第三十七話 私は目覚めさせたい
ジギスムントの調子が良くないことを聞き、昨日で大方の用事は済んでいるので明日の帰郷を早めようかという話になっていたが、彼の側仕えであるテレーゼはその話に待ったをかけてこう言った。
「ジギスムント様が自分の自室に来てほしいと言っている」と。
「調子が悪いならばゆっくりなさっていたら良いのに……」
思わずそうぼやいてしまうが、領主が呼んでいるのならば従うしかない。ヴィルヘルムとわたしはテレーゼに付いてジギスムントの自室の方へ向かう。あのもてなされた部屋は仕事部屋だそうで、寝起きする部屋は上の階にあるそうだ。
イディとシヴァルディは念のため引っ込んでもらっている。ジギスムントの片眼鏡のように精霊道具で姿を見られたら面倒なことになるかもしれない。アダン領主一族のようにわざわざそのような精霊道具を用意しているのかはわからないが。
「今朝倒れているところを発見されたのですが、領主様は『オフィーリアとヴィルヘルムを連れてきてほしい。今すぐ会わねばならない』と言い張ってなかなか休んでいただけなくて……。巻き込んでしまい、申し訳ありません」
歩きながらテレーゼは困ったように頭を下げた。わたしは首を横に振りながら、こうなってはいけないなと思ってしまう。
上からの命令は絶対だ。平民の時から痛いほどこの関係図は理解している。しかし一方的な関係ではなく、ある程度の信頼関係の上に成り立っているものだと思う。実際にテレーゼは困った顔はしているが、ジギスムントに仕えるのが嫌というわけではなさそうだ。
二階へと足を踏み入れ、ジギスムントの自室前らしきところまでやってくると、テレーゼは到着を知らせるベルを鳴らした。そしてその後すぐに、入室を許可する言葉が聞こえたので、扉を開けてもらい中に入った。
「急に呼び出してすまない。……聞きたいことがありまして」
ジギスムントはふらつく足取りでこちらに向かいながらそう言った。テレーゼは慌てて主の体を支えに駆け寄る。彼は額に手を当てて顔を顰めている。頭痛を引き起こしているのだろう。そんな状態で人前に出ようとするなんて、どのような用件があるのだろうか。
「叔父上、お休みになった方がいいのではないでしょうか。どこからどう見ても調子が悪い人間にしか見えません」
「……いや、どうしても確認したいことがあるのです」
唇を噛みしめながらジギスムントは真剣な瞳をこちらへと向ける。その様子から緊急性が高いことが窺える。
「テレーゼ、すまないが部屋を出て行ってもらえないか。私はここに座るから」
「……畏まりました」
テレーゼは渋々といった表情のまま了承し、彼女の手を借りながらジギスムントは近くの椅子に深く座った。そしてテレーゼは一度礼をすると、部屋を去っていった。わたしたちもただならぬ雰囲気に側仕えの者に退室を命じた。
「……さて、確認したいこととは何でしょうか。叔父上」
わたし、ヴィルヘルム、ジギスムントの三人になると、用件を聞くためにヴィルヘルムは口を開いた。ジギスムントはもう一度急に呼び出した非礼を詫びた後、呼び出した理由を話し始めた。
「今朝、クロネフォルトゥーナ様を目覚めさせようと石碑に精霊力を注いだのですが、光るだけで反応しなかったのです。どういうことが起こっていたのか教えてもらおうと呼んでもらったのです」
「もしかして体調不良というのは……」
「ええ、精霊力の使い過ぎです」
ジギスムントの答えにヴィルヘルムは、呆れたようにため息をついた。
そんな早朝から何をしているのだと文句を言いたくなるが、ジギスムントはそれほど時の精霊を目覚めさせたいのだろう。結局は呼び出しは失敗に終わり、体調不良と疑問だけが残った状態だ。
でも何故呼び出せなかったのだろうか。領主並みの精霊力量ならばヴィルヘルムと同等なので多少無理をすれば呼び出せると思っていたところもあるが、結果は違っていた。やはり三大精霊である時の精霊だからだろうか。
「……その様子は何故そうなったかわからない感じですね」
「可能性としては、時の精霊がその石碑に眠っていないか、叔父上の精霊力量が足りないか、だと思います。……シヴァルディ」
