第四十話 地に力注ぐ、そして別れ
「あ、れ?」
「ジギスムント叔父上に謝罪する内容で相談があると聞いてやってきたが、その呼び出した本人が客人を放ったらかしにするのはどうなのだ?」
「も、申し訳ありません!」
見目麗しい笑顔だが、どう見ても眉の間に皺が刻み込まれている。わたしは慌てて立ち上がり、頭を下げた。すると上から深過ぎるため息が聞こえ、呆れられた感がありありと伝わってきて恥ずかしさのようなものが込み上げる。しかしそんなわたしの気持ちなど気付かずに、ヴィルヘルムは眉間に指を当てながら、わたしの向かいの席に座った。
「フェデリカらが『時間になって声をかけても反応がない』と真っ青な顔をしていたぞ。気付くまで揺らしなさいと言っておいたが、そんな手間を側仕えたちにかけさせるな」
「はい……」
「それで叔父上に謝罪とは、また何をやらかしたのだ? 事の内容によっては庇いきれないぞ」
小さな体をさらに小さくしていると、ヴィルヘルムは眉間の皺をさらに深くしながらそう本題を切り出し、尋ねてきた。縮まり丸まっていた背中をピッと伸ばすと、机に上に置いておいた数枚の写真を広げた。
「何だ、これは」
「これはこの城の庭にあった石柱です。これと同じものをずっと車から見ていて、気になったので調べたのです」
「ああ、其方が言っていたあれか」
無事に思い出してもらえたようで、わたしは頷いた。そして石柱を写した一つの写真を手に取り、ヴィルヘルムに差し出した。
「フロレンツィオ領の関所でそれが不自然なところにあったので尋ねたら『壊せないのでそのままにしている』という答えが返ってきました。石柱を調べてみますと、それは精霊力を持った精霊道具であることがわかりました」
「このただの石が精霊道具か? 笑わせる」
ヴィルヘルムは写真を手に取り、一瞥するとすぐに机の上に戻した。これは完全に信じていない。けれどここで諦めても仕方がない。
「明日帰る前にシヴァルディを連れて調べても良いですよ。事実なのですから」
「まあここで其方が嘘を吐いても調べたらわかることか。それで?」
どうやらヴィルヘルムはわたしがやらかしたことへの言い訳だと思っているようだ。そんなことないのに、とムッとしつつも、別の雑草が茂った様子が写った写真をヴィルヘルムの目の前に差し出した。
「実際に注いだ後に庭を見ると、このように雑草が生えていました。春の始まりにしてはよく伸びていると思われませんか?」
「……これは、そうだな」
春の初めなのでここまで伸びるはずがないのだ。ヴィルヘルムは写真を引き寄せ、じっと見つめた。やっとわたしの言うことを信じたようだ。
「おそらくですが、この石柱は土地に作用する道具だと思われます」
「『王がこの地、歩まむ』だったか?」
「え?」
「其方が講堂の儀式を読み解いた際にそう言っていなかったか?」
思い出そうとしたが、わたしはすぐに壁文字の解読メモを引き出した。夕方で部屋は薄暗くなっているので、金色の文字がふわりと発光している。膨大な情報の中からヴィルヘルムが言っていた箇所を探す。整理しておけば良かったが、後回ししてしまっていた。悔やまれる。
そうして、先にヴィルヘルムの言っていた箇所を見つけたのはイディだった。わたしはイディが言う部分を手前へと引き寄せた。
「そう、ですね。『溜めし後、王がこの地、歩まむ』です」
「そのための道具ではないか? このような誰でも触れる場所にあるのにも関わらず、誰も道具だと知らないのは秘匿にしていたからだろう?」
「王族関係のものということですか? じゃあ儀式の後これに注いでいたということ……?」
わたしの言葉にヴィルヘルムは頷いた。けれどその後に「推測だがな」という言葉も付け足される。
儀式の後どのように土地に注いでいたかという疑問が、予想の状態だが解かれつつあるのだ。少しずつだが、失われた内容に近づけていることにわたしは喜びを感じた。
「どのくらい注ぐのが適正かわからないが、他者の精霊力を集め、その石柱に注ぎ回っていたのだろう。しかし器はなくとも地に力を注ぐことができるならば、問題は解消できるぞ」
「どういうことでしょうか?」
