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第三章 追憶のいばら①

 

「気を付けてね。紡君」

 こんな状況で紡に笑顔を向けているのは、藤原京子だった。

「夜が明けても戻らなかった場合は上に連絡をしてください」

 紡は数束の術符を制服のブレザーの内ポケットにしまいながら彼女に告げる。

「ええ。こちらのことは任せておいて」

 その笑顔を紡は一瞥する。藤原京子の笑顔は一見人当たりが良さそうに見える。しかし、心の内では何を考えているか分からない笑みをする人間だと紡は感じていた。紡は一瞬だけ彼女の瞳の奥を盗み見て、すぐに目を逸らした。

(何を考えているか分からない笑みをするのは、あちらの彼女も同じか)

 紡は藤原京子から距離を取り、床に置き去りにされた一冊の絵本に近付いた。

「それでは始めます」

 紡が祝詞を唱え始めると、黄金の陣が足元に広がっていく。光の粒が浮かび上がって、遊ぶように紡の周りを飛び交った。

【書守の神よ かしこみ申す】

【記憶の裏道 開きたもうて――っ!】

 光の粒は絵本の中に入ろうとしては弾かれていく。それと共に足元の陣が揺らいだ。

(やはり拒絶するか)

 紡は固く閉じた扉をこじ開けるように、祝詞に込める力を強めた。

【――其の主の元へ 導きたまえ】

 先程まで弾かれていた黄金の光粒は今度こそ絵本の中に流れ込んでいく。その輝きは流れる川のようだった。紡はその光に導かれ、少女の心が創り出した『眠り姫』の世界に飛び込んでいった。



     ✿



 瞼の向こうで声が聴こえた。

「――きろ、起きろ。白河凪紗」

 肩を揺する手と目覚めを促す声に、凪紗は重い瞼をゆっくりと押し上げた。最近この声で目覚めることが多いなと、ぼんやりとした意識の中で思う。

「……は、い」

 返事の声は弱々しくなってしまったが、意識は少しずつ凪紗の元に戻ってきているのを感じていた。 

 その感覚を辿ると、凪紗は地面に寝転んでいるようで、背中が冷たく痛かった。

「動けるか?」

「……はい。……歌雲先輩、ですよね」

「ああ」

 声ははっきりと聴きとれる。暗くて何も見えないが、その小声でも良く通る声は確かに歌雲先輩のものだった。だけど、段々と鮮明になっていくはずの視界は晴れない。理由はきっと、その先にあるものが暗闇だから。

 凪紗は地面に投げ出された腕を動かし、地面に指を這わせる。感触を確かめながら手をついて身体を起こす。すると、まるで魔法が解けたように真っ黒な世界が終わり始めた。

 それは時計の針がぐるぐると回る、早送りのようだった。

 空の色は、夜の紫と朝陽の橙が混ざり合う色に変わっていく。

 凪紗は自身が置かれた状況も分からないまま、何も言えずにただその光景を眺めていた。


「この世界の夜も明ける」

 凪紗が見上げたすぐそばで、空を仰ぎ見る歌雲先輩の唇から言葉が零れた。逆光でその表情は窺い知ることが出来ない。その代わりに凪紗の中の疑問は鮮明に浮かんだ。

「この世界……?」

 歌雲先輩の言葉を反芻する凪紗は、朝陽の眩しさに目を細めた。目を刺すような光にも段々と慣れ、周囲の様子が鮮明に見えるようになると、凪紗の横で片膝をついている歌雲先輩が立ち上がった。凪紗はそれを追って視線を上げるが、まだ身体に十分な力が入らず、今は立つことは諦めた。

「先輩、ここってどこなんですか。……何か、変ですよ」

 そこは凪紗の知らない場所だった。地面に座ったまま、ぼやけた視界で周囲を見渡す。土と草の匂いがして、何よりその光景は異常だった。

「何なんですか、これ」

 視界を覆う霧のベールが一枚一枚剥がされた後、そんな曖昧な問いの言葉が口をついて出た。


 凪紗の視界を埋め尽くすのは、『茨』だった。

 辺りを覆いつくすように地面を這うように延びる茨だった。小枝のように細いものから木の幹くらいの太さはありそうなものまで。世界は緑色の茨に覆われていた。

 凪紗と歌雲先輩がいる周囲だけをぽっかりと避け、何かを隠すようにそれは長く延びていた。縋るように歌雲先輩を見上げると、凪紗の腕を掴んで引っ張り上げてくれる。凪紗はその腕に縋りながらも、まだふらつく脚に力を込め、何とか立ち上がった。そして高くなった視点で、その世界を見渡した。

