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第6話:恋人同士の幸せな日常

 苔ノ橋剛の怪我はまだ完治していない。

 少しずつではあるが、回復してきている。

 教室から飛び降りたのが七月上旬。

 その際に全治半年と言われていたので、残り二ヶ月で完全復活する見込みだ。


 でも、体が治癒したところで、どうやって奴等に復讐すればいいのか。

 殴る蹴るの暴力行為でも行い、奴等が傷付く姿でも拝んでやるか。

 必死にSNSを利用して呼びかけでもするか。


『バチャ豚ですが、実はイジメられていました』


 果たして、そんな告発をして、問題は解決するのだろうか?

 というか、それで自分の怒りは治るのだろうか?

 いや——決して彼の怒りはそんなことで治るほど甘くはない。


 彼は何度も誓ったのだ。


——復讐してやる、と。

——地獄へ突き落としてやる、と。


 だが、名案が思いつかない。

 必死に頭を抱えて考えるのだが、アイツらを陥れる手が見つからないのだ。

 自分の力では。どうしても。

 どうやっても新たな一手が思いつかないのだ。


「もうぉ〜。苔ノ橋くん、ちょっと考え込みすぎだよ?」


 病室へと遊びに来た東雲翼が忠告してきた。

 初めて出会ったときと同じ制服姿。

 彼女は、毎日学校終わりに病室へと足を運んでくれるのだ。


「アイツらを……ぜ、絶対に潰すんだ、ぼ、僕は……」

「うん、そうだね。わかってる」


 だけど、と言って、東雲翼は苔ノ橋を後ろから抱きしめた。


「そんなに怖い顔したらダメだよ。キミは絶対にわたしが幸せにするから」


 柑橘系の甘い香りが、苔ノ橋の鼻を擽ってくる。

 弾力性のある豊かな膨らみが背中に押し当てられる。

 それだけで女性経験皆無の苔ノ橋はドギマギしてしまうのだ。


「キミはわたしを幸せにする。わたしはキミを幸せにする。とっても幸せなことでしょ?」


 苔ノ橋剛と東雲翼は付き合っている。

 自殺を図ろうとしていた翼を止めたのがキッカケだ。

 でも、正式に付き合い始めたのがいつなのかは定かではない。

 暗黙の了解という感じで、二人は恋人同士の関係になってしまったのだ。


「つ……翼……」

「何?」

「ありがとう……ぼ、僕のために……」

「ううん。いいんだよ、わたしは苔ノ橋くんのためなら何でもする」


 だって、と笑いながら。


「わたし、キミのおかげで毎日幸せなんだもん。だから、次はわたしが幸せにする番」


 あまりにも嬉しい言葉に、苔ノ橋は黙り込んでしまう。

 彼女がいなければ、自分は今頃どんな人生を歩んでいたことだろうか。

 母親を亡くし、先生まで傷付けてしまった自分はどの面を下げて生きてたか。


「苔ノ橋くん、ちょっとこっちを向いて」


 呼びかけを受け、苔ノ橋はゆっくりと振り向いた。

 その瞬間、口を塞がれた。

 唇に触れるのは生温かい柔らかな感触。

 頭が真っ白になるほど、突然の出来事。

 それがキスだと苔ノ橋剛が気付き、もっと受け入れよう。

 そう思う頃には、もう自分の唇から離れてしまうのだ。


「……えへへ……今日のキスごちそうさまでした」


 満面の笑みを浮かべる東雲翼。

 でもまだ物足りなかったのか、名残惜しそうに唇に白い指先を当てている。

 その挙動の一つ一つが男心を擽り、東雲翼という存在が尊く感じてしまう。


「い、いきなりはやめてくれ……こっちにも心の準備が必要だからさ」

「女の子が準備万端なのに。男の子が準備必要ってどういうこと?」

「ええと……そ、それは……」

「ん〜? 苔ノ橋くんはわたしを幸せにしてくれるんでしょ〜?」


 あの日、苔ノ橋剛が東雲翼を幸せにすると誓った。

 それは紛れもない事実。

 でも、今の立場はどう見ても、揶揄われているようにしか思えない。

 恋人同士には上限関係は存在しない。

 そう言われるが、現状を鑑みるに東雲翼が主導権を持っている。


(でも……翼と一緒にいたら……幸せなんだよな……心が癒されるし)



