第三十九話 石柱のある意味
午前中ずっと部屋に引き篭もって作業していたことで倒れたジギスムントを見てわたしが気落ちしているとフェデリカたちは勘違いをしたようで、軽い昼食を摂ってから外へ連れ出された。
違う、勘違いだということをきちんと伝えたが、「一人きりで篭っていると体にも心にも良くない」とよくわからない持論を展開され、仕方なしに言うことを聞くことにした。
一応わたしの見た目は十歳の子どもだ。前世でいうと小学四年生だ。主とはいえ子どもの言うことばかり聞くのは良くないのだろう。
午後も解読できる! やっほー! 幸せすぎると内心はお祭り騒ぎだったが、人生うまくいかない。
そして午前中の成果だが、なかなか興味深いものだった。
書き出すだけでかなりの量だった。
精霊殿文字はそれほど種類は多くなかったが子音同士の組み合わせで様々な音を表していた。アルファベット的表現といえばしっくりくる。
プローヴァ文字は「th」や「ng」の発音が一文字で表されているようだ。そして精霊の絵的な精霊殿文字とは異なり、プローヴァ文字は線が基本だ。何かから形どっているというよりは記号的なもののように感じる。カタカナのような感じと言ったら伝わるだろうか。そう考えると、プロヴァンス文字と性質は似ているのかもしれない。この二つには共通点など今のところ見られないけれど。
さて。
そんな魅惑溢れた作業を一旦止め、アダンの城の外庭に連れ出されたのだが、歩いてみるとやはり孤児院が思い出される。きちんと線引きされているのでばったり孤児たちに出くわすことはないのだが、道や庭から見える塀などの感じは平民時代にみていたものと同じだ。作った人物が同じなので当たり前だが、とても懐かしい気持ちに駆られる。
「聞いたのですが、ここで暮らす平民たちは礼儀作法を幼い時から教え込まれるので下位貴族に仕えることが当たり前のようです。ジャルダン領とは文化が違うようですわ」
わたしが孤児院の方ばかりに目が行っていたのに気付いたのか、フェデリカはアダン領民から聞いたことを教えてくれた。ジャルダン領では農耕や下働きをすると聞かされていたので、進路の違いにわたしは目を丸くした。
「ではお勉強はきっと厳しいのですね」
「おそらく。ですがジャルダン領でのことを話すとあちらも驚いていましたよ。わざわざ領主が職を斡旋するのか、と」
「領地ごとにやり方が違うのかもしれませんね。知りませんでした」
土地が違えば文化も異なる。気候や土地の特性、トップの違いで一つの内容でもやることは大きく変わる。国王が変わるだけで今まで当たり前だったものがそうでなくなるなど、多くあるではないか。それと同じだと思う。
のんびりと庭を散策しながら歩いていくと、わたしの一歩後ろを歩いていたフェデリカが「あっ」と何かに気付いたように声を上げた。わたしは立ち止まり、フェデリカを見ると彼女は進行方向を指差した。
「オフィーリア様。あれは、車で話していた石柱ではありませんか?」
そう言われてわたしはフェデリカの指差す先を見た。確かに彼女の言う通り、少し先の方に領地移動の際に良く見た小さめの石柱がぽつんと一つあった。調べたいと思っていたし、ちょうど今やることもないので、わたしはそれに近づいていった。
「本当にフロレンツィオ領で見たものと瓜二つですね。それに、ん……? これ、ジャルダンの城にもありませんでしたか?」
「城にですか?」
「ええ。外庭の畑の方にあった気がします」
ずっと既視感があると思っていたが、そうだ。畑でパタの種蒔きをした時に見かけた気がする。あの時は気付かなかったが思い出した。大きさといい、色といい、全く同じだ。
わたしがそう言うと、フェデリカは少し考え込んで首を傾げた。
「全く覚えがありません……。私はあまり畑の方には行きませんし……。メルヴィルはどうですか?」
「私も、そうですね……」
どうやら二人には見慣れないものらしい。畑ならば下働きの者くらいしか行かないとは思うし、二人は貴族なので移動も基本車だ。そうなると見ていないのも納得できる。
フロレンツィオ領で聞いた話ではどれだけ強く叩いても壊れない不思議なものだと言っていた。それが本当ならば特別なものであるのは間違いない。思い当たることがあるのでわたしは目を閉じ、集中力を高めていく。
……やっぱり。
『リア。これって……』
確信しているとイディがふわりと現れて、わたしに声をかけてくる。
石柱が見えていた辺りは暗闇だったが、その中に柔らかい炎のような白い光が一点、揺らめいていた。この光は精霊力だ。どう感じても、この石柱は精霊道具のようなものだろう。ただの飾りではないようだ。
「オフィーリア様? どうかなさいましたか?」
「……いいえ! 変な場所にあるなあと思いまして……。やはり気になるので、少し調べますね」
石柱の前で何も言わず動かなかったわたしを心配そうにフェデリカが見つめていたので、わたしは笑顔で返した。そして、ぺたりと右手で石柱に触れてみる。質感は本当にただの石だ。なんのためにこの道具を設置しているのだろうか。その答えを知ろうと思うならば、この石柱に精霊力を注ぎ込めばわかるはずだ。
……どう思う? イディ。
わたしはちらりと隣に漂うイディに目線で問いかける。するとわたしの言葉は念話になってしまっていたのか、イディはうーんと一つ唸った。
