第三十八話 クロネフォルトゥーナの目覚め
ヴィルヘルムの手が石碑に触れた瞬間にぱちんと弾かれた。一瞬何が起こったのか理解できず、何度も瞬きをしてしまった。
ヴィルヘルムも同様に呆気に取られたのか、弾かれた状態で一時停止する。
「弾いた、のですか……?」
「……弾かれました」
そう言ってヴィルヘルムはもう一度石碑に触れようとすると、手がつくかつかないかくらいでぱちんと音を立てて弾いてきた。まるでこの石碑に触るな、と言わんばかりに。
「私は問題ないのですが……、このように……」
ジギスムントは狼狽えながらもゆっくりと石碑に近づく。そして問題なく石碑に触れることができた。弾かれるようなことなどない。
「他領の人間が触れたからでしょうか? ……オフィーリアも触れてみてください」
やはり他領の人間が触れることは禁忌なのだろうか。わたしがシヴァルディの石碑に触れた時は弾かれなかったのでその可能性はある。
ジギスムントが石碑に触れるように促してくるので、わたしは言われるがまま石碑に近づき手を伸ばした。
「あれ?」
「……弾かれないな」
わたしも他領の人間なのでヴィルヘルムの時のようにてっきり弾かれると思い、心の準備をしていたが、あっさりと石碑にぴたりと触れることができた。何故だろうか。全く状況が理解できない。原因を判断したいところだが、情報が全く足りない。アルベルトなどの他の人間を連れてきて確かめたらわかるかもしれないが、それも難しいだろう。
深く考察しようとしたところで、ジギスムントはその不思議など気にならないのか喜び、手を叩いた。
「オフィーリアが触れるのならば、貴女にお願いすることにしましょう! さあ精霊力を注いでください!」
発した内容は、わたしが石碑に触れるのならばわたしが呼び出せばいいじゃない、というものだった。客観的に判断すると、ヴィルヘルムが触ることすらできないのならばできる者が注ぐべきだが、ジギスムントはそれで良いのだろうか。いや、良いと判断しているからそう言っていると思うが、他領の令嬢が自領の精霊の主になってしまっても良いのだろうか。プライドとかそんなものはないのか。
わたしは助けを求めるようにヴィルヘルムに目線で訴えかけるが、無情にも彼はふい、と視線を逸らした。酷い。
「私もヴィルヘルムも無理ならば貴女がするしかないのです。領地問題にはしないと誓いましょう! さあ! ……さあ!」
体調が悪いのはどこへいったと思うくらいの饒舌ぶりにわたしは一歩後ずさるが、ジギスムントは一歩二歩とわたしに手を伸ばしながら近づく。彼とわたしの距離は縮まるばかりだ。近くにいるイディも顔が引き攣っている。
これは、もう注ぐしかないのでは? ……領主様もダメならば止めるだろうけど、そうでないし……。それよりも早くこの状況から切り抜けたい!
わたしは考えることを止め、石碑に両手をくっと当てた。すると迫っていたジギスムントはぴたりと止まり、時の精霊に会えることを確信し、跪いて祈りを捧げるように両手を合わせ組んだ。何かぶつぶつと喜びの言葉が聞こえる気がするが、敢えて聞かなかったことにしておく。
そうして、わたしは石碑に精霊力を注ぎ始めた。
すると手のひらから石碑へと熱が移っていくような感覚とともに、陰りながらも白く光り輝き始めた。どんどんと手から熱が抜けて精霊力が吸い取られていくのがわかるが、わたしは気にせず一気に量を集めて石碑に叩き込む。
シヴァルディを呼び出した時は精霊力が枯渇しかけたせいで満身創痍状態だったが、今のところまだまだいけそうだ。熱が抜かれていく感覚に開放感さえ感じる。
そしてしばらく大量の精霊力を注いでいたら一定の量になったのか、突然石碑がカッと発光した。わたしはその眩しさに目を細め、ついていた手を石碑から離してしまった。以前は倦怠感と頭痛に悩まされたが、今回は多少の疲労感はあるものの倒れるほどではない。やはり精霊力を大量に使うことを繰り返すことで使える量が増えるのだ。
『…………誰? あれ……、わたし眠っていたの?』
確信を感じていると、舌足らずな子ども特有の透明な声が上から降ってきた。その声のする方向へすぐに目を向ける。
そこには、小さな女の子が浮いていた。精霊に年齢は関係ないだろうが、見た目的にはロジェくらいだろうか。
ジギスムントと同じ濃灰色の瞳を持ち、さらさらとした灰色の髪を二つにくくり、十字のような飾りで留めている。レースが入った薄い灰色の膝丈ワンピースを身に纏っている。
その容姿は可愛らしいとしか言いようがなく、整った顔立ちをしている。
アダン領の色である灰色を引っ提げ、宙に漂う彼女こそが、時の精霊クロネフォルトゥーナであることは明らかだ。けれどシヴァルディのような若い女性をイメージしていたので拍子抜けしてしまった。彼女はあまりにも若すぎる。
