第27話:天使と悪魔の頭脳戦
「ほらっ!! もっと鳴けッ!! 泣き喚けッ!! この豚ッ!?」
恥辱の限りを尽くされ、苔ノ橋剛は痛めつけられた。
服を脱がされ、パンツ一丁にまでされてしまった。
その状態で彼女はスタンガンを何度も打ち込んでくるのだ。
その度に苔ノ橋は打ち上げられた魚のように震わせてしまうのだ。
「……た、助けて……もう、やめて……お、お願いだから……」
「あたしを裏切ったのはアンタでしょ? あたしはアンタに何度も何度も救いの手を差し伸べたあげたよね? それなのに言うことを聞かなかったアンタが悪いんでしょ??」
あははははははは、と大きな声で笑いながら。
「ねぇ? 今どんな気分?? アンタの母親を殺した主犯格が目の前にいるのに、何もできなくて……挙げ句の果てには助けを求めることしかできないこの状況に。本当憐れよねぇ、豚❤︎」
苔ノ橋剛の頭の中には、もう感情が消えていた。
最初は必死に抵抗を試みていた。だが、途中からは諦めてしまったのだ。
どんなに叫ぼうと、どんなに助けを求めても。
誰もこの場に助けに来てくれる人がいないのだから。
「でも、別にあたしたちが悪いわけじゃないんだよ❤︎ アンタの母親が悪いの❤︎」
(僕の母親が悪い……? そんなはずがない……。母さんは被害者だ)
「最初はね、あたしたちの標的は、鳥城彩花先生だったんだよ❤︎」
「ど、どうして……先生を狙って?」
「ウザかったから。ただそれだけだよ。アンタを庇ったでしょ、あの女は」
ウザかったから。
ただそれだけの理由で人様を殺そうとしているのか、この女は。
頭がおかしいんじゃないか。
そう苔ノ橋剛が思っていると——。
「今回の件はね、不慮の事故だったんだよ、不慮の事故」
「不慮の事故だと……?」
「うん。あたしたちは別に鳥城先生を殺す気はなかったもの」
ただちょっとだけ、と口元を緩めながら。
「ただちょっとだけ、懲らしめたかっただけなの。世の中調子に乗ったらとっても酷い目に遭うぞって。温厚育ちっぽいし、社会の厳しさを教えてあげたほうがいいかなと思ってね❤︎」
社会の厳しさをお前が語れるのか。
まだ働いてもいないくせに。
そもそも一女子高生のお前が言える立場ではないくせに。
「でもその計画が破綻しちゃったんだよね。アンタの母親が妙な正義心を働かせて庇ったから」
「……庇った??」
「そう。あたしたちは別に殺すつもりはなかったの。ただ、ちょっとだけ刃物をチラつかせて脅すだけでよかったのに……それなのに、アンタの母親が突然出てくるから……」
西方リリカは手元をクイっとさせる。
あたかも、自分が刃物を持っているかのように。
「だからさ、この件はね……あたしたちも被害者なんだよねぇ〜。ていうか、逆にアンタの母親が当たり屋って感じ?? あたしが裁判官なら無罪放免で終わり〜って問題なんだけどね」
言い訳だけは上手なようだ。
ただこんな屁理屈で世の中を生きていけるはずがない。
人が実際に死んでいるというのに、この女は何も考えていないのか。
この女は——何の罪の意識さえないのか。コイツらには人の心がないのか??
