第12話:粘着質な幼馴染み
「えっ……? ちょ、ちょっとま、待って……ままま待ってぇ……」
辿々しい口調で話す西方リリカ。
口をパクパク、目をパチパチ。
まるで、餌やり中の鯉みたいだ。
「さっさと帰れ。もう僕はお前の顔見たくないからさ」
格下だと思っていた相手からの拒絶に、赤茶髪の少女はへの字に口元を歪めた。
瞬きが止まらないことを察するに、現実を受け入れられないようだ。
ただ、もしかしたら、と彼女は思うのだろう。
もう一度、また喋りかけたら、素直に返事をしてくれるのではないかと。
「ねぇ……ま、待って……待ってよ……おかしいでしょ?」
おかしいと何度も呟く姿は、新鮮である。
普段は偉そうに上から目線で喋っているのに。
ただ塩らしい態度を取ったところで、容赦はしない。
「おかしくないだろ?」
苔ノ橋は嘲笑う。
今までバカにしてきた連中が不幸になると分かって。
「元々僕はお前らに人生を狂わされたんだ。身の危険が感じたから、僕の口を閉じようとしてるんだろ? だけどさ、安心してくれよ。僕は絶対その手を握らないからさ」
最高の気分だ。
奴等の今後が自分の手玉にあるのだから。
まだ物的証拠が見つかってないが、相手の脅威となっているのだから。
以前までは、ただ理不尽な行為に抵抗することもできなかった。
でも——今なら違う。
「…………調子乗るなッ!」
キンキンと頭に響く耳障りな声を放たれる。
反省の色が見えない彼女は目尻を上げ、威圧的な態度を示してくる。
ただ、今の姿は、チワワが粋がっているようにしか見えない。
「……はは」
苔ノ橋の口から笑みが漏れた。
あまりにも無様だと思って。
自分を散々イジメてきた女が何もできなくて。
「調子に乗るなぁあああああああ!!」
子供の喧嘩とも言うべき語彙力を放ち、赤茶髪の悪魔は胸ぐらを掴んできた。
言うことを聞かない奴は暴力で教えてやるしかない。そんな昭和脳を持っているのだろうか。
力比べなら負ける気がしないが、服が伸びるのは是非ともやめてほしい。
病院から支給されてるものを伸ばすわけにはいかないからね。
「アンタみたいな豚野郎が拒否できるわけがねぇーんだよ。何調子に乗って歯向かってるの?」
この女のどこに惹かれたのか。
今ではその謎が深まるばかりである。
「誰に向かってそんな反抗的な態度取ってるの? ねぇ、ありえない……ありえない……ありえないんだけどぉ」
ありえないのはお前だよ。
そうツッコミを入れたい気分だ。
「……やっぱり豚には教えてやらないとダメみたい。言葉で言っても分からないなら、力で教えてあげないと意味ないのかなぁ? そういうこと? そういうことだよね?」
散々罵ってきた相手が調子に乗って、生意気な態度を取っている。
頭が弱い彼女は、そんなふうに考えているのかもしれない。
だが、元々舐めた態度を取っていたのは、彼女たちだった。
ただそれだけの話なのだが——。
「うん、分かった。暴力行為はちょっと可哀想だなぁ〜って思ってたけど、手加減しないよ?」
強気な態度。
学園の美少女として謳われている幼馴染みの本性。
自分の意見が絶対で、自分中心に世界が回っていると思い込むメルヘンな奴なのだ。
「お前ってさ……本当に面倒だよな」
「当たり前じゃん。アタシの意見は絶対なんだよ?」
「絶対か……なら、その間違った価値観からぶっ壊してやるか!」
やれやれと呆れた声を出し、苔ノ橋はリリカの腕を軽く捻りあげた。
「————い、痛いッ……痛いッ……痛いッ!」
「悪い……少し力を入れただけだったんだがな?」
泣き叫ぶリリカに対して、苔ノ橋は笑いながら答える。
苔ノ橋剛という男は、既に痛みという感情を忘れてしまっている。
殴る蹴るの暴力行為を受け続けた結果、感覚が鈍ってしまっているのだ。
「……あ、アタシのこと好きじゃないの? だ、だ、大好きでしょ?」
酷い勘違いをされたものだ。
この女は今でも苔ノ橋剛が自分のことを好きだと勘違いしていたのだろうか。
どこに揺るがない自信があるのかは知らないが、本当にめでたい奴だ。
「さっきも言ったが……僕はお前のことが嫌いだ」
「…………あ、ありえない。ありえない。そんなこと」
西方リリカはポツリポツリと呟いた。
何だか、降るのか止んでるのか分からない雨みたいに不安定だ。
「さっきは言い間違えたんだよね? だって、アタシとっても可愛いもん。学校で大人気の美少女からこんなにも迫られてるんだよ? 幼馴染みだもん。ずっとずっと一緒に居たから、アタシのことを好きになるのは当然だよね? うんうん、そうそう」
ひとりで納得するリリカ。
自分の存在を肯定するかのように、何度何度も「大丈夫」と言っているが。
何も大丈夫なわけがない。もう既に、苔ノ橋の心はたったひとりの少女に奪われてしまっているのだから。今更、調子のいいことを言われても遅いのだ。
「幼馴染み面するのやめてもらってもいいかな? うざいだけだからさ」
「えっ……?」
「お前は醜いよ。調子のいいときだけ味方して、要らなくなったら即ポイと投げ捨てるんだろ? それにさ、これも僕を罠にかけたいだけだろ? うざいから帰れよ」
旦那の浮気が発覚した嫁のように曖昧な表情を浮かべる西方リリカ。
頭を抱えて、鼻息を荒々しく発している。
「……醜い? うざい……? 何言ってるのかな? よく……分からないなぁ。あはっ」
怒っているのか、悲しんでいるのか。
それとも、それ以上の感情を含んでいるのか。
見かけだけではわからない。今もずっと「大丈夫だよ、リリカは可愛いもん。リリカは世界で一番可愛いもん。だから、こんな奴なんて……絶対に余裕で」とか呟いている。
(どこからこの女の自信は湧き上がってくるのだろうか……?)
「アタシ帰らないよ?? 剛くんが、アタシのこと可愛いって言うまで」
「はぁ? お前何言ってるんだ?」
「アタシのこと可愛いと思ったら、取引もしてくれるでしょ?」
俯いていたはずの西方リリカは顔を上げる。
蒼白な顔を隠していた赤茶の長い前髪が僅かに揺れ動く。
僅かに開いた先にある蜂蜜色の瞳に、炎が滾っていた。
「お前さ……手段と目的が逆になってないか?」
「取引してくれたら、アタシが剛くんのことを好きになってあげるよ?」
話が通じない。
取引が目的なはずなのに。
今のリリカはただ可愛いと言わせたいだけのようだ。
自尊心を傷付けられたのが気に食わなかったのだろう。
無理もない話か。
自分よりも格下だと思っている男に拒絶されてしまったのだから。
「えっ……? どこ行くの? ねぇ〜。あ、アタシを置いて、ど、どこに」
不安定な調子で話す幼馴染みに対して、苔ノ橋剛は不機嫌そうな声で言う。
「お前が帰らないというなら、僕がこの病室から離れるだけだ」
 