『……あれ? ジルベール……じゃない?』
『クロネ様!』
クロネフォルトゥーナはわたしを一点に見つめ、小首を傾げていたが、後ろからシヴァルディが声をかけながら前へと出てくる。そして彼女の小さな手を取ると、シヴァルディは嬉しそうに目を細めた。
『無事に目覚めることができて良かったです』
『シヴァルディ……、一体何が起こっているの? わたし、よくわかってないの……』
『私も目覚めた時は混乱しました……。今すぐ説明しますね』
シヴァルディは混乱しているクロネフォルトゥーナに、今が二千五百年後の世界であること、自分たち以外の精霊が眠りについていることなどを大まかに説明する。クロネフォルトゥーナも説明を受けているうちに、冷静になっていったのかシヴァルディが言っていることが現実だと理解し始めたようだ。
『良くわかった。オフィーリアがわたしの主になったんだね。オフィーリア、わたしのことはクロネでいい』
「わかりました。クロネ、よろしくお願いしますね」
わたしがそう返すと、クロネは口の端をきゅっと吊り上げて笑った。子どもらしい笑顔だが、彼女の年齢的には子どもではない。見た目に騙されて勘違いしそうになる。
『それで……、オフィーリアの横にいる小さな精霊はだあれ? わたし、この子は見たことがないんだけど……』
「この子はイディファッロータです。この世界では特殊な存在で言の精霊です。……イディ、挨拶して」
クロネは物珍しそうにイディを眺めているので、わたしはイディを指しながら紹介した。そしてイディに挨拶をするように勧めると、イディは橙色のスカートを軽く持ちながら礼をした。
『時の精霊様、はじめまして。イディファッロータと申します。イディと呼んでください』
『よろしくね、イディ。わたしのこともクロネと呼んで』
『はい、クロネ様』
和やかな雰囲気で挨拶を終えると、クロネは気付けば足元で跪き涙を流しているジギスムントに目を向けた。いつの間にそこに行ったんだろう。
『そのアダンの片眼鏡をかけているということは貴方がアダンの子なのね。ジルベールの色だし』
クロネは片眼鏡を指差しながら言うと、ジギスムントはがばりと顔を上げた。その表情は喜びに満ちている。反応したので今、許可を出したのだろう。
「その素晴らしいお声は……! クロネフォルトゥーナ様、ありがとうございます! ……はい! 私はアダンの末裔で、ジギスムントと申します」
『その感じ、懐かしいな……。でも何でジギスムントがわたしの主になっていないのか聞かせてくれる?』
「もちろんです!」
クロネは前の主だったアダンとジギスムントを重ねているのか、懐かしそうに目を細めて微笑んだ。クロネの言いぶりから古代よりアダンはずっとこの調子だったことが窺える。これに耐性を持っているなんて凄いことだ。
ジギスムントは流れ出る涙を拭くことはなく、話せる喜びを噛み締めながら、わたしたちのおかげでクロネが眠っていることを知ったことや自身の精霊力が足りなかったこと、そして目覚めを優先させた結果、手伝ってもらったことを伝えた。
「ですがお陰でこのような幸福を味わうことができました! ああ私は何と幸せなのでしょう!」
最後に言葉通り破顔して、クロネに会えたことがどれだけ幸せか力説した。そんなジギスムントの様子にクロネはニコニコと眺めている。圧倒的強者だ。
「クロネフォルトゥーナ様、シヴァルディ様、イディファッロータ様……。この近日で御三方のお姿を拝見することができたこの喜び……私は一生忘れません!」
そしてジギスムントは糸が切れたようにパタリと後ろに倒れた。
彼の限界はとっくに超えていた。後から聞いたことだが、倦怠感、頭痛以外に高熱もあったようだ。
何故そんなジギスムントがここまで動くことができたのか、それは時の精霊に会いたいがためだ。彼のその無償の愛と精神力には脱帽するしかない。
しかしこれでわたしは言の精霊、森の精霊、時の精霊────三人の精霊を呼び出したことになった。クロネはこの国の王になるのかと問うてきたが、わたしにはその気は全くない。寧ろ縁遠いところにいたいところだが。
この城の主であるジギスムントが倒れてしまったため、彼をテレーゼに引き渡した後は完全にフリーになってしまった。一応今日は見聞を広めるためアダン領地の見学の予定が入っていたが、全てキャンセルだ。他領なので好き勝手動くわけにもいかず、わたしは部屋に引き篭もることになった。
お陰で堂々と解読作業ができた。これを幸せと呼ばず、なんと呼ぶのか!
なので午前中いっぱいは誰にも邪魔されることなく、わたしはプローヴァ文字の種類がどのくらいあるのか調べるため書き出しと共通点探しに勤しんだ。
……幸せだ。
久しぶりにたっぷりと浸ることができてその幸福感に疲れが吹き飛ぶようだった。