 一枚の絵のような景色がそこにあった。

 茨で覆われている地面のその先にあったものは、かつては美しさを誇っていたであろう、童話に出てきそうなお城だった。凪紗はその景色を知っている気がした。それどころか何度も見たことがある気がした。

 状況をより正確に把握しようと考え始めた途端、ずきりとこめかみが痛んだ。そこに指をあてて、凪紗は思考を整理するための言葉を吐き出す。

「私は図書館にいて……? 真っ暗で、夜で」

 波音の響く夜道を歩いた記憶が、瞬きのように頭をよぎる。そして、暗闇の校舎裏と図書館を歩いた記憶が瞬間的に焼き付いた。

「っ……! 私、何をしていたの? どうして夜の学校に行ったの? どうして、図書館に居たの……? どうしてあの本があそこにあったの……?」

 何の目的で凪紗はそこに向かったのか、あの場所で何をしていたかが思い出せない。けれど、凪紗は確かに硝子に反射した自分の姿と同じように、波雲高校の制服を着ていた。凪紗は知らない何かに操られたようにあの場所に向かったのだろうか。一体それは誰が。理解できないこと、論理的に説明できないこと。それはきっと。

「――そっか。きっとこれは夢なんだ」

 凪紗は自分を納得させる結論を口にする。しかし、それはあっさりと否定された。

「残念だが、これは夢じゃない。君は『カミカクシ』に遭ったんだ」

 歌雲先輩の言葉は、凪紗を余計に混乱させた。

「神隠し……ですか?」

 凪紗は首を捻り、そして歌雲先輩に向けて目を細めた。

「先輩、本の読み過ぎで妄想が……いや、違うか。やっぱり私は夢を見ているんだ」

 定番だが凪紗は頬をつねろうと指を伸ばす。しかし、それが実行される前に凪紗の希望的観測はまたもや否定された。

「残念ながら夢じゃない。白河凪紗」

 凪紗は伸ばした指をそのまま頬を滑らせ、ひっそりと奥歯を噛む。

(そんなこと、分かってる。私だって夢と現実の区別くらい、本当はついている)

「そうでしょうね。私、こんなに鮮明な夢は見たことがないですから」

 今度は自分で思っているよりも、冷静な声が出て驚く。凪紗はその顔から表情を消した。

「歌雲先輩。これはどういう状況なんでしょうか。ここは、一体どこなんですか」

 凪紗の頭の中は何故か澄んでいた。凪紗の『現実』よりも、この世界はよっぽど鮮明だ。靄もかかっていなければ、強烈な眠気もない。だけど匂いや感触は本物だ。凪紗はようやく自分の身体の感覚が戻ってきたことを感じ、支えてくれていた歌雲先輩から距離を取った。制服についた土を手で払い、歌雲先輩と対峙する。

「説明をお願いしてもよろしいでしょうか」

 凪紗は努めて笑った。しかし歌雲先輩はにこりともしない。

(これは現実を突き付けてくる人の目だ)

「これは神隠しの一種だ。君は『カミカクシ』に遭ったんだ」

 歌雲先輩はその場でしゃがむと、地面の土に指で整った字で『神隠し』と書いた。そして、『神』という文字を消して、『紙』と書いた。そして最後にその下に『カミカクシ』と。

「君は今、『眠り姫』の世界にいる。簡単に言えば本の中の世界だ」

「本の中の世界?」

「そうだ。君は知っているだろう。『眠り姫』の仕掛け絵本を。そして、これは君が創り出した世界だ」

「私が? あの絵本を? 私が創り出した世界……?」

 纏まり切る前の思考を、言葉で束ねようと口に出す。

「君の『想い』がこの本に染み付いて、この世界が出来たんだ。君の中で留まらなかった感情を、この本が掬い取ったんだ」

「私の感情を本がすくい取った……」

 凪紗の思考は渋滞を解消するため、歌雲先輩の言葉を繰り返すだけの質問しかできない。

(カミカクシ、神隠し、紙隠し、眠り姫、本の中の世界。私の想いがこの世界を創った――)