「ねぇ、バチャ豚❤︎ これもそれも全部アンタのせいなんだよ??」
「……ぼ、僕のせいだと??」
「うん。アンタがあたしの言うことをな〜にも聞かないから❤︎」
「…………ふっ、ふざけ——」
声を荒げた瞬間——。
苔ノ橋剛の顔面に蹴りが飛んできた。
脳を揺らされ、体内の奥から吐き気が込み上げてくる。
「アンタはね、あたしだけを見て、ブヒブヒしてればいいの」
正面に足が向けられる。
そのまま靴裏で顔をグリグリと踏まれてしまう。
「気持ち悪くて醜い豚はね、あたしだけを好きでいればいいの」
ねぇ、ほら鳴きなさいよ。無様に面白おかしく鳴きなさいよ。
ほら、さっさと早く。今すぐに。
強要されたところで、苔ノ橋剛は何も言わない。何も言う気がない。
「ふぅ〜ん。それにしても……アンタあたしの知らないところであの女と仲良くしてるみたいじゃない。でも、本当にあの薄汚い泥棒猫は残念よねぇ〜❤︎ だって、豚はあたしのことがこの世で一番好きなんだもん❤︎ だから、本当に無駄な努力をお疲れ様って感じ?」
ただ、と目を細めて、幼馴染みの少女はいう。
「他の女に現を抜かした罪は償って貰わないと困るわね❤︎ 誰がアンタのご主人様なのかをみっちりと教えてあげないと分からないんだから❤︎ 本当にバカな豚を持って、あたしは大変❤︎」
スカートを揺らして、部屋の隅に置かれた花瓶まで向かった西方リリカ。
「ねぇ、アンタとアイツの大切な思い出……全部今から消しちゃうね❤︎」
彼女はその中に、苔ノ橋剛のスマホを落とした。
ぽちゃんと水の音が響き、その後、ゴツンとガラスの底に触れた音が鳴った。
「安心していいわよ❤︎ アンタの脳があたし色にぜ〜んぶ染めてあげるから❤︎」
◇◆◇◆◇◆
「…………ハァハァハァ」
西方リリカは困惑していた。
殴っても蹴っても、心が全く晴れないのだ。
どんなに目の前の豚男を痛めつけても、気が済まないのだ。
「どんなに馬鹿にされていたとしても、あたしのことだけを好きで必死に無駄な努力を重ねていればそれだけでいいの。絶対に叶わない恋を成就させるために、汗水垂らしていればいいの。それだけで、それだけで!! なのに、ど、どうしてぇ……?」
どうしてこの男に、こんな醜い豚男にかまってしまうのか
どうしてこんな奴を他の女に取られて動揺しているのか。
無性に腹が立ってしまうのか、決して分からない。
ただ、今の自分がやりたいことだけは分かった。
「こんな可愛いものは、あたしがもらっておく。こんなものアンタに似合わないよ?」
テーブルの上に置かれていたハートのペンダント。
以前までの豚ならば、絶対に持っていなかった代物。
誰かからもらったと仮定するべき。
「やめ……やめろ……やめろ……そ、それは……」
誰か。答えは——あの女だ。あのとき、馬鹿にしてきた女。
だからこそ、イジワルがしたくなった。関係性を壊すために。
西方リリカはそれを見せびらかすように手に取り、自分の首にかけた。
「……返せ!! それは大切なものなんだ!! だ、だから!!」
苔ノ橋は吠えた。
東雲翼からもらった大切なプレゼントだからだ。
でも、声しか出せなかった。体を動かそうとすると、激痛が走るのだ。
「豚に真珠って言葉知ってるよね? だから、アンタには要らないよね?」
そう吐き捨てると、西方リリカはスキップ気味な歩調で部屋を出ていくのであった。
◇◆◇◆◇◆
完全敗北だった。
一人の力ではどうしようもなかった。
腕っぷしに自信を持っていた。過信していた。
それさえも何人にも襲い掛かられれば、無意味であった。
「な……何もできなかった……何もできなかった」
今回は一人だけだった。
でも、この病室には、東雲翼がいたかもしれない。
もう少しだけ奴等が遅く来ていたら——。
(東雲翼も被害に遭っていたかもしれない……)
一番大切なひとが。この世界で一番愛しているひとが。
傷つく姿は絶対に見たくない。この命に替えても、絶対見たくない。
「……強くなりたい……ぼ、僕は……もっともっと強くなりたい……」
苔ノ橋の思いは強くなる。
今回の事態を招いたのは、全部自分の未熟さだ。
怒りを抑えることもできず、冷静さを見失ってしまっていたのだ。
その意思は決して無駄ではなかった。
「……ぼ、僕は……僕は……弱いッ!」
東雲翼を守れるぐらいの。
東雲翼の隣に立てるほどの。
東雲翼を救えるだけの。
東雲翼を幸せにできるほどの。
「……力が欲しい。絶対に……翼を幸せにできるだけの」
自らの弱さを痛感し、赤子の如く泣き出す苔ノ橋。
そんな彼の元へ——学校終わりの東雲翼が現れた。
急ぎ足で病室へと乗り込んだ彼女は、現場を見て全てを察したらしい。
「……つ、翼……翼……ごめん……ぼお、僕はキミから貰った大切なものを……う、奪われてしまった……リリカに……リリカに……ごめん……ほんとうにごめん……情けなくて……ごめん、ごめん……」
苔ノ橋は先程起きた出来事を、全て正直に語った。
母親のような優しい笑みを浮かべた東雲翼は苔ノ橋へと近づいて。
