第4話:★彼女が生きる意味
廃進広大の言う通り、撮影は決行された。
編集に定評がある奴がいるらしく、気持ち悪い声を追加するのだとか。
だからこそ、苔ノ橋剛はただベッドの上で奴等を睨みつけるのみ。
それだけで、一本の動画が完成してしまうのだ。
「よっしゃぁ。これでまた100万再生余裕だな」
「今から何か美味いものでも食いに行こうぜ」
「俺、焼肉がいいわぁ〜。それか、回らない寿司のどっちかだな」
一味の連中が嬉しい声を上げる中、リーダー格の廃進広大は嘆きの声を上げる。
「ったく……お前ら……編集作業も残ってるんだぞ……?」
廃進広大とその一味は病室を出ていく。
奴等は暴れるだけ。一方的に理不尽なことをしてるだけ。
人様を傷付けて、お金を稼ぐ。なんて、安い商売なのだろうか。
こんな仕事が成り立ってもいいのだろうか、おかしいだろう。
「…………ははははは」
心底悔しかった。何もできない自分が情けなかった。
苔ノ橋剛は病室の床に倒れ、涙を流してしまう。
そんな彼の元へと、西方リリカは歩み寄って耳元で囁くのだ。
「ねぇ? バチャ豚、アンタに何ができるの? 復讐するとか言ってたけど……な〜にもできてないじゃん。何もできなくて、ただブヒブヒするだけの存在じゃん。ほんとう、ダッサ。口だけの男よね〜。マジで笑っちゃうんだけど。ほら、言い返してみなよ。アレだけイキってたのに、アンタは何もない。何もできない、ただの豚。かかってきなよ、豚」
「……………………」
戦意を喪失した苔ノ橋はもう何も言わなかった。
何も考えたくなかった。
復讐すると言っていたが、どうすればいいのだ。
登録者数100万人越えの相手に。
ただの凡人が、どうやって勝てば。
「おい、リリカ。さっさと行くぞ。こんな奴なんて放っておけ」
「はぁ〜い。わかってるって」
西方リリカは、苔ノ橋の前では一度もしたことがない甘い声を出した。
でも、と森の奥でひっそりと暮らす魔女のような薄気味悪い笑みで。
「でも、しっかりと豚さんは調教しとかないとダメでしょ? 誰のために奉仕するべきか、それをしっかりと教えておかないとすぐに調子に乗るんだから」
「ったく……またリリカの悪いクセが始まったよ。金を作る道具にしかならないんだから、使えなくなったら……そのままゴミ溜めにでも捨てればいいのに」
「あたしはね、敵を作らない主義なの。あたしはね、どんな人間にも愛されたいの。この世界の全人類から愛されるべき人間だと思うの」
だから、と呟きながら、苔ノ橋剛へと目線を変えて。
「こんな豚さんでも、あたしは無償の愛をプレゼントしてあげるの。そうしたら、人様に愛されたことがない醜い豚は全員あたしの虜になる。それが堪らなく好きなんだよね。あたしのことしか考えれない生きた奴隷になるのがさ」
子供の頃からずっと一緒だった幼馴染み。
何かあると、必ず自分の味方になってくれた大好きな女の子。
彼女が望んでいたのは、自分の思い通りになる奴隷だったのだ。
「ねぇ、バチャ豚。今ここでアンタにチャンスをあげるよ❤︎」
何も話さない苔ノ橋に対して、西方リリカは容赦ない言葉を吐き捨てる。
「今ここであたしの靴を舐めてみて❤︎」
(靴を舐めろだと……? こ、この女は何を言ってるんだ……?)
