれだけよ」

 純粋な少女のように語る藤原京子の言葉に笹野英恵は頬杖をつき、ソーサーに置かれていたティースプーンを弄ぶ。そして警戒を解くようにニカっと笑った。彼女たちの間には長い付き合いから通じ合う何かがあった。

「そうねえ。あの子は父親に似て仕事中毒だから。それを助けてくれる子がいるなんてすごく素敵な展開ね。……凪紗ちゃんにとっては酷な話かもしれないけれど」

「そうね。紡君は一筋縄じゃいかないから、助手になってもらうのも少し苦戦するかもしれないわね」

「そうね。あの子は素直じゃないから。……でもこれも運命なのかもしれないわね」


 笹野英恵はかつて自身の末息子が助けた小さな少女の面影を思い出す。

 彼女は昔のことをもう覚えていないし、息子はあの少女と彼女が同一人物であることにまだ気付いている様子はなかった。けれど、短い時間だけだったとしても、自分の息子のことを兄のように慕ってくれた少女のことを英恵は良く覚えていた。

(例えあの時と同じ道を辿ったとしても、無事で戻ってきてね……二人とも)



     ❀



 茨をかき分けた先に、その城は高くそびえ立っていた。

 いくつもの塔が生えている城の入り口には茨が巻き付いていたが、振り払う剣もない紡たちは術符を使ってそれを焼き払い、中に進んだ。そして、二人で目の前まで来た城を見上げた。

「ようやく、ここまで辿り着きましたね」

「ああ」

 これで終わりだというのに、ゴールは見えているが、紡は一抹の不安を覚えた。

「さあお城まで着いたらこっちのものですよ。物語ももう終盤です」

 白河凪紗はガッツポーズをして見せるが、それはこの世界に来てからの彼女にしては、あまり「らしく」なかった。

 紡たちは城の入口を抜け、正面の階段を登っていく。導かれるように上階へと進んで行く白河凪紗の後を歩きながら、紡は周囲を観察した。赤い絨毯は古ぼけているが埃も積もっておらず、時間が止まっているようにも見えた。

「誰も居ないんですね」

 入口では空元気を見せていた白河凪紗は、少しだけ不安そうな声を漏らした。彼女の言う通り城の中は無人で、装飾も豪華な城は華やかなくせに、どこか寂しく不気味だった。紡の知っている眠り姫の物語では城中の人間が眠りについているはずだったが、ここには誰も居ない。

(きっと彼女がその登場人物を必要としなかったからなのだろう。……彼女の『想い』は、随分とこの絵本に干渉しているみたいだな)


「君はどうして、この絵本を手放したんだ」


 紡がそう問い掛けると、彼女は足を止めた。そして、少しだけ悩んだ素振りをした後、再び階段を上り始め、ぽつりと語り始めた。

「……そうですね。この絵本を手放したのは、実はそんなに昔のことじゃないんですよ」

 こちらに背を向けている彼女の声は、過去を懐かしむわけでもなく語る。

「私、中学生のときに病気になったんです」

 こちらに背を向けている彼女が、今どんな顔をしているのか、紡には分からなかった。

「前に藤原さんに時々病院に行くというようなことを言っていたな」

「良く覚えていますね」

 彼女の声は笑っている。その足取りもしっかりとしているように見えた。

「別に普通だろう」

「そうですかね。先輩、あまり他人に興味が無さそうですけれど」

「他人に興味は無くても、仕事に必要な情報くらいは覚えている」

「他人に興味が無いことは否定しないんですね」

 彼女の声はやはり笑っていた。

「…………話を逸らすな」

 彼女が敢えて話を逸らそうとしていることに気が付いていて、敢えて紡はそれを許さなかった。敢えて突き放した。紡が追い詰めた少女は、ぴたりと階段を上る足を止めた。

「……病気になるって、色々と、諦めなくちゃいけないことがあるんですよ」

 彼女は、天井に吊るされている豪華なシャンデリアを振り仰ぐ。

「……まだ病気に気が付く前に、以前とは変わってしまった自分に、色々と悲しくなったことがありました。それで気が付いたら、色々なモノを手放していたんです。まあ、断捨離みたいなものですね。ははっ」

 それは何かを誤魔化すようでいて切迫したような笑い声だった。仕事のためとは言え、人の秘密を暴くのは、何度やっても良い気がしない。紡は前を歩く少女の揺れる髪を見つめる。彼女が祖父母と暮らしているのは病気療養のためなのかもしれないと紡は思っていた。彼女の祖父母がやたらと彼女の心配をしていたのはきっと、その病気のことがあるからなのだろう。

(――そしておそらくそれは『眠り』に関する病だ。その病に関して抱えた想いが、この絵本の内容とひどく共鳴したのだろう。なにせ、この本は『眠り姫』だ)

