第三十二話 アダン領主という人物
城の中もジャルダン領のものと同じだった。
広々とした玄関があり、春あたりに新調されたばかりの灰色の絨毯が一直線に伸びている。その絨毯を踏みしめながら、平民時代はほぼほぼ立ち入ることのなかった貴族エリアへと案内される。おそらく横に逸れると孤児たちが暮らすところへ繋がるのだと思う。もしかすると違うかもしれないけれど。
「反対側にある区域は平民の孤児たちが暮らすところとなっています。きちんと教育を進めてはいますが、こちらの貴族区域に孤児たちが入ることはありません。職員は出入りしますが、作法などは学んでおりますゆえ、ご心配なく」
「わかった。説明感謝する」
テレーゼの説明にやはりそうかと納得しつつ、後ろを振り返る。領地がちがうのでもちろんアモリたちはいるはずはないのだが、何故か気になってしまう。
しかしテレーゼはそんなわたしの気持ちなど察することなく、ずんずんと進んでいき、前孤児院長の部屋だった場所の前までやってきた。テレーゼは懐から小さなベルを取り出し、到着を知らせるためチリンチリンと鳴らした。
「入ってください」
部屋の中から若めの男性の声で入室許可が出ると、テレーゼは懐にベルを仕舞うと、扉の持ち手に手をかけ、引いた。
部屋の中心に一人の男性が立っていた。
「待っていましたよ、ヴィルヘルム」
男性は淡い影のような柔らかな灰色の髪に片眼鏡を掛けており、そこから覗く濃灰色の瞳が印象的だ。パッと見ると年老いた老人の様に見えるが、彼を良く見るとアルベルトと同じ歳くらいの顔立ちをしていることがわかる。いや、もしかするとアルベルトより若いかもしれない。
ジャルダン領主であるヴィルヘルムを敬称を付けずに呼べるのはこの領地で一人しかいない。ヴィルヘルムと呼んだ彼こそが、このアダン領の領主であるジギスムント・アダンだということがわかる。
ジギスムントは温和な笑みを浮かべ、入室したわたしたちを迎え入れた。
「知っているとは思いますが、私はジギスムントです。ヴィルヘルム、後ろの女性を紹介してもらえますか?」
「はい、ジギスムント叔父上。こちら、オフィーリア・プレオベールです。……挨拶を」
ヴィルヘルムがわたしの方を指し示し、挨拶するように勧めたのでわたしは後ろに控えていたアルベルトに目配せをした。するとアルベルトは一歩前に出て、右手を胸に当て、左足を一歩引きながら貴族の礼をした。
「この夏にオフィーリアは我がプレオベール家の養子となりました。どうか娘共々、よろしくお願いします」
「ああ、もちろんです。アルベルト」
「……では、オフィーリア」
わたしの養父であるアルベルトが先に挨拶を終え、アルベルトは直りながら次はわたしの番だと促してきた。わたしはこくりと頷くと、左足を引き、背中が丸まらないように意識しながら頭を下げた。
「オフィーリア・プレオベールと申します。成人前でまだ未熟者ですが、よろしくお願いいたします」
「……さすがプレオベールの子ですね。こちらこそ」
にこりと笑いながらジギスムントはわたしを見つめた。とても優しい眼だ。この目つきはヴィルヘルムに似ているのかもしれない。
第一関門である挨拶を終え、ひっそりと安堵していると、わたしたちの後ろで控えていたテレーゼにジギスムントが昼食の準備をするように言い付けた。テレーゼは了承し、恭しい礼をすると、側仕えたちを数名連れて部屋を出て行った。
「到着したばかりですが、時間ですので昼食にしましょう。準備が整うまで少し待ってもらいますが、それまでは今回の訪問理由をゆっくりと聞くとしましょう」
「ええ、ジギスムント叔父上にとって悪い話ではありませんので」
「わかりました。では、それまではこちらで」
ジギスムントは来客用の椅子に座るように促した。ヴィルヘルムは礼を言って座ると、アルベルトの方を見た。
「せっかく他領に来たのだから、アダン領の文官と交流してきなさい。ここの文官は優秀だ。……よろしいですか? 叔父上」
「ええ、好きにしてください。ただ情報のこともありますので、農作の方のみになりますが」
「ご配慮ありがとうございます。お言葉に甘えてそうさせていただきます」
ジギスムントが快諾するとアルベルトは礼を述べた。ジギスムントは側に控えている剣を携えた男性に目配せをし、「頼めますか?」と一言。そしてその男性とともにアルベルトは部屋を出て行った。
「……では私はフェデリカとともに部屋にて荷物の整理をさせていただきますわ」
「ああ、頼む」
その後すぐ、パトリシアはフェデリカを連れて部屋を後にする。そしてランベールは「扉近くで控えております」と礼をしながら言うと、扉の前まで下がっていった。
ジギスムントはそれらを見て、ほお、と自分の顎を撫でながら感心する素振りを見せた。
「主の求めるものを察知したのですね。ヴィルヘルムの臣下は優秀ですね」
「ありがとうございます」
