第三十六話 待望の未解読文字
「これって、新しい文字じゃない!?」
本に浮かび上がるほんのりと光る金色の文字を視認するや否やわたしは興奮のあまり、言葉が崩れてしまう。目の前に待望の未解読文字があって、自分を抑えることができるか? 答えは勿論、否だ。
わたしは食い入るように金色の文字で書かれた文章に齧り付く。どれだけ時間がかかっても読み解きたい!
「オフィーリア、落ち着きなさい!」
『リア! 気持ちはわかるけど、一旦待って!』
ヴィルヘルムとイディの静止の声にわたしは酷く気分を悪くする。ジト目で焦った顔の二人を恨めしげに睨みつけた。そしてわたしが二人を睨みつけた瞬間にヴィルヘルムは手元の本を取り上げてしまった。
「ああ!」
不本意な行動にわたしは遺憾の声を上げた。しかしヴィルヘルムはその不満げな声を無視して、本をまじまじと見つめた。
「本当に精霊道具だったとは……。シヴァルディ、何故かわかるか?」
しばらくは奇怪な目で本を眺めていたが、シヴァルディに助言を求める。シヴァルディも本に手を触れたり、目を閉じて精霊力の流れを確認したりして調べている。
『本に擬態するように施されているようです……。リアが見えたのはおそらく製作者より精霊力の量が多いからだと思います』
「オフィーリアは私よりも精霊力量が多いというわけか」
ヴィルヘルムの言葉にシヴァルディは頷いた。
わたしは早く本を返してほしくて本ばかりに目がいってしまう。そんな視線に気が付いたのか、用が終わったのか、ヴィルヘルムは本を机の上に戻してくれた。返ってきた喜びとこれからの解読への楽しみが溢れてきて、本をペタペタと触りながらニマニマしてしまう。
「……この本が擬態した精霊道具だったとは。精霊様は私の味方をしてくださっている!」
「……早く解読しても良いですか? 良いですよね? 返してくださったんだもの」
そう言いつつも、正直なところ返事は必要ない。後ろで話す声が聞こえる気がするがどんどん遠くなっていく。早く見たい、読みたい、解読したい。
わたしは初めのページまで戻り、黒のインクの部分と金のインクの部分を指でなぞる。
……やっぱり、空白の部分に浮き出てる。公文書ならば上と下は対応しているはず。でも注釈という線も捨てきれない……。
壁文字の時は完全に上と下が対応していると仮定して進めていたが、今回もそれでいけるだろうか。精霊殿文字より一節の文字数は少なく、文字一つ一つはアルファベットのようなシンプルなものではなく、パーツが二、三個組み合わさったようなものだった。後ろのページを見ると金色の文字でしか書かれた文章しかないので、壁文字のことを考慮すると上下で対応させている可能性が高いと判断した。
久しぶりの未解読文字に心が躍り、口元はどんどん緩んでいく。精霊殿文字は粗方読めるようになっていたので物足りなかったのだ。
わたしは愛用のペンを取り出す。精霊殿文字を解読した時のメモを引っ張り出そうかと思ったが、やめた。新しい文字なので、新しいところに書く方が良いだろう。
何も書かれていない真っ新な虚空にわたしはペンを走らせる。まずは共通点などがないか書き出していくしかない。どのように上と下が対応しているのかも考えながらやっていかなければ……。いろいろ試行錯誤しながらできることに喜びを感じながら、わたしは書き出しを続けた。
『リア! リーアー!』
ゆさゆさと揺さぶられ、わたしはハッと声の主であるイディの方を見る。集中力が切れてしまった。どのくらい時間が経っているのかわからない。窓の外を見てもそこまで暗くはなっていない。
イディははあ、と小さなため息をつくと、わたしから視線を外す。イディの視線を辿ると、眉を顰め、かなり不機嫌そうな顔のヴィルヘルムが立っていた。
「…………何か言いたいことはあるか?」
底冷えするようなヴィルヘルムの声とその深まる笑顔にひっと小さな悲鳴を上げそうになった。かなり怒っていらっしゃるのは、声からでも顔からでも十分に分かる。怒らせてはならない人を怒らせてしまった気がする。ああ、この感じマルグリッドと同じだ。
「えっと……、目の前に新しい文字が現れたら……、それは……読みたく……なり、ますよ、ね?」
「ならない。其方は客人という立場をわかっているか? ジギスムント叔父上も私も其方がここに篭ってしまえばここから出られないのだ。よく考えなさい」
「……はい」
ヴィルヘルムの言うことは正論だ。
わたしが何時間もここに留まることになってしまっては、情報管理の観点からジギスムントはここから動けない。もちろん保護者役のヴィルヘルムも同様だ。彼らは領主という立場であるため、わたしより忙しい身だ。わたしはヴィルヘルムのお説教に相槌を打ちながら、しょんぼりとする。
暴走してしまったことは否定できないけれど、未解読文字をわたしに与えたヴィルヘルムも悪いのではないだろうか。そう考えると、叱られて萎んでいた心が不満で膨れ上がっていく。そんなに怒らなくてもいいのではないだろうか?
