第23話:【胸糞注意】豚の丸焼き
豚の丸焼きという表現を、苔ノ橋は理解できなかった。
今まで、その仕打ちを受けたことがなかったからだ。
「お前ら全員コイツにソースをぶっかけろ!」
取り巻き集団の手には、テリヤキソースとマヨネーズ。
躊躇うこともなく、苔ノ橋の頭から体へとソースをぶっかけていく。
肌に纏わりつく冷たい悪意と頭から湧き出てくる熱い怒り。
屈辱的な被害に遭っているのに、苔ノ橋は動けなかった。
もう指先一本も動かす体力も残っていなかった。
「そろそろだな。コイツの体に火を付けるぞ」
火という単語が出てきたとき、嫌な汗が出てきてしまう。
コイツら、まさか……まさか……。
「おいおい……なんつー顔してんだ? まだまだ終わってねぇーんだぞ」
そのまさかだった。
ライターを取り出した廃進広大は、苔ノ橋の衣類へと火を付けるのだ。
みるみるうちに燃え広がる。
魚のようにジタバタと動き、苔ノ橋は火を消そうとするのだが——。
「いいねいいね、最高だね!! でも、まだ全然面白くねぇ〜ぞ」
廃進広大が苔ノ橋の足を踏み、行動を取らせないようにしてしまう。
グネグネと動き回っていることができなくなり、苔ノ橋は——。
「う……う、う、うわああああああああああああああああぁぁぁぁぁ」
迫りくる熱に耐え切れず、堪らず声を張り上げてしまう。
そんな絶叫さえも、奴等にとっては絶好のネタになるのだ。
「熱い……熱い……熱い……熱い……熱い……熱い……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!」
人間が燃えている。
人間が火炙りにされている。
「レアステーキの完成だぜ、ぐははははははは」
そんな状況でさえ、悪魔は微笑むのだ。
「よしっ……そろそろいいだろ」
廃進広大の声がかかり、苔ノ橋に水がかかった。
火災を懸念してか、一応準備はしていたようだ。早めの消火が幸い、煙は殆ど出ず、火災報知器もスプリンクラーも作動しなかった。
ギリギリのラインを攻める廃進広大らしい戦法だ。
「おい」
しゃがんだ廃進広大は、苔ノ橋の髪を掴んで持ち上げる。
「世の中にはな、喧嘩を売っていい人間と売っていけない人間がいるんだ」
苔ノ橋に言い聞かせるように、廃進広大は続けた。
「で、お前はそれを見誤ってしまった。オレたちは絶対正義なんだよ?」
「そ、……そ、そんなはずがないだろ」
体中に突き刺さるような痛みがするなか、苔ノ橋は声を振り絞る。
「お前らはこの動画を投稿するんだろ?」
「そうだが、何だ?」
「絶対にお前が出す動画は批判を生むはずだ」
「その件は安心しろ。動画の一番最初と最後に『この動画は十分な配慮を取った上で撮影しております。皆様は絶対に真似しないでください』と適当な注意喚起をしていればいいんだよ。それだけで、バカな奴等は全員騙せるんだからな」
廃進広大は、人の心を読む力に卓越している。
視聴者がどんな行動を取るのか、もう既に把握済みなのだ。
あくまでもエンタメ色があるコメディ動画ですよ、というのを他者に植え付けているのだ。
勿論、一部の内容は過激なものが含まれており、批判の声も上げるかもしれない。
ただし、彼等とその信者は言うのである。
マジレスするなよと。コメディ動画に本気になってどうするんだよと。
お前らみたいな奴等のせいで、エンタメ作品はつまらなくなったんだと。
「全員が全員、お前らみたいなクズ野郎じゃない。普通の感覚を持っている人ならば、必ず……お前らへ不信感を覚え、どっちが正義か分かるはずだ……」
「もしかして、自分が正義だと勘違いしてんのか? あぁ、このバチャ豚が」
呆れた声を出した廃進広大は、床に転がる苔ノ橋の顔を思い切り蹴った。
ぐはっと、悲痛な叫びが部屋中に響くのだが、誰も止めようとはしない。
まるで、虫ケラを殺すのが当たり前のように、全員が容認しているのだ。
「お前はなぁー、ただのネタ枠なんだよ。ネットのおもちゃなんだよ、ゴミが」
廃進広大は悲しい現実を告げたあと、持論を語り出した。
ネットのおもちゃと呼ばれる存在がいる。
そんな人間が生きてても許されるのは、負け続ける人生を送るからだという。
「世界史で習っただろ? 今から数百年前は、平民は貴族に逆らえなかったと」
まぁ、お前は平民よりも遥かに下の存在——奴隷に過ぎないがな。
廃進広大はそう述べてから。
「現代もそれと同じなんだよ。お前みたいな社会の底辺は一生オレたちのような特権階級の人間には、逆らっちゃいけないんだよ。この先も道化として生き続け、多くの人間から迫害されて生きていく。ただ、それだけの存在でいいんだよ!」
社会の底辺に位置する者は、決して勝ってはならないのだ。
人生に成功したらダメなのだ。視聴者からバカにされる存在じゃなければならないのだ。
もしも調子に乗ったら、それなりの返り討ちに遭わなければならない。