 あ、そうだ、と東雲翼は両手をパチンと叩いて。


「今日はね、苔ノ橋くんにプレゼントがあるんだ」

「プレゼント?」

「はい、これ」


 渡されたのはハート型のペンダント。

 首から掛けるタイプらしく、鎖で繋がっている。

 金属製で多少重みがある。

 これも愛の重さと思えば、嬉しいかもしれない。


「これね、わたしの手作りなんだ」

「手作り?」

「そう。気に入ってくれた?」


 男がハート型のペンダントを持っている。

 周りからどんなふうに映るのだろうか。

 ともあれ、愛する彼女からもらったのだ。

 それも、ハンドメイド。付けるしかないだろう。

 あと、無言の圧力があるし。

 さっさと付けろという眼差しを向けられているのだ。


「えへへ〜。彼氏が……わたしの手作りペンダントを付けてる〜」


 ハート型のペンダントを身に付けた苔ノ橋剛。

 先程と大きく変化したわけではない。それは確かなのだが、東雲翼には嬉しかったようだ。興奮して両足をバタバタさせ、両手を顔に当て悶えているのだ。


「それにしても、プレゼントなんて要らなかったのに」


 苔ノ橋がそう言うと、唇を尖らせた東雲翼が返した。


「必要だよ。付き合ってから、一ヶ月が経ったんだよ」


 男である苔ノ橋は、あまりその感覚がわからない。

 俗に言うところの、一ヶ月記念日ということらしい。

 それを言ってしまえば、毎日記念日とも言えるのだが。

 敢えて、その点には触れないことにした。


「苔ノ橋くんとの繋がりが欲しいと思ってたんだ」


 東雲翼は笑って、制服の下に隠れたペンダントを手に取って。


「ほら、お揃いだよ。可愛いでしょ?」


 同じものだ。バカップルと思われるかもしれない。

 でも、意外とこーいうのもアリだった。


「これ絶対にいつも離さずに持っててね!!」

「どうして?」

「えー。だって、ペアルックだよ? わたしだけ付けてたら恥ずかしいじゃん」

「善処するよ」

「善処じゃなくて、ぜったい。ねぇ、可愛い彼女に誓って!!」


 東雲翼は面倒な女の子である。

 可愛げがあるととでも言えるかもしれないが。

 何かと甘えてくるのである。

 と言っても、理不尽なことはない。

 それに、苔ノ橋は彼女のそ〜いう部分が意外と好きである。


「あぁーわかった。ずっと持ってるよ」

「東雲翼に誓いますって言葉がなかったぁ〜」


 唇を尖らせて、揶揄ってくる東雲翼。

 完全に遊ばれている。反応を見て楽しんでいるのだ。

 そう理解しつつも、苔ノ橋剛は愛する彼女に言うのである。


「わかったよ、東雲翼(天使)に誓いますよ、天使に」

「天使……?」


 天使と呼ばれた東雲翼は照れながらも首を傾げる。


「あぁーと」


 説明するのが少し面倒だったが、全てを正直に話すことにした。

 散々学校でイジメられていた頃、苔ノ橋剛の心を救ったのが——。

 たったひとりの存在——推し『天使のツバサ』だったことを。

 彼にとっては、彼女が唯一無二な存在で、彼女の歌声に何度も救われたのだ。

 どんなときだって、深く黒く染まった心を癒してくれたことを。


「だからさ、天使に誓うってのは、僕にはとても大きな意味があるんだよ」


 東雲翼はポカンとした表情だった。目が点になっている。

 コイツ何を言っているんだろうとでも思っているのか。

 そもそも論、そんな話をされても、意味が分からないことだろう。

 説明が下手だったか、もう少し分かりやすく説明するべきかと苔ノ橋が思っていると。


「………………なるほどね……そっか。そうなんだぁ〜。へぇ〜」


 東雲翼は一人でに納得していた。

 人類が何故生きるのか。その真理に辿り着いたかのように。


「世の中には、運命ってのが本当にあるのかもね」


 そう呟き、微笑む東雲翼。

 うんうんと嬉しそうに頷き、口元を幸せそうに緩めるのだ。

 その姿に吸い込まれしまいそうになるが、苔ノ橋は訊ねる。


「えっ? 運命? 何のこと言ってるの?」

「……う〜ん。まだ苔ノ橋くんには教えてあげない」

「ええっ! お、教えてよぉ〜」

「だーめ。今はまだちょっと早いかな?」


 釈然としないが、いつの日かは教えてくれるらしい。

 それならばいいかと、苔ノ橋はそう思った。

 乙女には少量のスパイスとミステリアス性が必要だから。

 そちらのほうが遥かに味わい深いし。

 できれば、大量の糖分が欲しいという願いもあるけど。


「よしっ!!」


 東雲翼は、感慨深い表情で窓際へと向かった。

 ググッと両手を高く上げて、背伸びを行う。

 ブラウスが少しだけ持ち上げられ、スカートとの隙間から彼女の白い肌が見えた。ただ、彼女は自分の柔い肌が見えているとは気付いていない。

 窓から見える丸い夕陽を眺めているのだ。


「はぁぁぁぁ〜」


 少し長めの溜め息とも気合いを溜めているとでも言えるような声。

 長い黒髪を揺らしながら、ゆっくりと振り返って——。


——パンッ! と、東雲翼は手を合わせ、真剣な表情で言う。


「わたしに計画があるの」

「……計画?」

「うん。苔ノ橋くんを酷い目に遭わせた奴等への復讐計画」

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