ヴィルヘルムが言っていることがよくわからなくてわたしは聞き返す。すると睨むように「理解できないのか」と見られると、ヴィルヘルムは金色に光る文章の一節を指し示した。
「シヴァルディは土地の精霊力が落ちていることを嘆いていた。精霊が去り、儀式がなくなったからだ。この『力借り、力の器を成す』という部分で儀式の復活は無理だと思っていたが、オフィーリアの発見で器がなくとも可能だということがわかった。器は大量の精霊力を溜めるためのものだったのだ」
「……なるほど」
ヴィルヘルムの言っていることは、つまり器がなくとも土地に精霊力を注ぎ回れるよ、ということか。あの一つの石柱に結構な量を注がなければいけないので、一人の力では無理なのだ。だからその地の精霊力を持つ貴族たちに力を分けてもらって行脚し、大量の精霊力を使って注ぎ回っていたということか。
「ジャルダン領に戻り、この石柱のある場所を調べさせたら、歩いていた道筋がわかるだろう。そうしたら自領で試すことができる」
「やってみてもよろしいのですか?」
「自領ならば問題は……、まあ面倒なところはあるが大丈夫だ」
第一夫人のことですね、と内心思うが、ヴィルヘルムが大丈夫だと言うのならば良いのだろう。その辺りはヴィルヘルムに任せておけば問題ない。
「何故この道具が現代に伝わっていないのかは王族が関係していると思うが、今考えても仕方がない。今回のことは私から叔父上に伝えておく。どちらにせよ、使い過ぎのため調子が戻らないようなので会うことは難しいからな」
「ありがとうございます」
ジギスムントの調子はなかなか戻らないようだ。わたしが初めて倒れた時は復活まで一週間ほどかかったので、もしかすると帰るまで会えないかもしれない。
その後、解読作業の成果を聞かれたが、文字数は百はないくらいだったので表音文字だろうということ、そして母音らしき記号が入っていることに気付いたということを伝えた。母音で例を挙げると「あ」というものがある。例えば「た」という「あ」の母音が入る文字にも、「あ」を表す記号が入っているのだ。
まだ全ての文字は終えていないのでこれは推測だが、この発見は大きな一歩だろう。表の完成まで近いと思う。
何とか報告が終わり、早めの夕食を頂いた後、眠りにつくまで表づくりの作業をさせてもらった。夜なので数時間程度だが、この発見のためなかなか作業は捗った。そろそろ金色に輝く文章の方に移っても大丈夫そうだ。精霊殿文字と異なり、濁点半濁点は省略されていないようなので。
そして、いつ眠ったのかわからないけれど気付けば朝だった。
今日、アダン領からジャルダン領へと戻ることになっている。
「このような格好ですまない。そして、ヴィルヘルムから聞きました。そのようなことが起こった時に立ち会えなかったこと、悲しく思います……」
「いえ、寧ろゆっくり休んでいてもらって良かったのですが……」
ジギスムントの調子が戻らないと聞いていたので、ヴィルヘルムだけ挨拶をして帰ろうかと思っていたが、わざわざ自室に呼び出された。彼はゆったりとした寝間着に灰色の羽織を羽織った状態だが、体を起こしていた。顔色は倒れた時よりも良くなっている気がするが、熱があるのかほんのりと頬が赤い。
「ヴィルヘルムから聞いたことによると、神聖なことをされるのだとか! その際はぜひ知らせてもらいたい。急いで駆けつけます!」
「え……」
おそらく石柱に精霊力を注ぎ回ることを指しているようだが、どうして他領の領主が見学に来るのか。
彼の目は好奇心というよりも、聖なる儀式を間近で見られることへの喜びしか見えない。わたしたちを何か別の生き物として見ていないだろうか。ああ、精霊は別の生き物か。でもわたしは正真正銘人間だ。
「帰ってからになるので夏前頃になるとは思いますが、それまでに叔父上の調子が良くなっていて、かつ領地の仕事が何とかなればですよ」
「わかっている。今から息子に仕事を割り振って、私の仕事を減らしておくことにするよ」
ヴィルヘルムは絶対無理だろうという目をしていたが、ジギスムントの答えに目を丸くした。ジギスムントの答え方は絶対成し遂げるといった固い決意が見られた。会ってもいない彼の息子に同情してしまう。というか、ジギスムントにある程度の年齢の息子がいるのか。そんな風には見えなかったが、実年齢より見た目が若いのかもしれない。