「それで人をある程度まで排して話したい話とは? オフィーリアも座ってください」
ジギスムントはテーブルに肘を付くと、濃灰色の瞳をきらりと光らせた。わたしは礼を述べつつ、勧められた椅子に着席した。
「叔父上に精霊のことが聞きたく……」
「精霊様のことですか!?」
ヴィルヘルムが言い終える前にジギスムントはがたりと立ち上がった。その眼はもう領主のものではなく、憧れと羨望に満ちた子どもの眼だった。キラキラと輝いている。
わたしは驚き、目を丸くしてしまうが、ヴィルヘルムは想定内のことだったのか、眉を下げて苦笑していた。
「ヴィルヘルム、何故事前に手紙で知らせてくれないのですか!? 聞いていれば時間をかけて準備をしていたのに!」
「……二、三日の滞在で終わるとは思わなかったので」
今回の滞在は短く設定している。春の会議の後にアダン領に寄ることになっているため、自身の領地を空ける間が長くなってしまうためだ。
ヴィルヘルムは表向きは領主就任挨拶だと言っていたが、本当の目的もジギスムントに伝えていると思っていた。しかし彼の反応を見るにそれをしなかったことは正しいと直感的に感じてしまう。
ヴィルヘルムの言葉が図星だったのか、ジギスムントは「確かに二、三日で語り切れるものではないですね……」と言って肩をすくめた。どれだけ精霊のことを語るつもりだろう。
「ですが人を排するのはおかしいでしょう? むしろたくさんの方々に聞いてもらいたい話ですが」
「他の者に伏せている内容があるのです」
「……ああ、そういうことですか」
ヴィルヘルムの言葉にジギスムントはわたしの方を一瞥した。目が合うと、彼はにこりと笑みを浮かべた。
「昼食まで少ししか時間がないので、途中まで話を聞きましょうか」
「ありがとうございます。先日、オフィーリアとともに王城へ呼ばれた際の話で気になる反応がありまして」
「未成年がわざわざ王城へ呼ばれることは珍しいですね。内容を伺っても?」
すると、ヴィルヘルムは王城でわたしが話したことと王族の反応を話し始めた。わたしが夢見で十五の壁を打ち破る知識を授けられたこと、コンラディンが夢の女性に興味を示したこと、ブルクハルトがわたしに婚約話を持ちかけてきたこと、全てをジギスムントに説明する。夢見の話に対してジギスムントは王族同様かなり興味を示していたが、特に質問するわけでもなく、ヴィルヘルムの話を聞いていた。
その間、わたしはひたすら聞き役に徹していた。基本ヴィルヘルムが話を進めてくれるので、わたしは話を振られたらそれに答えるだけでいいので楽だった。
「……なるほど。かなり興味深い。王族がそのような態度に出たのも納得です」
ヴィルヘルムの説明が一通り終わったところで、ジギスムントは顎を触りながら唸った。
「王族とのやりとりはここにいる者とアルベルトしかしりません。また十五の壁を打ち破る知識を伝授されたオフィーリアのことも公表していません。どうかこのことはご内密に」
「わかっている。まあ王族が近いうちに動き始めると思うので、あまり意味はないと思うが」
「……やはり、そうですか」
王族との謁見の話は他の者に共有していない。婚約話という込み入った内容もあったし、こちらとしても夢見の嘘の話を広めるのはどうかと考えたからだ。
しかしジギスムントの言いぶりだと、王族側が広めてきそうな感じだ。やはり婚約話を進めるための根回しだろうと思う。
ヴィルヘルムはそれを予想していたのか、言葉にされたことで現実味が増したようだ。小さくため息をついた。
「さて、何故王族がそのような反応を取ったのか、ヴィルヘルムならばある程度は理解できているはずだ。精霊様はこの国の象徴であり、王族とともにあるもの。しかし随分前にこの国を去っていったため、王族は血眼で行方を追っている」
ヴィルヘルムはゆっくりと頷いた。
この内容はヴィルヘルムから聞かされていたことだ。
「おそらく国王と王太子はオフィーリアを『精霊と心通わせた者』と見ているのでしょう。実際、森の精霊様であるシヴァルディ様を見ているのだから、間違いではない」
「オフィーリアの言う女性は、森の精霊だというのですか?」
シヴァルディを知っているヴィルヘルムのわざとらしい驚きの声に、わたしは笑いそうになるが口先をきゅっと力を入れて耐える。ここで笑えばおかしな人だ。
ヴィルヘルムはジギスムントにわからないように軽くわたしを睨みつけてきた。……ごめんなさい、と心の中で全力で謝っておくことにする。
「木の葉を集めた髪飾りに、ジャルダンの色である緑の髪と瞳。そして、美しい女性となると、森の精霊シヴァルディ様に間違いない。祖先の言い伝えとぴたりと重なります」
「ジギスムント様は精霊様の容姿などご存じなのですね」
わたしの言葉にジギスムントは笑顔で頷いた。
年末年始が思った以上に忙しいので、投稿時間が不定期になりそうです。申し訳ありません。