彼等は脇役であり、ネタ枠であり、そして、無様な悪役でなければならないのだから。
そんな数世紀前の悪魔じみた思想を持つ悪魔の親分は口元を薄く伸ばして言い放つ。
「視聴者が求めているのは、勧善懲悪なんだ。最近、お前はSNSでアンチの将軍としてチヤホヤされてるみたいだが、あんなもんただの嘘っぱちだかんな。悪が調子に乗れば乗るほどに、正義が勝つ瞬間に面白味が出るわけだ。心の奥底からスカァッとするからよぉ」
だからよ、とドスの効いた声で呟くと。
「お前みたいな薄汚い豚野郎自体に価値は存在しねぇーんだよ。悪役はな、あくまでも、主人公を引き立てるだけの道具に過ぎないってわけだよッ!」
苔ノ橋の腹に、蹴りが炸裂する。
あまりの痛みに、苔ノ橋は体を浮き上がらせ、転がるように回ってしまう。
そんな無様な男を見下し、廃進広大は唾を吐き捨ててから。
「そもそもだなぁ〜。オレたちは誹謗中傷も炎上も何も怖くねぇーんだよ」
その言葉に同調するように、赤茶髪の悪魔も口を開く。
「そうだよねぇー。批判が怖くて、動画投稿者なんてできるわけないじゃん」
「おっ? リリカァ〜。いいこと言うじゃねぇーか」
うんうんと頷くチームリーダーは、噛みしめるような表情で。
「弱者の声が上がるのは当たり前だ。奴等は全員僻んでるんだよ。このオレたちにな」
そうそう、と腕を組み直した西方リリカ。
彼女は少しばかり大きな胸を揺らし、口元に白い指先を当てて。
「そうそう、金もない貧乏人が批判してきても、あっそうって感じ? あたしたちに嫉妬してるだけ。だからね、あいつらの意見なんて別にどうでもいいの。適当に動画見て、コメント欄で自己満オナニーしてればいいのよ。ただ、誰かに生み出したものに群がることしかできないバカにはさ」
可憐な少女の口から漏れた容赦ない言葉に、廃進広大一味がドッと笑った。
「あ、そうだ……広大くん。あのこと伝えるべきじゃない?」
「おっ。そうだな、コイツにも教えとかないとな」
廃進広大は、絶好調であることを丁寧に教えてくれた。
有名雑誌やCM契約、グッズ販売などの仕事の話が届き、進行中であること。
今後は個人事務所を立ち上げ、本格的にタレントとして活動していくこと。
それから——。
「オレたちはクリスマスに大型オフ会ライブを開く!」
勢いに乗っている動画投稿者のリーダー廃進広大。
その男がライブを開くとなれば、勝手に人は集まってくることだろう。
「スポンサーからお金を借りて、全国各地のドームを貸し切っている」
クリスマスにドームを貸し切るのは大変なことだ。
他のアーティストやミュージシャンも狙っているからだ。
それでも、廃進広大一味は金の亡者。
動画を上げれば、勝手にお金が入ってくる。
故に、借金してでも必ず元を取り戻せるのだ。
「だからさ、必ず成功させるしかねぇーんだよ」
そのためにもさ、と笑いながら。
「お前にはどうしても死んでもらわなないといけねぇーんだわ」
真っ赤なベロを出した廃進広大は、首元を親指でなぞって。
「ていうか、死んでくれ。オレたちのためにさ」
突然受けた死の宣告。
驚愕と戸惑いが滲む表情を浮かべる苔ノ橋に、廃進広大は続けて。
「話題性作りだよ。バチャ豚が死ぬことで、オレたちは大切な仲間を失った悲劇のグループになるんだよ。その姿を見て、視聴者はどう思う? 応援したいと思うだろ? もっともっと頑張れと思うだろ? ニュースサイトでも、バチャ豚が死んだとなれば、すぐに取り上げてくれるだろ?」
クリスマスのオフ会ライブを成功させるため。
今後の人気を絶対的にするため。
そのためだけに、苔ノ橋に死ねと言っているのだ。
「もうシナリオは進んでるんだ。確定事項だから楽しみにしとけよ。自分の死を」
どうやって死ぬのか。それは定かではない。
だが、廃進広大一味は、苔ノ橋剛を殺そうとしているのだ。
「死ぬわけないだろ……? 僕が……僕が……どうして、お前らのために!!」
「もしも逃げようとしたら……鳥城先生……どうなっちゃうんだろうなぁ〜」
鳥城先生は昏睡状態のままだと聞いている。
もしも、コイツらが何か手を打つとしたら……。
そしたら、先生は——。
「やめろ!! やめてくれ!! 先生には、これ以上手を出さないでくれ!!」
「そう思うなら……オレたちのために、必死に働いてくれよ」
もう自分のせいで、他の誰かが傷付くのは嫌なんだ。
もう誰も失いたくない。もう誰も悲しませたくない。
そう思っているのに——。
どうしてこんな最悪な結末になってしまうのだろうか……?
「おいおい。バチャ豚……お前、何を泣いてるんだよ?」
廃進広大の声に伴い、取り巻き連中が笑い出した。
「でも、安心しろ。お前はもう泣かなくていいんだ。もう何も辛い思いをしなくていいんだよ。やっとオレたちから解放されて、新たな世界に旅立てるんだよ。視聴者からは称賛の嵐を受けながら、お前は伝説のネットのおもちゃとして君臨し続けるんだからよぉ」




