第三十一話 アダン領へ
アダン領へ行くには、トゥルニエ領を経由すればあっという間だ。
あっという間と言っても三、四日はかかるのだが、ギルメット領を経由しないだけでも皆の心はかなり安らかなものだ。トゥルニエ領は三大領地ということもあってギルメット領に対して大きく出ることができるので、そこで襲撃が来た場合の向こう側のリスクは大きい。まあ可能性が低くなるだけなので、ないとは言い切れないけれども。
そのため道中は安全だった。襲撃があるわけでもなく、関所で足止めを食らうこともなく、特に問題もなかった。領主を守る武官からしたらとても安らかな気持だっただろう。
経由したトゥルニエ領は美しい領地だった。
トゥルニエ領は三大領地の一つもあってか、富豪が過ごすような街が多くあった。ほとんどを車から降りることなく過ごしていたので、窓からの様子でしか見られなかったが、どうやら宝石などが良く採れているようだ。その関連の店が多かったように思う。宿泊した屋敷も宝石をふんだんに使ったものだった。権威をちらつかせているなーとは思ったが、特に過ごし心地は変わらなかったのでどうでも良かった。
では、この地の精霊は何だろうかという疑問に辿り着いた。宝石など石関係だから、地の精霊か? と思ったが、それはシヴァルディの言葉ですぐに打ち消された。
『この空気感は……、月の精霊ですね』
他の精霊を感じることができるシヴァルディにはその土地に来ただけで、どのような精霊が祀られているのかわかるそうだ。日、月、時の精霊は全精霊の中でも上位の方の精霊らしく、特殊な存在だそうだ。シヴァルディ自身も日の精霊から派生したと言っていた。イディは特殊な生まれ方もあり、わからないと言っていたがこの土地の空気はジャルダン領ともフロレンツィオ領とも違った崇高なものはあると言っていた。わたしにはよくわからないが。
ということは、フォンブリュー領とギルメット領の地は日か時の精霊を祀っているということではないかという仮説が立った。ただどちらの領地も訪問の予定はないので、結局真相はわからない。
さて、そういうことで快適な旅路だった。
そして、アダン領に入った。
「そういえばアダン領にも、トゥルニエ領にもあの小さな石柱がありましたね」
「ということは全領地にあるものなのですね」
わたしの言葉にフェデリカがそう返してきた。相変わらず窓の外を見ることしかできることがないので、ボーッと見ていたらあの石柱が定期的な間隔で現れている。アダン領では比較的自由に動けるかもしれないので、もし近くにあれば詳しく調べてみたいと思う。古代からあるものかもしれない。
「窓の外はやはりオフィーリア様にとって新鮮なものなのでしょうか?」
「……そうですね。この旅の前は外に出る機会がなかったもので」
窓の外ばかり見ていたためかメルヴィルが困ったような顔を向けてきた。わたしの専属になる前、一般武官だった彼にとって外は珍しいものでも何でもないのだろう。わたしは孤児院にいた時からその中に閉じ込められており、そこを出ても第一夫人派のこともあってプレオベールの屋敷を出ることはなかった。
正直にそう答えると、フェデリカやメルヴィルは眉を下げて憐れむような視線を向けてきた。よく見ると、ランベールやパトリシアも同様だ。ちなみにヴィルヘルムは資料に目を落としていて、一連の流れを無視することに決めたらしい。
「アダン領に着けば、しっかりオフィーリア様の身はお守りしますので、外を堪能いたしましょう!」
メルヴィルがずいっと体を乗り出して笑顔を浮かべた。フェデリカはうんうんと口元に手を当てながら頷いている。……何か勘違いされているんじゃないだろうか。
わたしがそこまで気を張らなくても大丈夫だと声をかけようとしたところで、キッと車が止まった。すると、ニコニコとわたしたちの会話を聞いていたパトリシアはランベールに目配せをした後、スッと立ち上がった。
「ヴィルヘルム様、アダン領の城に到着したようです。ランベールが先に危険がないか確認を、私は向こうに到着した旨を知らせに参ります。フェデリカ、お二人をお願いします」
「私もランベール様とともに参ります」
メルヴィルの言葉にランベールは頷くと、二人は立ち上がりパトリシアより先に下車していく。その後にパトリシア。
開いた扉の外をちらりと見ると、何だか既視感がある建物が目に入った。アダン領には初めて来たので既視感はおかしいはずだと首を横に振って否定する。
「どうしたのだ?」
わたしが挙動不審に首を横に振ったのが気になったのか、手元の資料を片付けながら尋ねてきた。フェデリカがヴィルヘルムの資料をまとめていく。