ヴィルヘルムの言う通りだとわたしも同意していると、ヴィルヘルムの側にふわりと翠色の小さな光の粒をまき散らしながらシヴァルディが降臨した。ヴィルヘルムはシヴァルディに目配せをし、原因を話すように促すと、彼女はもう原因がわかっているのかすぐに話し始めた。
『おそらくジギスムントの精霊力量が少ないからだと思います』
「叔父上が少ないだと? 領主なのだから私と同等だろう?」
ヴィルヘルムの反論にシヴァルディは首を横に振った。
『私もヴィルヘルムと同等だと思っていたのですが、ヴィルヘルムより少ないのです。だからクロネ様を目覚めさせるのは無理だったのでしょう』
「……では何故私はヴィルヘルムより少ないのでしょう?」
ジギスムントの問いにシヴァルディはわからないと首を横に振った。ヴィルヘルムと同じ立場である領主でもそこまで違いがあるのだろうか。その辺りはわたしはよくわからないが、必ず理由はあるだろう。
「ジギスムント様と領主様では何か違いがあるのでしょうか? 精霊力量が増える法則などは……」
「成長とともに多少は増えると言われているが、ここまで違いが出ていることについては正直驚いている。もしかすると何か法則があるのだろうな」
ヴィルヘルムの言葉を聞いて考え込む。両者の違いはあるだろうか、と考えてすぐに閃いた。
「精霊力をどれだけ使っていたか、ということでしょうか」
ヴィルヘルムは今、一人で領主の業務を担っている。幼い時はどうかわからないが、第一夫人の協力が得られないので一人で石碑に精霊力を注いでいたと言っていた。前領主が生きていた頃も次期領主として教育されていたので、第一夫人の邪魔は入っていただろう。そう考えると一人孤独に多くの道具に力を注いでいた可能性は高い。
またわたし自身も精霊力を限界まで使えば使うほど使える量は増えている気がしていた。それを当てはめると、両者の違いはそこではないだろうか。
「ジギスムント様は石碑の供給などご家族で分担されていますか? このように体調が悪くなるくらい精霊力を使ったことはありますか?」
「……そうですね。確かにヴィルヘルムの環境と比べると、私はかなり分担している方ですね。ここまで辛い状態まで使ったことはありませんし」
ジギスムントもヴィルヘルムの環境の悪さを知っているようだ。彼はちらりとヴィルヘルムの様子を窺いながらそう言った。わたしもヴィルヘルムを見るが、表情を一つも変わっていない。無心を取り繕っているというか、気にしないようにしている気がする。
「そう考えるとそれが大きいのかもしれません。わたしもたくさん使って寝込んだ後は、少しずつですが使える量は増えている感じはしています。どう思いますか?」
「枯渇するくらい使う、というのが重要なのかもしれないな。例は少ないが、今考えられる可能性としてあり得るだろう」
「ですが私ではクロネフォルトゥーナ様を目覚めさせることは不可能だということがわかってしまいましたね……」
一つの仮説に辿り着いたが、ジギスムントの精霊力量ではクロネフォルトゥーナを呼び出せないことがわかってしまい、ジギスムントは悲しげな眼をしてあからさまに落ち込んだ。今から枯渇するくらい力を使うというのを繰り返すと使える量は増えると思うが、クロネフォルトゥーナを目覚めさせるくらいの量となるとどのくらい時間はかかるのだろうか。予想がつかない。
「力量が足りないのは仕方がありません。私たちの仮説が正しいならばこれから力を使って伸ばしていくしかないでしょう」
「このままクロネフォルトゥーナ様を眠らせたままになさるというのですか! ヴィルヘルムは精霊様のことを考えていませんね!」
ヴィルヘルムの正論にジギスムントは憤慨した。わたしもヴィルヘルムの意見寄りだ。ジギスムントが呼び出せないのならば、他領であるわたしたちが出る必要もない。また使える力を伸ばす余地があるのならば時間がかかってもジギスムントが向き合うべき事柄だと思う。
しかしジギスムントは精霊を眠らせたままにすること自体が許せないのか、引き下がろうとしなかった。
「ではヴィルヘルムかオフィーリアがクロネフォルトゥーナ様を目覚めさせてください!」
「え!?」
突然の提案にわたしが素っ頓狂な声を上げてしまう。他領の人間なのに良いのか? と疑問に思ってしまうが、精霊を愛する領主は止まらない。