 理解できないことは中々頭に入ってこない。円周率の小数点以下の数字の羅列の方がまだ頭に入ってくる。夢と言われた方がまだ納得ができる。こういう状況でおふざけや冗談を言いそうにない人の口から、非現実的な言葉ばかりが出てくる。だが、目の前のこの現実的ではないこの状況が「これが現実だ」と突きつけてくる。凪紗は自分の足元を見て、それから茨とその先にある城を見据え、深く呼吸をした。

(大丈夫。私はこの非現実を現実として受け入れられる)

 ローファーの爪先を見ながら、自分にそう言い聞かせる。そして、もう一度顔を上げた。自分の中にもう一人の自分がいるようで、不思議ともう冷静な顔が出来ていた。

「すみません。続きをどうぞ」

 凪紗の顔を見ている歌雲先輩の目が僅かに細められ、感情が動いているように見えた。しかし、瞬きの後にはその綺麗な顔はいつもの感情の薄い表情に戻っていた。これから始まるのは夢でも現実でもなくて、ただの化かし合いなのかもしれないと思った。


「俺は、『書守』という仕事をしている」

 一つ呼吸をした後、歌雲先輩は話を始めた。しかし、目の前の理知的な口からは、耳慣れない言葉が紡ぎ出される。凪紗は絡まり合うように延びる茨が作る影を見つめながら、考える。

「しょもり……ですか。生憎存じ上げないのですが、そういったご職業があるのでしょうか」

「ああ。書を守ると書いて書守。そういう生業があるんだ」

「書守……ですか」

 確かめるように凪紗は口の中で呟いた。歌雲先輩に夜遅くまで図書館にいることを問うた時、彼が口にしていた『仕事』と言うのは、その書守という仕事のことなのだろうか。

「俺と藤原さんは、国の名前の下で働いている」

 ここでまた意外な人物の名前が出てくる。藤原さんと司書の藤原さんのことだろう。それ以外に歌雲先輩と共通認識のある藤原さんはいないはずだ。

「国の名前の下ということは、国家公務員、ということでしょうか。藤原さんはともかく、先輩は高校生ですよね。そういう仕事をしていても良いのでしょうか」

 凪紗の質問に歌雲先輩は面食らったような顔をする。何度か帰り道を共にしたことで、その表情を少しだけなら読み取れるようになってきていた。凪紗は目の前のミステリアスで少し変わった先輩を見上げる。そして、そんな凪紗を歌雲先輩はじっと見つめ返してきた。

「意外と冷静なんだな」

 その真っ黒な瞳に凪紗の顔が映った。

「ここで慌てふためいて大騒ぎをしても、きっと状況は変わらないんですよね」

「……そうだな」

 凪紗は自分より暗く見える表情が目の前にあるのを見て、道化のように笑う。そして自分の中である一つの結論に行きついていた。

「それで先輩は、実際おいくつなんですか。高校生のコスプレってどんな気持ちですか」

 どうりで精神が老けているわけだ、とまでは言わないでおいた。しかし、歌雲先輩はそれでも忌々しいものを見るような目でこちらを見下ろしていた。

「冗談を言う元気はありそうだな。言っておくが、俺は年齢を詐称しているわけではない。正真正銘の高校三年の十七歳だ。だが、特殊な血筋と能力を持っているせいで表立ってではないが、国家機関に所 属している。そういうことだ」

 歌雲先輩は少しだけ早口で自身の事情を説明しながら、懐から身分証を取り出す。そこには『日本政府 文部科学省 文化庁 神霊災害局 祈祷呪術特務課 書守 歌雲紡』と確かに書かれていた。悪戯にしては手が込んでいる。

「えっと。……ご立派なんですね」

 親戚の集まりで困ったときにするような社交辞令の言葉とともに、凪紗は首を傾げながら微笑んだ。少し道化を演じ過ぎただろうか。

「自分で話していても胡散臭い話だ。だが、ここからもっと胡散臭い話をする。だからとりあえず聞け」

 歌雲先輩の真剣なまなざしに凪紗は思わず頷いていた。

「……分かりました」

 凪紗は歌雲先輩のあとに続き、近くにあった崩れた石壁に腰掛けた。


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