『ここは他領だしなあ……。でも帰るまで日は空いちゃうから、早く解明したいなら今やってみるのも手だと思う。多少ここで何か失敗しても、あのジギスムントが領主だから何とかなりそうな気はする、かも』
イディの言葉に精霊たちに跪き嘆願し、涙をつーっと流していた姿が脳裏をよぎる。彼に精霊のために調べましたと言い訳すれば、「問題ありません、何なら揉み消します」と言ってくれそうだ。想像するだけで何だか怖くなった。
ただイディの言葉通り、自領には明日戻ることになっているが、到着は三、四日後だ。帰ってすぐに登城できるわけではないので、実験できるのは今から一週間後くらいか。悩ましい選択だ。
ちょっと注いで様子を見てみるか? 近くにフェデリカたちはいるけれども、もし何か起こってもこの二人は何とかなる、と思う。多分。
一応、ジギスムントの資料があるのでそれにかけるのもワンチャンだが、新しい文字の解読なのでどのくらい時間がかかるかわからない。今のところ表音文字だろうと踏んでいるが、もし表意文字が混ざっていたら予想よりさらに時間はかかることは明白だ。
────やってみるか。外にあるから大爆発とかはしないでしょう、多分ね。
希望的観測だが様子を見ながらやれば良いのではないだろうか。慎重に少しずつ注いでみることにしよう。
わたしは石柱を撫で、調べる振りをしながら、ちょろちょろと精霊力を注いでいく。目を閉じると、目の前で光り揺れる炎は燃料を投下した火のように大きくうねりながら、わたしの手から放たれる精霊力を飲み込んでいる様子が見える。
『……特に何もないね』
少しの間様子を見ていたが、上限なく精霊力を飲み込むだけで何か変わったことなどなさそうだ。石柱が光ることもなく変化はない。
『少しずつだから足りないのかな? もう少し多めに注いでみる?』
水道の蛇口を軽く捻って出てくる程度の力しか出していなかったので、イディの言う通り足りなかったのかもしれない。精霊と作ったものであることは間違いないので何か効果はあるはずだ。
わたしはイディの勧めのまま、注ぐ量を倍に増やしてみるが、そうしても特に変わった様子はなかった。
大量に精霊力を注いだら何かわかるかもしれないが、そうすることで後々に響くことになったら面倒だ。外から帰ったら夕食の時間まで解読作業の続きをするんだ。調子が悪くなって寝込むことになったり、頭痛に悩まされたりするのは御免だ。
「……お待たせしました。戻りましょうか」
「もうよろしいのですか?」
「はい、もう大丈夫です」
悩んだけれどわたしにとって解読作業はなくてはならない存在だ。それができなくなるのは嫌すぎる。一度ここで退いて、もう少し考えてみてもいいかもしれない。もしかするとあの資料にも情報が書かれているかもしれないし。
外に出るという義務も果たしたので、大腕を振って自分の部屋に戻ろうとフェデリカから来た道へと視線を戻した。
「あれ……。こんなに雑草が生い茂っていましたか?」
振り返ったメルヴィルは不思議そうに首を傾げた。わたしも彼の話には同意だ。
まだ春が訪れたばかりなのでそこまで雑草は気にならなかったが、目の前に広がる光景はボーボーまではいかないが、手入れしないと、と思わせるくらいの雑草が生えていた。庭の道の真ん中に生えているものもあるので、この光景はかなり異様だった。
「冬が明けたばかりですし、ここは城ですので手入れはされているはずですが……。おかしいですね」
フェデリカも首を傾げて目の前で起こった原因を一生懸命に考えているようだ。
これは、絶対わたしのせいですよね。
何か思い当たる節はないかと考えるまでもなく、精霊力を注いだ結果であることは間違いないと思う。土地に直接注いだ時、雑草が元気になったことがあるが、それに近い。
ということは、あの石柱は土地に作用するものなのだろうか。
『リア。ここで考えるより、領主様に相談してみたら?』
イディに声をかけられて、考え込んでしまって固まっていたことにハッと気付いた。わたしは小さく頷き、そうすることに決めた。
「もしかするとわたしが石柱を触ってしまったから何か仕掛けが動いたのかもしれません。ジギスムント様に後で謝っておきますね。……とにかく戻りましょう?」
「わかりました。詫びを入れられるならば、先にヴィルヘルム様に報告しておきましょう? お部屋に戻ったらパトリシア様にお願いしてきますね」
わたしは頷き、フェデリカの提案を承諾した。
ちょうどいい。通信道具で話そうと思っていたが、顔を合わせて話せるならそちらの方がやりやすい。それならば写真を撮って見せても良いかもしれない。幸い、散策するというのでフェデリカにカメラを持たせてある。
「フェデリカ、この景色を撮っておきます。魔道具を貸してください」
「はい」
石柱とこの雑草が生えた景色を撮影するため、フェデリカからカメラを受け取った。発光すると事前に伝えた上で、バシバシと写真を数枚撮った。そして出てきた写真を確認した後、来た道を戻り、部屋へと向かった。
部屋に戻った後、フェデリカはすぐに動いてくれ、ヴィルヘルムがここを訪れることが決まった。急だったので夕食直前の時になってしまったが。
とりあえず報告と謝罪のことは忘れて、一人の時間を満喫させてもらおう。そう考えて、フェデリカとメルヴィルを下がらせ、プローヴァ文字の解読の続きに勤しむことにした。
幸せすぎて時間はあっという間に過ぎていたのか、揺らされて現実に帰り、わたしを揺らした主を見ると、作り笑顔を浮かべたヴィルヘルムが立っていた。




