第三十三話 何故見えるのですか?
「大切な精霊様のことですので。御伽噺と言われていますが、古くよりそのような尊い方々が存在したと聞いています」
「そのことで何か資料などは残っているのでしょうか?」
わたしの問いかけにジギスムントは笑顔で首を横に振った。きっと資料として残っていると思い込んでいたので、わたしはその答えに内心がっかりしてしまった。当てが外れた。おそらくヴィルヘルムも同様に感じているだろう。
言い伝えと言っていたので、情報が残らないようにわざとしているのだろうか。それならば言い伝えの内容を質問して聞いていくしかない。資料ならば読んで整理していけばよかったのだが。仕方あるまい。
「では、あの王族が知りたがっている内容をジギスムント叔父上はご存じでしょうか?」
しがない貴族令嬢と婚約してでも得たいと思う情報が何か、わたしも気になるところだ。わたしは期待を込めてジギスムントを見つめるが、無情にも彼はまた首を横に振った。
「……正直に言うとわかりません。ただ、私が持つ情報は彼らにとって必要はないということは事実です。もう情報として持っているのか、狙いは別か、それかも見当がつきませんけれど」
「やはり精霊が去った理由でしょうか」
ヴィルヘルムは顎に手を当てながら考え込む。精霊が去ったという話は歴史の中での話であって、シヴァルディの話では皆眠りについたと言っていた。その辺りの齟齬も何故起こっているのかわからない。
「そうですね……。精霊様がこの地を去られた理由は伝わっていません。もしかすると理由も言わずに去られたのかもしれません。我が領地が祀っていた、時の精霊様は王族の死によって姿を消した、と聞いています」
「このアダン領は時の精霊様がいらっしゃったのですか?」
ジギスムントはわたしの質問に肯定した。
森林地帯が大きいジャルダン領は森の精霊というように、地形によってその地の精霊を予想することができていたが、このアダン領は特に特徴もなかったので保留にしていた領地だった。時の精霊とはっきりとジギスムントが言っているので信憑性は高いだろう。まあ、これについてはシヴァルディから聞けばその空気感でわかると言っていたので、確定することだ。後で聞くことにしようか。
「クロネフォルトゥーナ様と呼ばれる精霊様です。私と同じ灰色の髪を持つ美しい女性だと聞いています。ぜひとも一度でも良いのでお会いしたいですが……、こればかりは難しい。ああ、お会いしたい!」
そう言ってジギスムントは盛大なため息を漏らした。会いたくて会いたくて仕方がないのだろう。クロネフォルトゥーナが目覚めれば会うことはできるし、目覚めさせ方もシヴァルディと同様の方法ならば既にわかっている。しかし、どのようにしてジギスムントにそれを伝えたら良いのかわからないし、実際に彼の精霊力が足りるのかもわからない。
特に時の精霊は上位の方の精霊だと聞いているので、シヴァルディを呼び出す時よりも多くの精霊力を求められるかもしれない。そうなるとわたしやヴィルヘルムでも厳しいかもしれない。
「叔父上がこの孤児院に住んでいる理由もそのクロネフォルトゥーナ様に関係があるのですか?」
「もちろんだ! それがなければ周りからの苦言で別のところへ移るところです。他の領地のように!」
ジギスムントは力強く言い放つ。周りからの苦情に耐えられなくて別の城を建てて移ったジャルダンと正反対だ。それほど精霊のことを信じているのだろう。
「クロネフォルトゥーナ様がこの地を去る前までともに過ごしたと言われ、その精霊様を祀っていた神聖な建物です。この建物はただの孤児院ではないのです! その建物を私が守らなければ誰が守るのでしょうか!? 貴族が、平民が、と言っている場合ではないのです! このクロネフォルトゥーナ様が守り愛したこの地と建物を守るのが領主である私の役目なのです! 誰がどう言おうとこれだけは譲れません! 譲れませんとも!」
ジギスムントは握り拳に強い力を込め、熱く語っている。使命に燃え、それを守り続けていることを誇りに思っている顔だ。漫画ならば目にめらめらとした炎が宿っているのだろうな、とぼんやりと思ってしまう。うん、びっくりするくらい引いているわ、わたし。ヴィルヘルムも真顔だ。
しかし精霊を祀っていたことがきちんと伝え残してあったということは、もしかするとこの建物で行われていた儀式も伝わっているかもしれない。意外と情報が多くて助かる。
「あの……、精霊様を祀っていた建物ならば何か、こう、儀式とか、そのような仕事の内容は残っていますか?」
ジギスムントはずっとこの建物がいかに素晴らしいものか語っていたが、恐る恐るわたしは儀式のことを尋ねる。するとジギスムントはぴたりと話すのをやめて、腕組みをして考え始めた。
「そうですね……。精霊様がいらっしゃった時は精霊様と道具を作ったり、その地の貴族を集めて礼拝を行ったりしていたと聞いていますね。その時は領地の概念自体なかったですし」