「泣いてもいいんだよ、とは絶対に言わない」
苔ノ橋の前では甘々な彼女。
なのに、今日は厳しめだ。
「過保護はおしまい」
「わたしを幸せにしてくれるんでしょ?」
「それならさ、早く立ち上がろうよ」
以前までの東雲翼は明るい女の子では決してなかった。
どちらかと言えば、他人との距離を置くほうであった。
悩みの種も多く、人生に悲観したことが多かった。
実際、一度夢が破れそうになり、人生を投げ出そうと思っていたまである。
それでも、たったひとりの冴えない男に出会い、運命を変えられてしまった。
それからというもの、彼女は楽しいのだ。毎日が。毎日が幸せなのだ。
だからこそ——。
彼女は前向きな性格になり、どんなことでも全力投球できるのだ。
「わたしはね、苔ノ橋くんの一生味方だよ?」
「キミはわたしを生かしたんだ。責任取ってよね?」
「うん。弱いと思うなら、わたしを守れるほど強くなって」
「わたし、ずっとずっと待ってるから」
泣くな、わたしの彼氏だろ、キミは。
と、優しい声で言い、東雲翼は苔ノ橋の頭を撫でる。
「それじゃあ、これから反撃返しだ! 剛くん!」
あんな奴等に。
倫理観が欠如した悪魔を。
道徳心の欠片もない奴等を。
どうやって反撃するのだろうか。
東雲翼の手にはスマホが握られていた。
ピピピとフリックし、彼女は耳元へと当てる。
その直後、電話回線が繋がった。
「返してよ! わたしが苔ノ橋くんにあげた大切なプレゼントを返してよぉ!」
東雲翼が激昂した。
普段からクールな一面を示す彼女が感情を露呈するのは珍しいことだ。
電話主——西方リリカは人様をバカにした口調で言い返す。
『誰かと思えば……バチャ豚の女じゃん。男を見る目がない』
「うるさいッ! 早く返してぇ! それは大切なものなの!」
『えっ? そんなに大切なのぉ〜? でも残念〜。絶対返さないぃ〜〜〜〜』
「えっ………………」
『残念でしたぁ〜。アンタがそういうなら、尚更返してあげないぃ〜』
『あたしね、アンタのことが大っ嫌いなの。超ムカつくの。だからね、いっぱいいっぱいイジワルがしたくてしたくて止まらないのぉ。あぁ〜ほんとう、最高。絶対返しません〜』
「や、やめてぇ……やめてぇ……そ、そんなことしないでぇぇ……」
『やめるわけないじゃん。これはずっとあたしが没収しておくから。ほんとうありがとうね』
高笑いが聞こえる中、電話は唐突に切れた。
沈黙が続く。
苔ノ橋はどうするべきか迷ってしまう。
先程まで強いことを言っていた彼女が、あっさり負けてしまったのだから。
この電話一本で状況が一変することが起きるかも。
そんな予感が外れてしまったのだから。
「……ふふふふふふ」
東雲翼は小さく笑った。
でも、その笑いは次第に狂った笑い声へとなっていく。
負けて悔しかったのか。ここは彼氏である、僕が。
と、苔ノ橋が慰めようとしたところ、東雲翼は笑いを止めてピースサインを送ってきた。
「チェックメイトだよ、アイツらは既に」
チェックメイト。
その言葉は予想だにしなかった。
「何言ってるの? 何も僕たちは……」
「全部全部、剛くんのおかげだよ!! 本当に大活躍だよ!! もう本当に最高だよ!!」
「えっ……? ぼ、僕は何も……翼からもらったハートのペンダントは奪われるヘマまでしたし……何の役にも立ってないよ」
「ううん。むしろ、好都合だったんだよ」
東雲翼は続けた。
「だって、あれの中にGPSと小型カメラ入っててね。随時、データは送られる仕組みなの」
「えっ?」
「だからずっと持っててって言ったでしょ?」
言われてみれば、そうだった。
肌身離さず持っていろ。自分の代わりだと思えと。
ずっとずっと、苔ノ橋に言い続けていた。
思い返せば——。
以前苔ノ橋とリリカが辺鄙な階段下で喋っていたときも、東雲翼は不自然に現れた。
あのときは何も思わなかったが……場所を把握してたからか。
「も、もしかして……翼は最初からこれを狙って?」
「計算半分。私情半分かな?」
苔ノ橋剛は怖かった。
東雲翼という存在が。末恐ろしい。
彼女の圧倒的な計算力と、先を読む力が。
最初から全て練られていたのだ。
計画を語った当初から。
東雲翼はこうなることを予想し、実行に移していたのだ。
そして、先程の電話で演技を行い、終止符を打ったのだ。
あの嫉妬深いリリカにあのペンダントを常日頃から身に付かせておくために。
「物的証拠はこれから必ず吐かせる。何が起きたとしても確実に」
「と言っても、まだまだ決戦の日——クリスマスの一週間前までは時間がある」
「だからさ、デートしよ。気晴らしのデートを」
「ねぇ、いいでしょ?」
過保護はやめる。
そう言いつつも、東雲翼は相変わらず優しかった。
そんな彼女を見ながら、苔ノ橋は改めて痛感する。
自分には勿体無いほどに愛らしい女の子だと。
彼女を一生幸せにするために、もっと努力を重ねなければと。
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