「その時に、この絵本も手放したんですよ」

「そうか」

「でも、こんなことになるなんて。この絵本()、私の事を恨んでいるんですかね」

 小さな声でそう言うと、彼女は再び歩き出した。

(恨んでいる、か……。寧ろその逆じゃないのか)

 紡はこの世界の始まりのことを想う。

(彼女はカミカクシの世界の存在自体は知らなかったが、自分の意志でこの世界に来たんだ)

 それはきっと本能的なものだったのだろう。だけど、あの時この絵本を手に取ったのは、確かに彼女の意志だ。嫌がるそぶりをしておいて、彼女の命を吸いたがっているこの本の望みを、彼女自身が叶えたのだ。

 重く暗い感情に胸焼けしそうになっていると、城の正面階段を上りきっていた。彼女は分岐した道を「迷うことなく」進み、その奥にある塔の階段を上り始めていた。

(願いを叶えたというのは、この本も同じなんじゃないのか)



     ✿



 凪紗たちはカーペットが敷かれた階段を上り、塔の最上階に辿り着く。

(あの部屋だ)

 その階にはいくつかの扉があったが、凪紗は直感に従って正面奥にある一番大きな扉に真っ直ぐと向かっていく。両開きの扉の前まで辿り着くと、その扉の質は確かに他の扉とは違うことが分かった。 

 様々な青で塗られた扉には、夜空とそこに浮かぶ三日月と星が描かれている。触れてみずとも、月や星々は立体的に浮かび上がっており、それも金細工で作られていることが分かった。凪紗は迷うようにドアノブを回し、その扉を慎重に開けた。

 時間が止まったみたいな部屋だった。埃ひとつなく綺麗なままの部屋の中央には天蓋付きの豪華なベッドが置かれていて、そこにこの世界で初めての登場人物がいた。天蓋から落ちる白いレースの布から、その姿が透けて見える。その向こうには胸の下で両手を組み、静かに眠る『眠り姫』がいた。

 凪紗は眠り姫が横たわっているベッドにゆっくりと近付き、薄布越しにそっと彼女を見下ろした。彼女が身に纏っているのは繊細なレースであしらわれ、桜を思わせる上品なピンク色のドレス。それに包まれた彼女の身体は陶器のように滑らかで、間近で見ずとも見事だと分かる金色の髪は、見る者の目を奪う美しさだった。

 凪紗は自分の身体を見下ろす。茨の棘で傷だらけの身体。自分で傷付けた右手に巻かれた包帯には赤が滲んでいた。制服もところどころ裂けている今の自分の姿とは見比べるでもなく。

「お姫様はやっぱり綺麗だね」

 心の底からそう言った凪紗のことを、歌雲先輩は黙って後ろから見ていた。凪紗は眠り姫の傍を離れ、窓辺から外を見下ろす。高い場所からは凪紗たちが歩いてきた茨の絨毯が見えていた。茨以外に見えるのは、崩れた壁と遠くにある森と山だけだった。

(思い出せないけれど。物語の通りなら、きっと)

「……きっと、きっと王子様が来るはずだから」

 自分の言葉が寒々しく聞こえた。

「きっと王子様が眠り姫を起こしてくれる。そうしたら、全部が終わるんだよね」

 自分の言葉に凪紗は固まる。窓についた自分の手が、わずかに透けて見えた気がした。

(そもそも王子様は来るの? 来るとしても、それは何年後? 眠り姫は何年の間眠り続けているんだろう? ――今は物語の中の、いつなんだろう)

 額を汗が伝う。歌雲先輩の方を振り返ってみても、彼はただこちらを黙って見ているだけだった。凪紗はすぐにその姿から目を逸らし、踵を返して眠り姫の眠る寝台まで早足で向かう。この美しい部屋に似合わない乱暴な足音が室内に響くのを気にも留めずに。凪紗は眠り姫の姿を隠す天蓋のレースをめくり、今度はその姿を直視した。人形のように美しくも儚い姿に呪いなんて黒いモノは似合わない。

(彼女に似合うのは、幸せな結末(ハッピーエンド)だ。孤独に死んでいく結末なんかじゃない)

「もうすぐできっと王子様が来るよ」

 それは自分に言い聞かせる言葉だった。茨に覆われている窓の外を祈るように見つめた。

「きっと王子様が貴女を助けてくれるよ」

(だって、『眠り姫』はそういうお話でしょう)


 凪紗はまるで死んでいるようにぴくりとも動かずに眠っている姫の手に触れた。

 そしてその瞬間、光って歪んで、世界が廻った。


 王子様は現れなかったけれど、これできっと終わりだと思った。

 

 いつだって物語の始まりは、不幸な結末(バットエンド)から始まる。



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