第11話:赤茶髪の悪魔は、嫉妬深い
幼馴染みの顔を見たら、一言二言ぐらいは話すのが義理かもしれない。
でも、そんなことは知ったこっちゃない。
人様の醜態を晒すことで、お金を儲けている奴と関わりたくないは当たり前の話だ。
「バチャ豚❤︎ 元気にしてたぁ〜? これであたしも——」
前方に立つ赤茶髪の悪魔を抜かして、苔ノ橋は病室へ戻ることにした。
自慢話など聞きたくもない。
いや、聞く価値もないと言ったところか。
猿以下の知能を持つ女と対等に話す気など起きないのだ。
しかし——。
「ねぇ〜。ちょっと待ってよ!! あんた、何ッ!! さっきからあたしを無視してきて!!」
西方リリカは許してくれそうにない。
病院の中だというのに、声を荒げているのだ。
余程、何も反応しない苔ノ橋に苛立ちを覚えているようだ。
(このまま無視しよう。この女と喋る必要はないからな)
相手のペースに乗せられたら最後。
主導権を握られ、相手の思惑にまんまとハマることになる。
それだけは避けなければならない。
そのためには、今ここで主導権を握らなければならないのだ。
「何、無視する気……? こ、このあたしを無視……? はぁ??????」
こんな可愛い女の子から喋りかけられているのに無視するなんてありえない。
そんな奴等は全員死刑よ、死刑。
とでも考える過激論者みたいな表情で、リリカは勢いよく苔ノ橋の服を掴んできた。
「……逃さないよ? 何をあたしを無視して通り過ぎちゃってるわけ??」
口元は笑っているのに、目元は全く笑っていない。
口を半分ほど開かせ、不気味な笑みを作る西方リリカ。
そんな彼女の手を払い除け、苔ノ橋剛は強い口調で言う。
「邪魔だ、失せろ」
その言葉を放たれた瞬間、西方リリカの瞳が固まった。
何を言われたのか、理解できなかったのだ。
でも、徐々に時が経つにつれ、彼女は次第にその言葉を飲み込んだのだろうか。
向日葵色の幼気な瞳が、左右に揺れ動くのだ。
「ええ……えええ……えええ……あ、ありえない……ありえない……あの豚が……あの豚が……あたしに反抗的な態度を示す……? ありえない、そ、そんなの……ぜ、絶対に……絶対に……」
そんなの絶対にありえない、とドスの効いた声で呟き、西方リリカは飛びかかってきた。
先程までは、服を握ってくるだけだったが、もう今回はお構いなしである。
腰からお腹へと手を回して、ガッチリと掴んできているのだ。
「僕の声が聞こえなかったのか? 邪魔だと言ったんだが??」
「…………邪魔? 何が? 意味分かんないよ、何を言ってるのか?」
後ろを振り向き、昔大好きだった女の子の顔を見る。
もはや、その姿は、ホラー映画に登場する幽霊にしか見えなかった。
血走った目元に、荒い息を吐き出す口。
鼻からは、グスングスンとリズミカルな音を出している。
B級映画の悪霊とも言うべき姿に、苔ノ橋は少しだけたじろいでしまう。
「ねぇ、あたしと少し喋ろうか?」
弾んだ声でリリカは言い、苔ノ橋の服を強く握りしめてくる。
振り払いたいが、このままでは服が破けてしまうかもしれない。
それに、意外とリリカ自身は決して離そうとはしない。
病院に迷惑を掛けることはできない。
大人な対応で、この女との会話を済ませるしかないか。
「お前と喋ることは何もないんだが……?」
苔ノ橋から漏れたその言葉だけでも、リリカの表情が切り替わる。
「……やっと喋ってくれたね❤︎」
ご主人様が仕事から帰ってきた忠犬みたいに、嬉しそうだ。
喜怒哀楽が激しいタイプだと思っていたものの、こんな部分もあるのか。
「さっきまでは、久々のあたしに照れちゃってたのかな? うふふふ」
気持ち悪い勘違いをされても困る。
ていうか、こんな女の無駄話に付き合っている暇はないのだ。
「お前の言いたいことはそれだけか? 僕はもう病室に帰るぞ」
「冷たいことを言うんだね。久々に会えた可愛い幼馴染みに向かって」
「昔は可愛かったかもしれないが、今はただ気持ち悪い媚び売り女にしか見えないよ」
「ふぅ〜ん。そんなこと言ってもいいのかなぁ〜?」
病室の廊下には、苔ノ橋とリリカ以外は誰も居ない。
そんな状況下でも、彼女はぶりっ子を続けるのである。
そのぶりっ子精神をどんなときでも貫く根性だけは、見習うべき点かもしれない。
まぁ、この女の場合は、あざとい行動が身体に染みついているのかもしれないが。
「いい話を持ってきたんだよ、今日のあたしは」
「いい話? どうせ、お前等に都合がいい話だろ?」
「今回のは剛くんにもいい話だと思うけどなぁ〜」
梅干しを食ったあとみたいに、唇を窄める西方リリカ。
本人にとっては可愛いポーズとでも思っているのかもしれない。
だが、お前のことを嫌いな奴から見れば、アホ面を晒しているだけだ。
苔ノ橋は「はぁ〜」と深い溜め息を吐き出してから。
「要点だけ話せ。バカだと思われるぞ」
「バカだからいいもん!!」
リリカはそう呟くと、目元をぐにゃりと歪めて。
「ねぇ〜知ってる? 今ね、苔ノ橋くんは留年か退学かの危機なんだよぉ〜」
「えっ?」
初めて聞いた。
留年か退学か。
そんな究極な二択を迫られている?