「さて、オフィーリア。クロネフォルトゥーナ様のことだが……」
『そうね、きちんと話しておかないと』
ジギスムントの近くにはクロネが佇んでいる。パッと見るとクロネがジギスムントの娘のようだが、年齢的には全く異なることに驚きだ。
クロネは灰色のお下げを揺らしながら、わたしに近づいてきた。
『わたしの主はオフィーリアだから付いていく方がいいのだけど、わたしの管轄の地から離れることになるからオフィーリアが良ければアダンの子であるジギスムントの近くにいる方を選んでもいい?』
『そうですね。ジャルダンの地は私の管轄の土地ですし……』
その言葉でわたしはハッと気付いた。クロネを目覚めさせたのは良かったが、わたしに就くということはこの地を離れるということだ。古代でも当時の国王に就くことなく、領地の主とともにいたと聞いていた。わたしがアダン領に留まれば良いが、わたしの家はここではない。
クロネが望むならばそれを叶えてやる方が良いのではないだろうか。必要とあらば呼び出したら良いと思うし。
「クロネが言うのならそれでいいと思います。わたしが呼んだ時にこちらに来てもらえたら良いのですが、それは可能ですか?」
わたしの問いかけにクロネはこくりと頷いたが、眉が下がった。何か気になることがあるのだろうか。
『呼び出しに応えるのは可能だけど、戻るための精霊力がジギスムントでは足りなさそうなの。だから媒体になる精霊石を作成してほしい。そうしたらわたしがオフィーリアの力を借りることになるけど、それをジギスムントに預けたらそこに帰ることができるから』
「えっと……、つまり行き帰りの精霊力はわたし持ちってことですね」
わたしの言葉にクロネは頷いた。シヴァルディの時は行きだけわたしが精霊力を流しているが、帰りはもう一人の主であるヴィルヘルムが流してくれていた。主同士を行き来する場合は問題なかったが、主ではないジギスムントには媒体が必要になるのか。特に問題ではないので、わたしはクロネの申し出を承諾した。
『良かった……。じゃあ精霊石を作ろう。わたしが想像するから、オフィーリアは力を注いでもらえる?』
「何と! 私は今から奇跡を間近で見ることができるのですか! 最後に素晴らしい幸福をありがとうございます!!」
クロネはそんなジギスムントを一度見て微笑むと、わたしの手に自身の手を重ねた。このテンションを微笑ましく思えるクロネは相当のメンタルを持っている気がする。彼はクロネに任せる方がいいかもしれない。
わたしは目を閉じて、彼女の手に精霊力を集めていく。するとずずず、と引き出されるとともに灰色の柔らかな光が生まれ、心地よい風がわたしの肌を撫でた。
『加護を与えた者の願い物をつくり給え』
クロネの優しい声がするとともに光が弾け、粒になった。そして薄い灰色の小石程度の石が頭上に現れた。
『ありがとう、オフィーリア。これでわたしは、あなたとこの地を行き来できる』
そう言ってクロネは石を受け取ると、ジギスムントに差し出した。ジギスムントは止めどない涙を流し喜びながら、その精霊石を受け取ってぎゅっと握りしめた。
「オフィーリアたちのお陰でわたしはたくさんの奇跡を見ることができました。本当はこのまま一緒に付いていきたいところですが、今は難しいので諦めます。本当にありがとうございます」
「え、ええ……。こちらこそ……」
ジギスムントのテンションについていけないまま、彼との別れの言葉を交わし、わたしたちは城を出た。クロネはジギスムントの代わりに見送りで一緒に来てくれた。
『何もなくても呼んでね。わたしは貴女の味方だから』
クロネの言葉に力強く頷き、車に乗り込んだ。クロネは置いていくことになるが、いつでも会おうと思えば会える。
そして車はゆっくりと走り出した。ゆっくりとアダンの城が遠ざかっていく。
このまま数日でジャルダン領へと帰ることができる。長かった旅もこれで終わるのだ。
しかし現実は甘くない。大切なことを忘れていた。
ジャルダン領地に入ってすぐに、二度目の襲撃を受けることになるのだ。




