第14話:天使と悪魔
突如として現れた謎の黒髪美少女。
自分の指先をグギッと捻ってきた相手を睨んで。
「こ、この……クソアマぁあああああああああぁー! 」
赤茶髪の悪魔は本性を表した。
鬼のような形相で、東雲翼を睨み付けている。
「ちょっと、アンタねぇ!! 何様のつもりなのよ!!」
SNS内では『みんなの可愛い彼女』で有名な西方リリカ。
清楚系振って毎回良い子ちゃん面して、男に媚を売りまくるのに。
彼女を取り巻く信者たちから崇拝される存在なのに。
今では絶対に視聴者に見せてはいけない裏の顔を浮かべている。
そんな彼女へと面倒そうな視線を向け、東雲翼は容赦無く吐き捨てる。
「耳障りだからさ、黙っててもらえないかな?」
「はぁ? 耳障り……? 黙っててもらえないか……?」
西方リリカは、一度も誰かに蔑ろにされたことがないようだ。
ピクピクと口元が歪んでいる。もう少しで怒りが爆発しそうだ。
「……ねぇ〜アンタ。もしかして、あ、あたしに言ってるの? その言葉!!」
「そうだよ。ここは病院。静かにしないとダメだって知らないの?」
自己中心的な思想をお持ちの彼女には、もう限界だったようだ。
あはっと気持ち悪い笑みを浮かべて、ローファーをダンッと踏み鳴らして。
「ふ、ふざけやがって……アンタ……ただじゃ置かないわよ??」
「あーはいはい。そーいうのがうるさいって言ってるんだよ? わたしの声聞こえてるよね?」
やれやれと困ったように言いつつ、東雲翼は子供に教えるような優しい笑みを浮かべて。
「もしかして学習能力ゼロ? それならしっかりと教えてあげたほうがいいのかなぁ〜?」
「…………あ、アンタねぇ〜。あ、あたしのことをバカにして……。ていうか、アンタ誰なのよ。突然現れて……アタシに手を出して……ほ、ほんとう許さないんだけど!!」
その言葉を待っていましたとでも言うように、東雲翼は苔ノ橋剛の腕を取った。
ギュッと握り締められた腕が彼女の豊満な胸に当たり、そのまま埋もれてしまう。
(………………や、柔らかい!! 同人誌で見たマシュマロという表現は正しかった!!)
乙女の魅惑に触れ、苔ノ橋はエロ漫画の記憶を辿った。
何度も夢に見た女性のカラダが、こんなにも柔らかいのかと感動しながら。
この感触をもう二度と忘れないように覚えていよう。
そう如何にも童貞くさいことを考える苔ノ橋を他所に、東雲翼は強気な口調で。
「苔ノ橋くんの彼女だけど」
苔ノ橋くんの彼女。
その言葉に違和感があったのか。
「……はぁ?」
西方リリカは口の端を豪快に歪めた。
コイツ何を言ってるんだと、茶色の瞳には疑いの色が見える。
「もう一度言ってあげよっか? わたしはね、苔ノ橋くんの彼女なの」
だからさ、と冷たい声で続けて。
「わたしの彼氏にちょっかい出すのやめてくれないかな? うざいから」
東雲翼が腕の力をギュッと強く握りしめてくる。
まるでもう彼氏には指一本触れさせないとでも言うように。
ただ、その握りしめる腕の強さが、苔ノ橋は愛おしく感じてしまう。
だって、それだけ彼女が自分を愛してくれているという証なのだから。
「あはっっはははははははははははははは」
西方リリカは笑い出した。
腹の奥から声が出ている。
不釣り合いな二人を見て笑うことしかできないのだろう。
無理もない。
東雲翼と苔ノ橋剛は、月とすっぽんの差があるのだから。
「豚の彼女……? ねぇ? マジで言ってるなら、やめといたほうがいいよ。こんな豚を好きになるなんて……めちゃくちゃ趣味が悪いんじゃない? 男を見る目が無さすぎでしょ。こんな家畜豚の彼女なんて、生きるのが辛くなるだけじゃん」
ゲラゲラ笑い出すリリカに対して、東雲翼は殺気溢れる瞳を細めて。
「それ以上言ったら、わたし本気で怒るよ?」
美形の人が怒ると、その怖さが一段と分かる。
先程まで散々罵っていたリリカだったが、言葉を止めて、唾を呑み込んでしまう。
ここで何か変なことを言ったら、終わると理解できたのだろう。
だが——こんなところで口を止める女ではない。
女王様気質な彼女が、ワガママを押し通さないはずがないのだ。
「でも、残念だったね?」
東雲翼を不憫な目で見ながら、西方リリカは笑みを浮かべて。
「だって、アタシ幼馴染みだもん。豚が好きなのはアタシだけなんだよ?」
自分にしか分からない理論を語り、結論まで述べてきた。
「つまり、豚の飼い主はアタシなの。だからね、彼女さんの出番はないんだよ?」
時々現れるとんでも科学者と同じである。
頭の中では、正論だと信じきっているのだろう。
東雲翼は呆れ顔になりつつも、しっかりと言い返す。
「苔ノ橋くんは、ペットなんかじゃないし、あなたのものでもないんだけど」
「ううん、あたしのものだよ? あたしの所有物だもん」
だからさ、と付け加えるように言って。
「邪魔しないでくれるかなぁ〜? あたしと豚の関係に」
この女は何を言ってるんだ……?