聞いてないし、考えたこともなかった。
「あっ。気になったでしょぉ〜?」
「…………まぁーな」
「ならさ、一緒にお話しようか」
「……チッ、手短に頼むぞ」
二人は病室へと戻った。
苔ノ橋はベッドに座り、リリカは椅子に座った。
「今日はひとりで来たのか?」
「うん。あたしだけのほうが交渉しやすいと思ったから」
「あのさ……だから交渉ってのは?」
「哀れな豚くんにチャンスを与えてあげようと思ったんだよ」
哀れな豚くん。
二人きりになったからか。それとも主導権を握ったと確信しているのか。
人様を豚扱いする小娘は上から目線な物言いを続けて。
「さっきも言った通りだけど、現在進行形でアンタは留年か退学の危機」
苔ノ橋剛自身には身に覚えもない話だが、信憑性は十分にあった。
七月の上旬に教室から飛び降り、それから実にもう四ヶ月以上が経過しているのだ。
学校の出席状況を考えれば、留年や退学の話を持ちかけられてもおかしくない。
「このままアンタも留年。もしくは退学。それは嫌だよね?」
留年? 退学?
ふざけるなとしか言いようがない。
出席してないのは事実だが、入院中の身だ。
元はと申せば、廃進広大一味と西方リリカのせいだ。
そ、それなのに——。
「それでね、アタシたちが留年を回避してあげようかなって思って」
留年を回避できるのならば、それに越したことはない。
だが、そう簡単にこの女が——否、コイツらが従うはずがないのである。
「条件は何だ? 僕のSNSを削除か?」
「ご名答。アタシたちもアンタのSNSには困ってるんだよねぇ〜」
やはり、多少は抑止力になったのだろうか。
「気持ち悪いアカウントからリプライがガンガン来るようになったし。視聴者からの視線を感じるし。ちょっと生き辛いなぁーって思ってるからさ」
効果はその程度か。
面白くない。でも、いいさ。
復讐はまだまだこれからなのだから。
「で、どうする? アタシの手をもう一度握ってみない?」
西方リリカは手を伸ばした。
交渉成立ならその手を握れという意味だ。
「どうやって留年の危機を回避するんだ?」
「コネがあるんだよ、学校の理事会とはね」
「コネ……?」
「うん。実はさ、学校側に広大くんのお父さんが献金してるの」
「要するに権力とお金で全てを解決するってことか??」
相変わらず汚い手だ。
財力に物を言わせるやりかたとは、本当に廃進広大らしい。
「表沙汰では、あたしたちが署名を集めて、無事に退学を免れるというシナリオになってるんだけどね。企画としても最高に盛り上がるし、SNSでも仲間のために思い遣りがあると言われて……称賛の嵐が待っているはず。本当に最高だと思わない……?」
それが全て事実ならば、最高のハッピーエンドかもしれない。
だが、全て嘘で塗り固められた偽りの話だ。
奴等が更なる高みを上がるのを許すはずがないだろ?
「いい取引だと思うけど? どうするの?」
留年の危機? 退学の危機?
苔ノ橋の選択は既に最初から決まっていた。
どんなことが起きたとしても、決して揺るがない。
「アタシ、待てないよ。早く選んでくれないと」
もう結論は出ているだろ。
そう煽るように、得意気な笑みを浮かべるリリカ。
「それに剛くんは、アタシのことが好きだもんね?」
自分の美貌に自信を持っている西方リリカ。
子供の頃から何度も何度も苔ノ橋から好意を持たれていた。
その事実があるからこそ、彼女は逞しく生きることができるのだ。
現に、彼女が歩けば、どんな男でも振り向いてきた。
だからこそ、今日も自分の色香に惑わされ、醜い豚が——。
「えっ?」
それにも関わらず、苔ノ橋剛はリリカの手を振り払った。
「断る。お前の話に耳を傾けるはずがないだろ?」
それに、と呟いて、苔ノ橋は昔好きだった幼馴染みへトドメの言葉を吐いた。
「もう僕はお前のことが好きじゃない。嫌いなんだ。いや、大嫌いなんだよ!!」
美しい顔に亀裂が走る。
眉間にしわを寄せ、眉毛が変な形になった。
目は点になり、口は半開きのままだ。
コロコロ変化する幼馴染みの顔には目をくれず、苔ノ橋は続けた。
「だからさ、もう二度と関わらないでくれるか? これから先ずっと。僕にとって、西方リリカという存在は害悪以外の何者でもないからさ」
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