第三十四話 新たな手掛かり
精霊は許可を出した者しかその姿を見ることができないはずだ。
しかし目の前のジギスムントはシヴァルディを一点に見つめ、感涙にむせんでいる。わたしとヴィルヘルムはシヴァルディに姿を見せる許可を出したのかと目線で訴えるが、彼女はしていないと首を大きく横に振るのみ。シヴァルディも状況が理解できていないようだ。
「シヴァルディ様! そのご尊顔を拝見できたこと、喜びしかありません……。ですが欲を言うならば、その御声も拝聴させていただきたい……! どうかお言葉を……!」
大人の男性が似合わない涙を大量に流しながら、手を伸ばし女性に近づく様は異様だ。まるで最推しに間近で会えた時のファンのようだ。
わたしは解読一筋二十数年なので、推しはいたことがない。興味がなかったという方が正しい。そのため彼の気持ちを察することは難しい。
……あ、もしヒエログリフを解読したシャンポリオンにもし出会えたら、わたしも同じようになるかも。シャンポリオンは故人なので無理だけど。でもそう考えると、ジギスムントの気持ちに共感できるかもしれない。
姿を見られる、声が聞ける、話せる、それだけで尊い……!
わたしがジギスムントの気持ちを想像しているうちに、ジギスムントはシヴァルディの近くまで寄っていた。手を伸ばしてはいるが、決して彼女に触れようとはしない。シヴァルディの足元で跪き、涙を流し続けている。
『ヴィルヘルム……』
相当困ったのかシヴァルディはヴィルヘルムに助けを求めるが、ヴィルヘルムは理解が追いつかないようで固まってしまっている。
そんなシヴァルディの様子を見て、ジギスムントは慟哭した。
「何故です……! こんなに近くにいるのに、何故その御声を聞くことができないのか……! 精霊王様は残酷なことをなさる……! ですが、先代も先々代も見ることができなかった素晴らしい事象を私は見ることができたのです! ああ素晴らしい! 素晴らしすぎます!」
悲しんでいるのか、喜んでいるのか、良くわからないが、目の前の推しの存在は十分に彼の感情を掻き乱しているのはわかる。そんなあからさまに感情垂れ流しでも良いのかと考えてしまうが。
しかしジギスムントにはシヴァルディが見えるようだが、声は聞こえないようだ。そう考えると許可云々は関係なさそう。では何故見えているのだろうか。
「ああ! 先代の言い付けに従ってこの片眼鏡を常時掛けていたことで、このような喜びを感じられるとは! 精霊様に、そして祖先に感謝しましょう!」
わたしの疑問を解消するように、ペラペラと語るジギスムント。何故シヴァルディを見ることができるのか何とかして聞こうと思っていたが、手間が省けた。
そんなジギスムントは手を胸の前で組んで感謝を捧げている。つーっと止めどない涙を頬に伝わせながら。こう見ると凄い涙の量だ。襟元はきっと涙で濡れてしまっているだろう。
彼が言うことによると、その片眼鏡の効果によってシヴァルディを見ることができているということがわかった。ということは、あの片眼鏡は精霊道具で間違いない。
でも稼働する精霊道具が減っているという中で、わざわざそれを常時稼働させるなんて、何と執念深い。精霊に会うチャンスをものにしようとする熱い思いには脱帽である。
「……ジギスムント叔父上。……叔父上にはシヴァルディが見えているのですか?」
やっと復活したヴィルヘルムが恐る恐るといった声色でジギスムントに問いかける。するとジギスムントはカッと目を見開き、そして吊り上げた。
「ヴィルヘルム! 貴方はこの神聖で尊いお方を呼び捨てなど……! 恥を知りなさい!」
その言葉にヴィルヘルムはばつの悪い顔になる。シヴァルディの主はヴィルヘルムであるので、呼び捨ては決して恥ではないし、シヴァルディも許可している。しかし、ヒートアップしたジギスムントにどう説明するのが良いのかパッと思い浮かばない。というか、聞く耳を持ってもらえるか心配すぎる。
『……ヴィルヘルム、リア。この方に許可を出しても良いでしょうか。私から話した方がこの方も聞いてくれるでしょう?』
足元で跪かれ、神のように崇められることに慣れていないシヴァルディは顔を引き攣らせながら、そう提案してきた。わたしとヴィルヘルムは全面的に賛成なので、こくこくと頷いた。早く話を進めたい。
『ジギスムント、貴方に許可を出しました。……私の声は聞こえていますね?』
「はい……、はい……! 聞こえております! ああ、何と美しく清らかな御声なのでしょう!」
感無量な面持ちでシヴァルディの声に聞き入り、感激しているジギスムントはまだ涙を流している。困ったわたしたちなど眼中にないのだろう。
『その涙を引っ込めて、静かにしていただけますか? いろいろと訂正したいことがありますので』
「……も、もちろんです!」
シヴァルディの素気ない態度を見て焦ったのか、ジギスムントは身じろぎ、慌てて懐に忍ばせていたハンカチで涙で濡れた顔を拭いた。涙は拭かれたが、彼の濃灰色の瞳は喜びと憧れに満ち溢れていた。