もうコイツとは、何の関係もないのに。
少し前までは幼馴染みの関係だったかもしれない。
でも、今では、ただの赤の他人以外の何者でもないのに。
「それはこっちのセリフなんだけど、頭大丈夫? 邪魔ばっかりして気持ち悪い」
「あたしはただ可愛がってあげてるだけだよ? 少々痛いこともしてるけど、それも大切なことなんだよ。しつけって言葉知ってるよね? それと一緒。悪い子にはお仕置きが必要なの。あたしの言うことを聞けない豚さんは調教する必要があるんだもん」
あ、こんな人と喋っても埒が明かない。
コイツと話しても無駄。というか考えても無駄。
相手の気持ちを考えたところで、答えが出ない。
東雲翼はそう理解したらしく、邪魔な女を徹底的に無視することにした。
「よしっ。苔ノ橋くん、病室に帰ろっか」
「う、うん」
東雲翼に引っ張られる形で、苔ノ橋は歩き出したのだが。
途中で歩みを止めてしまった。
違う。もう片方の手を握られてしまったのだ。
誰かとは言わずもがな、分かるだろう。
「何ッ? 勝手に横取りしてるのかなぁ〜? 泥棒猫は」
ぎゃあぎゃあ喚き散らす幼馴染みだ。
無視されたことが気に食わないのだろう。
というか、今まで無視された経験などなかったことだろう。
だからこそ、人一倍傷付いてしまっているのだ。
「あ、あたしを無視して……ただじゃおかないわよ。こ、このあ、あた、あたしを……」
「ねぇー。苔ノ橋くん、あのさ……今更だけどこの人、誰?」
「誰って——」
苔ノ橋が説明する前に、ご本人自らが口走った。
「はああああああああああぁぁぁぁ? あたしのこと知らないの? 今をときめく超有名動画投稿者の、あの西方リリカを知らないとか、マジでウケるんですけどおおおおおお」
満面の笑み。というか、嘲笑の部分が全面的に溢れていた。
コイツ頭大丈夫か。時代の流れを理解しているか。
と確認するように。
ご本人にとっては戦国時代の織田信長クラスの知名度だと思ってるのだろう。
「SNS戦国時代と呼ばれている昨今に彗星の如く現れた超新星。若い女の子に超人気で、今現在も支持を伸ばしまくってる超絶可愛い女子高校生なんですけどぉぉぉぉぉぉ」
あれだけ静かにしろと言われたのに、この女は本気で学習能力がないのだろう。
これまたバカみたいに声を荒げてしまっているのだ。
「あーそのひとなら知ってるかも〜」
東雲翼は心底どうでもよさそうに呟く。
そんな奴が目の前に居ても眼中にないと伝えるように。
でも、西方リリカには、その些細な気持ちの変化など理解できなかったようだ。
「そうでしょ。どうよ? 十代から二十代の若い女の子支持を集めに集めているこの大人気カリスマに出会えて、超絶光栄でしょ。ほらほらほら、どうよ?」
自分の正体がバレてしまい、困ったと本気で思っているのだろう。
この女は、自分がハリウッドで活躍する大女優とでも勘違いしているのか。
一般人に毛が生えたぐらいの分際なくせに、赤茶髪のバカは偉そうに言うのだ。
「でも、残念〜。アンタみたいな生意気なゴミ女には、サインも書いてあげないし、一緒に写真も撮ってあげないぃ〜。まぁ、今ここで土下座して謝罪したら許してあげるんだけど、うふふふふ」
西方リリカは勝利の笑みを浮かべて、言いたい放題。
今まで東雲翼から散々言われて、腹の中が煮えたぎる思いなのだろう。
そのストレス発散をするように、ボロカスに言っているのだ。
口数がやけに多いので間違いない。この女は、昔からそうだった。
それでも東雲翼は決して揺らがない。
逆に笑みを漏らしながら、相手の急所を的確に打つのであった。
「あぁ〜ごめん。動画と実物で全然違うから気付かなかったぁ〜」
東雲翼の口から漏れ出た言葉に、苔ノ橋剛は「ぷっ」と吹き出してしまう。
SNSで活躍するインフルエンサーの女性にとっての禁句だったから。
遠回しな嫌味を理解する脳が足りないバカ女は、首を傾げて。
「……………………えっ?」
でも、動画と実物で全然違う。
その言葉の意味を理解してきたようだ。
自分のことをバカにしていると。自分のことを可愛くないと言っていると。
それを理解した途端に、西方リリカは指先をガジッと噛みながら。
「な……舐めやがって……舐めやがってぇえええええ!!」
今にも猫みたいに飛びかかってきそうなリリカだったのだが——。
謎の着信音が鳴り響く。
苔ノ橋でも東雲翼でもない。
「はい——あ、あたしだけど、何? 今こっちは大事なミッショ——」
電話を取って少しだけ喋ったあと、リリカは僅かに口元を緩めた。
「よかったわね。命拾いしたわよ、アンタたち」
「さっさと帰ってよ。邪魔だから」
「ふんっ。イケ好かない女ね。今度会うときは覚えておきなさい」
「もう二度と会わないから、覚えておく必要はないと思うんだけど」
「……本当、最後の最後まで腹が立つわね。今日はちょっと予定が入ったから帰るわ」
じゃあ、そういうことだから。
と、先程までの怒りを消して、西方リリカは帰って行った。
でも少々足音がうるさかった。やはり、苛立っているのだろう。
「それにアンタ、覚えときなさいッ!」
怒りを抑えきれなかったのか、西方リリカは振り向いた。
それから東雲翼へと指先を向けて。
「豚のご主人様が誰なのか。本気で分からせてあげないとダメみたいね……ふふ」




