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第二章 陽光は日陰と共にそこに在る⑩


 それから図書館に寄った日には歌雲先輩に送ってもらうようになり、それが数回あった後、周囲で変な誤解が生まれた。


「ねえ。凪紗ちゃんって歌雲先輩と付き合ってたりする?」

 朝登校した凪紗に、小暮さんが瞳をきらきらさせながら聞いてきた。

「え、付き合ってないよ。というか急にどうしたの?」

「ちょっと噂になってるんだよー。一緒に帰っているのを見たっていう人がちらほらいてねー」

 小暮さんはとても楽しそうだ。以前も思ったが、彼女は恋愛話が好きなようだ。

「確かに送ってもらったけど、司書の藤原さんがそうしろって言ったからで、先輩は嫌々だし」

「へえーそうなんだ。でも嫌々なのに送ってくれるんだね」

「逆らえないんだよ、藤原さんに。弱みでも握られているんじゃないかと思うくらい」

「へえー。歌雲先輩って凪紗ちゃんには優しいんだ」

「私の話を聞いていたかな。茉菜ちゃん?」

 凪紗がじっとりと見つめて見せると、小暮さんは突然慌てたように身を乗り出してくる。

「聞いてた! 聞いてたよ!」

「……私、正直そういう男女交際とかそういうのに、あんまり興味ないかな」

 凪紗が淡々と言って笑うと、小暮さんはきょとんとしてこう言った。

「うん。なんか分かるかも。凪紗ちゃんって男子とは少し距離があるもんね」

 あんなに盛り上がっていたのに、冷静な言葉を返す小暮さんに凪紗の方が驚いた。

「そうかな」

「うん。女の子とは普通に話すのに、男子とは必要最低限しか話さないイメージ。男子がちょっと凹んでる」

「私、そんなに冷たい感じかなあ」

「うーん。冷たいというか、見えない壁があるような?」

「だって、まだ四月の終わりだよ。私、皆と違って同じ中学の人とかいないし」

「凪紗ちゃんって一人っ子?」

「ううん。大学生の兄がいるよ」

「あれ、お兄さんいるんだ? 仲良いの?」

 小暮さんはなぜか意外そうな声を上げる。

「普通だと思うよ。友達ができたら報告しろとか幼稚園児相手みたいに言ってきて面倒だけど」

「ふむふむ」

 小暮さんはさながら探偵のように顎に指をあてて、頷く。

「そもそも男友達なんてできないよー。兄から友達の話とか聞くとちょっとね……」

「ああ。うん。分かった。凪紗ちゃんが男子と距離ある理由が分かった」

「え、何?」

「シスコンの兄か……しかも妹は洗脳済みときた……女子版朴念仁か……いや、それもアリか」

 その後小暮さんはぶつぶつと呟きながら、黒板のある方に顔を戻していく。凪紗は不可思議な小暮さんの様子が気になったが、本鈴が鳴ってすぐに一限目の教科書を取り出し始めた。



 それは久しぶりのあたたかい夢だった。

 寝ている凪紗の髪に誰かが触れているような気がした。それはまるで幼い頃のうたた寝の記憶。

 凪紗は黄金の雪が降る夢を見ていた。

 真っ白な世界で、あたたかく光る雪を凪紗は一人静かに見つめていた。

 ただひたすらに見つめ続けていると、ふいに誰かに肩を叩かれる。

 だけど。

(まだ、あたたかい夢を見ていたい)

 そんな自分の声が聴こえた。

(どうか夢から醒めないで。お願いだから醒めないで)

 だが、そんな願いの声はすぐに消えてしまった。代わりに聴こえたのは――。


「おい。帰るぞ、白河」

 凪紗は覚醒途中の身体でその声の主を気だるげに見上げた。

「……はい、歌雲先輩」


 春の大型連休前の弛緩した空気が校舎内を覆っていた。

 当たり障りのない話をしながら帰るのが心地良かった。相手に踏み込むようで踏み込まない、そんなギリギリのラインが凪紗には心地良かった。彼は凪紗のことを何も聞かない。きっとこの先輩は凪紗の体調が悪いことが一時的なものではないことに気が付いている。だけど何も聞かないのだ。

(それなのに無視をしないのは、何故ですか。本当に寝覚めが悪いだけですか。本当に藤原さんが言ったから、そうしているだけですか)

 疑問しかないのに。それなのに。

(フェアじゃないこの関係を、私は心地良いと感じ始めている)

 だって。この人はきっと。

 ――この人はきっと、私のことが『嫌い』だ。



     ❀



「先輩は私に優しくないから、一緒に居て安心しますね」

 別れ際に彼女はそう言った。 

「思ってもいないことを言うな」

「半分くらいは、嘘ではないですよ」

 彼女はそう言って、車のいない横断歩道を駆け抜ける。渡り切ったことを見計らったかのように、目の前の青信号が点滅して赤に変わる。

「おやすみなさい。歌雲先輩、さようなら」

 彼女は向こう側で深々下げた頭を再び上げると、長くおろした髪を揺らしながら小走りで去っていった。その背中を見送ったときには信号は青に変わっていた。そして紡は歩き出す。しばらくすると、彼女から家に着いたというメッセージが届く。その日も何も返さなかった。

 家に着く頃には夜が来ていた。無駄に広い日本家屋の門の前、紡は星の見えない夜空から視線を外す。雲は数時間前よりも厚みを増していた。何故か、胸騒ぎがした。



     ❀



 少女はまるで何かに操られるように、暗闇の中を歩いていた。少女はそこで目を覚ます。

「……なに? ここ、どこ?」

 少女はそう言いながらも、その場所を知っていると感じた。その匂いを良く知っていたから。木の匂いと紙とインクの匂い。そして、どこか黴臭くも感じる積み重ねた時間の香りを知っていた。少女は暗闇に慣れてきた視界を動かし、そこは真実自分が知っている場所だと確信した。

「ここは……図書館…………?」

 少女がいる場所は、彼女の通う波雲高校の図書館だった。少女はもう一度ぐるりと辺りを見渡し、薄く差し込む夜の光で反射する窓硝子に映り込む自分の姿に硬直する。

「なんで私、制服を着ているの? だってさっき布団に入って……」

 少女はそれと同時に自分が何かを手にしていることに気が付いた。

「な、に?」

 それは一冊の本だった。少女は自身が手にしている本の表紙を見る。それは先日少女が手入れを頼まれた『眠り姫』の仕掛け絵本だった。少女は驚き、本を取り落とす。

「――どうして……?」

 ぱさりと本が落ち、少女の爪先に僅かに当たると本の頁が広がった。そして、最後の頁がまるで謀ったように開いた。頁の下側が黒く塗り潰された背表紙裏の頁。知らないはずのその黒を以前から知っている気がした。

「どうして、この間は、こんな頁……無かったのに。開かなかったのに……」

 床で広がった絵本を拾いながら零す掠れた声は、静寂の図書館にぽつりと落ちる。

「……ああ、そっか」

 少女は思い出した。それはかつて少女が自分自身で塗り潰した黒だということを。それは少女がかつて、自分自身で、手放した絵本だということを。無意識の内に、それを知ることを避けたことを。それを認識した瞬間、少女は意識を手放した。


 少女は、それを最後に、姿を消した。その場に残されたのは一冊の絵本。

 そして消えた少女の遺した絵本に一人の少年が近付いた。

「『想いの(あるじ)』はやはり君だったのか。白河凪紗」

 少年――歌雲紡の声だけが静かな図書館に響いていた。


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