「何か言いたげだが……、何か?」
「……いいえ、何でもありません」
恨めし気な目をしてしまっていたのか、青磁色の鋭い目で睨まれて、また心がしゅるしゅると萎んだ。マルグリッドでも学んだが、ここで反論しても、また正論で返されるので反省するのが吉だ。
「ヴィルヘルム、そんなにオフィーリアを叱ってはならないよ。目の前に羨望するものが現れたら誰だって飛びつく。それを目の前にぶら下げた私とヴィルヘルムの采配が悪かったのだよ」
ジギスムントは肩を竦めながらわたしの援護をしてくれる。とても有難いことだが、もしかして彼はわたしを同族だと思っていないだろうか。気のせいだと思いたい。
ヴィルヘルムはジギスムントの指摘に下唇を噛む。多少なりとも図星なところがあったのだろう。
「この本はかなり貴重なものだ。しかも隠された内容ならばそれを解き明かす方が先だ。……ただこの本が精霊道具なら尚更持ち出しを許可することはできない。しかしここに留まられるのは……」
ジギスムントは本を一瞥する。持ち出しが不可能ならば、写本をするしかない。
しかしわたしにはこれがある。
「すぐに写本しますね。かなり光が出ますので注意してください」
「は?」
素っ頓狂な声を出すジギスムントをスルーしつつ、わたしはカメラを取り出した。そしてカメラでバシバシとページごとに撮影をしていく。カッと閃光が何度も走るが、事前に断りを入れているので大丈夫だろう。これならば写本をする手間は省ける。
「……ヴィルヘルム、こんな人材が貴方の領地にいるなんて羨ましい限りです。しかも精霊様お二人の主なのでしょう……?」
「そうですね……」
ジギスムントは呆然とした表情でヴィルヘルムに語りかける。
そんな二人の会話の間に次々と写真を撮っていく。この写真があれば、小さいけれど解読ライフはどこでも送ることができるはずだ。カメラを作っててよかった。融通が利かない失敗作だけど。
少し時間はかかったが、無事に撮り終えることができた。机の上にはプリントされたばかりの写真たちが無造作に置かれている。わたしは写真たちを掻き集め、一つの束にまとめた。
「お待たせしました。これで自室でも作業ができますが、これは持ち出してもよろしいですか?」
わたしを見るジギスムントの目は、気付けば精霊に向けるものと似たようなものになっている気がした。
※ ※ ※
『おそらくこの文字はプローヴァ文字です。中庭の石碑と同じ文字ですし』
確信を持っているのかイディは自信満々に言い切った。わたしはフェデリカに淹れてもらったお茶を一口飲んだ。
興奮しながら書き写していた文字は、どうやら探し求めていたプロ―ヴァ文字だったようだ。石碑は二度見たが、確かに字面は似ているような気がする。半年も前の出来事だが、わたしもイディの言うことには同意だ。
「少し見てみましたが、やはり上下で対応していると思われます。精霊様のお名前が"ア"や"ス"で終わるものや"ティ"も多かったのですが、同じ文字が使われておりました。そしておそらくこの文字も表音……音を表す文字が多めだと予想しています」
精霊の名前や容姿などが書かれたところを見るに、同じ文字が使われているところがあった。しかし文字の種類はかなり多めだ。精霊殿文字は子音と母音を組み合わせるアルファベットのようだったが、プローヴァ文字はそのようなことはなく、一文字で一発音であろうということがわかっている。言うなればひらがな、カタカナに近いものを感じた。だから文量もきゅっと纏まった感じになったのだろうと考えている。
ただ、漢字のような表意文字が含まれている可能性もある。その場合は時間がかなりかかるだろう。
プローヴァ文字を想像しただけで、わくわくしてきた。早く部屋に戻って作業を再開したい。
「時間はかかるのか?」
「そうですね……、かかると思います。確実にアダン領にいる間に解き明かすのは不可能です」
「なんと! 私は歴史的瞬間に立ち会えないというのですか!?」
わたしの答えにジギスムントは非常に残念そうな顔で立ち上がった。机が揺れてカップに入っていたお茶が零れそうになる。
「精霊様に会えたことで十分だと思っていましたが、新たに精霊様のことを知ることができるならば知りたい! ですがオフィーリアは自領に帰ってしまうのですね……」
「プレオベールの家でお勤めは果たさないといけないので……」
少しずつだがプレオベールの精霊道具に精霊力を注ぐ作業も始めている。恩を返すためにもきちんとそれはやっておきたいところだ。
「ああ、私もジャルダン領へ行きたい! 何故私は領主なのだ……。それならば……」
本気で頭を抱えて悩んでおるジギスムント。もちろん領主なので仕事を放り投げて付いて行くわけにはいかない。そうなるのならば周りが全力で止めてくれることを願うしかない。
とりあえずアダン領を去るギリギリまで作業を行い、その時点までの成果を報告するというところまで纏めて話を終えた。それまでのヴィルヘルムと側近たちの説得に期待しよう。
ちなみに写真の持ち出しの許可は貰えた。厳重管理とヴィルヘルムに念押しされたので、勿論と了承した。
夕食以外は自室に篭らせてもらい、プローヴァ文字の解読作業に勤しませてもらった。幸せすぎる。
この未知のものを明らかにしていく感じが堪らない。
しかしなかなか種類が多いので、難航している。似た形が上下左右に現れるので法則性はありそうだが、情報量が不足している。でもいつかはわかるだろうが、根気のいる作業だ。それが楽しいのだけれどね。
そして寝不足感を感じる朝。
ジギスムントが今朝、体調不良で寝込んでいる、という報告を朝食時にうけた。