「礼拝、ですか?」
「はい。日々の恵みに感謝するのです。王族も参加していたとも聞いています。王族が参加するほど神聖なものだったのならば私としてはそれを今、復活させたいところですが、精霊様のおかげだと言っても他の貴族は御伽噺としか思っていないようで。教育はまだかかりそうです」
ジギスムントの話に目新しいものはなさそうだ。壁文字以上の内容を知りたいのならば、やはり王族に当たるしかないだろうか。儀式の目的がはっきりすれば良かったのだが、こればかりはなかなか辿り着けない。
話が途切れたところで、ちょうどチリンチリンとベルが鳴る音が外から聞こえてきた。ジギスムントは「昼食の準備ができたようですね」と言うと、入室の許可を出した。するとテレーゼが昼食の準備が完了したので、食堂に移動するように勧めてきた。
ちょうど良いということで、一旦話は中断し、昼食をご馳走になることになった。
アダン領の昼食は香草で風味付けされたものが多く、かなり新鮮なものだった。ただ香草の良さを生かし切れていないのが、少しがっかりだ。この香草を使えばバリエーション豊かな料理も作れるだろう。もし可能ならばこの香草がほしいところだ。後でフェデリカに相談してみよう。
食事も無事終えたところで、用事があるので先に戻っていてほしいとジギスムントに頼まれ、先程の部屋に戻り、ヴィルヘルムと今後の相談をすることにした。先程の内容を踏まえた上で、どこまで情報を開示し、どのようなことを聞くのか、確認しておくことは大切だ。
「ジギスムント叔父上が精霊崇拝者であることはわかっただろう? やはりシヴァルディたちのことは伏せた方が良いだろう」
『そうですね……。私たちが見えたらお祭り騒ぎになるというヴィルヘルムの言葉は間違いないです』
わたしもその言葉には同意なので、こくりと頷いた。隣に漂っているイディもこくこくと首を縦に振っている。満場一致だ。
「やはり精霊殿文字のことを開示すべきだろうか。口伝えと言っているが、資料が残っていないというのは考えにくい」
「確かに……。ジャルダン領には残っているのに、精霊を崇拝しているアダン領ではないのは少しおかしいですね。もしかすると、読めないからそう言っているのかもしれません」
そうなるとわたしが精霊殿文字を読める情報を開示し、その資料を集めてもらう方向へ持っていった方が良いだろうか。ヴィルヘルムの身内だが、他領の人物なのでこの情報を教えることでどういう効果をもたらすかわからない。ここはヴィルヘルムの判断に任せるしかないと思う。
「其方が精霊殿文字を読むことができると知れば、資料の情報を渡す代わりに読ませてもらえるかもしれない。イディの加護であることを伏せれば、まあできなくはない」
『領主様。リアが精霊殿文字を読めるのはワタシの加護ではなく、リアの努力の結果ですよ』
イディの加護で読み書きできるのはプロヴァンス文字と旧プロヴァンス文字だ。精霊殿文字についてはイディの言う通り、わたしが読み解きたいがための行動の結果だが、ヴィルヘルムにとって些細な問題だったのだろう。彼は眉を顰め、腕組みをする。
「今はどちらでも良いことだ。……オフィーリア、知らせても良いか?」
ばっさりと切り捨てられ、イディは小さくはあ、とため息をつき、項垂れた。わかってもらえなかったことに落胆しているようだ。イディが不憫だが、話の腰を折るので今は訂正するのはやめておこう。
ヴィルヘルムはわたしの文字読みができることをジギスムントに教える許可を求めてきた。ヴィルヘルムが良いと思うのならわたしは特段に思うことはないので、すぐに了承する。
むしろいろんな文献が発見できる機会が得られるのならば、大歓迎だ。精霊殿文字以外のものも出てきていいのよ。プローヴァ文字とか。
「ではジギスムント叔父上に精霊殿文字のことを聞くことにしよう。……イディ、ジャルダン領主の日記は持っているか?」
『は、はい! ここに!』
イディは慌てて指を鳴らし、日記を取り出した。そしてヴィルヘルムに差し出す。
ちょうど日記を受け取った時、部屋の扉ががちゃりと開く音がした。突然だったので、わたしはびくりと肩を震わせ、扉の方を見る。
「待たせてしまってすまない。少し書類を読まね……」
部屋に入ってきたのは、この建物の主であるジギスムントだった。笑顔を浮かべながら歩いてきていたが、急に一点を見つめてぴたりと固まった。まるで時が止まったかのように。
「どうかされたのですか?」
ヴィルヘルムもジギスムントの異常を不思議に思ったのか、声をかける。すると、ジギスムントは笑顔を崩し、涙をつーっと流し始めた。
その異様な光景にわたしもヴィルヘルムもたじろいでしまう。全くと言っていいほど状況が理解できないのだ。
そしてジギスムントは大量の涙をボロボロと零しながら、絞り出すような声で言った。
「貴女様は……、森の精霊シヴァルディ様、ですね?」