「私の精霊力で足りないのならば、確実に足りる方が目覚めさせるのが一番です! 実際どちらも精霊を呼び出せるほどの実力をお持ちです。それならば、クロネフォルトゥーナ様も眠りから救っていただきたい!!」
言っていることはきちんと筋道が立っているが、実情はおかしな点だらけだ。
わたしの口元が引き攣っているのがわかるくらい引いている。ヴィルヘルムも同様だと思う。
「……叔父上、私たちが中庭に入るのは問題ではないですか?」
「問題ない! 責任者が良いと言っているのだから! 精霊様のためならばそんな権力の問題はどうでもいいのです!」
椅子に座りながら力説するジギスムントはどう見ても精霊のことしか頭にない。アダン領主としての立場を絶対に忘れている。
『ヴィルヘルム、もしできるのならばクロネ様を眠りから解き放ってほしいです。私は眠りから覚めたことを後悔したことはありません。寧ろ有難いとまで感じているくらいですから』
「ほら! シヴァルディ様もそう言っておられます! 問題にさせませんし、ジャルダン領に迷惑をかけるようなことはしません! だからこの叔父の願いを聞いてほしい!」
かなりの勢いでジギスムントは捲し立て嘆願する。自身のためというよりは精霊のためという意図しか見えないので悪意はないと思うが、領地問題に発展するようになれば弱みになりかねない。ただでさえ立場が危ういヴィルヘルムは弱みを作るようなことはできないだろう。実際に「叔父上の言うことはわかるのですが……」と何とか断ろうと画策している。
「……わかった! それならばジャルダン領に有利な協定を結びましょう。今回の訪問でのヴィルヘルムの功績とすれば地位向上にも繋がります」
政治の話はよくわからないが、領地間ではあり得ない破格の条件を出しているようだ。ヴィルヘルムは「良いのですか?」と目を大きく見開いている。ジギスムントは「良い」とはっきりときっぱりと言い切った。
わたしが口を挟むことなく、話は纏まったようだ。この感じではヴィルヘルムが石碑に力を注ぐことになりそうだ。
すっかり勢いを取り戻したジギスムントは体調不良など感じさせない激しさで立ち上がろうとする。しかし調子が悪いのは変わらないのでふらふらと一歩二歩とよろめいてしまう。近くにいたヴィルヘルムが慌てて支えた。
「今すぐ中庭へ向かいましょう!」
そう言ってテレーゼを呼び、中庭に行くことを告げた。ジギスムントの体調を不安視する彼女はますます困り顔になるが、彼は全くといっていいほど気にせずふらふらとした足取りで部屋の外に出ようとする。「こうなっては止まらないのですよね……」というテレーゼのぼやきに同情しつつもわたしたちは中庭へ向かった。
「告げます。ジャルダン領主ヴィルヘルムとオフィーリア・プレオベールは特例で中に入ることを許可します」
中庭に繋がる入り口までやってきて、ジギスムントは中に入る許可を正式に出した。そしてヴィルヘルムに支えてもらいながら中へと入っていく。
本当に入っていいのかびくびくしながらもわたしも後を付いていった。
中はジャルダン領で見たものと変わらず美しい景色が広がっていた。
色とりどりの花々が咲き誇り、太陽の光を浴びながらきらきらと輝いている。今朝ジギスムントが精霊力を注いだおかげか、花弁の艶は素晴らしく鮮やかな色をしている気がする。プレオベール邸の花も綺麗だが、あれは小ぶりだ。それと比べるとここの花は質が全く異なる。
「さ、これが石碑だ。……貴方の領地とおそらく同じだと思うが」
そう言って一つの大きな石を指差した。石を守るように包み込むように蔓性の植物が絡み付き、所々可憐な花を咲かせている。その様子は半年前に見た光景と全く同じものだった。
「プローヴァ文字!!」
石碑に彫られた文字にわたしは飛びつこうとした。再会できたことを心から喜びたいところだ。けれどヴィルヘルムに頭を掴まれて、飛びつきを阻止された。何故だ!
「其方はそこでじっとしていなさい。後でだ」
そう言うとゆっくりとヴィルヘルムは石碑に近づいていく。一度姿を消していたシヴァルディと身を隠していたイディがここで姿を見せ、新たな精霊の目覚めを今か今かと待ち望んでいる。
「注ぎます」
ヴィルヘルムは緊張しながらも石碑に手を伸ばした。