「初めてここに来たのに少し見えた建物に見覚えがあって……」
「ああ、そういうことか。見覚えは、あるだろうな」
「どういうことでしょうか?」
「まあ、降りればわかる話だ」
ヴィルヘルムが穏やかな顔でそう言うが、わたしには理解ができない。小首を傾げていると、外から「特に敵の影などありませんし、向こうもそろそろ出てくると思いますので下車しておきましょう」というランベールの声が聞こえた。早くヴィルヘルムの言った意味が知りたいわたしは即座に立ち上がると、フェデリカの手を借りて車を降りた。
「あ……」
車を降り、目線をやや上にすると、ヴィルヘルムの言った意味をすぐに理解した。
やはり建物に見覚えがあるという感覚は正解だった。建物に見覚えしかなかった。
『……ここは』
イディも目の前の建物に驚いたのか、急に姿を現す。イディが言いたいことがわかるので、わたしはそれに同意するようにこくりと頷いた。
「孤児院だ……」
そう、目の前に広がる建物はわたしが十歳になる前まで過ごしていた孤児院の外観に瓜二つだった。ただ孤児院の外観は去る時に一度見たきりなのだが、何度も振り返って見ていたので目に焼き付いている。
……あ、泣きそう。
目に映ったその建物は、わたしの約十年間の美しい思い出を蘇らせた。アモリたちと笑い合ったり、マルグリッドに叱られてしょんぼりしたりした日々が脳裏によぎった。約半年ぶりに見た孤児院の外観のこみ上げるものがあり、わたしはぐっと唇を噛みしめる。ここで泣いてしまってはいけない。平民のリアではないのだから。
「アダン領主は孤児院に住まう変わり者の一族だと言われていたが……、まあ発端のことを考えたら納得できるな」
ヴィルヘルムがわたしの後に下車してきて、わたしの頭にポンと手を置いた。「我慢しなさい」という副音声がばっちり聞こえたので、わたしは必死に出そうになる涙を引っ込める作業に集中する。
孤児院は元々、精霊殿と言われていた場所の一角にあったものだ。精霊が去ってからその存在意義が失われ、ただの孤児院に成り果てた。ヴィルヘルムの祖先であるジャルダンは平民が出入りする孤児院を嫌がった貴族の声から別の城へと居を移したと記録にあった。
しかし、アダン領ではそのようなことはなかったようだ。現に目の前にある建物は別に建てた城ではなく、元だが精霊殿なのだから。
「でもこの建物は何故、ジャルダン領にある孤児院とそっくりなのでしょうか?」
孤児院、ではなく精霊殿がここまで似ているのに疑問を感じ、わたしは口にした。ヴィルヘルムは、推測だが、と前置きした上で話し始めた。
「この建物自体、魔力を一定量注いでおかなければ維持できない建物であり、統一時に建てられた特別な建物だ。そう考えると瓜二つなのも理解できるが」
精霊力を注がないと崩れると以前、ヴィルヘルムが言っていたことを思い出し、彼の推測に納得する。精霊王と初代王が力を合わせて建てたのならば、建てた精霊殿が全てそっくりなのは当たり前だ。わざわざバリエーションを付ける必要はないのだ。
すると、正面の扉の方から出迎えが来たようだ。近くにパトリシアがいる。わたしは念のため、イディに姿を隠すように伝え、さっとヴィルヘルムの後ろに下がった。
「ようこそ、お待ちしておりました。ジャルダン領主ヴィルヘルム様」
出迎えの人数は四、五人程度だ。灰色の袈裟のような衣装を身に付けている者と同色のポンチョのようなものを羽織っている者がいた。その色からこの地の色は灰色だということがわかる。
ヴィルヘルムに声をかけた女性は紺色の髪を一つにまとめ、美しい所作で貴族の礼をした。そして、自身をテレーゼと名乗った。先頭に立っていることからアダン領主に近い位置にいる人物で位が高いのだということがわかる。
「アダン領主は部屋にて歓迎の準備をしております。出迎えができないことを詫びていました」
「問題ない、会議が終わってすぐに伺ったのだから。では、案内を頼めるか?」
「わかりました。ではこちらへ」
テレーゼは翠色の目を細めて微笑むと、手で中に入るように指し示した。テレーゼはポンチョのような衣装を身に付けている人物に車の移動などを小さな声で言い付けると、各々が動き始める。そして、テレーゼは少し困った顔をしながらこう言った。
「あと……、ご存じかと思いますが、ここは孤児院も兼ねております。恥ずかしくないように教育はしておりますが、平民が出入りする場所でもあります。どうかお願いいたします」
テレーゼは腰を折るようにピンと伸びた礼をすると、「参りましょう」と声をかけた。その声とともにわたしたちはアダン領主の待つ部屋へと向かい始めた。