『まず、私は確かに森の精霊シヴァルディです。そこにいるヴィルヘルムとオフィーリアは私の主です。ヴィルヘルムは決して間違った対応をしていません』
「……ヴィルヘルムが主ですか!? ああ、そういうことですか……」
シヴァルディの話にジギスムントはすぐに冷静になり、床に両手をついた。そして掛けている片眼鏡を触る。
「シヴァルディ様を含め精霊様は主とともに行動するのでしたね……。ここに精霊様がいらっしゃるということは主がいるということ。よく考えればわかることでした。……申し訳ありません。目の前に我が一族の悲願が現れたものですから、興奮してしまいました」
そしてジギスムントはシヴァルディに向けて土下座をする。シヴァルディは彼にとってもう神様的存在ではないだろうか。あれ……、何か忘れている気がするが何だろう。
「もし失礼でなければ、去ったと言われる精霊様が何故こちらに座すのか、その経緯など教えていただけませんか?」
『ヴィルヘルム、そう言っていますが、どうしますか?』
かなり冷静になってきたのか、シヴァルディにその存在理由を尋ねてきた。シヴァルディはすぐにヴィルヘルムにその判断を委ねさせる。
ヴィルヘルムは、ジギスムントとわたしを交互に見るとゆっくりと頷いた。
「知られてしまっては誤魔化しもきかない。私からきちんと説明させてもらいます」
そう言ってヴィルヘルムは自分がどのようにしてシヴァルディを呼び出したのか、そして自分が主だと思っていたらわたしが別で調べ上げ呼び出したこと、それによって平民の立ち位置だったわたしを保護したことを話した。ヴィルヘルムの説明を聞き終えると、地面に膝を着いていたジギスムントはゆっくりと立ち上がる。
「シヴァルディ様はこの地を去られたのではなく、眠っていたのですか……。中庭の石碑にそのような重要なことが隠されていたとは」
中庭の石碑に精霊が眠っているということはどうやら口伝えでは伝わっていなかったようだ。ジギスムントは額に手を当てて、軽く頭を振った。
そしてゆっくりとわたしの方を見て、────また固まった。
視線はわたしの傍で漂う言の精霊イディファッロータ。
そうだ! イディのこと、忘れてた!
何か忘れていると思っていたら、イディのことだ。彼女もれっきとした精霊だ。ジギスムントはシヴァルディに目と心を奪われ、イディを認知していなかった。シヴァルディの足元で座り込んでいたので、目に映らなかったのだ。
「この小さな存在は……? シヴァルディ様のような神々しさはありませんが、まさか彼女も……?」
そして見開かれた目からまたつーっと涙が流れる。この人、どんだけ涙腺弱いの?
しかもしれっとイディのこと馬鹿にしていないか?
「彼女はイディファッロータ、言の精霊です。この世界では特殊な存在で、主はオフィーリアになります」
「シヴァルディ様だけでなく、新たな精霊様のお姿も見ることができるとは……! 私は一生分の幸運を使い果たしたのではないでしょうか。ああ、幸せです!」
ヴィルヘルムの話をきちんと聞いていないのか、イディを一点に見つめて、ジギスムントは両手を組みながら喜びを噛み締めている。精霊に会えたのが余程嬉しいのだろう。
わかるけど、話が進まない……! イディも困り顔だ。
「イディは言の精霊ということもあって、オフィーリアに文字読みの加護をもたらしています。……叔父上、お持ちの資料の中に読めない、または変わった資料はありませんか? 古代の資料になるので精霊のことが書かれているやもしれません」
感涙にむせぶ親類に耐性ができたのか、ヴィルヘルムは本来の目的を切り出してくれた。
するとジギスムントは涙を拭うことなく、喜びに満ちた表情のままヴィルヘルムの方を見る。
「これも精霊様のお導きですね。……実はこの建物にも幾つか読めない資料は存在します。その中でも群を抜いて不思議な本があります。それは先祖が王族から褒美として下賜されたものです」
「王族からですか!?」
ジギスムントの話にわたしは食ってかかる。しかし迫るわたしなどに動じず、ジギスムントは笑顔で頷くと続けた。
「『精霊様に関するものが欲しい』とお願いしたら頂けたものです。きっと精霊様のことが書かれているに違いありません」
「それは、ぜひとも読みたいですね!」
「ぜひオフィーリアに読み解いてもらいたい!」
王族から貰えた資料ならば、新たな情報も期待できる。
わたしの心はかなり踊っている。これでさらに新しい未解読文字を発見したら、喜びすぎて死ぬかもしれない。……いや、解き明かすまで死ねない。訂正訂正。
資料を読む許可を出してくれたジギスムントへの好感度がぐんぐん上がるのを感じながら、わたしの口元は緩む。
「……ではその資料を渡すとして、もう一つ気になることがあるのです」
「何でしょうか?」
ジギスムントは笑顔を急に消し、真剣な表情に変わる。気になること、と言っているが、何だろうか。わたしは首を傾げ、ヴィルヘルムはその続きを促した。
そして、ジギスムントは言う。
「我が領地の象徴である、クロネフォルトゥーナ様もこの建物の中庭に眠っているのではないでしょうか?」