「そしたら、アンタをあたしの奴隷にしてあげるから。もう手荒い真似をしないようにしてあげるからさ❤︎ ねぇ、靴を舐めてみない??」
東雲翼に出会ってから、苔ノ橋剛の日常は変わった。
彼女と過ごす日々を思い出すだけで、嫌な記憶を忘れることができた。
それでも、またアイツらが目の前に現れて、最悪な日常に戻ってしまうのか。
「嫌だ……嫌だ……そ、そんなの嫌だぁ……嫌だぁ……」
折角、新たな幸せを手にしたばかりなのに……。
それさえもまた壊れてしまうのだろうか。それだけは絶対に嫌だ。
「そんなに拒絶しなくてもいいじゃん。でも、あたし待ってるよ❤︎ 豚くんが自分からあたしの奴隷になりたいって言ってくる日が来るってね❤︎ だから、あたしはずっとずっと待ってる❤︎ アンタが自分からあたしの奴隷になる日がくるの❤︎」
そう捨てセリフを吐き、西方リリカは出て行った。
久々に自分のおもちゃと遊べて楽しかったのだろう。
その足取りは軽く、浮き足になっていた。余程嬉しかったのだろう。
◇◆◇◆◇◆
もう二度と関わりたくない幼馴染みが出て行った数分後。
入れ違いと言った感じで、東雲翼が病室へと入ってきた。
彼女は散らかった部屋を見ると、口元を押さえて目を丸くさせる。
でも、それ以上に彼女の心を苦しめたのは——。
「苔ノ橋くん……苔ノ橋くん」
苔ノ橋の表情が死んでいた。
東雲翼の前では喜怒哀楽があり、表情豊かな苔ノ橋剛が全く動いてないのだ。
あの日、自分の自殺を止めてくれた少年が。
あれほど元気に満ち溢れていた彼から笑みが消えていたのだ。
「な……何があったの? ねぇ、お、教えて……苔ノ橋くん」
東雲翼は泣いていた。
何が起きたのか、そんなこと知るはずもないのに。
ただ変わり果てた彼の姿に落ち込んでいるのだ。
「…………翼を巻き込みたくない」
「もしかして、さっきのひとたち? あの高校生の」
見抜かれてしまった。
東雲翼は、どうやら彼等と出会していたらしい。
これ以上彼女と関わり続けると、迷惑を掛けてしまうかもしれない。
自分のせいで、今までに——母親も先生も傷付けられてしまった。
「……ダメだ、ダメだ……ダメだ……ダメだ……そんなの絶対にダメだ」
また次——東雲翼さえも傷付けられてしまったら——。
大切な人が傷付く姿をこれ以上はもう見たくないのだ。
だから——。
「ごめん……翼、もうこれ以上僕に関わるのをやめてくれないか?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何を言っているのか意味が分からないよ、突然」
意味が分からないと言われたところで、苔ノ橋剛の気持ちは変わらない。
「僕に関わると、翼が不幸になるから。だから、これ以上はもう……」
「何があったの? ちゃんと話してよ。何も分からないじゃん!! しっかりと理由を教えられたら、わたしも納得するし理解できるかもしれないじゃん!!」
東雲翼のことだ。
自分が苦しんでいると知ったら、必ず救いの手を差し伸べてくれるだろう。
でも、それではダメだ。
もうこれ以上、自分のせいで誰一人として傷付いてほしくないから。
「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」
顔を落として死んだように同じ言葉を呟く苔ノ橋剛。
そんな彼の姿を見て、東雲翼は近くの炭酸飲料を手に取った。
東雲翼が奢ってくれた日以来、苔ノ橋もハマって飲み続ける品物を。
「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」「翼を巻き込みたくない」
教えられたことしかできないロボットのように呟く苔ノ橋剛。
そんな生きた屍である彼の頭から、東雲翼は炭酸飲料をぶっかける。
「ふざけんなッ!! 自分から関わってきたくせにッ!! 自分からわたしに関わってきたくせにッ!! こんなときだけ調子のいいことを言うなァ!!」
東雲翼の口から漏れ出たのは魂の叫び。
あの日、救われた少女が始めて漏らす本音。
「どうして一人で全部背負い込むのよッ!! どうしてもっとわたしを頼ってくれないの。どうしてわたしを避けるのよッ!! このバカッ!!」
バカと呼ばれたことは何度もあった。
ただ、彼女の口から出たその言葉は、妙に安心感があった。
頭から炭酸飲料をぶっかけられ、ビショビショに濡れてしまった。
でも、そのおかげで頭の中が冴え渡っている。
「いいから教えて。今まで何があったのか。苔ノ橋くんに何があったのか」
辿々しい話だったが、苔ノ橋剛は過去を語った。
今まで自分が散々な目に遭っていた現実を。
どうして自分がこの病院で長期間入院しているのかを。
今の今まで彼女に隠し続けていたことを。
「これで僕の話は全部終わりだ……僕は負けたんだ。あいつらに」
何もかもを諦めたように呟く苔ノ橋剛。
そんな彼を優しく抱きしめるのは東雲翼。
彼女は全てを聞き終える前から号泣し、「ひどい、ひどいよ、そんなの」とひたすらに呟いていた。
そんな誰かを思い遣る気持ちを持つ少女は言うのである。
「復讐しようよ、わたしと一緒に」と。
復讐。
簡単に言いのける東雲翼に対して、苔ノ橋は忠告する。
「だ、ダメだ……翼にまで迷惑がかかる。これは僕の問題なんだ」
「ううん、違うよ。これはもう二人の問題だよ」
「……こ、これは僕の問題だ、僕の。翼は関わらないほうがいい」
苔ノ橋剛は引き止める。
敵の大きさを理解しているからだ。
敵わない敵だと理解しているからだ。
「あの日、わたしは人生を捨てようと思った」
それでも、東雲翼は決して諦めない。
あの日、人生が変わったのだから。
彼と出会って。彼に救われて。
「キミがわたしを生かしたんだよ」
突然愛の告白をされてビックリした。
でも自殺を止め、彼との時間を過ごした。
そして、手術を受ける前日。
彼女は、人生の全てを彼に捧げると誓ったのだ。
勇気が欲しいと言って、彼の唇を奪ってから。
「だから、次はわたしの番だよ」
東雲翼。十六歳。
恋に恋する時代は終わり、本気で誰かを恋してしまった少女は宣言する。
「わたしはキミのために恩返しがしたいんだ!」と。
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